第15話〈その訳〉
やっと出せた
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〈それは違う。たしかにぼくの考え方のベースには君の考え方があることは否定しない。でもそれを受容したのはぼくの意思だ。君の意思がいつのまにかぼくの意思になってたんだ〉
〈いいや、違わない。この状態は異常さ。相反する考えがお前の中に同時に存在していることになっている。お前はここまで来たのは自分の意思だと譲らないが、あのイベントが示すように本能こそが真に意思たりうるもの。それがお前がここに来ることを拒絶していた。それならお前の脳は一体、どこにあるんだ?〉
〈そういったイベントは単なるトラウマへの向かっていくことの危険性の暗示、すなわち「セキュリティ」が正常に働いた結果だ、とぼくは解釈した。たしかにトラウマの危険性を顧みることは少なかったかもしれない。でもそれはトラウマを軽視しているわけじゃない。ずっと避けてきたものに立ち向かうってことは自分に向き合うってことだ。だからぼくは躊躇わずににそれを振り払った。「セキュリティ」よりも今のぼくの意思が優先されると信じたから。そう信じた脳ならちゃんとここにある〉
〈しかし、その「セキュリティ」が本能に直接的に起因していることはそのおつむで理解しているはずだ。そして精神的に不安定なお前が異性との接し方とじゃわけが違う、最もデリケートな事物である「トラウマ」に近づけば一体どんな事態を招くか。それも薄々、勘づくだろう。ともかく、お前の意思に多分に俺の過去の意思が反映されていることはわかってくれているんだろ。つまり、反映されているっていうなら結局は俺がお前を変えちまったてことに異論はないはずだ〉
〈いいや。反映されてるっていう表現を採用するならヘイメンが変えてしまったというのは枕詞としては適切ではない。語弊がある。そんなのぼくが被害者のような感じじゃないか。ぼくは変われたんだよ。青いぼくが生き方や世間をしらない不器用なぼくを君の忠告が変えてくれたんだ。そんな変われた、ぼくがトラウマに向き合ってすぐに身を滅ぼすだなんて考えられないよ〉
〈変われたって?そんなら変わりすぎだね。まだ想像できないのか?事態が呑み込めていないなら、わからないなら、はっきり教えてやる。お前の意識は分離しているんだ。分離しているお前は最も不安定なんだ。だから想像以上のダメージを負いやすい。俺の見立てだが既に取り返しのつかないところの一歩手前まで来ている。なぜそうなったか?それは…〉
ヘイメンはここで一呼吸置く。ぼくたちの交信は一切の淀みなく進んでいる。さっきみたいにごちゃごちゃと余談を挟んでいる隙はないし、ぼくは思ったことを次々と信号化して飛ばすしか余裕がない。どちらも真剣に交信している。
〈それは?〉
〈それは、俺がお前の多感な人格形成期に行動に口を出したからだ。トラウマについて以外にも色々とだ。そう、俺は正真正銘の加害者で、ゾー、お前は被害者なんだ。お前はオリジナルのまま成長するべきだった。俺はお前の人生に首を突っ込むべきじゃなかったんだ〉
〈なんでそんなことを軽々しく!たった一人でその人間性や人格が確立された人間なんて存在しないということを誰よりも聡明なヘイメンは理解してるだろ?人間は他者と善悪問わず影響しあって互いに成長していく生き物だ。第一、君はこうやってずけずけと人の脳内に侵入し、かつフロアの改造をしたりしていること自体がぼくの人生にとって悪影響なんじゃないか?君は愚かにも自身の行動規範を見誤り、君が示すところの同じ轍とやらを無神経に踏み荒らそうとしているんじゃないか?〉
〈俺がお前に助言すべきじゃなかったことなんてごまんとあるよ。トラウマについて向き合えってやつがその代表例だ。お前の人格及び思想、良心形成の発展にまったく良い影響を与えないばかりか、かえって邪魔になる楔を深く打ち込んだ、それも複数個。もしゾーが自分の行動が誤りだと思ったなら、いずれ自分から修正していくべきだった。それまでは思う通りに動いてみたらよかったんだ。俺の補助なんていらなかった。時期が最悪だった。お前にたかが六歳しか歳は変わらないのに、年長者を気取って、人生の生き方を説くなんて、それも誤った内容で。いや、ゾー。俺はお前に心底、悪いことをした。だから俺は過去を清算するために、贖罪のために、あのとき打った楔を抜き取るためにここに今、ここにいる〉
そのままヘイメンは続ける。
