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忘れ潮  作者: 黎明・弐
9/21

第8話〈後ろには退けない〉

大変、お待たせして申し訳ありません。

改稿作業でうんうん唸っておりました

 着地と同時にまたあの嫌な超音波を受け取った。


 前を向くと途端に見計らったかのように突風がぼくの細い体躯を襲った。腕を交差させて顔の前に構えるも、この風を前にしては何のなぐさめにもならず、抵抗できない。またかなり揺れているため、立っているのがやっとだった。


 じりじりとぼくの体が後退していく。風は成す術なく体の自由を奪ってくる。


 体が後方の壁に押し付けられた。自然に右に視線がずれる。そこにはご丁寧にも胸に〈ゾー〉と自分の名前が刺繍された少尉しょうい用の軍服と携帯用小火器が下がっている。服は連邦軍のものに似ている。すぐさま左を見ると、パラシュートなど空挺兵用の一般的兵装がかかっている。


――空挺部隊隊員のゾー少尉は出撃を待っているってか?とはいってもこの風はどういう了見だろう。

 何だかはわからないがここはここでの舞台設定があるらしい。

 目の端に02と割り振られ、シートベルトのついた隊員用シートが映った。すぐさまそちらへ顔を向ける。嗚呼、ぼくはあそこまで何とか這いつくばってでも行けるだろうか。

――いや、無理だ。

 一人で希望と絶望の寸劇を興じる。無念この上ない。


 そのように考えていた矢先、身体の芯まで震わすような大きな音波が轟いて、風がやんだ。ぼくは思わず膝をつく。未だに少し揺れてはいるが、やっと冷静に周りが見られるようになった。

 上の照明が奥から子気味良いリズムで順番についた。やがて周囲の光景がくっきりと浮かび上がってくる。


 高い高い天井。自分が落ちてきたらしい穴はもうどこにも見当たらない。

 赤色が点灯したシグナルや応急キット、消火器、予備の小火器が鋼鉄の壁に一定間隔でとりつけられている。中央部には背中合わせになった隊員用シートがその一対のみ存在している。両サイドに扉があって、前方には巨大なハッチがある。後方奥から二本の白いロープが伸びている。あとはだだっぴろい銀色をした空間だ。舐め回すように観察してみた。

 さしづめここは巨大な軍用航空輸送機の格納庫内のようだ。


 不気味なのはやはりあの隊員用シートだろう。

 今、この広さを認識してみて、ここは100人以上収容が可能だろうし、戦車なんかも搭載できるとは思うのだが席は格納庫の中央部に背中合わせになった01と02の二つしかなく、何かを載せるにしても非常に邪魔になる作りをしていることだ。親知らずみたいになくてもいいようなものである。構造上、取り除いた方がこの輸送機のスペックを存分に活かせられるに違いない。

 というか、ここにはぼくしかいないわけだからシートだって一つで十分だろうに。――なぜ、二つ用意されているんだ?


 そんなことを考えていると、上にあったらしい、信号管からサイレンのようなものが三回発せられた後、〈各員に通達、各員に通達〉とアナウンスがあって連絡事項らしきものが流れ始めた。

 ぼくは立ったまま、その信号を集中してキャッチしようと受信官をそばだてる。


 〈中佐ちゅうさだ。先刻、機器の誤作動でハッチが一時的に開扉し、今、修復作業を完了した〉ぼくと信号の波長が似通っている。おそらくぼくの信号だが、こんなイベントは設定した覚えはない。それにしても信号管越しでもすごい気迫である。思わず背筋がぴんと伸びてしまう。〈それからゾー少尉。久しぶりの出撃故、逸る気もわかるがポイントまではまだ少しある。所定の席で待機されたし。装備も着用するように〉


 なんと、これには驚かされた。現在に干渉してきているということは『シチュエーション対応型のイベント』だ。高度なイベントの類である。先ほどの「言語史」の学習を阻む、〈館内放送〉と同様に極めて本能的な部分に近いものを根っこにしているのだろう。

 とりあえず、イベントを進行させるために指示には従ってみよう。こういうのは設定にのっかる方が展開が良かった気がする。幸い、ぼくの進路を妨害するものでもなさそうだし。

