第13話〈メビウス〉
〈ハル、いるか?〉
〈はい、ハルです。ええ、おりますとも。少尉の方から交信を持ちかけてくるとは珍しいこともあるんですね〉
〈ああ。ちょっと訊きたくて、ここは一体どこなんだ?〉
〈深灰層のさらに下、最深部です〉
〈でも何もないじゃないか。「言語史」のテキストは?〉
〈それなら向こうに見える星にあることでしょう。信号が震えておられますね。ご安心ください。「オーロラ3」は順調な潜航を続けております〉
星?ぼくは顔を上げる。はるか先に何か丸いものが若干見える。
〈ハル、あの星を拡大できる?〉
〈お安い御用です〉
その星はクリーム色と黄土色が混ざった惑星だった。
〈……冥王星なのか?〉
〈はい。前方に見えますのは太陽系準惑星がひとつ、冥王星です〉
そうだ。あれは冥王星だ。ぼくの旅行予定の惑星。
そのとき急に巨大な影の横を横切った気がした。地表にはクレーターがいくつも確認できる、灰色の星。表面にドーム型居住区のものらしい光がぽつぽつと見える。
〈月?〉
とすると、あの光は月面の第一都市、アルキメデスの光だろうか?するとあの今、丁度、回ってきたあのヤジロベーみたいなのは月軌道ゲートウェイだろう。
――待てよ。それ以前にここはもしかして……
〈ここは宇宙?〉
ぼくはようやく自分が数えきれない星々の中に浮かんでいることを自覚した。その瞬間、全ての方向にある無数の星が瞬き始める。ようやく気付いてくれた!、と信号を一斉に送らんばかりに。ようやく灰の海を抜けると「星の海」に繋がっていたなんて誰が想像できよう。それだけに息をするのも忘れるほどの感動に全身が包み込まれている。不思議と怖くはない。正の感情の高まりが完全にぼくを支配している。
その気持ちを決めうってくるように青いビー玉がすーっと流れてきた。我が故郷、地球だ。なんて美しいのだろう。火星旅行のときの行きと帰りにも見たけれど、よい芸術作品は何度見てもいいように、初めて見たときと変わらないほど感無量である。「見回したが神はいなかった」だとか「地球は青かった」、「宇宙から国境線は見えなかった」、なんてぼくも先人にならい何かお洒落に発信してみたかった。何とかこの感動を符号化したいものだが空回りになると思ってやめた。本音はただ見詰めているだけで精一杯だった。地表にはオーロラがうっすら見えた。
ぼくはこんなに美しい星である地球から、勝手に出ていくならまだいいが色々と理由をつけて人類単位で出ていくだなんて発想は嫌いだ。そんなの第二・第三の地球を生み、また好きなだけ人類は資源を使い果たして私腹を肥やし、また故郷を捨てるという行為を繰り返すバイオテロを助長する。もっともこれは何百年単位のサーガである。普通はそんな単位で物事を図ったりはしない。しかし、宇宙を愛しているからこそ、そう考えられるのだ。
ぼくは感動してしまって仕方がない。
だがなぜこんなにも感動するのか考えてみたとき、それはぼくの中に宇宙が広がっていることが無性に嬉しいことに気づいた。
何年も触れぬうちに、この⑧には宇宙が生まれていた。ぼくの中に宇宙がある。
〈ハル、この宇宙はどこまで続いているの?〉
興奮冷めやらぬ気持ちで、誰かとこの感動を共有したいとハルを呼び出すことに決めた。
〈はい、ハルです。少尉、宇宙は無限に膨張を繰り返しています。仮にその最果てがあったとしても、それを観測した方がいない限り、宇宙は無限なのです。メビウスの輪の円環の中です〉
〈メビウス……そうか。愚問だったね。すまなかった。無限か〉
〈いいえ、構いません。それにしても、綺麗ですね〉
〈ああ。そうだね〉
つい、そんなやりとりを交わしてしまう。何万前の光がこちらに届いて見えているかはわからないが視界に映る全ての星の輝きは美しかった。永遠の美をたたえていた。
ぼくの中に無限に広がる宇宙があるというなら、ぼくには無限の可能性があるのと同義だ。それが確認できただけでも価値はあったのだ。
それにしてもここは図書館なんだよな。忘れそうになる。というか、何度か忘れていた。
例えば、あの向こうに見える、火星に降りてみたらそこには本棚があって本が並んでいるのだろうか。そう考えると何だか可笑しいな。そんなの景色から浮いてしまう。
――いや、逆に異星人の高度テクノロジーの遺物みたいに、モノリスみたいに映えるか?
クジラがいたあの水槽、輸送機の中、マカロニ・タウンのある灰の砂漠、巨大階段のある港、潜灰艦の中、どこにも本はほとんど無かった。だからあくまで憶測だけれど、この星々に⑧に所蔵されているはずの本は散らばっているんじゃないだろうか。本はあの入り口付近にあったものだけじゃない。もっといっぱいあるはずだ。なんだかそれらを集める冒険も楽しそうだ。「管理対象範囲外」としてロストしていたとしてもコード自体は記録があるから、逆探知できるだろうし。なんだかあんなに忌避してきた⑧をこんなにポジティブに捉えれる日が来るとは。純粋に嬉しい。
遠くに色鮮やかな星雲がぽつぽつと見える。かに星雲、バラ星雲、オリオン座の散光星雲。この宇宙に浮かぶ、色とりどりの雲である。
きっと違う銀河だっていくつもあるに違いない。それこそアンドロメダ銀河であるとか。そこにはハンドや中佐みたいなAIだか何かがいるのだろうか。そんな遠くにまで本は飛び散っているのだろうか。
その星での一時間が地球での七年に相当する星とか、ポッド・レースが盛んに行われてる星とか、機械の体をタダでくれる星だとかもあるのだろうか。
それのなにもかもがあるような気がする。なにしろ宇宙は無限なのだ。たった今、そんな奇妙で楽しい星が爆発という、産声だか産信号だかを上げて生まれているかもしれない。
火星に徐々に接近していく。丁度、火星から発した貨物船とすれ違った。操縦席にはぼくそっくりの顔の人間が座っていてぼくに一礼した。
火星。本来。赤い地表をアルテミス計画の第四フェーズで実施した、テラフォーミングの成果か、青々とした木々が覆っている。エリジウム・インサイト空港からは現実と変わらず。頻繁に宇宙船が行き来しているようだ。ワープゲートも正常に機能しているらしい。ゲートの中の位相空間は少し気圧が異なるため酔いやすいため好きではないが、そんなゲートも希望への扉みたいに映る。
するとゲートから何機もの宇宙船が飛び出してきて「オーロラ3」のすぐ横を次々と駆け抜けていった。熾烈なトップ争いである。
混線したようで、わずかに信号が雪崩れ込んできた。なんて周波数が高いのだろうか。
〈……さあ、アステロイド・レースも大詰め!トップは未だゼッケン一番、ゾー伯爵のブルーファルコン号!残った七機はアステロイド……〉
どうやらアステロイド・レースに出くわしたらしい。カラフルな機体が颯爽と駆けて行った。
木星の巨大宇宙ステーション、土星のドーナツみたいな環、天王星の宇宙エレベーター、海王星の要塞化された衛星トリトン。どの惑星だって見どころがある。次々と通り過ぎさってしまうのが惜しいくらいだ。
それらは現実に沿って忠実に再現されていた。なので、改めてここまで人類はよく開発したものだと噛みしめる。
一部ではここまで「開発の魔の手」が伸びたとも捉えられるが、人間の作った人工物がこんなに地球から遠い位置にあるというのはやはり進歩であるだろう。それは素直に受け止められる。写真やホログラムで見ることはあってもこんな至近距離でまじまじと見たこともない。というか、景色をこんなに熱中してみることも久しぶりな気がする。クジラのような珍しいものは穴が開くほど見詰めたが、景色となるとそこまで自分の中の価値判断基準として低めに位置していた。
ここまで来たことだってないが、宇宙遊覧船に乗って月を見下ろすツアーに参加したときもそんなに珍しくもないとすかして、最後の方はスマートコンタクトを付けてネットサーフィンをしていたのを思い出す。しっかり直視して集中して見ないと綺麗なものだって見落としてしまうな。今まで見つけられなかったような新しい発見もあるかもしれない。コンタクトを捨てよ、旅に出よである。
小惑星とも何度か搗ち合うかと思ったが、「オーロラ3」は正確な動きをして接触しそうなものを次々とかわしていった。そのため、基本的な操縦が自動であったためにぼくは安心して宇宙観光を楽しめたのもあるだろう。
そうして、海王星に別れを告げたのもつかの間、ついに冥王星へ接近する。あのクリーム色と黄土色の地表が間近に見える。
〈まもなく冥王星へ突入いたします〉
