3-7
最寄駅から家へと向かう道中、絶妙な気まずさが漂う中で生芽が口を開いた。
「幸平……、今日はごめんなさい……」
「何だよ、急に……」
「だから、その……今日迷子の男の子がいたでしょ? あの時私、幸平に無神経なこと言ってしまったかもって……」
「生芽は正しいことを言っていたし、正しい行動をしたんだから謝るのは違うだろ」
「なら……良いのだけど…………。幸平、私は――――」
生芽が何かを言いかけて止まる。
「幸平、あれ……」
その視線の先には奇妙な風体をした男が佇んでいた。何故か研究員のような白衣を身に着け、道の中央に陣取っている。。
「何だ、あれ……」
不気味だがこの道は一本道、避けて通ることは難しい。ここを迂回するとなるとかなりの遠回りになってしまう。
「さっさと通り過ぎよう」
「そうね、それが良いわ」
目配せをし、二人で足を速める。
「あれぇ……? もしかして貴方、須賀幸平さんじゃありませんかぁ?」
すれ違いざまに男の口が動いた。粘つくような喋り方だった。
「えっ……」
名前を呼ばれ反射的に振り返ってしまう。
「やっぱり! いやぁ僕、ここでずっと貴方を待ってたんですよ! だってあなた主人公なんでしょう? 凄いなぁ! 生で主人公を見れるなんてそうそうありませんからねぇ!」
「あの貴方は一体……」
「幸平、こいつ危険だわ」
「それってどういう――――え?」
目の前が点滅したかと思えば地面が目の前にあった。え、何だこれ、地面? 何で? これ俺、倒れてるのか? 理解が及ばぬまま自分が倒れていることを認識した直後、後頭部から軋むような痛みが広がる。
「――――ッァ!? っつゥ!? え? は!?」
頭を踏みつけられている……?
俺はいつの間にか現れた黒いスーツを着込んだ大男に頭を踏みつけられていた。グリグリと靴底が捩じられる度に、ゴリゴリと地面と肌が擦れる嫌な音が響く。
「幸平ッ!? 大丈夫!? 離してッ! 離しなさいッ! ……あぁそんな血が出てる……早く手当しないと……」
頭蓋骨を圧迫する痛みの中、視界の端で生芽が大男に羽交い絞めにされているのが見える。
「あらぁ? あれれ? 須賀幸平さん、主人公ですよねぇ? こんな簡単にやられちゃって良いんですかァ? うーん、仮にも主人公っていうから万全に準備したんですけど取り越し苦労でしたかねぇ?」
白衣の男がわざわざ腰を折り曲げ、踏みつけられている俺の耳元で喋りかける。心底馬鹿にしたような嘲笑まじりの話し方だ。
「……ハッ……、ヒッ……あ、あんた一体…………」
「僕? あぁーそういえば名乗って無かったですね。改めましてこんばんは、須賀幸平さん。僕は白井金嗣、君が主人公なら、僕は悪役と言った所でしょうか」
男は自らを悪役と名乗った。
この世に主人公が存在するのなら、敵対する悪役が居たっておかしくない。
何故、そんな単純なことに今まで気が回らなかったのだろうか。ラブコメ主人公なら危険なことはないと思ったから? 考えても仕方がない。なにせ目の前に悪役を名乗る男が現れてしまったのだから。
※※※
俺と生芽の前に現れた男は確かに悪役と名乗った。
「あく、やく……?」
「はぁい、そうです。でもぉ凄く凄く残念です。あの『箱庭』が選んだ主人公がこんな何の取柄もないガキだったなんて……」
悲しそうな顔をしながら白井は俺の腹部を何度も何度も蹴りつける。
「ぐゥ――ッ!? オェッ、かはッ――ッ……」
肋骨が軋み、痛みに涙が零れる。
「幸平ッ! 大丈夫、大丈夫よ! 今すぐ私が助けるから――ッ!」
「折角苦労して『箱庭』のコンピューターにアクセスしたというのに、こんな下らない実験をしているだなんて……」
「貴方……何故『箱庭』のことを知っているの? この世界の人間は存在すら知らない筈……」
生芽が白井を睨みつけながら問いを漏らす。
「そんなの決まっています。僕が天才だからです。僕は選ばれた存在なんですよ」
「……答えになって無いわ」
「教えても理解できないでしょうから」
「そう……では貴方の目的は何? 今すぐ幸平を開放しなさい!」
「良いですよ」
すんなりと白井は要求を了承する。
「ただ条件があります。神楽生芽さん、我々と共に来てください」
「それで、幸平は解放してくれるのよね……」
「えぇ正直彼には興味はありません。貴方の方がよっぽど価値がある。貴方は『箱庭』が創り出した人造人間というじゃないですか。是非とも研究したい。この世界の科学では無しえないオーバーテクノロジーの塊だ! 貴方の意志は何処からやってきたのか? 『箱庭』は魂をも錬成する技術があるのでしょうか? ふふっ、ふふふっ! 知的探求心が止まりませんよ!」
「貴方達、主人公に手を出してどうなるか分かっているの? 悪役だかなんだか知らないけど……きっとすぐに幸平が…………………………幸平、が……?」
俺を見た生芽の声に迷いが帯びる。
「須賀幸平さんが、どうするんですって?」
男がつま先で俺の頭を小突く。
「アッ、ヒゥ、や、止めて……止めて下さいