第12話〈自己とは〉
〈ええとそれは…〉
〈これは質問であり、尋問ではない。都合が悪い部分があるならその箇所は黙秘したまえ。後からその部分をとやかく咎めたりはしない〉
〈はい。お気遣い感謝します。答えられる範囲で答えますと、それは中佐が先ほどおっしゃったようなことと被ってしまいますが、ぼくも可能性のひとつだと表せます。そして中佐とは反対に、ぼくにとってここ⑧は、その可能性を開花させる、主演役者としての舞台ではないことを知っています。そしてその本来の舞台の所在をぼくは知っていますが、中佐はおそらく観測が不可能な場所ですので、ぼくによる詳細な信号化及び符号化は困難で、またぼくにはそれを望まない諸事情がございます。ぼくは元から自分自身の存在について明確な答えを持っていたわけではありません。答えを得るのにこの⑧が鍵になりました。ここが自分の居場所ではないとわかっているからこそ、真なる自分を相対的に見れた。ですがここに至るまで自分に如何なる可能性としての価値が秘められているかについて自然と考えさせられた点で、やはりここは副次的にぼくの所属する一部ではあるのです。可能性の考え方は中佐がようやく補完してくださったために確立できた理論でもあります〉
〈なるほど、ここより外に自分の真に所属する場所があることを知っているとな。私は少尉としての貴校しか知らないが、真の人格の意味を持った少尉がおり、それに絶対の信頼があると見た。そして私に一方的に問うような形式をとったのも驕りからではなく、⑧で改めて見詰めた自分自身を整理するための作業としてであると。それでは続いて、貴校は自立した個体としての意識を有していると自負しているのか?〉
〈こうやって理論を構築でき、主体的に活動できている時点でぼく自身が意識を保持し、自立していることは証明可能かと思います。古くからの考えに倣っても、我思う故に我あり、とする理論をぼくは気に入っており、この考え方がぼくの根底にはあります〉
〈コギトエルゴスムだね。しかし、自分が自分を意識できているから自分は存在しているとするのは正しいのだろうか?「水槽の中の脳」や「胡蝶の夢」のような考え方だってある。私だって自分の存在を自覚している。だが私が自立した個体である認識はすっぽり抜けているのだよ。それは私の職業病もわざわいしているのかもしれないが、そもそも自立した個体を証明することに違和感を覚えているからかもしれない。結局は皆がどこかに所属している。独善的な考え方と呼ばれるものだって複数の他者から無意識的に多大な影響を受けたうえで成立するものである。結局のところ独自の考えなど存在しない。自立とはある意味ではどれだけ他者との結びつきを複数作れるかを指す節もあるが、貴校の自立はそのような考えには依拠していないだろう。個体を称するのも自覚だけの要素では証明は不可分だと思わんかね?それだけで全体を構成する単体がひとつを自称するのはおこがましい。なら心身の乖離によって自分を自分であると自覚できていない者は以前の者とは別個体なのか、最近の精巧に作られたクローンたちや人間と同様の記憶と疑似脳を植え付けられたレプリカントたち、教義の全てに同調し同じ考え方を共有する模範的な信者たちは皆、同一個体と定義できるのか。それらが厳密に肉とそれに結びつく心により成立するかはどうかはわからないが必死に一元化しようとしているのは見てとれよう。つまり肉とそれに結びつく心を根拠にするのは弱い。それはある日突然、お前は仮想空間で生まれた物象に過ぎない、とつきつけられる可能性を考慮できていない。極論を並べてみたが、つまり、この質問の果てに私が少尉に伝えたいのは自分の存在について過信しない方がいいってことだ。お前さんの存在はお前さんが思っているほど完全じゃない。いつでも分離したり、変容したりする。自分が所属している世界の有りようによって存在する意味も変わってくる。2分前の自己は今の自己とは違う場合だって珍しくない。ときに自己は最も未知となる〉
中佐がここまで独自の理論を持っていることに驚愕してしまった。自分の存在を自覚している、とまで発信してのけるとは。いよいよ意識の獲得には王手であるか。それにぼくは完全じゃないか。たしかにそうかもしれない。簡単に変容してしまうくらい柔かもしれない。どの時点で自己、と表明するのかによって自己が変わるのであれば自己は完全ではない。それは正しいだろう。
