第17話〈生まれ変わった自分〉
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします
響き渡ったその身の毛もよだつような軽い音を合図に一瞬にして瞳に映った世界が色あせて、白黒に染まって、ガラスが割れるように次々と景色が崩れていく。ヘイメンがいた場所も罅がはいったかと思うと崩れ落ちた。
世界が終わっていく。
崩れないように手でかきあつめたり、押さえたりするがそういった箇所はことごとく、灰となってすりぬけ流れ落ちた。
頭を抱えてその場にうずくまる。
直に地面も崩れた。しかし、なぜかその姿勢は維持できた。
俺は何も残っていない無の空間に放り出された。悲鳴も拡散されない。何も受信できない。
俺はその現実に抗おうと目を閉じる。
ぼっと目の中に炉の風景が浮かんで火がともる。条件は全て満たした。認証がなされた。
ヘイメンが視界の外から現れると、燃え盛る火にフィルムを放り投げた。それはぶっきらぼうに投げ出された。あまりにもあっさりとしていてその動作は不気味だった。覚悟が感じられた。フィルムは放物線を描く。
やけに時間が長く感じられた。
めらめらと滾る炎がヘイメンの瞳に映っている。少し潤んだその瞳は真っすぐにその火を直視していた。そしてたった一度の瞬きを介して潤んだと思った瞳からは完全に光が消え失せた。
ヘイメンは焼却炉にくるりと背を向けて歩き始めた。
その姿を追うことはきっとできたが、俺は構わずフィルムを目で追った。
フィルムが火の中に落ちた。火が容赦なくそれに覆いかぶさった。
やめてくれと願っても火は蛇のようにまとわりついて、一度噛みついたら残酷にもそれを離そうとはしてくれない。手を伸ばしても既に実行された処理に介入することは不可能だった。
フィルムが燃えている。ただただ美しく燃えている。その火には絶望的な美しさがある。
1コマにはお互いの肩を抱いて笑い合う、俺とヘイメンの姿がある。それもやがて黒く焼き焦げて、下へじゅっと断末魔をあげて落ちる。火の粉があがる。
フィルムが燃えている。フィルムが火の中に無気力に沈んでいく。思い出が儚く灰となって消えていく。
〈ヘイメン……ヘイメン……ヘイ……〉
俺はその場に倒れる。意識が遠のいていく。そして全てが修正されていく。さっきまで忘れないように繰り返し呼んでいた人物の名前も思い出せない。
なるほどやはり君は策士だ。たしか君は、「増補箇所」の本体は自分の中にあると、そう送信していた。あそこは俺の中にあって、俺の中にない、と。君がここから離れるだけであそこで体験した出来事の全ては俺の中からはきれいさっぱりなくなるらしい。徹底している、立つ鳥後を濁さずか。
〈俺はやっぱり君の掌の上か……誰かも、もはやわからない君の……大切だったような気がする君の……〉
両目から涙が溢れ出す。止まらなかった。大事な全ての記憶がこの涙とともに流れていく気がして止めようとしたけど止まらなかった。
何かが焼却炉で燃え尽きた。炉の火が消し止められた。灰が取り除かれる。
初めからそこには何もなかったかのように。
俺はうっすら目を開けた。それからそのままの姿勢で身震いする。目の縁から流れぬまま、残っていたらしい涙がつーっと流れていった。
俺は不恰好にも床に転がっている。鼻の奥を独特のかびくささが抉ってきた。
鍾乳洞がまるで針の筵のように垂れ下がっている、天井のうち、俺の頭上部分のあたりから容赦のない、身さえも削ぎ落としてしまいそうな激しい雨が降り注いでいる。どうやら暫く、その雨の下にさらされていたらしい。俺は浴びる雨の面積を小さくしようと腰だけなんとか起き上がらせる。
腰を起こすために手をつこうとするとふと左手になにか固いものの感触があることに気が付いた。
目を下ろすとそれは「言語史」のテキストだった。
さっきまでの自分のようにそこに乱雑に転がっている。
はて「言語史」。
――「言語史」の所蔵はたしか……いや、なんとなく確信がいかないから『蔵書検索ソフト』にかけてみよう……
まだたしかログが残っていたはずだ。
ソフトによれば、やはりここはフロア⑧である。
⑧は「その他・禁書」を管理するフロアで最も⓪「ロビー」からも遠く、⑨のさらに下に位置する離れである。
どうして⑧なんか辺境に俺はやってきているんだ?
