第5話〈ようこそ『アーカイブ・ゾー』へ〉
ふうと短く息を吐くとぼくは目を瞑った。
アクセスするのは記憶図書館『アーカイブ・ゾー』。イカしているネーミングセンスだと我ながら思う。
現実では目を瞑ったままで頭の中では目を開く。これには少しコツがいるが慣れればすぐだ。
ぼくの周りを取り囲んでいるのは度の合わないコンタクトをして世界を見たような、もやもやとぼやけた白い空間。ここは海馬のどこかのはずだ。
遠くにそれだけがくっきりと圧倒的な存在感を放つ、巨大な扉が見えてきた。逆にその扉以外はなにも見当たらない。
扉は『アーカイブ・ゾー』の正面玄関だ。
一歩踏み出すと、ぶにっと地面はゴムのように伸びてへこんだ。泥濘んだ道の上にいるような感覚もする。ここは前から足取りが悪い。
――あまりにも手前にスポーンしてしまったな。時間がかかるが致し方ない、進んでいこう。
ぼくの足は時々、もつれたり、跳ね上がったりしながらも着実に進んでいく。
あの図書館は頭の中にぼくが当時6歳だから、12年前にこしらえた記憶管理のための施設である。あのような形で記憶やその他記憶に関連する情報は、概念として全体の掴めない、およそ煙のように拡散したまま放置せず、確固たる事物として頭の中で取り扱い、取捨選択して必要なものを貯蓄していくのが現代の主流になっているのだ。なお、その他記憶に関連する情報とは脳内にダウンロードした書籍や映像を指す。これらは現在、『アーカイブ・ゾー』においてかなりの割合を占める。内容を半永久的に活用できるよう脳内に保存する、という点でほとんど記憶と遜色はないから関連情報に位置づけられている。
『アーカイブ・ゾー』にはさっきのフィルムのように無意識に能動的にアクセスする場合もあれば、受動的にアクセスすることも可能である。動詞で表すなら能動を「閃く」とか「降ってくる」や「フラッシュバックする」。受動を「(なんとか)思い出す」・「回想する」という感じ。
そして、ぼくが『アーカイブ・ゾー』での館長で唯一の職員だったりする。
世間には記憶管理を面倒くさがって補助AI”図書館司書”を導入してサポートしてもらっている人や同じくAI”館長代理”にまるっきり業務を丸投げしている人。しまいにはマルチプレイと題して複数人からなるコミュニティで記憶の共有を行い、そのビックデータを共同で記憶を運営する無類の輩がいるが、数百年前から警鐘が鳴らされてきたシンギュラリティやら記憶の改竄や漏洩、盗用やら数多のリスクから身を守るにはこういった軽率な行動は慎むべきだとぼくは考えている。もはやそういった脳は「自分の脳」とはいえるのだろうか……。なんとも気味が悪い。
しかしなにもぼくは記憶管理の手段に制限をかけ、進化を抑制しようというそういう、これまたユグドラシルによくいるような主義者ではない。AI完全撤廃を主張しているわけでもない。生活を豊かにするためには"12"のようなAIを有効活用していくことが必要で、この情報化社会を安全にうまく賢く生き抜くためには、様々な分野でのリテラシーが多分に要求されるのである。
また余談だが近年、ユグドラシルを中心に若年層による記憶アクセス権の公開、譲渡などといった情報秘匿意識の軽薄化が新たな社会問題になりつつあると聞く。ぼくは自分の頭を覗かれるのはあんまりいい気分じゃないからこのことに関しては理解に苦しむ。水着で局部を隠すように、プライベートな部分には他人が極力介入してきてほしくはない。線引きがわからないのだろうか。実像と虚像を使い分けることで誰もがうまく共生してきたはずである。全てをオープンにすれば社会が円滑に回るとか、そういうことはありえないと思う。
図書館に入館するための鍵は暗号化されており、原則ぼくが作った鍵を使用しないと開けられない。3年前の冬にうっかり一度開けっぱなしにしたことがあるのでそのときの反省を踏まえて、それ以来オートロック仕様である。仮に脳がサイバー攻撃を受けたとしてもかなり厳重に保護化されているので、鍵の解読にはかなりの時間を要するだろうし、その前に頭痛などの症状が出て身体的防衛機制によって気づくだろう。この『セキュリティ』は脳内に綿密な警備網を張り廻らしているため、勝手口を作っての侵入も探知可能だ。
サイバー攻撃といえばブレイン・ハッカーの専売特許で、一般的な呼称だと寄生犯罪《「パラサイト」》というやつだ。なにせ他人の脳をハッキングするのだから、出現当初から大変危険視されてきた。ぼくも早期段階から対策を講じてきた自負がある。
元々、脳のハッキングは15年前に誕生した、事故により脳に損傷を受けたりした人や認知症の方の記憶回復及び記憶力改善の補助促進に用いられる医学療法の一つだった。また一部の区画では条例により凶悪事件の容疑者の記憶を調査し真相解明のための手段としても認可されている場合もあった。
この全面的にホワイトかつクリーンにハッキングが行われていた当時から、倫理的観点からの指摘と、将来的に悪用される可能性の危惧が人権保護団体を中心に寄せられていた。ぼくもマルチプレイを批判し、情報規制を最優先事項に位置づける人間だったから直接、抗議声明を出すことはなかったものの、激しく抗議する意志を確かなものにしたのを覚えている。いざ技術が一般化し、悪用されるようになればアンチ・ハッキングのために何の対策案も練られていないことを懸念してのことだった。
そして、その非難は真っ当な意見である上に、未来予測としても十分な精度を有し、しっかりと的を得ていた。
5年前に17区画で産業スパイによって長期的に医療機器の開発企業の社長の脳がハックされ大量の情報が抜き取られ、矛盾のないように改竄がなされていた、パラサイトの一件目が確認されてから、連邦政府がこれを喫緊の危機であることを認知し、大々的に規制をかけるようになるには時間がかかった。「パラサイト対策特別法」の即時承認により政府に対策委員会が発足したが具体的な対策案が練られるまでトラブルはあった。
そもそも脳という内的情報体系が他人により犯されている、操作されている事実を外観から判断することは難しい。ハッキングに用いられる信号波、いわゆる「不正干渉波」を解析できなければ実態は至極見えにくい。
公安などが下地を作っていたこともあり、ようやく2年前には連邦警察機構にパラサイト対策課が17区画で先駆けて正式に立ち上がり、全区画へ波及して、不正干渉波含む全ての波動を視覚化し、常時不正な他人の脳への干渉に監視の目を光らせるようになったものの、対応が遅れを取ったせいでこれまでに被害者が廃人になったケースが数件確認されている。これはまさしく今世紀最大の政府および警察の失態であろう。
連邦警察の17区画統括副部長である、シャチオラ警視が
〈この度、パラサイトへの対策が遅れたことで、市民の安全が十分に保護されない状況が一時的にあったことをここに謝罪する〉
と記者会見で異例の謝罪をしたことは記憶に新しい。
そういった複雑な経緯を経て今ではハッカーにとってリスクが高い所業になったため、めったと侵入されることなどないわけだが、防御面を強化することには「蟻の穴から堤も崩れる」の精神で余念はない。
頭の中でこれも一人っ子の性か、誰に話すわけでもないことをつらつらと語ってしまっている。脳の進化に伴い、どこまで自分が説明すれば相手にとって理解できるかを掴みづらくなったのもあるだろう。信号を送信するにしても相手の想像力に頼ったりするよりかは、なぜ自分はそう考えているのか、将来的な展望はどのようなものかなどを同時に理論的に語ることが多くなった。その方が総合的に見れば最低限の交信で済むからである。そのために、対象者がいなくとも有り余る知識をもって完璧な説明を果たそうとする癖がついた。これこそ現代人の抱える病かもしれない。
なんだかんだと思考している間に、ぼくはいつの間にか扉の前についていた。
覚悟は決めたものの、こんなにも目の前の扉を開けるのに足取りの重い日が到来するとは夢にも思わなかったというのも事実だった。普段から度々、眺めているはずの扉が、不思議とより巨大で不気味で試練のように映る。もともと自分が心躍るような事物だけを管理の対象としていた娯楽施設として設計したのであって、苦行を強いられる強制施設の側面は持っていなかったから、激しい抵抗の色が顕現するのは至極当たり前であった。なにせ「トラウマ」だ。自らそれに触れるというのはタブー中のタブー、すすんでパンドラの箱を開けるようなものである。体がまだ、その常軌を逸した行動に慣れていないのは自然の摂理に違いない。
