6話 前世の憧れ
リリアナの部屋には、今日三着目となるドレスが広げられていた。
「う〜ん……こっちは、かわいすぎるかな。でも、さっきのはちょっと堅かったし……」
鏡の前でくるりと回り、ふわりと広がるスカートの裾を確認する。
髪はいつもより丁寧に巻いてもらい、首筋にはお気に入りのローズアンバーの香水。すでに気合いの入れ具合は全開だった。
横では、侍女のマリアが困ったように苦笑している。
「お嬢様。さすがにもう、お時間が……」
「わかってる! わかってるけど、でも、今日はティアナとカフェなのよ!? ちゃんとした格好で行きたいじゃない!」
慌ただしく動く彼女の背後で、音もなく手帳を閉じた執事――カイルが、静かにため息をついた。
「“お出かけ”にしては、ずいぶんと気合いが入っているように見えますが?」
「ちがうもん……! ただ、久しぶりに会うから……楽しみにしてただけだもん……!」
頬をふくらませて言い返すリリアナに、カイルは静かに手帳を閉じた。
それほどまでに胸を弾ませて会いたいと思える相手――“友達”と呼べる存在ができたのは、人生で――そう、前世を含めても、ティアナが初めてだった。
堂々としていて、優雅で、気品があって、それでいて一緒にいて楽しい。前世の少女漫画に出てきた“完璧なお姉さま”そのもののような女性。
胸をきゅっと弾ませて、リリアナはようやく一着のドレスを選び取った。
淡いライラック色のワンピースドレス。フリルもリボンも控えめながら、細部まで品の良い刺繍が施されている。
「うん、これにする! カイル、いこっ!」
「かしこまりました」
いつもの冷静な声で応えた執事は、軽く一礼して彼女の後に続く。
♦︎♢♦︎
領内でも評判の高いオープンカフェ『ミルフィユの庭』。
花が咲き乱れる中庭に、上質な白木のテーブルが並び、香り高い紅茶と焼き菓子が人気を集めている。
そんな優雅な空間に、妙な緊張感が漂っていた。
「……いらっしゃいましたね。あちらに」
カイルが目線で示した先。
そこには、鮮やかな青のドレスをまとい、完璧な微笑を浮かべてティーカップを持つ少女の姿があった。
「ティアナ!」
思わず駆け寄るリリアナに、少女──ティアナ=エルメリアは、優雅に立ち上がり、ふわりとした仕草で両手を広げた。
「リリアナ。ようこそ」
年上の余裕を感じさせる柔らかな声。包み込むような微笑みに、リリアナの胸が一気にふわっとあたたかくなる。
青のドレスを完璧に着こなし、所作ひとつに気品と余裕がにじむ。まるで、前世で憧れていた“完璧なお姉さま”が、そのまま目の前に現れたかのようだった。
彼女はリリアナより二つ年上の辺境伯爵家の長女であり、すでに北方防衛を担う“エルメリア領”の一部を任されている才女――それでも、リリアナに対してだけは、いつも優しく、どこかお姉さんのように接してくれる。
「わあ……今日も素敵すぎて、見とれちゃう……」
思わずこぼれた呟きに、ティアナはくすりと笑った。
「ふふ、またそんなこと言って。褒めても何も出ないわよ?」
「もう! 本当にそう思ったの……!」
リリアナが顔を真っ赤にして反論すると、ティアナはふわりと笑みを深め、やさしく瞳を細めた。
そんな和やかな空気のすぐ傍で、彼女の護衛たち――エルメリア領の騎士たちは、無言のまま控えていた。
堂々とした体格に、張り詰めた空気。まるで“動かない壁”のような存在感が、上品なカフェの雰囲気に、じわりとした緊張感をもたらしている。
「いつ見ても、エルメリア領の騎士は逞しいねぇ……」
ぽつりとこぼしたリリアナに、ティアナは肩をすくめるように笑った。
「頼りがいがあるでしょう? 北の防衛を担う以上、見た目にも力強さは大事なのよ」
「さ、座って。今日はたっぷりおしゃべりするって決めてるの」
「うんっ!」
リリアナがティアナの向かいに腰を下ろすと、給仕の女性が紅茶と焼き菓子を運んできた。香ばしく甘い香りが、ふわりとテーブルを包み込む。
ティアナはティーカップを手に取り、一口、紅茶を啜った。
「……それで? その顔、何かあったわね?」
「……えっ?」
「隠しても無駄よ。ふふ、恋の話かしら?」
リリアナは顔を真っ赤にして、動揺しながらも、ぽつりぽつりと、社交界デビューの日に出会った男性についてと語り始める。……押し倒してしまったことは伏せつつ。
「──それで、その人の名前は?」
「……知らないの。聞けなかった」
