第10話〈「朝びらき丸」〉
光があまりもまぶしくて、ぼくは目を開けるまで時間を要した。かたい地面を踏んでいる足の感触がある。トンネルを抜けたはずだ。
ようやく落ち着いてきて下を向いたまま瞼をこじ開ける。ぼくの両足は感覚通り、しっかりと石畳の地面を踏んでいた。うざったらしい超音波をまたキャッチしたがもう慣れた。だが変わらず、景色は白黒のまんまだ。
目の前には銅像が立っていた。
トーガを身にまとい、左手に巻きものを握り、右手は誰かにさしのべられるかのような手つきで空に伸びている。銅像の基礎部にあたる、台座の側面には三つの小さな黒い像が立体的に彫られていて、手をかざしスキャンするとそれぞれ貿易、正義、農業を表していることがわかった。回り込んで前側には何と書いているかはわからないが符号以前の「言語」で文章が刻まれている。スキャンしたが文献が少なく、翻訳の精度も甘いのでその実はわからなかった。ただこの像が「リシュリュー公」という人物を模したものであることはわかった。
銅像の顔を観察するついでに見上げると、ここは空間構造的に縦に長く、上の方でくびれているようだ。何かに似ているのかと考えてみるとそうだ、「砂時計」に似ている。丁度、ここは俯瞰で見れば、超弩級の砂時計の下側で生まれた、空間みたいになっていることだろう。喩えに喩えを重ねるのはよくないが、あえて表現するなら、たまたま地中にできた穴に女王アリが住み着いて少々巣を整えるだけで、自然と拡張していったかのように。偶発的に生まれた町のように映るのだ。
砂時計の上側からは大量の灰が太いパイプを伝って、奥にある灰でできた大海原に注がれている。とすると、「灰時計」のほうが正しいかもしれないが、そんな「灰の海」の水平線には戦列艦らしきシルエットが一つある以外は、数えきれないほどのヨットが浮かんでいて灰の波に終始揺られている。
ぼくは目線を少し手前に寄せる。左右には葉が全て抜け落ち、寂しい樹冠をもつ、後は枯れゆくのみという覇気のない木々が立ち並んでいてその間に道が通っているが先には〈立入禁止〉のテープが張ってあって進めなさそうだ。真っすぐ行くしかないのか。すると何か銅像の左側から灰をこぼしたような場所があるのを見つけた。
左側に忍び寄る。なんと、まだあの足跡は続いていた。一度、トンネルを抜けた時点では一度、消えていたためにもう途切れているものだと思ったのに。
不自然にも灰がその足跡を残すためだけに存在するかのように、石畳の上にぶわっと撒かれていて一筋の道を形作っている。まだ自分は導かれている。
それを相も変わらず、素直に辿っていくと道は崖のようになって、先行して目で追うぶんは途切れているように見える。しかし、足跡はそこで後戻りを指示することもなく、躊躇いもなく、その崖の先の空中でもいざ歩いていかんとばかりに伸びている。身を乗り出さないように注意しながら徐々に崖に距離を詰めていくにつれて、口角は上がり、おびえながら近づいた自分が恥ずかしくなっていった。
それは崖ではなく、「巨大階段」だった。踊り場が顔を見せ始めてわかった。現実だとエリア9に現存する、「プリモルスキーの階段」に似ている。恐らくモデルにしたのは間違いないだろう。上から階段が見えないように錯視を用いた建築がなされているのは趣向に富んでいて実に好みであるがそれに引っかかってしまった。
①にある、「世界の階段図鑑」ではトップを飾っていた。「ロレット・チャペルの奇跡の階段」や「ガルニエ宮の階段」などと並んで世界で最も有名な階段としても異論はあるまい。乳母車なんかが転がり落ちていく画はきっと映えることだろう。
階段を下りた先には教会がぽつんと佇んでいて、左側に白い建物がある以外はほとんど灰の海に直行できるみたいだった。薄っすら灰の海めがけて経路になった、足跡が見える。
ぼくは階段を一段飛ばしで降り始める。灰の足跡は変わらず、滑るように階段の下に向かって残っていたが、本当にぼくがそれをなぞるように降りて行って、漫画のように滑ってはかなわないので少し距離に余裕を持たせて降りていくことにした。