〈おっと…哲学的問答はせんと誓ったのに、自ら誘発させてしまった〉
〈いえ。構いません。中佐とこんな交信ができるとは思いませんでした。新鮮な感覚です〉
危険だ。ぼくから派生したものであれば、多少齟齬はあろうとも、ぼくとほぼ同意見のはずである。
しかし、独自発達したその考え方でぼくの考え方さえも基盤から崩しかねないアプローチを積極的に行っている。この状況は手放しには喜べはしない。良いような響きの信号は取り繕って並べているが、危機感は密かに抱いた。
それとも現時点への深層心理からの忠告と解するが吉か。
ここまで信号を交わして、ぼくの脅威となる敵対関係の存在ではないことはわかってはいる。
〈引き起こしといてなんだが私もだよ。さあ乗りたまえ〉
中佐が「オーロラ3」への乗船を促す。
〈はい〉
ぼくはそう短く返事すると、「オーロラ3」の傍によってラッタルに手をかけた。淡々とラッタルを登っていき、教えてもらった通りにハッチを開放し、中に滑り込む。中に入ると腰に自動的にシートベルトが巻きつき、周辺の機器のランプがオレンジ色に点灯して点滅し始めた。足の間から収納されていたらしい、操縦桿が顔を出す。目の前にあったモニターにウサギ型のアバターが映った。"12”そっくりだ。
〈「オーロラ3」へようこそ。あなただけのガイド、ハルです。ユーザー認証をします。バイザーを装着、並びに操縦桿に軽くお手を触れてください〉
軽く見まわすと隣の席にバイザーが粗雑に置いてあった。それをひったくるようにとってかけ、手を操縦桿にかける。ユーザー認証が必要と、はしっかりしている。ぼくの「セキュリティ」のようだ。
〈ほい〉
〈解析中です。しばらくお待ちください。解析が完了しました。光彩認証完了。指紋認証完了。軍認識番号280001。ゾー少尉、でお間違いありませんか?〉
〈間違いないよ〉
もはや自分が軍人扱いされることに違和感がなくなってきた頃である。少尉、少尉と呼ばれすぎて感覚が麻痺してしまった。
〈了解いたしました。一件、伝達事項がございます。ゾー少尉はゾー館長のアバターの一つとして二か月前に作成され、そのまま登録はなされていません。その後、「管理対象範囲外」であった少尉を一度、『アーカイブ・ゾー』内で確固たる事物として管理するために連邦軍第八基地所属軍人として登録され、少尉任官された運びのようです。正式登録がなされていませんが、いかがなさいますか?この場で登録もできますが〉
なるほど謎が解けた。そういうわけか。この現在使用しているアバターは『アーカイブ・ゾー』にぼくのアバターとしては未登録らしい。そのため、ぼくは存在自体はしているのだが、館内から浮いてしまい、一時的に存在を確定するために軍人として登録されたようだ。「管理対象範囲外」のものは、一時は「管理対象範囲内」であったものが、長らくアクセスされなかったり、意図的にはじかれたりすることで「館内紛失物」として認定された後、「管理対象範囲外」として割り当てられる。一度、範囲内に置かれれば、存在自体は『アーカイブ・ゾー』に登録されるわけである。しかし、このアバターは作るだけ作っておいて登録はしていなかったため、「確固たる事物として取り扱う」、当館の方針に従い、無作為的に軍人として仮登録されたようである。そのため今の今まで軍人扱いだったわけか。
〈もし登録しなければ、この「オーロラ3」の操縦の権限はぼくには付与されなかったりするの?〉
〈いいえ。そのようなことはございません。新体制の館長お二方による中佐並びに少尉への特命が何よりも優先されます。ただ正式に登録がなされば軍の福利厚生に則った各種サービスが受けやすくなり…〉
〈ああ。なんかややこしそうだし、未登録のままで大丈夫だよ。発進の準備を〉
〈承知いたしました。発進準備に移ります。バイザーはお外しいただいてかまいません〉
"12”なみにごねたりはしないらしい。ものわかりがいい。これは"12"へのアイハラか。気を付けないと。ともかく何とかなりそうだ。
するとモニターの映像が切り替わり、中佐が映し出された。