それでも、何か月ぶりかに地球の土を踏んだ宇宙飛行士のようによたよたと扉へ近づいて、拳の中で生成した鍵を差し込むと扉はしゅとんと嘘みたいにあっさり消えた。「トラウマ」を克服するのだ、という信念を持って、ここからは気合を入れていく。
ものの2秒経過後、周囲を取り囲んでいた白くぼやけた空間は消えて、立ち込める本の匂いと館内独特の雰囲気が辺り一面を一瞬にして覆って、周りが現実と大差ないほどリアルな図書館へと変貌した。湧き上がってくるのはどこか落ち着くあの感じ。ぼくはそこで深呼吸する。
それからゆっくりと正面玄関を抜けて、流れるようにぼくは図書館に入館した。
〈ようこそ『アーカイブ・ゾー』へ〉
と符号が空間コンピューティングの要領で現われる。
それが消えた後さらに、
〈⑥の限定的空間の生成を除けば、23時間15分ぶりの全空間生成ログインを確認しました〉
とのメッセージが現れ、そしてそれも消えた。
ここがフロア⓪「ロビー」。天井は吹き抜けになっていて高く、赤いふかふかの絨毯が敷き詰められている。左端にはくつろぎスペースがあって赤いソファがあって、そこを定期的にお掃除用ロボットが散歩している。照明は暖色を基調としていて、あえて陰影を設けることで実際よりも奥行きがあるように錯覚を生んでいる。
手前にある大理石でできたカウンターに近づいてみると、その上には"光速報"が直接の運営元ではあるが購読している今日の新聞の夕刊と館内マップのリーフレットが置いてあった。新聞の第一面にはアルテミス計画についての記事、オーフェルトとかいう連邦警察官が「OvEr」を二名逮捕して近々表彰されるという記事の次に大きく表示された「本日のおすすめの一冊」のコーナーでは「トラウマの危険性」というタイトルの本が紹介されている。ご丁寧に警告してくれているのか。そんなものにはぼくは脇目をふらない。
――館内マップもたぶん必要ないだろう。荷物になるだけだ。
だがぼくは一度、思い立ったかのようにカウンターの前で立ち止まった。
――そうだ、ここでは『蔵書検索ソフト』に用があるのだった。
指を鳴らすと羽が生えた白いUSBが飛んできてぼくの人差し指にとまった。羽をきれいに折り畳んだそれを掴んで先端についていた保護用の蓋を取り、左腕に躊躇いなく突き刺す。
目の中に「マトリックスのデジタル雨」のような緑の数字が次々と上から降ってきて、それがぴったり止むと検索バーが現れた。
――言語史テキストで検索実行と……。
〈言語史テキスト、検索実行〉
信号入力で検索すると一件ヒットした。
――なるほど案の定、フロア⑧の最深部に「言語史」のテキストはあるようだ。
『蔵書検索ソフト』の検索結果によれば、「言語史」のテキストのコードは2類で六次区分まであり、後半は2から始まる唯一の書物だ。覚えやすいし、間違えないだろう。
補足として「管理対象範囲外」とも書いてあるが、おそらく何らかの原因、主にぼくの癇癪による外傷でコードを失効してしばらく経つからに違いない。最後に閲覧ログが残っているのも⑧の最深部であるから所在は確実だろう。
『蔵書検索ソフト』を引き抜き、カウンターに置いた。
差し込んだ腕の部分はすぐに修復される。
説明し忘れていたがぼくは自身の姿を忠実に投影したアバターを用いて、この『アーカイブ・ゾー』を闊歩している。そのため、全身がソケットであると同時にスキャナーなどあらゆる役割を兼ねているとすればわかりやすいだろう。このアバターのおかげで少し無茶をしてもむやみやたらにリアルな身体に外傷を負ったりすることはない。
特にこのアバターは使い始めて日が浅い。作成したのは二か月前ほどで、そのため初期スキンに近い。初心に戻った気分で進むには丁度いい。
カウンターの隣には「今年度クラス名簿」や「異性に対するマニュアル」、「身近な科学についての研究書」、「至極の数学参考書」など最近使用頻度の高い本たちが並んでいる。今のぼくにはそれらが幻想的できらきらと輝いて見えた。
――いかん、いかん。
自分を律し、その誘惑を振り払う。