脳の処理が追い付いていない。たしか「言語史」を学びに来たような気がする。それはテキストを持っていることからわかった。そう、明日が期末テストだ。だから俺はここにテキストを取りに来た。単位を落としたくないからだ。筋が通っている。
――でも、そんなことありえない……
逆算的に確かな記憶を手探りで探っていく内に、俺は気づけばそんなふうに考えていた。
明日は28区画の天候管理システムも狂って、雪でも降るんじゃないだろうか。
なぜ自ら「言語史」なんかを。
――ん?ありえない?「言語史」なんか?
なぜ、俺は「言語史」に対し、ここまで拒否反応を示す言葉を意図せず用いているんだろう。ただの学問のひとつにすぎないだろう?
「言語史」。
うむ、改まって噛みしめてみてもやはり別に嫌な信号は飛ばしちゃいない。しかし、好きな響きではない。かといって不協和音でもない。普通の響きだ。
しかし、得体の知れぬ、その不穏さを拭いきれてはいない。
――でもたしか「言語史」は「トラウマ」だったような……そうだ。少しずつ思い出してきた。
「言語史」は俺が忌み嫌う、「押しつけの教育」の象徴たる存在として長らく不動の地位を築き、積極的に避けられてきた。まさしく生涯の因縁の相手であるはずだ。
それに対して、どうして今は身体は拒絶しないで済んでいるのだろうか。この期末テスト前日の土壇場となって好きになってきたなんて考えにくい。それこそ虫が良すぎる。「言語史」の信号的鳴動からもそれは明白だ。
だが現に俺はこの⑧の最果てまで「言語史」のテキストを取りに来たわけである。
――それはどうしてだ?どこにそんな情熱がある?意識の転換が図られたらしいことは察しがいくが、俺の中で一体、どんな化学反応が起こったというのだ?
そう、やきもきしている間にざっざっと何か規則正しいリズムで乾いた靴音が迫ってくるのを受信官はその他の雑音を除外してはっきり捉えた。
身体を本棚にすっぽり隠れるように引っ込める。
〈まだ見つかってはいないか?〉
一度、止まったかと思ったが、どうやら見つかったらしい。まっすぐ、迷いなくこちらに足音がやってきた。
〈少尉。何をしておる。かくれんぼかね。用事が済んだなら帰るぞ〉
〈へ?〉
思わず、間抜けな信号を出してしまった。発信源の方に目を向けると、軍靴がのぞいていて、徐々に目線を上げていくと、軍服に身を包んだ、俺にそっくりな、目のあたりが特にそっくりなカイゼル髭を蓄え、軍帽を被った初老の軍人が立っていた。
――はて、誰だったか。やけに見覚えがある。
喉までせりあがって出かかっているために息苦しい。
〈中佐だ。貴校とは短い別れだったな。どうやら私は善意無償で奉仕活動をする無謀な愚者と書いてヒーローと読む者らしい〉
そうだ。この人は中佐だ。徐々に思い出してくる。連動して中佐に関係する事柄も次々と思い出してくる。輸送機「レッド・ドラゴン」やら潜灰艦「朝びらき丸」でお世話になった。なぜか俺そっくりなのは、俺の中で生まれたAIのような存在だからだっただよな。しかも自立した個体である認識は持たないが、自身の存在を自覚しているかなり高度な存在だ。対等な交信ができた。
勢いよく流れる瀑布のように大量に情報がどっと流れ込んでくる。
〈中佐。どうして俺を見つけられたのですか?〉
〈どうしてもなにも信号を捉えたからその発信源へと愚直に辿ってきたのみだが?貴校、よもや送信官を開きっぱなしにしておったな?〉
〈あっやっちゃったかも〉
〈まったく軽率な……というか、いつまでそのままの恰好で固まっているつもりかね。さあ。立ちたまえ〉
中佐が手を差し伸べる。俺はその手を掴もうとするも一度、掴み損なった。
その瞬間、がくんと全身に衝撃が走る。稲妻のようなものが全身を駆け巡る心地さえした。
――あれ、おかしいな。なんだこの感覚は?掴め、なかった?