 ぼくは慣れないガスマスクの着用に手を取られたものの、なんとか空挺兵用兵装を身にまとい、そのずっしりとした自分と遜色ない重さを抱えていることに耐えながら、よちよちと隊員用シートに向かい、ずしんと勢いに任せて腰を下ろす。


 座ってじっと待っていると再びサイレンが響き渡った。

 〈中佐だ。ポイント到達まで一分前である。第一種戦闘配置につけ〉

 その通達を合図にシグナルの色が赤から黄に転じた。ついていた照明が落ちて、格納庫の中全体が赤色に染まる。〈なお、当機、「レッド・ドラゴン」はポイント通過後、空域から急速離脱する〉

 この輸送機そんな名前だったのか。いかにもピーターパン症候群をこじらせたようなネーミングセンスだ。そういうところも誰かさんに似たセンスである。


 ぼくは立ちあがり、反射的にハーネスを後方から伸びた白いロープにかける。なぜか、第一種戦闘配置と聞いたときにそうしなければならない気がした。

 ハーネスをかけた瞬間、ぼくはこの緊迫とした状況で今から大空にその身を投じるということがようやく強く認識され始め、途端に恐ろしくなった。「恐怖緩和プログラム」は働いていないようである。

 この細いハーネス一本で自分の命は繋がっている、今、足で踏んでいるはずの輸送機の底がいつのまにか無くなり宙に体がちゅうぶらりんに浮いているとさえ感じられた。またまたメタ的な発信をするならばこの自由落下は想像上、ひいては頭の中での行為にのみ完結するということを理解しているとはいえ、目に飛び込んでくる数々の映像には想像の域をはるかに超えたリアルな解像度を有していたために、やはり冷静ではいられず、恐ろしくなり少しパニックに陥っていた。

 同時にこの落下は飛べば後戻りができないということを暗示しているように見えた。

 〈そこまでしてお前は最深部を目指すのか?〉とぼくに詰問してくるような、覚悟の程を伺ってきているわけである。

 受信官はぼくのガスマスクの中での呼吸音や心臓の拍動の音など微弱な音波ばかりを拾った。辺りに響いているはずの轟音よりもその小さな音の方がよくキャッチされた。


 シグナルが黄から緑に転じる。それに伴って脳内に信号が送られる。

 〈よし。ゾー少尉。お待ちかねの出撃だ。気張っていけ。お前さんは鳥だ〉

 皮肉っぽい響きを帯びた信号だ。いや、普通の信号だがぼくの心情に寄り添っていないぶんどうしてもマイナスにとらえてしまっているだけだろう。

 ぼくは恐る恐る、開かれたハッチの方に忍び寄る。自分が今、どれほどの高さにいるのかわからない。輸送機の中にいるとしても、空間的に自分自身の具体的な所在が不明瞭というのは怖いものだ。

 ハッチから外を見るとところどころに凹凸おうとつのある地面が連なっているのが見えた。大地は雪が下りたかのように真っ白だ。自分が下りるのはあそこだろう。さらに遠くを見ようと首を伸ばすと何か巨大な柱のようなものが先に立っているように見えた。

 そろそろ飛ばなくちゃいけない。眼下に広がる、「空の海」に飛び込まなくちゃいけない。顔をハッチから覗かせる。足がわずかにすくむ。

 若干身を引いたとき、ばっと鼻にあたらないくらいの位置を上昇する気流が駆け抜けた。それは一匹のタカだった。タカはどこからかやってきて輸送機と並んで飛んでいる。タカはその両翼をへし折られんばかりの突風にものともせず立ち向かっている。直《《じき》》に八の字を描くように飛んで風を翼にあたる時間を抑えるために分散させ始めた。飛べば意外と楽なのだろうか。パラシュートの操作さえ誤らなければぼくもタカと同じように飛べるだろうか。

 まだ道の途中だ。ここでうなだれていても何も事態はうまく良い方向に進まない。

 〈ゾー少尉。早くしたまえ。あとはお前さんだけだぞ〉

 あの信号が背中をぶすぶすと刺すように急かしてくる。

――初めからぼくだけだってのに。

 しかもほぼ自分の信号と同一なぶん、自分で自分を急かしているようで気が狂いそうになる。あれ、ぼくは飛びたいのに飛んでいなかったのか、飛びたくないから飛んでいないのか。