随分と今日はこの短い間に随分と高低差のある旅をした。限りなく終わりに近づいているような気がした。丁度、今、降りている階段は横に長いこともあって楽譜でいうところの五線、それでぼくは音符。そんなふうに想像してみる。この階段の最後には終止線だかフェルマータだかフィーネがあって、ぼくの旅もそこで終わる。そんな気がする。
今度は二段飛ばしで降りてみる。楽譜の比喩を擦るように使うなら、これくらい余裕のある音楽のが好みだ。躍動感や力強さがあっていい。階段に並立する木々の隙間からケーブルカーのようなものが見える。この階段は半分以上、来たにしろ、目算だが総計200段近くありそうであるから、あれならすぐに降りれそうでいい。だが観光ではないし、たまには歩いてみるのもいいものだ。
最後の数段は着実に一段一段刻みながら降りてみた。テンポ感は皆無だが綺麗に降り終えることができそうだ。ぼくにとって『アーカイブ・ゾー』は一種の抒情詩的側面を持つのは間違いなかった。それは記憶管理施設が脳内にピンを指している時点で当たり前のことなのだが。それを⑧は如実に表している。ここは⑧に違いないのだが、何もこのフロアにある要素のみで形作られてはいない。多数のフロアが互いに影響し合って、自然に一つの空間を形成している代表的な存在となっている。これほど手を加えないでいると、脳はこのように自由に空間に変容をもたらすのか。もっと深いところまでいける希望を抱く。自分の脳だから深く接してきたから知った気になっていたが、どうやら知らない部分だってまだまだあるらしい。さっき階段を降り始めた当初は旅は終わる予感がしたが、すぐに訂正しよう。最深部で「言語史」のテキストをこの手に握ったとしてもまだ旅は終わらなさそうだ。きっと死ぬまでぼくの「探求」の旅は続く。
かなり段数があったが、ついにぼくは階段を降り終えた。足跡は防波堤に向かって伸びている。防波堤に白い灰の波がうちつけて飛沫をあげている。
ぼくは淀みなく、すぐさま足の先をくるりと防波堤に向ける。
足跡に倣い、教会の横を通過すると、防波堤の先に到達する前に、堤の真ん中あたりで今度こそ消えていた。とりあえず最後まで辿ってみる。
足跡が止まった箇所には〈ヨーソロー!面舵いっぱい!!〉と書かれたプレートが落ちていた。面舵とは右へという意味だったよな、と右に目を向けると右側から示し合わせたかのようにぬっと黒い鉄の塊が灰の中から浮かび上がってきた。なんてぴったりなタイミングなのだ。
それは潜水艦だった。自動的に白い橋が防波堤へ架けられる。
セイルのすぐ後ろにある丸いハッチが開いて、軍帽を被った人物が顔を出す。目の周りには小皺がより、カイゼル髭を蓄えている。目のあたりといい、顔立ちはぼくを老けさせたような顔に似ていたが少し纏うオーラや放つ雰囲気はかなり差異がある。肩と襟には二つの星が輝いていて、胸には〈ゾー〉と刺繍されている。
〈中佐だ。ゾー少尉、何をぼけっとしておるのだ。早く乗りたまえ。不本意ながらわざわざお前さんを迎えに馳せ参じたのだ〉
出てきたのはあの中佐だった。やはり直接会って交信するとそのすさまじい気迫がびんびん伝わってくる。そもそも実体を伴う存在だったのか、という驚きも跳ね飛ばすような覇気である。
自然に身体はそのような動きを覚えていないはずにも拘わらず、軍隊式に居直ってしまった。それにしても、さっき輸送機で自分を落としておきながら今度は潜水艦に乗って現れるとは忙しい人だ。
〈ええっと…〉
ぼくがその気迫に圧され、戸惑っていると鼻息を荒くして中佐が再び信号を送ってくる。
〈交信なら中でだ。本艦は直ちに出航せねばならぬ。お前さんも軍人だろう。まだ訓練兵時代の脆弱さが抜けんと見えるな、情けない。遅滞なく任務を遂行すべし〉
〈はあ…〉
なぜか説教されている。一体、この中佐とやらは何者なのだろう。
――実体を持っていてコミュニケ―ションがとれそうな分、プログラム上の存在ではないのか?少なくとも原則、設定された問答以外できないと思われるハンド以上である。
〈さあ、少尉。私の手につかまりたまえ〉
中佐がぼくに向かって手を差し伸べた。軍人じゃないんだけどなあ、と思いながらもぼくは応じるがままその手を掴む。中佐はぼくの手を確かに握るとぐいっと力いっぱいぼくを引き寄せた。
すると中佐の指先に触れた瞬間、そこからぼくは色づいていった。時間をかけながら手から顔と体へ順に色に染まっていく。ぼくは色を取り戻していく。不思議な体験であった。はてと困惑していると中佐がこっちだと手招きした。
白い橋をぼくは中佐にエスコートされながら渡る。
中佐は搭乗するための梯子、すなわちラッタルを先に降りるよう指で勧めた。
ぼくはそれに応じ、ラッタルを降りる。ぼくが降り終えたのを確認すると、その後に中佐は降りてきた。
ラッタルはダイレクトに発令所に繋がっていた。発令所とはつまり、船の中心部である。
やけに複雑な計器が並んでいる。船は海を泳ぐ精密機械である。当然だ。
真ん中には潜望鏡がずどんと立っていてやはり存在感がある。一度、覗いてみたいものだが叶うだろうか。
左側にはハンドルが備え付けてあって操舵席がある。ぼくはフライング・バイクの免許しか持っていないからおそらく運転は無理だろう。その手前は手をかざしスキャンすると注排水管制盤、機械操縦盤というらしい。ちょっとやそっとじゃ触れられない。
右手にはディスプレイが複数並んでいて、スキャンするとソナー探知機らしい。
中央にあるモニターには潜水艦の全体像が映っていて魚雷の残弾数やどの部分のハッチやバルブが開いているかなどがわかりやすく表示されていた。
中佐は潜水艦の床を踏むと間髪入れずに、〈ゾー中佐として、艦長の権限を実行する。潜航準備!ハッチ閉鎖!〉と指示を出した。さっき自分が通って来た、ハッチが自動的に締まり、からくりが作動してロックされる。
中佐以外に搭乗している人間はいなかったため、基本的に信号認識でオートで行われているらしい。
〈ハッチ閉鎖確認。順次、潜航開始!〉
さらに中佐は呼びかける。潜水艦が動き始めたのが振動でわかる。
中佐はしばらく待ってから〈ベント開け、メインタンク注水開始〉とさらに追い打ちで指示を出した。
ザーっと何かが注がれていくような音がしてなんとなく、潜水艦が沈んでいっているのがわかる。中佐は中央モニターによって船の状態を確認すると、
〈ダウン5度調整、右2度修正せよ。そのままの体勢を維持し、そのまま最大深度6000まで原速で潜航〉
と指示を出した。少し潜水艦が傾く。指示を出し終えたようで中佐はこちらに顔を向けた。
〈少尉よ。まずは「朝びらき丸」へようこそ〉
中佐は澄ました顔で握手を申し出てきた。ぼくはそれに応じ、その差し出された筋骨隆々、ごつごつした中佐の手を包み込むようして手を握る。やはりぎゅっと力強く握りこまれた。
〈どうも。「朝びらき丸」……ですか?〉
〈この潜《《灰》》艦の通称だ。私がつけた。曽八百二十八型潜灰艦の一番艦じゃあ固いだろ?だから「朝びらき丸」だ。こいつはおんぼろながらよく動く〉
「朝びらき丸」の壁をぽんぽんと叩きながら中佐がそう発信する。息子のかけっこの速さを自慢する父親のようだ。なるほど、水じゃなくて灰に潜るから潜灰艦か。その潜灰艦に「朝びらき丸」とはやけに爽やかな名前を付けたものだ。なんとか「丸」なら帆船なんかにつけがちなような気もするけどそれを指摘するのは野暮ってもんだ。セイルだって元を辿れば、帆の意味があったはずだし、ぼくがあえて記憶管理施設の建設時に『ライブラリー・ゾー』じゃなくて『アーカイブ・ゾー』と命名したように強いこだわりがあるに違いない。やはりこのセンス、似ている。
〈ああ、この船の名前が「朝びらき丸」なんですね。…では、その「朝びらき丸」は現在、どこへ向かって潜航中なんでしょうか?〉
〈さあてな。自分の胸に訊いてみればわかるのでは?〉
中佐が自身の立派な髭を触りながら悪戯っぽくそう発信する。
