長寿
「大お爺ちゃん!200歳の誕生日おめでとう~!!」
「みんなぁ~、ありがぁとぉ~。と~っても嬉しいよぉ~。」
西暦2200年。私は世界で最も長寿であるとしてギネス記録に登録され、その記録を更新し続けている。西暦2000年の20世紀生まれ。200歳の誕生日を大勢の子孫達にお祝いをされている。とは言っても私の子、孫はすでに全員が亡くなっている。一番近い血筋であっても70歳下の曾孫の130歳である。この130歳でも十分に長寿であると言えよう。
世界の平均寿命は2050年までは順調に伸びていったのだが、2050年に遺伝子工学の権威が
「人間は単体で132歳までしか生きる事ができない」
という事実を発見し、それに共鳴するかのように平均寿命の伸びが止まる。女性のみであれば平均寿命が100歳を越える国や地域はあるのだが男性も混ぜた平均寿命となると100歳の壁は突破できなかった。中国では【平均寿命が100歳を越える奇跡の村】のような取り上げられ方をする村や集落が定期的に出てくるが、調査をしてみると村ぐるみでの虚偽であるケースが続いており、すでに信用を無くしている。
西暦2200年の現時点でも平均寿命は100歳を越えていない。医療や科学技術の発展により100歳を越えて生存する比率こそ上がってはいるが、同時に若くして身を持ち崩したり、不摂生により病死してしまったり、自殺したりと若年層の死も多い。種としての根本的な賢さの壁を乗り越えないと平均寿命100歳の壁は越えられないのだろう。
個々人として長寿の話をすると2050年に発表された種の限界点132歳にもやはり明確に壁があった。私を除き132歳に到達できたのはわずか2人。その2人も132歳で亡くなった。131歳で亡くなったのは全世界で数百人はいる。明らかに133歳に踏み入れる事の出来ない何か要因があるのだろう。発表された遺伝的な要因なのか。それとも記録更新の期待や死に対する不安といった精神的なプレッシャーで亡くなっているのかは分からない。とにかく、私の愛すべき曾孫も130歳。あと1~2年の内に亡くなってしまうであろう事に深い悲しみを感じている。
私が200歳である事に。ひいては私が133歳となった時点から、私の年齢には世界中から疑惑の目が向けられた。実年齢を詐称しているのではないか?別人物と入れ替わっているのではないか?アンドロイドを生きている風に見せかけているだけではないのか?様々な噂に対してその調査が入るが、私はただただ健康的で若々しい老人なだけであり血縁と一緒に大所帯で暮らし続けている。共に過ごす家族と一緒に撮り続けてきた写真も200年分保管されている。更に国からも世話役の人物が帯同しており、ここ70年程は私個人にカメラの密着取材が入っている。私の動向の大部分は世界中へ生配信で流され続けているのだ。
TV放送中に玄孫の一人が「大お爺ちゃんは我が家の仙人様だよ」なんて言ったもんだから私は日本中、世界中から仙人と呼ばれその長寿が広く認められている。
「70年間ぐらい毎日見てます!」
なんてヨーロッパから来た100歳ぐらいのパワフルなお爺ちゃんが観光地感覚で私を訪ねて来ることも珍しくない。TVや配信の力は偉大だ。そして私が世界中の人に力を与えられているなら本望である。
2024年。私は24歳で大学院の時に同級生と学生結婚をした。奇しくもその大学での卒業論文のテーマは長寿に関する遺伝子を見つける研究であった。その論文は一定の教授陣に認められ新聞や雑誌に顔写真が載るほど評価されたのであるが、それは私の長寿とは何も関連性が無い。その遺伝子は女性にしか存在しないものであったからだ。しかし皮肉な事に妻は29歳で突然亡くなった。その後は幼い2人の子育てをしながらその日を生きていく事に必死であっという間であった。子が巣立ち、孫を連れてきて、孫が育ち曾孫を連れてきて、曾孫が育ち玄孫を連れてきて、、、穏やかな暮らしが長く続くのだが、やはり毎日思い出すのは妻と一緒に過ごしたわずか5年の生活。私の年老いた脳の中に燦然と輝いているのであった。
私が長寿である事。それは妻と一緒に描いた壮大なズル。
話を戻す。妻が妊娠した24歳の頃、私は産まれてくる子のためにも大学院で長寿遺伝子の研究を完成させるべく研究室に籠っていた。2時間毎に数十本の試験管の遺伝子を検査しなければならず、先の見えない研究に体力も精神も限界に近くなってきた。
ある日の深夜、私が実験のため照明を落とし、独り研究室で研究をしている際、薄暗い中でそれは私の目の前にやってきた。
それは当初、妻に見えた。ただしそれは妻の形をした別の何かだった。親しい人物に化けて出てきたのであろうが、だからこそ私に強い違和感を抱かせたのである。
「ねぇ その長寿遺伝子の研究成果 頂戴」
妻は同じ大学であったが大学院進学はせず、すでに卒業しており、私の研究には一切関わっていない。自宅で相談や愚痴レべルであるなら研究に関してのやり取りをするが、妻は研究内容に全く興味すら無い。特に最近はお腹が膨らみ、子が腹を蹴ったなど、専らの話題は我が子の事であった。
「ねぇ その長寿遺伝子の研究成果 頂戴」
これは絶対に妻では無い。お腹も膨らんでおらず、瞳孔が完全に開いており、声も抑揚が無く機械的なものを感じさせた。
「ねぇ その長寿遺伝子の研究成果 頂戴」
私は恐怖した。これは2024年現在におけるこの世の物ではない。霊か、未来から来たのか、宇宙人か、妖怪か、、、この場で死を覚悟する。
…幸い交渉は可能のようだった。コピーでも構わないようで、その人外の何かにとって必要なデータさえ手に入れば問題ないようだ。この成果を後に私が世に論文として出しても構わないらしい。
「ありがとう お礼に¶φ☬σЮ仝の能力 あなたに授けてあげる」
私が差し出したコピーを受け取ると、人外の何かはそう言い、踵を返し、暗闇の廊下へ消えていった。
…助かった
ただただ殺されなかった事に安堵した。もうすぐ子供が生まれる。研究も正念場だ。家族のためにも死ぬわけにはいかなかった。何かを私にくれると言い残して去っていったが、私は五体無事に見逃してくれただけでも十分であった。
その日、研究を続ける気分ではなくなり、夜中に自転車をキィキィと漕ぎ自宅に向かう。横を通り過ぎる車が時速100km程の速度で近くを ぶぅぃぃぃん! と通り過ぎる。そんなことで一瞬でも死を感じた事が可笑しくなり少し笑ってしまった。緊張で手や首がガチガチであったことにようやく気が付き、一息深呼吸を吐いた。
いつも通る道にある家、そこの前の道路を通ると昼夜問わず中の犬が吠える。だがその日はやけに高い声でワフンワフン!と吠える声は聞こえたがいつもの犬と鳴き声が違う。前の犬は亡くなったのか?
