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スカッド  作者: SET
7/16

 翌日、体調の異変を感じて熱を測った。三十八度二分だった。だが、もうメンバーに迷惑をかけるわけにはいかないと思い、気だるい体を引きずったまま、西荻窪のライブハウスに時間通り辿り着いた。あのことは誰にも言わなかった。メジャーデビューを控えた先輩はもう何もしてこないだろうし、これ以上先輩と関わりあっていたら、生きていく気力が萎えてしまう気がした。

「今日は、ちゃんとやれよ。信じてるからな」

 出演前の控室。今日出演する、スカッドを含めた三組のバンドのうちの二組が既に演奏を終え、場内は十分に盛り上がっていた。与田も木戸も及川もその熱気を感じ、トリが無様な演奏はできないと息巻いているようだった。

「やってみる」

 棘のある与田の言葉に答え、ステージに上がった。「こんばんは。よろしく」とマイクに吹き込んだ私は、始まった前奏に合わせて軽く跳んだりステージの上を歩きまわったりした後で歌い始めた。「どうするつもりだと脅されて 勝手にしろよ そう吐き捨てたあいつらは」顔中が熱くて今にも倒れ込みそうだったが、床から出っ張ったスピーカーに右足を叩きつけて叫んだ。「有名になりたいわけじゃない けど黙って見ていたくもない 憧れているわけじゃない ただただ引っ張り込まれただけなんだ!」

 一曲目を終え、マイクスタンドの隣に置いてあった五百ミリリットル入りのミネラルウォーターを一気に飲み干した。「旧車」と叫んでから次曲を歌い出す。「ろくでもねぇ新車はいらねぇ 旧車旧車旧車が欲しい 空を覆う腐ったガスは 次代の夢だ人間以外は皆死ね!」ドラムの与田が刻むビートに合わせて飛び跳ねる。「旧車旧車旧車が欲しい 新車も結局変わりやしねぇ いつまで経っても変わりやしねぇ!」マイクスタンドにもたれ掛かるようにして歌った。

 水を飲もうとしたが既に空になっていた。仕方なくそのまま三曲目に行く。「昨日まで信じていた事も あすには犯罪行き場がない 昨日は有罪 あすには無罪 昨日は無罪で あすには有罪!」喉の水分が熱に奪われてうまく声が出ない。三曲目を歌い終わる頃には息も絶え絶えで倒れ込みそうだった。

 四曲目。間を置いて始まった演奏がやけにスローペースに聞こえる。朦朧とする頭でセットリストを思い返す。あの曲だ。先輩が、唯一褒めてくれた、あの曲。あの言葉も、嘘だったのだろうか。私は自分でも気に入っていたその曲を、歌い始めようとした。しかしうまく演奏に乗れなかった。演奏がボーカル抜きで進んでいく。何かが背中に当たって振り向いた。与田がこちらを見ていた。当たったのはドラムスティックのようだ。私は与田を見たまま、動けなくなった。あれだけ盛り上がっていた観客は、スローダウンした楽曲に合わせ静かに聴き入る体勢だった。誤魔化しようがない。しかし声が出なかった。

 与田は予備のスティックでドラムプレイを続けながら、前、前、と口を動かした。言われたとおりに前を向くと、ライブ中だというのに、ボーカルが後ろを向いたまま固まっていたことに対する動揺が広がって、会場はざわめいていた。私はマイクを口元に当てた。しかしどうにも、歌が出て来なかった。演奏だけが虚しく進んでいく。