前も似た経験があったような気がする。中佐は大丈夫か、と呼びかけながらわざわざ腰をかがめて俺の手を自ら握って立たせてくれた。
〈ありがとうございます。お手数おかけします〉
中佐は俺がまっすぐ立ち上がったのを確認すると、やれやれと懐中時計をちらっと見て、俺の方にくるりと背を向け、歩き始めた。そうして懐中時計をぶんぶん振り回しながら、
〈よっぽど疲れていると見える。だがさっさと帰るぞ、少尉。任務は家に帰るまででワンセットだ〉
とぶっきらぼうな信号を送って来た。俺は脇に「言語史」のテキストを抱えて、追いつくべく小走りでいく。
〈中佐。どうやってここまで来られたんですか?〉
道すがら、中佐に尋ねてみる。
〈「オーロラ3」の予備機、「オーロラ2」を使ってやって来た。通信途絶前にハルから連絡があってな。ルンルン気分で来たのではないぞ〉中佐は俺の方へ人差し指の先を向ける。〈貴校が気になってな。それにこのまま部下を放置するのも上官としてふさわしくないと思ったからな。自分のために来たのだ。貴校のためではない〉
まったく、素直な人じゃない。そこがいいところではあるが。
「オーロラ3」だって?聞き覚えのある名詞だ。
そうだ。「オーロラ3」に乗ってここまで俺は来たのだ。30秒間は永遠であると告げられて、「オーロラ3」で大灰流と宇宙を経てここに来た。
そして、ハル!ウサギ型のアバターを持つ、「オーロラ3」のガイド!
たしか機体は正常に着地はしなかった。大灰流に一瞬、接触して機体が損傷しパラシュートを展開できず、咄嗟に胴体着陸したのだ。あのときにハルが救援要請のようなものを送ってくれていたのか。脱出経路を調べてくれるのと同時に、中佐への連絡までこなすとはさすが、最高のガイドだ。
――だがその最高のガイドは今は……
〈そうか……ハルが……〉俺は不意にハルにお休みと信号を送ったのを思い出してしまった。あれは一種の今生の別れのようなものだ。〈ともかく、俺はどんな理由だろうと、中佐が来てくださったことが嬉しいです〉
〈……そうか。嬉しいなら結構だ。身体が随分と汚れておるぞ。ハンカチを使うか?〉
中佐が少し戸惑いながらも、立ち止まり振り返って、ほれ、と白いハンカチを差し出した。汚れている、という中佐の指摘を受けて我が姿を見つめなおすと、たしかにほこりやら汗やら、雨で汚れている。反射的にハンカチを受け取った。よくよく考えれば、これはアバターなのだから軽くはたけば汚れは落ちるだろうが、中佐の厚意に甘えることにした。
〈ありがとうございます。ハルはどうなるんですかね?〉
〈「オーロラ3」は盛大に壊れておったな。基地のゾー大佐に申請しておいたから後日、ここに回収部隊を派遣してくださるとのことだ。都合がいいことに「重力の牢獄」も消失したしな。その後、第三工廠へ送られ修理されるらしい。直ると信じたいところだがな〉
〈そうですか。ハル……ほんとに、直るといいですね〉
〈えらくハルとは友情が芽生えたと見えるな。だがどのような結果になってもそれが運命だ。受け入れよ。一度、失ってしまったらもう二度ともとには戻らないものだってある……〉俯き加減に中佐はそう発信する。〈……おっと、おっと。すまない、暗い話題はよそう。そういえば、是非とも貴校に聞いてほしい、良いニュースがあったんだ〉
〈ほんとですか?〉
〈ああ。まあ案の定、参謀本部は混乱しておるのだがな。ともかく良いニュースだ!また館長がおひとりに戻られたようなのだ!!!〉
〈ひとりに?別に、元から館長はひとりでしょう?〉
その信号を受け取って中佐はわかりやすく、不貞腐れる。
〈ったく物忘れが激しいやつだ。行きの「朝びらき丸」の中で二人に分かれられたと話したろう?〉
〈?〉
〈とぼけているようだが、より詳しく語れば思い出すだろう……続けるぞ?〉
〈お願いします〉
〈なんと驚くなかれ!単純に元のおひとりに戻られたわけではない。短い間だったがたしかに現れた新しい館長の方針を引き継ぎつつ、以前の館長らしさを残し動かれているらしい。いかなる理由で方針転換を図られたかの説明責任も果たしてくださった。一部抜粋すると、「例え⑧の最深部であっても、それが本質的な部分の一部を構成していることに異論はない。なのでヤドカリの如く殻に閉じこもらず、臆せず、その部分と接触し、向き合わなくてはならない。現実的に、それでいて昔ながらの無鉄砲さも忘れずに」とのことだ。これを聞いたとき、私はつい、まるでお二方が融合したかのようだと感じた。大胆な方針転換、それに適切で納得のいく理由付け。お二方の連携技のようだ〉