次に見えてきた「続きから読む」の棚の横も通り過ぎる。この棚には『しおり』の挟まった数冊の本が並べられている。昨日、一冊だけ『しおり』を挟んでいた「球電現象のメカニズム」を読み終えたから今日も読んでもらえると思っているんだろうが、そう簡単にはいかない。
奥には両側にさながら無限回廊のように、何もまだ並んでいない本棚が集束点が見えないほど続いている。あえての遊び心で空間がループしているかのように見えるよう設計を施しているのだ。
ぼくはそのまだ見えぬ無限回廊の先を目指して歩き始めた。
しばらく行くと、ある場所を境に両脇にあった本棚は消えて床はガラス張りになって、道を挟む壁は歯車であったり、蒸気を吹き出す管であったりで機械的になった。
ガラスを通して眼下に本棚や本がベルトコンベアーによって運ばれているのが見えた。国際宇宙港の空港手荷物搬送システムのよう、いや巨大回転ずしのようだ。流れていく本は返却済みのものや新規購入したものか、今日一日のぼくの記録、世界の記録だろう。膨大な資料の量である。それぞれにタグ付けされたフロアに向かうに違いない。
続々と本棚が続いているが最近も本が増えたから、新しいものが必要なようである。そろそろ、半期に一度の整理整頓シーズンかもしれない。⑧なんかはかれこれ何年くらい整理していないだろうか。だからこそ魔窟と化しているわけだが。覚悟を決めたはずなのに少し億劫な気分になりかけた自分を押し殺す。
それからはランニングマシンでのトレーニングのように快調とまではいかないが、比較的順調な足取りを保つ。
すると左手にはモニターが見えてきた。
モニターには70%と表示されていて、たった今1%増えた。これは現在、フロア③で行っている工事の進捗状況を映している。工事は新野球場を建設するにあたってナイターも実施できるようにするための改造工事だ。工事はフロアの拡張や改造の際に適宜、必要となる。頭の中でもフロアをいじるのは都市経営シュミレーションゲームのように一朝一夕とはいかない。ざっくりと予め全体像を思い描き、細部を煮詰め、ある程度のロールプランができたら、それと示し合わせながら微調整を重ね、立体化していく。副専攻でとっている、建築工学の知識がここに活きるってもんだ。この一連の作業は時間がかかるし、時間をかけなければいけない。基礎部をしっかりと設計してなかったり、建物の比重やバランスの問題をおろそかにしたりするような、欠陥建築はすぐに倒壊してしまう。そのため、日夜、全自動化されているとはいえ、時折クールタイムを挟みつつ、精密な工事が行われている。
モニターの前を通り過ぎると右手には『新作紹介コーナー』が見えてきた。ホログラムの巨大な本が回転している。あれは「歴代レジェンド選手名鑑」だ。あそこは扉以外じゃ唯一、外部と接している場所で、専用筐体からユグドラシルと同期できるようになっている。たしか今週はあそこで「さよならを三度-名作映画評論集-」と「これで五次元がわかる!」、「リリコとロビンは夢をみる 第三巻」。更に「週刊サイバーパンク7月号」を購入した。
すぐ横には『よいこのどくしょこーなー』が併設してあった。
机上には3冊ほどの絵本が散らかったままで、丸机の周りに明らかにサイズの小さく、腰かけたら壊れてしまいそうな子ども用のイスが三脚ほどある。この『こーなー』は12年前に作って以来、まったく変化していない場所だ。なんとなく残してある。これを消せばもう建設当時からあるものは何もなくなるので名残惜しい。
昔から変わらない、思い出に浸れるところがあるってのもいい。使うか使わないかではなく、この場所があるってこと自体に価値があり、意味が大ありなのだ。
ぼくはそんな『よいこのどくしょこーなー』には寄ることなく通り過ぎた。
ぼくはさながら競歩をしているようである。あまりにも忙しなく足を動かしているものだから、頭が冴えわたり、今までそこにあるのが当たり前で気にしていなかったような『アーカイブ・ゾー』内の様々な場所が目に逆に印象的に映像として焼き付き、改めてそれらを噛みしめて、ぼくの中で三大欲求に新たに加えてもいいくらいの、説明欲求が湧いてくる。
すると、チャイムが鳴って短い〈館内放送〉が始まった。
第5話〈ようこそ『アーカイブ・ゾー』へ〉おわり/第6話〈余計なお世話〉につづく