自分の胸に訊くか。ぼくの目的。それは勿論。「言語史」を求めてだ。
〈…ぼくは最深部に。ただひたすらに「言語史」のテキストを求めて最深部に向かっています〉
〈任務の全容は平易にも把握はしておるらしい。まったく深灰層のそのまた下に御用があるとは困ったお客さんだよ。最深部には従来の何十倍の重力が全身にかかる「重力の牢獄」がある。私が付き合うのは手前までにしても、一向に乗り気がしない。唐突の方針転換であるしな。だが上からの命令だ。職業軍人が一人として、任務は全うする。ところで、コーヒーでもどうかね?〉
そういえば、発令所奥からコーヒーの香りがここまで漂ってきている。
〈あ、いただきます〉
ぼくは反射的にそう回答した。
〈ミルクは?〉
〈いえ、ぼく飲めないので〉
〈まあ私も飲めんから備えはないんだがな。砂糖は多めに入れておくぞ〉
〈ありがとうございます〉
すぐに中佐は慣れた手つきで花柄のカップにコーヒーを淹れてぼくのところへ持ってきた。ぼくはどうも、と会釈をしてそれを受け取る。
中佐がボタンを押すと、下から小机と椅子が出てきた。
かけたまえ、と中佐が顎をしゃくる。ぼくは椅子にそっと腰かけた。
一口啜ると甘ったるくて丁度いい。ほのかなコーヒー豆の香りが鼻を抜け、乾いた喉をとろけてしまいそうなほど優しく癒してくれる。②のキッチンでぼくが確立した黄金比により、この適当な甘さは成立している。
――ぼくが普段、現実で淹れるものとそっくりだ、なんて夢中になってしまっている場合じゃない。
せっかく目の前に自分と同じ名前の〈ゾー〉を名乗り、この脳内の⑧で生活している者がいるのだ。
カップを小机においた。
〈中佐。あなたは何者ですか?〉
思い切ってぼくは訊いてみる。なにせ中佐はこの『アーカイブ・ゾー』に出現した、初めての本格的な意思疎通が可能な存在である。先ほどの輸送機で初めてその存在を知覚したときは驚きはしたが、ほとんどぼくと特徴の似通った信号を持っている点や、対面したときから風貌も自分とかなり似ている点から、ときどきぼくが自分の信号をたまに見失うような現象に襲われるのと同じくして潜在的な二面性の分離の結果に生じたものと考察は落としてはいるが、正体を明白化しないと全面的に信服は置けない。
ぼくを物理的拘束もしくは排除しようとしてこないことや本来は不必要である本人への直接的かつ重度な干渉を試みてきたことから、中佐がブレインハッカーの類に該当しないとは九割方思っているが、場合によってはそう考える必要性が求められる。
〈軍人だよ。名前はゾー。所属は連邦軍第八基地だ。主な役職は「朝びらき丸」艦長兼「レッド・ドラゴン」機長。階級は中佐。出身はここ⑧。趣味は映画鑑賞と天体観測だ。嗜好品はコーヒーとドーナツ。その他諸々の情報は軍事機密とさせていただく。それとも何かね。哲学的問答はお断りだよ〉
ぼくが真にほしい答えではなかったが、趣味や嗜好品までも同じだ。どう考えても、中佐はぼくがモデルになっている。伝えたい内容を信号化することは難しい。ただ、なぜ中佐のような存在がぼくの『アーカイブ・ゾー』の⑧に存在しているのか、それについて可能な限りの情報が欲しいのである。
〈ぼくが訊きたいのはあなたの存在についてです〉
これならばどうであろう。やや哲学的な響きを伴ってしまってはいるが。
〈やはり形而上学的命題じゃないか。私はたしかにその分野について書斎には本が何冊かあるし、探求活動自体は嫌いじゃないが、それについて明確な答えは持ち合わせてはいない〉
存在について疑問を呈すのは非常に失礼だ。なぜあなたは生きているのですか?、と尋ねることは無駄に反対解釈を招き衝突を起こしかねない。どのように尋ねればほしい答えがもらえるか。符号を並び替えなければならない。
――ここは一度、泣きついて見よう……教養も深いようだし、この中佐なら固い考えをほどいてくれるかもしれない……
第10話〈「朝びらき丸」〉おわり/第11話〈可能性の神秘〉につづく




