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2話 祝福の舞踏会、忍び寄る影

広間の扉が、静かに、ゆっくりと開いていく。


その隙間から、柔らかな音楽と、甘やかな香水の香り、そしてまばゆい光が、波のようにあふれ出した。


煌びやかなシャンデリアが、天井いっぱいに光を散らし、

磨き上げられた大理石の床には、その光が水面のように揺れて映り込む。


壁には金と白を基調とした繊細な装飾。

左右の柱には、季節の花々とクリスタルの燭台が並び、香りと輝きが空気にとけ込んでいた。


そのすべてが――

お母様と、屋敷の人々が“私の特別な一日”のために心を尽くしてくれたものだった。


「……わぁ……」


思わず、小さく吐息がこぼれる。

まるで、絵本の中に入り込んだような光景。


けれど、足は――動かない。


胸が高鳴りすぎて、心臓の音が耳の奥で反響する。

指先までこわばり、足に力が入らない。


(私……ちゃんとできるかな)


「……リリアナ」


そっと差し出されたのは、ユリウスお兄様の手。

いつものように穏やかであたたかな声と、包み込むような蒼い瞳。


「大丈夫。リリアナは、堂々としてればいいんだよ」


胸の奥が、ふわっとあたたかくなる。

私はそっとその手を握り返した。それだけで、不思議と心の緊張がやわらいでいく。


「ありがとう……お兄様」


お兄様は小さくウインクして、にこりと笑う。


「さあ――お姫様。世界に挨拶する時間だ」


思わずくすっと笑みがこぼれた。

ほんの少し、肩の力が抜ける。


そして私は、兄の手に導かれて――ついに一歩、踏み出した。


コツン、とヒールが大理石の床に小さく響く。


(……私は、リリアナ・アルトフェルド)

(この世界で、“ちゃんと生きる”って決めたんだから――!)


◆ ◆ ◆


会場に入った瞬間、空気が変わるのがわかった。


耳に届くのは、遠くで奏でられる優雅な旋律と、かすかな衣擦れの音だけ。

一歩、また一歩と歩みを進めるたびに、視線が集まっていく。


兄の手が、そっと背中を押してくれる。

私は、小さくうなずいた。


そして――

兄の手を離し、一人で中央に進み出る。


空気が、ふっと張り詰めた。


無数の視線が、私ひとりに向けられている。

胸が高鳴り、手のひらに汗がにじむ。

けれど私は、深く息を吸い、背筋を伸ばす。


(大丈夫。お父様も、お母様も、お兄様も――見ていてくれるから)


そして、静かに微笑んで――声を発した。


「皆さま、本日はご多忙の折、私――リリアナ・アルトフェルドのためにお運びいただき、誠にありがとうございます」


凛とした声が、広間の隅々まで、澄んだ音色のように響く。


「本日は、十六歳の誕生日を迎え、社交界における初めてのご挨拶の場として、このような宴を設けさせていただきました」


言葉が一つ一つ、静かに、でも確かに広間の隅々へと広がっていく。


「ひとえに、日頃よりアルトフェルド家に賜っておりますご厚情の賜物と、心より感謝申し上げます」


「本日はささやかではございますが、皆さまにとって心和らぐひとときとなれば幸いです。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


深く、丁寧に一礼をする。


一瞬の静寂の後――

あたたかな拍手の波が、広間いっぱいに広がった。


顔を上げると、優しく微笑む両親の姿。

静かにうなずく兄の姿。

そして――たくさんの、あたたかいまなざし。


(……よかった。ちゃんとできた……!)


胸の奥が、ふわりとほころぶ。

思わずこぼれた笑みに、安堵と、ほんの少しの誇らしさがにじんでいた。


 