〈少尉。何かトラブルかね。今日は「レッド・ドラゴン」でもハッチの不調があったから事前に念入りに整備をしたはずなんだが〉
信号も中まで届いてくる。
〈いえ。少しガイドのハルと揉めてただけです〉
するとハルが割り込んでくる。モニターには中佐とハルが二分割されて映った。
〈発進準備中です。少尉が未登録なのがいけないのでしょう!中佐、ハルは少尉と揉めてはおりません!!〉
すっとんきょうな信号が飛んでくる。ハルが悪いというニュアンスで伝わるのを避けたいらしい。
〈こら、ハル。途中で交信を遮るんじゃない。上官と部下の別れのシーンだ。映画ならクライマックスである。慎みたまえ〉
〈発進準備中です。失礼しました、中佐。でも……少尉が……〉
ハルが耳をぐでんと垂らして、しゅんとする。
〈少尉も別にハルが悪いとは発信していない。短い旅とはいえ仲良くしなさい〉
〈発進準備中です。わかりました…一度、交信からは外れます〉
ハルが申し訳なさそうにモニターの画面から消えた。やっぱり"12"にどこか似ている、何だったらもうちょっとわずらわしそうだ。おっとこれもハルへのアイハラになるのか。ハルはAIに該当するのかわからないが、ちゃんと反省しないと。いよいよAI保護団体に告発されてしまう。
〈まあちょっと変わったやつだが、悪いやつじゃないんだ。一生懸命なやつさ。ハルとも少しの間の付き合いだが仲良くしてくれ。では少尉、最後の旅になることだろう。その30秒未満の旅を噛みしめよ、噂によればその30秒間は永遠にも感じるものらしい〉
〈いえ慣れています。ここまでありがとうございました、中佐〉
30秒が永遠だなんて、なんだか怖い響きだ。
〈礼には及ばん。任務の内である。貴校も自分の任務を貫徹せよ。それでは達者でな。お前さんは魚だ〉
お前さんは何々だ、っていうのは中佐なりの激励なのだろう。
〈まもなく発進いたします。上部ハッチ閉鎖確認。二番射出口へ移動準備〉
ハルのその信号を合図に顔をあげると中佐が敬礼をしていた。モニター越しに中佐をなぜか見ていたけどずっと目の前にいてくれていたらしい。ぼくも中佐の目を見つめて敬礼を返す。
〈まもなく発進いたします。右20度転回。サポートアーム、シグナル同期〉
中佐は敬礼から居直ると懐から白いハンカチを取り出してそれを振っていた。随分と古典的な別れの表現だな、とつい微笑んでしまった。中佐が視界から外れていく。「オーロラ3」が右に回転を始めたからだ。
上からUFOキャッチャーのような三つに枝わかれしたアームが「オーロラ3」を鷲掴みにした。そのまま、射出口まで運ばれ下ろされる。射出口は内側への灰の侵入を防ぐため二重の隔壁によって構成されている。ずどんと大きな音がして後ろの隔壁が閉じた。そしてもう一つ、前の隔壁が開き始める。灰がなだれ込んできた。
〈まもなく発進いたします。カタパルト接続確認〉
〈いよいよか〉
灰で射出口内が満たされた。
〈システムオールグリーン。「オーロラ3」発進します〉
〈了解!さあ行こう!〉
「オーロラ3」は弾丸のように放たれた。灰の中に飛び込む。視界がぐわんと周り、ボーリングの球のように転がり続けるのかと思ったが、姿勢制御補助装置が作動したようだ。機体は真っすぐに修正された。
〈「オーロラ3」姿勢安定。軌道安定。大灰流までの距離算出開始…距離算出完了。距離約500。距離100地点まで強速で接近〉
本当に機械がほとんどやってくれるようだ。身を委ねていればいいらしい。
握っているだけでいいはずの操縦桿が灰の流れに押され、方々に引っ張られるのを何とかがっしりと固めた手で抑え込んだ。これがぼくの役割か。
かなりのスピードで、だが丁寧かつ順路通りに進んでいると前方に巨大な灰の柱のようなものが見えてきた。いや柱というより灰の中に発生した竜巻か。あれがおさおらく大灰流。油断して近づけば地の底まで引きずり込まれそうだ。
どんどん距離が近づいていく。周囲の灰の流れも急激に速くなりはじめた。
〈距離100地点通過。これより半速まで減速し、ポイント・ダトオルを経由してポイント・ハリオより大灰流に突入します〉
モニターに周辺の地形のマップが表示され、大灰流に赤と緑のポイントがついている。