〈それと俺の侵入やらこのフロアの改造はお前の意識や記憶体系に影響を及ぼしていないことは保障する。過ちを繰り返したりはしない。俺は10年前とは違う。ここはそもそもお前の負の部分であり、触れられぬ記憶たちの巣窟と化していたところだったから、さっきもそう伝えたがそもそも今も昔も記憶管理施設からこのフロアは浮いていたんだ。フロア自体が完全に管理元を離れることはほぼないが、それに近い形にはなっていた。だから活動には都合がよかったから利用させてもらった。だが1ファイルとて痕跡は残すつもりはないし、改造したまま放置したり無責任なことはしない。以前のデータのまま、バックアップもとってある〉
〈過去を清算する?どうやってだ?過去は変えられないだろう?バックアップをとっているとかそういう問題じゃない。1秒前のぼくはぼくじゃない。そんなバックアップを有効化してしまえばどんな事態に陥るかだってわからない。どういう理屈を踏まえた上で君が否定しているのかは知らないけれど、君の身勝手な侵入とそれに準ずる行動から生じるミス一つで記憶体系が揺るがしかねなかったんだ。ぼくはなにからなにまで軽率な君の行動に怒っている〉
〈ああ。怒るのも無理はない。お前は昔からこういうことをされるのが嫌だったな。ごめん。リスクヘッジは当然、徹底した。信じてくれ。なにせこうでもしないと変えられないと思った、お前を救えないと思ったんだ。そうだ、過去は変えられない。なら初めから無かったことには?できる!そうだろ!?今や食物連鎖の頂点の人間様は記憶の消去だってお茶の子でコントロールできる。お前にも『焼却炉』っていう便利な機能があった。この約三年間の調査でその機能に随分と制約をかけていることがわかったが。だからお前の中から俺の記憶をきれいさっぱり消すことを思いついた。跡形もなくな。そこで俺の存在すら灰にして消せば、そうすればお前はオリジナルになれる、と思った。俺は楔なんて初めから打ち込んだ事実なんてなかったんだ。そうすれば純粋なままのゾーが再編され誕生する〉
〈まさか『焼却炉』の存在を……だ、だけど、そんなことをしたって、ぼくの意思は既に完成しているんだから君の記憶を失ったとしても状況は変わらない、覆らない。ここに今、ぼくがいる以上、ぼくがぼくを意識している時点でぼくはオリジナルなんだ。「水槽の中の脳」なんて考えもあるけど、ぼくは自分を意識できている。例え、世界が仮想であっても、この仮定を立てられる時点で自分を意識出来ていることは偽の感覚ではない。それにもし万が一にでも君と過ごした記憶だけが抽出され消えたとしたら記憶に齟齬が生じかえってぼくの人格はたちまち破綻してしまうことが予期される。君が干渉したのがそんなに重要な時期だというならね〉
〈いいや、お前の考え方が変わるだけだ。お前がそう信じるに足る根拠が抹消されるんだ。根っこを失った花は直に枯れるように、お前から余計な意識は削ぎ落され、より純粋な意識体系が再構築される。人格破綻の方も大丈夫だ。記憶というのは整合性がとれるようにできている。俺と過ごした時間が取り除かれたとしても、その他の時間の中で経験した出来事が多分に意識に投影されるようになるだけだ。十分な演算を経て仮想実験をしたがどれも今より悪いシナリオには至らない。もうこれで俺の信号にお前のその信号は波長を揺るがされることなく、お前は生きていける。その意識している自分がそもそも二極化されてるんだ。俺から見れば今のゾーはオリジナルなものとは程遠い〉
〈ヘイメン、悪いが君は自意識過剰がすぎる。それに過保護だ。ぼくの憧れていた、ヘイメンはどこにいったんだ。まるで今の君には落ち着きがない。君のたった一節の信号がぼくを変えたって?自惚れるんじゃない。あの日から早くも10年以上が経過している。その中で環境の変化やその中での心境の変化も経て、今、こうして君の前に立っているんだ。そんなぼくに対して手段を選ばず、自分の過去の発信内容をひとつひとつ償っていくだなんてお門違いだよ。どれだけ君は、自分自身がぼくの中で影響力の大きい存在であることへの確たる自信で満ち溢れているというんだ。ぼくがここへ、「言語史」のテキストに手を伸ばそうとするまでだって長かったんだよ。トラウマに向き合うのも容易じゃなかった。君の意思をベースにぼくの意思が形成されていたことは否定しないけど、まだそれが如実に反映され始めてからは日が浅いんだ。ことさら目を見張るべき事情じゃない〉
