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訳も分からず開いたトイレのドアの向こうには、こじんまりとした木造アパートの一室が広がっていた。部屋の中央には丸いちゃぶ台。昭和時代を切り取ったかのような室内に、窓の外には下町のような風景が広がっている。窓から差し込んだ夕日が室内を鮮やかな朱色に染め上げていた。地下鉄みたいな名前の宇宙人か、20世紀に焦がれるアベックでも住んでそうな部屋だ。
部屋中央のちゃぶ台には二つの影。一人は大柄なスキンヘッドの男、もう一人は特徴的な大きな眼鏡をかけ、髪をお団子状にまとめた若い女性だった。二人とも軍服のような装いをしている。
「え、あぇ、は……?」
言葉にならない搾りかすみたいな声が漏れる。
え、ここトイレじゃ……? そもそも間取り的にこのサイズの部屋がここにあるなんてありえなくないか……?
「ようこそ幸平君。我々は君が来るのを待っていたんだ。さ、生芽君も」
「は、はぁ……」
害意は感じない。促されるまま部屋に上がってしまう。
「それで貴方達は一体……?」
「おっとこれは失礼、僕は『箱庭』の第357428支部の代表を務めている南雲一だ。こっちは職員の水木君だ」
「水木ほとりです。以後お見知りおきを」
「ど、どうも……。あの、『箱庭』って一体……?」
「君に分かりやすい表現を使えば秘密結社みたいなものさ。在るだろ色々フリーメイソンとか、イルミナティ、三百人委員会、そういった組織の一つと思って貰えばいいよ」
秘密結社なんて聞くと黒タイツの戦闘員を思い浮かべてしまうが、世界征服でも目指しているんだろうか。
「そう身構えないでくれ。別に君を改造人間にしようなんて気は無いさ」
「前置きは良いから早く本題を」
いつのまにお茶を淹れていたのか、湯気のたつ湯呑を慣れた様子でちゃぶ台の上に並べ、そのまま俺の横に座った。…………なんだか距離が近いな……。
「生芽君ありがとう。気が利くねぇ。お、茶柱だ」
「お礼は良いから早く話を進めて? その為に幸平をここに呼んだんだから」
「わかってるって、えーどこまで話したっけ? そうそう我々『箱庭』の仕事は、世界の記録をとること。アカシックレコードの記録係なんて呼ばれ方もするね」
「アカシックレコードって……あの?」
「そう宇宙の始まりからその全ての現象が記録されているというそれさ。まぁ実際は巨大なハードディスクみたいなものなんだけどね。我々はその超巨大なハードディスクに世界の全てを記録するのが仕事なのさ、人の生き死に、雨粒一つ一つの形状、一本の木から一日に散る葉の数、あらゆる情報を原初から記録し続けている。君の住む世界とは違ういわゆる異世界を含めて、ありとあらゆることを記録しているわけだ」
正直信じられない話だけど、俺が今トイレのドアをくぐってここに居ること考えれば信憑性はある気がする。
「それでその秘密結社が俺になんの用が?」
その問いかけを待っていたと言わんばかりに、南雲と名乗った男はたっぷりと間を溜めたのち、信じられない提案を切り出した。
「おめでとう、須賀幸平君。今日から君は主人公だ!」
「え、無理っす……」
「えっ?」←スキンヘッド
「えっ?」←俺
「「えっ?」」←スキンヘッド&俺
何とも言えない気まずい沈黙。
「あ……! なるほど、なるほどね。ちょっと待ってね! 水木君! ごににょごにょ」
「はぁまぁ良いですが……ぽちっと」
水木さんが手元のリモコンを操作すると、周囲が歪み、別の景色に切り替わっていく。これはホログラムってやつか!? 部屋全体が立体映像なのか……!
そして数秒後には周囲の景色は様変わりしていた。
「路地……?」
そこはごくごく普通の住宅街の路地。夕日の射し込むロケーション。
南雲さんは夕陽を背に立つと力強い声音で俺に語りかけた。
「君は――主人公になれる!」
「いや別にシチュエーションが気にいらなかった訳じゃ無いんすけど……」
そんなこれから俺が最高のヒーローになるまでのアカデミックな物語が始まりそうな雰囲気出されても困る。
再び景色が切り替わり先程のアパートの一室へと戻された。
「君、本気で言ってるのかい? 主人公になれるんだよ? 君くらいの年頃なら二つ返事しても良いだろう!?」
「そりゃ興味は惹かれますけど……絶対向いてないといいますか……」
「向いてない、向いてないって君……」
信じられないものを見るかのような視線を向けられている。興味もあるし憧れもある、なんなら妄想もするけれど実際になれと言われればそれは話が別だ。
「ね、幸平って変わってるでしょ?」
何故だろう女子に変わってるって言われると『キモッ』をオブラートに包まれて言われてる気がするのは。
「水木くぅ~んっ!」 このままじゃ計画が! 何とかしてくれよぉ! 」
ネコ型ロボットに頼る少年のような声をあげるいい歳をしたおっさんに対して、水木さんは大きな溜息と共に、隠す気のない舌打ちをキメた。
「須賀幸平さん。説明だけでも聞いて貰えますか?」
「まぁ話くらいなら……」
何にせよ状況の把握はしておきたい。話くらいは聞いておこう。
※※※
水木さんは眼鏡の縁をクイっと上げると俺を主人公に勧誘したという事情とやらについて語り始めた。
「ではまずこちらをご覧ください」
促された視線の先では秘密結社の代表を名乗るおっさんが新人ADのようにクリップボードを準備していた。そのクリップボードにはお世辞にも上手いとはいえない大きな木のイラストが描かれている。
「これが現在の世界の構造を現したざっくりとした図になります。あらゆる世界を多次元的に観測した場合、このような大樹のような構造として観測することが出来るのです。詳しい話は置いておくとして、この細く枝分かれた枝の先の一つ一つの《世界》が存在し、その数は途方もありません。それぞれの《世界》は、枝を通じて大樹から存在する為のエネルギーを得ています」
「なんか北欧神話の世界樹みたいですね」
「須賀幸平さんは意外と博識ですね。不思議なことにこの大樹のような世界の構造は、ある程度成熟した世界では細部は違えど似た図や、立体物、神話や逸話が現れています。恐らく精神が《世界》と近しい人間が同じようなインスピレーションを感じとりそれが伝わっているのでしょう。大変興味深い点ではありますが、今は話を戻しましょう。現在あらゆる世界に共通する大きな問題が起こっています。世界と大樹をつなぐ枝の繋がりが弱まる事例が多発しているのです」
「つまりエネルギーの供給が少なくなってるってことですか?」
「そうです。さらに現在進行形でその繋がりは虚弱になりつつあります」
「それって供給がなくなったり、極端に少なくなったらどうなるんです?」
「世界はバランスを欠き、戦争、飢餓、未知のウイルスの蔓延など原因は様々ですが、世界は荒廃し、いずれ滅び、世界ごと消滅します。須賀幸平さんにはそれを食い止める為に我々の実験に協力して頂きたいのです」
「お、俺に、世界の崩壊を食い止める主人公になれと……? む、無理無理無理っ!? 絶対無理ですよ!?」
スケールが思っていた1000倍くらいデカかった。
話は聞いたものの俺の返答は変わらずNOである。勝手に首が小刻みに横に触れる位には拒否反応が出ている。
「はい? いえ別に須賀幸平さんにそんなことは頼みませんが……?」
「でもさっき主人公なって欲しいって……」
「確かに言いましたが、主人公は主人公でも須賀幸平さんになって頂きたいのは《ラブコメ主人公》ですから」
ラブコメ主人公…………?