詳細なルートがモニターに表示される。「オーロラ3」はこのまま直進で冥王星に突入し、大地を覆い隠すように広がっている、分厚い雲の層「エムリの大傘」を抜けると裾野には「樹氷の森」通称「クリスタル・クレア」が広がる、氷火山「ライト」がある。このライトの火口の先に最終到達目標である、「言語史」のテキストはあるらしい。火口にはパラシュートを展開し、やや減速して飛び込むらしい。火口に入るというのは少し勇気がいるが、これまで順調に進んできた、大丈夫だろう。
〈了解!エントリー!〉
ぼくがそう発信すると同時に「オーロラ3」は推進剤をふかして冥王星に突入した。
「エムリの大傘」を抜けるとそこには大きな氷の山が見えた。確かに真ん中に大きな穴が開いている。あれがライトの火口だな。
〈目標「ライト」火口捕捉。パラシュート展開します〉
〈了解!頼むよ、ハル!〉
〈エラー、エラーです。パラシュート展開に失敗しました。減速できません。このまま火口へと突入します。強い衝撃に備えてください〉
〈え?〉
突然のエラーに動揺する。とりあえず不時着時の姿勢をとった。進路を同じくして「オーロラ3」は火口へと突っ込んだ。火口には水面の凍ったカルデラ湖があったが、それを勢いのまま、割って入って、湖の底部をぶち抜いた。洞窟のような場所に出てそのまま「オーロラ3」は小高い山のような場所目掛けて落下し、不時着した。
「オーロラ3」が地面とキスした瞬間、エアバックが作動してぼくを包んだ。その衝撃を受けた頭はぐわんぐわんと混濁してしまい、さらにはがんっと腰を強打してしまった。
〈いてて……〉
ぼくは腰を摩る。しかし、その部分はアバターだからすぐに修復される。モニターに電源が入り、時々、画面がゆがんではいるが、ウサギ型のアバターが現れる。
〈…少尉…大丈夫…すか?〉
〈ハルは?無事かい?〉
〈最低限…機能であ…ば問題あり…機体の損…率を解析し…解析完了…した。機体…率72%。通常…は不可…です…予備電源を使用…当該エリ…か…脱出経路を…〉
かなり機体は損傷している。しかもハルのメインコンピューターにも損傷は及んでいるようだ。信号が流暢でなく、雑音が挟まって全文をキャッチしづらい。
しかし、なお一層、モニターの映像は荒れ乱れている。今にも電源が落ちそうだ。
〈おい。ハル。無理して発信するな!予備電源も回さなくていい。脱出経路ならこっちで見つけるさ!〉
〈いえ…私はガイド…すから役わ…を果たしま…脱出…路でま…た〉
なんとか脱出経路を調べてくれたようだ。モニターに脱出経路が表示される。だが濁ってはっきり見えはしない。けれどそうハルが予備電源を使ってまで最後までガイドとして自分を導いてくれようとしているのがありがたかった。
エラーだって「朝びらき丸」を出て以降、完全に操縦を一任していたのだからハルを責める道理はない。人間だって完璧な人はいないのだ。大灰流に乗ったり、小惑星を避けたり、ここまで無事に辿りつけたのはハルのおかげでもある。何よりハルがいなければ自分の中の宇宙さえ見られなかった。
〈…脱出経路をありがとう、ハル。それにここまで運んでくれたことも、ありがとう。君は最高のガイドだったよ〉
かけてやれる信号はそれくらいだった。なんとなく死の臭いがした。ハルはもう残り少ない余力で信号を送ってきている。来てほしくないが、そのときまでに感謝は伝えておきたかった。
〈感し…なん…滅相もな…私の…ミスでこんな事態に…て…申し…ご…ん…ガイ…冥利に…ます…少し疲れ…し…スリープモードに移行し…よろしいで…か?〉
「スリープモード」という名詞は聞き取れた。映像には砂嵐が混じりだす。
ウサギ型のアバターが消える。
〈ああ、わかった〉
〈短い…いだでし…ありがとうござ…ただいまスリープモー〉
そこで信号はぷつんと途切れた。しばらく待ったがスリープモードへと準備中のコールも準備完了のコールもなかった。モニターの電源も完全に落ちた。
〈おやすみ、ハル〉
そう、受信先のいない信号を送る。ぼくは歯をぎりぎりと擦り合わせると、それからは押し黙って、ラッタルを伝い、上部ハッチから外へ出た。「オーロラ3」は周囲の地面を抉り、不時着している。
かなり開けた場所だった。上から自分のいるエリア全体を見下ろせる展望台のような位置である。洞窟をくりぬいたようなエリアの作りは異質さが際立っていた。