◆ ◆ ◆


やわらかな音楽が流れ、舞踏の始まりを告げる。


――広間は、息を呑むような静寂に包まれていた。

すべての視線が、ただ二人だけに注がれている。


この国の三大公爵家のひとつ――アルトフェルド家の令嬢、リリアナ・アルトフェルド。

そして、その兄にして“王都一の貴公子”と謳われる、ユリウス・アルトフェルド。


二人が、広間の中心へと歩み出た瞬間――

まるで、空気そのものが変わったかのようだった。


「……あれが、アルトフェルド家のご令嬢……」

「まさか、噂以上とは……」


人々は声を潜め、しかし目は逸らせない。

静かなざわめきが、そっと広がっていく。


リリアナは、桜の花びらを纏ったような薄桃色のドレスを身にまとい、

銀糸の髪は春の光をすくい上げ、宝石のような金の瞳はやわらかく微笑んでいた。


「……美しい」

誰かが、思わず零す。


まるで童話の姫君のように――

いや、それ以上に。


その存在は、ただそこに立つだけで、人々の目を引き寄せて離さなかった。

品位と気品、凛とした佇まい。

それでいて、かすかに咲いた微笑みは、春の陽だまりのようにあたたかい。


「ユリウス様も、相変わらずの美丈夫だが……」

「妹君がこれほどとは……まさしく奇跡の血筋だな」


令嬢たちは、夢見るような瞳で二人を見つめ、

若き貴族たちは言葉を失い、ただ呆然とその姿を追っていた。


――ただ、音楽に合わせてステップを踏んでいるだけ。

それだけなのに、誰もが心を奪われる。


ふわりと流れるスカートの裾。

やわらかく弧を描く銀糸の髪。

かすかに揺れる睫毛と、宝石のような瞳の輝き。


そして何より――

エスコートする兄・ユリウスに向ける、彼女の微笑みは、春の陽差しのようにあたたかく、

それを見つめるユリウスの瞳には、深い慈しみと誇りが、ゆるやかににじんでいた。

 

一歩の淀みもなく、流れるように優雅なステップを踏みながら、

二人は、まるで絵画のように舞い踊っていく。


若き令嬢たちは、憧れの眼差しを隠せず、

青年たちは、ただ息をすることさえ忘れたように見つめ続けていた。


軽やかに舞う彼女と、彼女の手をやさしく取る兄――

その姿は、誰の目にも、完璧な一対だった。


やがて音楽は静かに終わり、二人が揃って優雅に一礼すると――


静かに、しかし確かな称賛が、波紋のように広がっていく。


拍手は次第に高まり、やがて広間全体を包み込んだ。

会場は、割れんばかりの拍手に満たされる。


誰もが知ったのだ。


社交界に――間違いなく“新たな華”が咲いたことを。


 ♦︎

 


ファーストダンスを終えると、リリアナは兄ユリウスの腕を借りながら、ゆっくりと来賓たちへの挨拶回りへと移った。


「お誕生日、おめでとうございます、リリアナ嬢」

「まるで童話から抜け出したお姫様のようだ」

「ご挨拶も、実に立派でいらっしゃいました」


交わされる言葉に、リリアナは静かに微笑み、丁寧に礼を返していく。


特別に飾り立てることはなく、ただ落ち着いて一人ひとりと向き合う姿に、自然と和やかな空気が広がっていった。


やがて、広間の扉が静かに開かれる。


中へと運ばれてきたのは、王家の紋章が刻まれた贈り物。


「……!」


わずかに空気が張り詰め、視線がそちらへ集まる。


宝石をあしらった扇子、金糸の織物、そして国王自筆の親書――


それは紛れもなく、アルトフェルド家とリリアナに対する“特別”の証だった。


リリアナはわずかに戸惑いながらも、丁寧に受け取り、礼を述べた。


贈り物の意味を知る大人たちは、その姿にほのかな微笑みを浮かべ、

若き令嬢たちは、憧れを隠すこともできず、ため息まじりにその背を見つめていた。


◆ ◆ ◆


やがて挨拶もひと段落し、

リリアナは広間の隅で、そっと息をついた。


(……ふぅ。少し、疲れちゃったかも)


誰にも気づかれぬよう、薄く息を吐きながら、グラスを手に取る。

琥珀色の飲み物が、指先の細かな震えを静かに映していた。


視線を上げれば、広間のあちこちで人々が楽しそうに踊り、笑い合い、会話に花を咲かせていた。


(みんな……楽しそう)


自分の社交界デビューを、こんなにも多くの人が祝ってくれている。

その事実が、胸の奥をじんわりと温める。


(……本当に、幸せだな)



けれど――


グラスを唇に運ぼうとした、そのとき。


液面が、かすかに――揺れた。


ほんの、わずか。

誰も気づかないほどの、さざ波のような震え。

けれど、なぜか、その微細な揺らぎに、胸が冷たくざわめいた。


(……なに?)


背筋を撫でる、薄い寒気。

熱気に満ちたはずの広間の空気が、どこか、冷えていく。


ふと、耳に届く、誰かの囁き。


――第三王子が、来ているらしいわよ。

――黒髪赤目の“呪われた子”。

――前王妃は、あの子を産んで……すぐに……


(……まただ)


どこに転生しても、消えないものがある。

噂話。

好奇心。

恐れ。

嫉妬。

悪意。


ほんの一瞬前まで、あんなにも温かく感じていたこの空間が――

まるで、薄氷の上に立つみたいに、ひび割れて見えた。


胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


思わず、苦笑が漏れる。

見上げたシャンデリアは、夜空に咲く星々のように煌めき、

宝石の光が、雨のように降り注いでいるのに。


……けれど、その光の向こう――

ほんのわずかに“綻び”が、混じっていた。


「……寒い」


思わず漏れた、自分の声に、私は小さく瞬きをする。

人であふれ、熱に包まれたはずのこの会場で――

どうして、こんなにも冷たいのだろう。


肌の上を、ぞわりと撫でる冷気。

見えない指先が、背中をなぞっていくような――

そんな“気配”。


息が詰まる。


いや――これは。


……悪霊だ。

明日も19時更新予定です!

是非待っていてくれたら嬉しいです!

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