 同じ「シチュエーション対応型イベント」にも関わらず、あの館内放送と比較してどうしてここまで「言語史」までの到達を逸らすのかについては矛盾を抱きかけたがそんな難解なことを立ち返って考察する気力は残っていなかった。ともかく真なる自分を見失いそうであった。

 タカが下へ降りて行った。


 生唾をのみこむ。覚悟をきめた。震える手でハーネスを外した。

 ぼくは勢いよく飛び出した。風を全身で受ける。鳥どころかこのまま風にでもなれそうだった。

 頃合いでパラシュートを開く。ぐっと身体がパラシュートの受けた風によって上に引っ張られ、そこでふっと意識が飛んだ。









 少ししてから気が付いた。相変わらず、あの頭をガンガン揺らすような嫌な超音波もする。頭を振るとそれは雲散霧消に消えた。

 〈ここは…〉

 地面は思ったよりもふんわりと柔らかかった。どうやらぼくは仰向けになって着地したみたいだ。ぼくが落ちてきた衝撃で跳ね上がったらしい、雪のような白い粉が、きらきらとまるでダイヤモンドダストのようにきらめいて落ちてくる。

 ここは少しさっきまでの場所と比べると暑い。からっと乾いた暑さだ。額に早速、玉のような汗が滲み始める。

 自分の視界いっぱいには白色の空が広がっている。空が雲だらけだから白いと思うんじゃない。空は雲一つない快晴だ。

――意識が混濁しているのか?

 空が白いだなんておかしい。でもどうしてだかはわからないけどたしかにそれが空であるとは認識できるのだ。世界の終わりのように奇妙な空だ。

 黒い物体がそんな不気味な白さをもった空を斜めに横切っていく。

 特徴的なシルエットからなんとなくわかった。ああ、あれはぼくが飛び降りた場所だ、輸送機だ。それはすぐに音を立てて視界から外れていく。じきに音もやんだ。

 パラシュートの接続部を切り離す。重い装備を寝っ転がったまま脱いで、するりと身体を抜きゆっくりと腰を起こす。小火器なんかはその辺に投げ捨てた。スーツなどと同じく通気性がよいぶん、軍服は脱がず着用したままでいることにした。

 ただ周りには際限なく、あの雪のような粉が堆積していた。手ですくうとそれはどうやら点描法を用いて描いたものよりずっと粒が細かい、灰のようなものらしかった。指の隙間から滝のように灰が流れ落ちる。その灰の流れを目で追うと、落ちた場所のところどころに紙切れのようなものや、焦げて丸まった物体も灰にうずまっているのもわかった。


 周りを見渡すべく這って小高い灰の山の上に登ってみる。

 這いあがって瞬時に理解した。どうやらここら一帯は灰だけで構成された砂漠のような場所らしい。どこまでも灰が続いている。何もかもが生きている心地がしない。時間さえも死んでいる。昼でも夜でもない、もしくは昼であると同時に夜か。自分にはまるで合わない場所である。

 目立った建造物のようなものは見当たらない。景色は大半の色を失っていて、白と黒のわずか二色でしか構成されておらず、音もこの世界では忘れられているみたいだ。さながらサイレント映画時代のモノクロの世界である。

 地平線に水のようなものがきらめいているのが見える。よもや蜃気楼か。初めて見た。おそらく別称である「逃げ水」の名前が指し示すように近づけば消えてしまうに違いない。


 あたりをくまなく観察していると、向かって右に灰の上にたしかに誰かが通った跡らしい、ぽつんぽつんと複数影になっている箇所があって、それがずっと可視範囲から外れて伸びているのを目の端が捉えた。

 すぐさま灰に足をとられながらも、灰の山をサーフボードに乗っているかのように駆け下り、近くまで行って調べてみるとたしかに人の足跡である。サイズはぼくより少し大きい。それに綺麗に残っているのを見ると古いものじゃない、まだ新しい方なのがわかる。それでもこれを見落としていたら、風に吹かれてでもしたらきっと消えてしまっていただろう。