真ん中には巨大な地球儀があって、その周りを円を描くように紫色に変色した本棚が囲っていた。どこから種子が飛んできたのか、蔓が棚全体にうねり巻き付いてそのまま腐っていた。ところどころ倒壊して通れない場所もあって、決まってその奥には巨大な蜘蛛の巣が完成していた。
左側には下へと続く土を泥で固めたような簡易的な階段があった。その階段を降りようと歩み寄ると途端に全身に上から押し付けられるような多大な負荷がかかった。心象の辛さの比喩とかではなく現実である。
これが中佐がちらっと発信していた、最深部の「重力の牢獄」というやつか。宇宙という無重力空間からの急激な身体へ襲い来る負荷、それはまさに牢獄に捉われているかのような不自由さを与える。壁に手を添えながら階段を崩れ落ちるように降り終えると、足を引きずりながら、ぼくは付近の本棚に手をかけて移動する。
床にはさながら豪雪の埃が積もっていたから、全身におしろいを塗りたくるように付着していく肌触りに心底嫌な心地がした。全体的にうっとぐらく、環境は劣悪で、蜘蛛の巣が張っていない場所を探す方が大変だという具合だった。天井からはつららのように立派な鍾乳洞が立ち生え並んでいて、その隙間を巨大なコウモリの群れが格好の根城にしていた。
一寸先こそ見えはしたが全方向を闇が支配している。それもそのはず、ここは最も光の射さない実質、常時黒夜状態のお化け屋敷だ。宇宙では感じなかった暗闇の恐怖をここでは感じた。
歩くたびに姿勢は低くなっていって最終的には地を這うような形に変わっていた。ここまで来るまでの肉体的及び精神的な疲労が祟ってもう限界寸前だった。それでも顔を残った気力だけで起こすと。灰の砂漠にいたときよりも大粒の汗を垂らしながらめげずに匍匐前進をする。
黒歴史をまとめる「禁書」のコーナーへの唯一の入り口である鉄格子の門とそれを守るようにして立っている死神を模した石像がもやがかってはいたが見えてきた。「禁書」のコーナーは冥王星にあったのか。
であれば「言語史」のテキストはそのすぐ目と鼻の先にある、あの一際、朽ちて崩れ落ちそうな本棚にあるに違いない。
腕を伸ばし、本棚の底の部分の端っこをたしかにとらえる。そのまま身をぐいっと引き寄せた。
ふっと体にまとわりついていたあのいまいましい重力から解放された。目的物に辿り着いたからか、達成感もあり、すっと身体が軽くなったような心地がした。ぼくは疲労のためによろめきつつ立ち上がって、手の甲で汗を拭った。
ここだけやけにかび臭かった。それもそのはず、違和感を感じて頭上を見ると、このコーナーの真上の天井にだけ穴が開いていて、そこから容赦のない集中豪雨が絶え間なく辺りに注がれていたのだ。おそらくあのカルデラ湖の水が岩と岩の隙間から漏れていて、ここは特に水漏れが酷いのだろう。
それから本棚に視線を移し「言語史」のコードを手で探ると、その輪郭に触れた。201628-2…前半七桁は一致している。先ほどの『蔵書検索ソフト』の検索履歴によれば2類で六次区分まであってなおかつ、後半が2から始まるのはこの「言語史」だけだったから決定的である。後半三桁は自主的に付けた汚れで判別できないとしても、これに間違いないだろう。黙って本を抜き取るとタイトルは案の定、意図的に汚してある。古本屋に行ってもすぐごみ箱直行ベルトコンベアーに乗せられるに違いないくらい酷い装丁だ。
それでも本に片手を添えると問題なく、記憶は分析処理を開始した。
本のページに縛られていた符号が解放されて、浮かび上がって生き物のように踊り始めた。だが浮かんでくる符号に覚えは全くない。"ヘイメン"、"トラウマ"、"増補箇所"、"焼却炉"、"館内放送"、"最悪の結末"、"201628-2112"。断片的な符号が次々と飛び出す。「言語史」と関連する情報は見当たらない。
その瞬間、ぬっと本から何者かの黒い手が伸びてきた。
〈え…〉
その手はぼくの顔をがっしりと掴んだ。手は疲れ切ったぼくを本の中に引きずり込むために十分な力を宿していた。ぼくはそのまま逆さまになって、ゆっくりと本の中に体がうずまっていく。
一切もがく余裕を与えない速さで、すんなりとぼくは符号の海の中へ吸い込まれていった。
第13話〈メビウス〉おわり/第14話〈「相対性」〉につづく