「ふうん……でも、顔は好みだった、と?」
「うん……もう、かっこよすぎて……目、離せなかったの……」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、両手で顔を覆うリリアナ。
ティアナはくすりと笑い、紅茶を啜った。
「まさかリリアナから、そんな相談をされる日が来るなんて思わなかったわ」
「え……?」
「だって、貴族子息たちからの贈り物、毎週のように届いてるでしょう? 舞踏会では“アルトフェルト家の令嬢と一曲踊るために来た”なんて人もいるくらい」
「う、うぅ……あれは、私の身分目当ての人も多いと思うから……」
リリアナはしゅんとした様子で、焼き菓子をつつく。
「……びっくりするくらい、綺麗な人で……つい、見とれちゃって……」
頬を染めながらぽつりと漏らすリリアナに、ティアナは紅茶を啜る手を止める。
「……あら。それはもう、“一目惚れ”ってやつじゃない?」
「ち、ちがっ……! ちがうと思う……たぶん……!」
リリアナはあわてて手を振るが、真っ赤になった耳が否定の説得力を奪っていた。
ティアナはくすりと笑いながら、少しだけ身を乗り出す。
「でも、あなたが“見とれた”なんて言うの、初めて聞いたわ。そんな人、今までいた?」
「い、いない……と思う……」
「やっぱり、特別なのね。その人」
「……かも。なんでだろ……不思議なくらい目が離せなくて……。声も、仕草も、全部綺麗だったの。夢みたいで……」
「ふふ、リリアナが夢見心地なんて、すごく珍しい」
「そ、そんなこと……ない……って思いたいけど……うう、やっぱりわかりやすかった?」
ティアナは紅茶をひと口飲み、満足げに微笑んだ。
「ええ、かなり。出会って数分でここまで惹かれるなんて、ちょっと嫉妬しちゃうわね」
「……ティアナぁ……からかわないでよぉ……!」
思わずテーブルに伏せたリリアナの背中を、ティアナはやさしく撫でながら微笑んだ。
くすっと笑うティアナの表情が、ふとやわらかくなる。
「……また会いたいと思ってる?」
「……うん」
リリアナは、小さく、けれどはっきりと頷いた。
「でも、もう会えないかもって思ってて。名前も、何もわからないし……」
「だったら、少しだけ工夫してみましょうか」
ティアナはティーカップを置き、テーブルの端に指先を滑らせた。
「もうすぐ討伐祭があるわ。王都をはじめ、貴族や騎士たちが数多く参加する行事。もし彼がそこに現れるなら、見つけるチャンスはあるかもしれない」
「……で、でも、たった一度しか会ってないし……覚えててくれてるかな」
「だったら、もう一度出会えたときに“わたしです”って伝えられるように、何かを用意してみたら?」
「……え?」
「タッセルよ。剣につける、小さな飾り。討伐祭の前に、家族や親しい人が無事を願って贈るもの。中でも“想い人から贈られたもの”は、“必ず帰還する”ってジンクスがあるの」
リリアナは瞬きをしながら、少しだけ目を丸くした。
「……そんなの、私が贈ってもいいのかな。たった一度しか会ってないのに……」
「“恋”じゃなくていいの。ほんの少しでも無事を願う気持ちがあるなら、それで十分よ」
「……うん。じゃあ、作ってみようかな。材料……まだ家に残ってたはず」
「ふふ。足りない分は、今から買いに行きましょう。今の季節は、飾り紐や宝石が充実している頃だもの」
リリアナは、こくんと頷いた。
その頬は、春の花のようにやわらかく色づいていた。
◆◇◆
ティアナ視点
まったく……うちのリリアナは、どうしてこうも可愛いのかしら。
なのに、そんなリリアナをたった一度の出会いでふらつかせるなんて――その男、ただ者じゃないわね。
リリアナを泣かせる奴は許さないって決めてるのよ、私。
だって、リリアナは知らないでしょう?
どれだけの私が貴方に救われたか
私だけじゃない、どれだけの人が貴方に救われたか――
どうしようもなく優しい貴方が傷つくなんて――絶対に、見たくない。
それが、私の。
親友としての、たったひとつの誓いだから。
「名前も知らない男」でも、正体はすぐに割り出すわ。
もし、その人があなたの笑顔を曇らせることがあるのなら――
その瞬間、社会的に消し飛ばす準備はもうできてる。
……もちろん、合法の範囲で、ね。
誰よりも先に、あの男の素性と立場、洗いざらい調べてやるわ。
――さあ、調査開始よ。