 とりあえずこの足跡以外に何もないらしい。それは至極、わかりやすい。この正体不明の足跡の主が向かった先をひとまず目指してみるしかない。「言語史」のテキストは最深部にある。この足跡はたしかにそこまで導いてくれている気がする。

――『広場』で向かいたい方向に矢印がその尖端をとがらせたたように。『ヘルプ機能』の一種なんだろう。

 そう考えて自分を納得させないと心が落ち着かない。「セキュリティ」が正常に機能していることを見るにいくらなんでも他者が侵入してつけた足跡というのは発想の飛躍が過ぎるし、あまりにも考えすぎだろう。


 足跡を辿ってぼくは歩き始める。いつのまにか昇っていた、黒色をしたが容赦なく、ぼくの肌を焼いた。現在進行形で日食でも起こっているかのようだ。


 汗を拭う。

 灰の中には色んなものが埋まっていた。足取りのおぼつかない過酷な道のりだったがその中で見つけたものもあった。どれもが融解していたり、半壊していたけどどことなく原型は予想がつく。

 未完成の魔法陣や天秤、ゲームソフトにトーテムポール、巨大ロボット、なりきり変身グッズ、市松人形、手紙、奇抜な服……。

 どれも懐かしい匂いこそしたが、拾い上げて持ち帰ろうとは思わなかった。きっぱりと、ああ懐かしいな、という信号だけで片づけられるような、それらはもう流れから外れていったという儚さがあった。


 黒い焼き焦げたようなサボテンが五つほど生えている。目を近づけるとそれはただただガラクタを組み合わせただけのモニュメントであった。それがある一定の場所を境にいくつも積み上がっている。

 サボテンの群れのように、「ガラクタ荒野」が形成されているわけである。ときどきある自然との融合をコンセプトにした美術館みたいである。


 すると、そのサボテンチックなガラクタのひとつに〈←この先、狭間はざまの町「マカロニ・タウン」〉と書かれた木の板がくくりつけてあった。

 足跡はその町の方向に続いている。


 「マカロニ・タウン」とやらに着いたら少し休憩しよう。ぼくは「ガラクタ荒野」を通り過ぎた。額の汗を手の甲で拭い、その手で軽く顔を扇ぐ。

 ここまでかなりの距離を来た。


 太陽がさっき沈んだかと思ったら月を介すことなくまた昇っている。やはり時間の経過そのものが存在しない。依然として足跡は続いていて、ぼくは思わず遠い目をした。

 ふとここまでの道のりを確認しようと軽い気持ちで振り返るともと来た場所が砂嵐ならぬ《《灰嵐》》に飲まれていた。ぼくは呆気にとられる。中で稲妻がいくつも光っている。もし、あのまま足跡を発見できないまま、とどまっていれば巻き込まれていたかもしれない。

 ここでうかうかしていると、灰嵐がここまで来てしまうかもしれない。先を急ごう。


 汗を拭う。

 メタ的な発信をする余裕もない。それに最悪の事態として誰かがこの先で待ち受けていようとも、この『アーカイブ・ゾー』に、⑧に足を踏み入れた瞬間にはじまり、あの輸送機から飛び降りた瞬間完全に、ぼくは「後ろに退く」という選択肢を失ったのである。ここまで来て、もはや「言語史」を学ばないなんてことは考えらえないし、一切考慮事項として機能しない。


 俄然がぜん、ぼくは奮起した。それから灰をぎゅっと踏みしめる。


 汗を拭う手を空中で止めた。汗は拭わない。前をしっかりと見つめる。

 足跡が見える。また歩き始める。


 すると何かが先にぽつぽつと見えてきた。

 汚れていない手の甲で目をこすったが蜃気楼でも幻覚でもない。どうやら小さな町のようだ。

 おそらくあれが「マカロニ・タウン」だ。もう少しだ、とぼくは気合を入れ直す。なんとなく早くなる歩調、下半身が先行しすぎて上半身が置いてけぼりにならないよう注意する。