うむ。実に俺らしい。基本的には現実的な視点を持ちつつ、かといって自由奔放で無鉄砲な部分も忘れない。本質的な部分、オリジナルな部分はどんな些細で些末なポイントであっても重視するべきだ。それを下敷きにした自分の唯一無二な意思をもって、口を挟むべき場所には恥をかくことせず臆せず意見していく。それが俺だ。
しかし、二人に分かれていたという箇所は納得いかないな。今も昔もこの『アーカイブ・ゾー』の館長は俺だけのはずだ。でも中佐は嬉しそうだ。変な嘘をついているようには思えない。
さっきまで流れ込んできたと思っていた情報の波がさながら干潮のように今度は引いていくばかりでぴたりと止んだ。違和感がある。
そういや、中佐は俺という存在は完全じゃない、と告げたことがあったな。いつでも分離したり、変容したりする、って。
そのあたりの記憶は印象に深く刻まれているため、徐々に浮かび上がっている。
そういう意味でも自在に変容したりする点で可能性は無限大、可能性に満ち満ちているわけだが、実際にその本質的な意識の分離とやらが起こっていたのか?可能性の側面からはありえなくもない。しかし、そんなものめったと起きるものじゃないはずだ。
たしか今日の"光速報"で人格形成期に他者から一度の機会で意識の大転回が起こるような多大な影響を受けた人間はそのような分離が生じやすいと聞いたが、そんな少年時代に劇的な衝撃があった覚えはまったくないし。
――うーむ、謎である。
中佐と、館長が二人になってしまった!なんて、そんなやりとりをしただろうか。判然としない。もし実際にあったなら、大問題である。覚えていないはずはない。
とりあえず曖昧な表現でごまかしておこう。
〈あんまり中佐が何をおっしゃってるのかわからないです。でも……なんだか中佐が嬉々とされている姿を見たら、俺もいい方向に向かっている予感はします〉
〈うーむ。時間をかけたわりには返答が当たり障りがなさすぎる。どこか気を遣っておるな。今の貴校はこの感動をわかちあってくれそうにはないようだ〉中佐は残念そうに発信する。〈経験上、その体を見ると、なんらかの劇的なショックでもあったのか。一時的な情報分析能力の混乱が見られる。まあ、いずれ色々と思い出すこともあるだろう。二度と思い出せぬことも同時にあるだろうが。そういえば……前もこういうことがあったな。何度目の再放送だ、まったく〉
そう告げられるとそのように考えられなくもない。覚えていないだけでなんらかの劇的な出来事があったらしい。現に中佐やハルのことも見たり聞いたりして思い出せたが、色々とすっぽり鑿で削りとられてしまったように忘れてしまっていることが多いようだ。
『焼却炉』で「自動忘却機能」でも働いたか。一度、寄って「焼却履歴まとめ」でも確認しみるか。
なにかヒントになるかもしれない。
どんな些細なことでも大事な気がする。
でもなぜだろう、中佐が指摘するようにもう二度と思い出せないようなこともある気がする。
途端にどうしようもない、喪失感が俺を襲う。これは幻覚だろうか。
でもやけにはっきりと「何かを失ってしまった」という意識がこびりついて離れない、離してくれない。
この靄がかかったような模糊たる記憶は、『アーカイブ・ゾー』内の本が忙しなく整理されていっていることにも遠因すると考える。現実味は薄いが中佐曰く、当初いた二人の館長がひとつに融合したからか?
とくにこの兆候は④で激しく見られる。なんとなくだが⑧にいても④が騒がしいことはわかるのだ。それほどどったんばったんと一夜城でも築かんとばかりに突貫工事を行っているようである。
その実までは観測できないが失っちゃいけないような大事な記憶がトピックし明示されて、なんらかの作用で失ってしまった記憶があった場所に新たな記憶があてがわれていくような作業が永延と繰り返されている。そして新たに消去すべき記憶がリストアップされ「焼却候補棚」の仮想書庫に並べられていく。まるで辻褄を合わせるかのように。口裏を合わせるかのように。次々と記憶が整理整頓されていくのである。こんなことは初めてだ。『焼却炉』のあとは④にも寄ってみよう。
第17話〈生まれ変わった自分〉おわり/第18話〈「ヘイメン」〉につづく
あと2話+αで完結予定です