突入ルートが黄色い矢印で表示された。現在位置から大灰流の裏側に回り込んで緑、「ポイント・ダトオル」を通過後、大灰流に接触しないようにしつつその流れに沿いながら一気に赤、「ポイント・ハリオ」まで降りてそのまま流れに乗る作戦らしい。演算が導き出した、最も安全なルートだそうだ。
「オーロラ3」は急激な流れに身を持っていかれないように大灰流から適切な距離を保ちつつ、ある程度まで半速で接近すると「ポイント・ダトオル」へ無駄のない動きで回り込んだ。
〈ポイント・ダトオル到達。2秒後、ポイント・ハリオまで最大戦速で降下します。激しい身体への重力負荷にご注意ください〉
ポイント・ダトオルは確かに灰の抵抗が少なかった。なぜこの場所だけおだやかなのか、原理はわからない。まもなく重力負荷が来るようだ。舌を噛まないように引っ込める。火星旅行の帰りの大気圏突入を思い出す。あの時はバナナを食べすぎていたのもあるけど吐いてしまった。スカイ・ダイビングやスペース・グライダー・ドライビング、アステロイド・レースにウイング・スーツ、急激に身体に負荷をかける遊びは今となっては飽和状態なほど多種多様だが、自分はレジャーとして割り切れなかった。それがまさか今日、裏目に出るとは。パラシュート降下といい、今日は散々である。
宣告通り、「オーロラ3」はきっかり2秒経過後、今までに体感したことのない速さで降下を始めた。
まぶたが勝手に広がり、目が大きく露出する。顔面が重力によって後ろにひっぱられ歯茎が露になった。傍から見れば顔の骨格がわかりやすく浮き出ているに違いない。そのまま、一切スピードを緩めることなく、「オーロラ3」はポイント・ハリオに入る。入る手前で機体の尻の部分が少し大灰流にかすったがそのままスピードは緩まらない。
〈ポイント・ハリオを通過しました。時間にして0.000002秒、大灰流との機体接触を確認。機体の損傷状況を解析します。解析完了。機体損傷率3%。通常航行には問題ありません。大灰流に乗ることに成功しました。お疲れ様です。徐々にスピードを原速へ戻していきます〉
まだ急激に落下している最中である。目を回してしまって何も見えず、その信号だけを捉えることができた。しかし、信号はキャッチできても意味は理解できなかった。それどころではなかったからである。
ようやくスピードが原速近くまで落ちて、正常に物事を判断できるようになった。後からどっとハルが先程何を送信してきていたかも理解できてほっと胸をなでおろす。
大灰流は乗ってしまえばそこまで急激な速さは感じない。体が多少の速さであれば慣れたのもあるだろう。そういえばスカイ・ハイウェイでハシュメル先輩にフライング・バイクの試乗に付き合ったときも最後はスピードに慣れていたな。
しかしこの大灰流は一体、どこまで流れているのか。いつまで、どんぶらこっこと揺られていればいいのだろうか。
灰とともに流れ落ちながら、押し寄せてくる灰を押しのけ押しのけ進むだけの地味な景色だ。それが変わらいものだからやきもきする。
すると唐突にとぷんと音がして、四方八方に引っ張られていた操縦桿が軽くなった。「オーロラ3」が何かスピードとか流れとかそういうものから解放された感覚があった。
前方を見る。いつの間にかライトが灯っていて白いアームが光ってはっきり見える。だが周りは常闇だ。これこそ本物の黒である。光さえも吸収してしまいそうな黒だ。
何だか渓谷にでも落っことされた気分である。底が見えない。
それに「オーロラ3」がさっきまで泳いでいたはずの、灰そのものが消失している。
だがどこかここは無機質である。空気や水があるようにも思えない。
機器を見ると360度全天周囲を観察できるらしい。
ものは試しだと上に向いたカメラの映像を見てみると
〈え?〉
と、ぼくは思わず、信号を漏らしてしまった。
そこには明らかな境界があった。淡水と海水が決して交わらないように、あの大灰流の太い柱はここまで伸びていない。ミルクが注がれているのをカップの底から見ているように、ここに到達する前に大灰流が運ぶ灰の流れはある一定の場所で何かが作用して堰き止められ、はじかれている。
第12話〈自己とは〉おわり/第13話〈メビウス〉につづく