 すぐにゲートの前に着き、肩をなでおろした。

 〈狭間の町「マカロニ・タウン」〉と書かれている。ここで間違いない。


 ゲートをくぐって、「マカロニ・タウン」に入った。

 くぐってすぐの場所に生えている木には丸みを帯びた紫色の実がぶわっとなっている。そのうちのひとつが落っこちて転がった。

 タンブルウィードが風に煽られえて転がっていく。乾いた空気が町を駆け抜けていく。人の気配を感じない。なんだか寂しい町だ。


 積み上げられ干し草、お尋ね者の手配書、生々しい弾痕が残る樽。

 まぎれもなく誰かがここにいたような気がするが、同時に誰かがいたような気がしない。どこか作られたような。西部の町たるやをコピーアンドペーストしたような薄っぺらい冷たさを放っている。血の通ってない無機質な空間。


 まっすぐ進むと、中央の集会場らしき場所に誘い込まれた。集会場には鐘があってそこに立っている一本の柱に一頭の馬がつながれていて、箱に入った草を熱心に食べていた。人の気配はしないけど

 何らかのシステムによって馬は飼育されているのだろうか。それとも誰かに直接世話をされているのか。

 考えてもわからないような気がする。


 疲れはあるが一通り、町を回ってみよう。自分がいる場所がどんなところかを把握しておくのは大切である。

――んー……一、二、三……

 この町にはどうやら全部で六つの建物がある。そのどれもが外装はほとんど同じで二階建ての構造になっている。ただし役割分担はしっかりなされているようでそれぞれが掲示している看板から宿屋、道具屋、武器屋、保安官詰め所、酒場、自治会施設であることが見て取れる。すべての建物の天辺では風見鶏が踊っているが、その動きは風が一つの方向からしか吹いていないにもかかわらず三者三様で、何だか不思議だった。

 丁度、自治会施設の裏手に回ると墓地があって、そこには〈ゾー〉という名前が刻まれた墓標が数基並んでいる。不気味だ。異様な光景である。埋葬途中で時を止めたかのようなベラ・ルゴシ氏演じる伯爵でもでてきそうである棺桶が蓋を半開きにして土をかけられることなく、地中にあった。

 ぼくはそこから逃げるように立ち去る。


 そして集会場に戻って来た。相変わらず、馬がむしゃむしゃと草をほうばっているだけである。馬は草を咀嚼しながらもどっぷりと翳りに沈んだ純黒の目でぼくの方を見つめている。ここは西部劇かと思ったがホラーなのか。


 建物の中で一際、目を引くのは酒場だろう。カウボーイハットと水着以外を身に着けていない美しい人がジョッキを片手に満面の笑顔でこっちを見ている看板は強烈なインパクトがある。オレンジジュースくらいしか頼めないが、涼むのに丁度いい。とりあえず酒場にでも入ってみよう。

 ウェスタンスタイルのスライドドアを胸で押し開ける。


 カウンターや机には白い布切れがかかっていた。〈当店は閉店しました〉という信号が実際には飛び交ってなくとも、すんなりと受信官に流れ込んでくる。

――そりゃそうだ。もう営業している訳がなかろう。

 それでもなんとなく、カウンターにまで歩いていく。床が腐っていて抜けでもしたらどうしようかと内心、冷や冷やしたがここは湿気も少ないために助かった。

 それでもカウンターの席にちょこんと座るとぎぎぎと嫌な音がする。錆びた金属部が悲鳴をあげているらしい。カウンターを挟んで奥には埃をかぶったウイスキーやワインのボトルが並んだ立派な棚があった。その中にオレンジジュースもあった。

 残念そうにそれを眺めていると、何かカタカタと小さな音がしていることに気が付いた。ネズミかなにかだろうか。

 〈ん?〉

 そういえばカウンターの机がほのかに揺れている気がする。どういう理屈だ、と机を見まわしていると一か所に視線が定まった。今まで布と同化して気づかなかったが、白い手袋のようなものがカウンターに載っている。

 すると、白い手袋が浮き上がってきた。思わず、ぎょっとして構えるが、その手袋はぱちんと指を軽快に鳴らすと、窓が開き、ランプがともり、布切れが取り除かれた。

 手袋はかしこまって、実体を伴うかのように、丁度胸のあたりに右手を腰辺りに左手を添えてお辞儀のようなことをしてみせた。

 〈いらっしゃいませ。酒場()()()()へようこそ。バーテンの「ハンド」と申します。ご注文は?〉

第8話〈後ろには退けない〉おわり/第9話〈不思議な占い〉につづく

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