〈そうであれば、その目を見張るべきじゃないとお前が発信する事情が如何に危機的状況であるかを早く理解した方がいい。オリジナルは決して変化しない。本質的な部分が変わっちまったらおかしいんだ。お前はその本質定な部分が二つ併存しているんだがな。本来ならもっと水面下で、意識しても気づかないような些細な意識の綻びが生じていたんだがそれがついに、はっきりと傷として現われてしまった。あの館内放送だ。こんな最果てまであれは響いてきた。あれを受信したとき、いよいよ恐れていたことが起きたと思ったよ。お前の身体が悲鳴をあげているとさえ感じた。そして相次ぐ、お前のこのフロアへの侵入さ。いよいよ俺がくすぶっていたせいで、お前の意識の分離は進んでしまった、悪化してしまったことをはっきり認識することになった。最初のエリアならともかく、灰の砂漠に来た頃にはもうお前は確実に俺に狂わされてしまったことが分かった。俺のことはどう思ってくれようが構わない。ああ、時間は経ったさ。嫌という程な。だが過保護にもなる。俺は責任を感じてるんだ。お前の人生に俺が水を差したことに違いはない。初めにそうなるべき道しるべをせっせとこしらえたのは俺だからな。自分の過ちを改めないことが真の過ちだろう。それにもう引き下がれないところまで来ちまった〉
〈なら意識の分離についてだけど、なぜぼくがそこまで問題視していないのか、を教えるよ。それはこの世の中、何事も即座に受け入れられないことばかりだからだ。ぼくがこうやって過去の君の信号を頼りにしながらも「言語史」のテキストに辿り着いたのは変わろうという意識があるからだ。ぼくはきっと変わりたいんだ。ぼくはこれまで何度も「言語史」を忌み嫌い、こんな最果てにまで隔離し、遠ざけてきた。でもいきなりそんなものに近づいていくとなっちゃ身体は過去の自分と矛盾しているとぼくの行く手を阻むだろう?混乱するだろ?「セキュリティ」的にも、それが行動として正しい。だから一時的には意識だって分離した状態になる。ぼくは君に指摘される少し前から意識の分離を自覚している。だけど今、それが日が浅いに加えて、その分離が両立できているんだ。身体が分離した状態を適応し始めている兆候があるんだ。今のところ間違った方向には機能していない。これは変化だ、とそう受け入れられる。そうしてこの意識はいつか結合するとは思うんだ。分離と結合はリンクする。死と生がリンクするように。今はその移行準備段階なのさ。そしてその移行準備が完了したとき、ぼくは真に大人になれる。そうでもなければぼくは長い道のりを経てここにまで到達はしていない。引き下がれないだって?引き下がれる、大丈夫さ。ぼくの君との思い出ならまだ十分すぎるほどにあるじゃないか。二人であの夜…このグュタペ島で……〉
〈まったくあきれるほど楽観的な解釈だよ。それなら……ゾー……〉 その方を見ると、ヘイメンは俯き加減に発信する。〈突然だが、俺と初めて会った日のことをゾーは覚えているか?〉
〈え?なんだよ、急に……ええと……〉
ぼくは考え込む。ヘイメンとの出会い?友達との出会いは大抵、把握しているけれど。グュタぺ島より確実に前だから……一体いつだ?それにヘイメンとの出会いはかなり印象的なものだったはず。
〈あんなに印象的な出会いもないよな。あれはたしかルミネシアン中等教育学校でミシェル先生が俺を転入生として皆の前で紹介したんだ。それで俺は自分の席を教えてもらって、そこへ行ったら隣に座っていたのがゾーだった。その日中に俺たちは仲良くなってお前は実は自分はミシェル先生が好きだなんて打ち明けてさ。俺は絶対に内緒だって約束したけど送信官を閉め忘れちゃって結果的に広まっちまって、大騒ぎ!最悪の出会いだったよな〉
〈ああ。そうだったかもしれない。ミシェル先生ね、懐かしいよ。あのときはヘイメンもぼくも可愛かったな〉
〈……いや、そうだったかもしれない、じゃない。そんな記憶がお前にあったらおかしいんだ。俺はお前の中からそのときの記憶は消している。お前が思い出は十分すぎるほどあるって思ってるのは脳の錯覚だ。「セキュリティ」が働いている、もしくは記憶の整合性が図られているってわけだ。これで少しは実感できただろう。脳の都合のよさを。このフィルムに残った、グュタペ島での修学旅行の思い出が現存する、俺の存在が記録された唯一の記憶媒体だ。もうその段階まで来ている〉気が付くとヘイメンの左手にはあのフィルムが握られていた。そして冷たい目をして発信する。〈だから、もう引き下がれないってことだ〉
第15話〈その訳〉おわり/第16話〈おわりのとき〉につづく