 私はその曲の演奏が終わるまでの三分間、そうやってじっと突っ立っていた。

 次の曲も、その次の曲も。結局、最後の七曲目が終わるまで突っ立っていた。

「沢崎……お前、このバンド抜けたら?」

 ライブイベント終了後、出演者待合室でタオルを被っていた私に、与田がきつい口調で切り出した。

「お前さ、最近、どうしようもねぇじゃん。こんな状態で続けるなら、やめた方がいいよ」

「与田! 言い過ぎ」

 何も言い返せないでいると、普段はあまり口を開かない木戸が割って入ってくれた。

「でも確かに、やる気が伝わってこないよな。最近の沢崎は」

 及川は与田に同調した。

「なんだよ、四曲目から棒立ちって。ライブであんな恥かいたの初めてだよ。一緒に出てたバンドの連中、苦笑いしてたぞ」

 私はタオルを被ったまま、立ち上がった。

「次は、ちゃんとやるから」

「次、あんのか」

 与田が言った。タオルを取り去った。

「ごめん、与田。与田にそれ以上言われると、私、駄目だ」

「駄目って、何がだよ」

「本当に、次は、迷惑かけないから」

 ライブハウスの外へ出る扉を見つめていた私は、一度だけ与田の方を振り向いた。与田は目を見開いた。私は多分、泣いていたのだろう。頬が熱くて、本当に泣いているのかは分からなかった。確かめたくもない。


 近場の駅まで歩いた。自宅の最寄り駅へ向かう電車とは違う鉄道会社の駅のため、タクシー乗り場へ向かい、客待ちをしていたタクシーに乗りこむと自宅の住所を行き先として指定する。

 静かに走り出したタクシーの中でぼんやりと考え事をした。与田は音楽が本当に好きで、ライブを誰よりも楽しみにしていて、音楽に関する事なら何を任せても最後までやり遂げる。だからこそ、私は与田とバンドを組み、与田の頑張りに負けないように真剣に取り組んできた。私は与田を信頼してきたし、与田は私を信頼してくれていると思う。

 それなのに先輩の事があってからの私は、理由も何も言わずに適当なライブを繰り返した。この間は、遅刻で迷惑をかけた関係者に対して平謝りに謝らせ、今日は、他のバンドや観客の前で恥をかかせ、ただ音楽に真剣に取り組んでほしいだけの与田に、あんな言葉を吐かせた。そのうえ泣いたりして、正しい事を言っていた与田のほうが悪いような空気まで作って、出てきてしまった。卑怯なことをした。

 これからどうしようか。どう謝れば、許してもらえるだろう。熱に浮かされた頭で謝罪の言葉に思いを巡らせてみたが、うまくいかない。私は後部座席の窓ガラスに頭を預けた。謝っても与田は許してくれないかもしれない。そんな考えがよぎり、また、泣きたくなってきた。

 目を思い切り瞑って、少ししたら開き、携帯電話をバッグから取り出した。アドレス帳から与田を選び、電話番号を表示させた。こういうことは、時間が経てば経つほどややこしくなる。早めに謝れば大丈夫だ。そう言い聞かせても、なかなか発信ボタンを押す勇気が出ない。結局、携帯電話を閉じ、バッグにしまおうとした。しまおうとしたところで、手元で着信音が鳴る。驚いて思わず声を上げた私を、初老の運転手が驚いたように振り仰いだ。私が「すいません」と小さな声で言うと、それからすぐに正面に視線を戻した。

「はい。沢崎……です」

「分かってるよ」

 与田の声は平静なようにも、怒っているようにもとれた。どちらの状態であるか測りかねて黙っていると、与田が続けて口を開いた。

「ごめん。さっきは熱くなりすぎた。本当は、やめてほしいなんて思ってない。沢崎がいないスカッドなんて考えられないし。ごめん。本当にごめん」

 思わぬ言葉が聞けて、私は口を開いたり閉じたりした。どう答えようか迷っている間を、再びの沈黙と受け止められたようで、与田がまた言葉を繋いだ。

「なんか電話だとやりにくいな。いま、どこにいる?」

 まだまともな返答ができていない。私は別に気にしてないとでも言っておこうとしたが、会って伝えた方が良いように感じて、窓外の景色を確認した。あまり見覚えがない街並みのため素直に運転手に問い、今いる場所を教えてもらった。知っている駅の周辺地域だった。