何か違和感がある。どこかいつも通る道と雰囲気が異なる気がする。自転車を漕ぐ事も朝より随分と疲れる。変な存在に出会った事から精神に異常をきたしてしまったのだろうか?
「ただいまぁ。」
「オカエリナサイ」
「その声どうしたの?」「ソノ声ドウシタノ?」
深夜ではあったが妻は私が自転車で帰宅したことに気づいて玄関に迎えに来てくれた。ただ妻の声がヘリウムガスを吸ったかのように高く、早口言葉のように速い声で、あたかも動画の倍速視聴をしているかのようであったので私は尋ねた。同時に妻も私の声について尋ねてきた。
妻が速く高い声で言う。
「声、遅クシテ低クシテルノ?」
成程…。あの人外の何かが私に授けたであろう能力に当たりがついた。おそらく、時間の進み方が変わる。私からすれば周りが倍速で進み、妻を含む周りの世界からすれば私は半分程の速度で進んでいる。時計の秒針の進みが明らかに速い。確かに長く生存することこそできるだろうが何かが違うような気がする。罰ゲーム?しかし、妻がえらく楽し気な様子で
「色々検証してみようよ!」
身重な体で深夜なのだから休んでいて欲しいのだが、妻のスイッチがオンに…どころかぶっ壊れてしまったようで、朝どころか昼過ぎまでぶっ通しで色々な検証に付き合わされた。まぁ私からすれば6時間程度なのであるが…
声のHzの計算に関しては対数計算である。隣の音階のHzを求める際には足し算でなく毎回掛け算を行なわなければならない。計算には √2 (12乗根2のn乗)を用いる。ラの440Hzをfとすると、1オクターブ上のラは12進み √2f=2f=2×440Hz=880Hz、Hzは2倍となる。
ラの隣のラ♯であれば √2f≒1.06×440Hz=466.16Hzと言った具合で計算で求めることができる。人の可聴音域は20Hz~20000Hzなので10オクターブ近くまで聴くことができるのだ。加齢によって耳の神経がへたっていなければという条件こそ付くが…。
さて、この実験を行い、私の体感時間が回りと比べてどれ程の比になるのかという事を嫁と一緒に探る。再生時間が分かっている曲や物理現象の時間、また上記のように音の周波数Hzのドップラー効果からアプローチをかける。結論は1:2。時計の針の進みでの確認で十分な気はしたのだが、妻はこれまで聴いてきた私の声と同様に聞こえるようにしたかったようで、私に速く高く声を出す練習を課した。私は恥ずかしかったのだが、そうする事でようやく聞きなれた私の声になるのだと妻は言った。私も妻に遅く低く声を出してみてくれと頼んだのだが、妻が途中で笑い転げてしまって断念した。妻は涙目で
「あはははっ。可っ笑しい。これ私とあなたが反対で、私が声低くなってあなたが声高くなるんじゃなくてまだ良かったね!」
と言い、変なテンションのまま二人で笑いあっていた。
「あ~ぁ。私の方が先に死んじゃいそうだよね。私があなたの長寿遺伝子の研究の恩恵を真っ先に受けて長生きして、あなたの死を看取りたかったのになぁ。」
その日からは私の周囲の動きが倍速で進む世界を生きる。私と妻だけの秘密。そのための私の訓練は過酷であった。妻も出産と子育てで消耗をしている中であっても私達夫婦は秘密の訓練を続けていた。大変ながら妻と2人でずっと楽しかった日々である。そして女性の長寿遺伝子の論文が世界的に認められた年に妻が急逝する。お通夜、お葬式と私は妻の死を悲しみ泣き続けた。しかし、私には妻に代わりやる事があった。妻の思い出を持ち長く生き、妻を未来へ連れていく事。妻の育んだ結晶に愛を与え大きくする事に注力したのである。
そして24+88+88=200歳の誕生日を迎えた私は、実質は24+88=112歳である。私には夢がある。このまま体感年齢でも132歳を越え133歳へ。その時、世間では24+109+109=242歳、つまり2242年まで妻を連れていくことが私の目標なのである。2029年にわずか29歳で亡くなった妻に
「ズルして長生きしてたんでしょ?」
とあの世で揶揄されないように。
「しっかり132歳の壁は自力で破ったよ」
と言うべく。
あとたった42年だから待っていてくれ。