「あの……西武新宿の上石神井(かみしゃくじい)駅、分かる?」

「ああ、分かる」

「南口の、タクシー乗り場あたりで待ってる。見つからなかったら、また電話して」

 返事を待たず電話を切った。

「ごめんなさい、運転手さん、行き先変えてもらっていいですか? 西武新宿線の上石神井駅の南口まで、で」

 プラスチックのプレート越しに、そう伝えた。

 上石神井駅前の南口につくと、千二百五十円を支払ってタクシー乗り場で降り、立ったまま待っていようとしたがひどい眠気と足もとのふらつきに負けた。すぐそばにあった赤い郵便ポスト近くの植え込みの端に座る。携帯電話のディスプレイで確認した時刻は既に午後七時を回っているが、駅から洩れる光で、辺りの風景が確認できる程度には明るい。目の前には『あせらずに 見る待つゆずる よい習慣』と印刷された看板がある。看板の上部に警察のマスコットキャラ、ピーポくんが描かれていた。どこを見ているか分からない目をしていて少し怖い。

 眠りかけ、首がかくんとなって目が覚める、という行動を繰り返し、その合間合間に駅から吐き出されていく人々の靴を無意味に目で追っていると、携帯電話が鳴った。上着に埋めていた顔を上げ、受信した。

「後ろ、振り返ってくれるか?」

 言われた通り、立ち上がって後ろを振り返った。車のライトが目を軽く射た。

「いた」

 ほどなくして、青い車が私の目の前に横付けされた。助手席の扉が、与田の手によって開けられた。

「暖房効いてるから、入れば」

 私は携帯電話を閉じて、小さく頷いた。

 外枠をくぐるようにして車に入り、助手席に収まった。ドアを閉めようと手を伸ばしかけたとき、与田が驚きの声を上げた。

「顔、さっきより赤くなってきてんじゃねえか。病院、今から連れていこうか?」

 車内灯で与田の顔色が窺えた。特に赤くなってもいないし青ざめてもいない。ドアを閉めると、見えなくなった。

「いいよ。ただの風邪。それに今、保険証、持ってないし」

「どうしてすぐに、体調悪いって言わなかった? 沢崎から言わないと分からないだろ、いくらバンドメンバーでも。体調悪いとか、何か嫌な事があって音楽に集中できないとか。だから、いきなり沢崎泣いて、すげぇびっくりした。すぐ追いかけようとしたけど、お前は呼んでも無視するし、ドラムセット置いてくわけにもいかないしで」

「ごめん」

 力なく答えた。隣から「あ」と慌てたような声が聞こえた。

「あ……いや、俺もごめん。これじゃ同じだな」

 バンドやめろよという言葉が今はもう効力を失っていることが本人の声音や表情からも確認できて安心すると、急にだるくなってきて、先程まであった眠気もまた襲ってきた。シートベルトを着けてから、助手席側の窓ガラスに頬をくっつける。ひやりとした感触が熱を帯びた頬に心地良い。

「今だけじゃなくて、さっきも、電話で、謝ってたけど。与田は悪くないんだよ」

「なんで。俺があんなこと言ったせいで……」

「与田は悪くない。私の、せいだから。全部、私が、うまく気持ちを処理できないせいだから」

 私が、先輩のことなんか信じたせいだから。

「どういう意味だよ?」

「ねえ、与田。病院はいいけど、家まで、送ってもらえるかな。さすがに、起きてるの、辛くなってきた」

「は? だからどういう……」

 そこで言い掛けてやめ、しばらくハンドルを見つめた与田は、それからアクセルを踏んだ。

「家の周りに目印ある?」

「この間、先輩に送ってもらったとき、与田の家の割と近くだった。そこまで戻ってくれれば、私が直接、曲がる路地とか言うから」

「わかった」

 窓ガラスに頭を預けたまま、与田の声を聞いた。与田のアパートに着くまでは起きていないと駄目だ。顔を上げようとしたが、そんな努力も虚しく、耳に届くエンジン音は徐々に小さくなっていった。

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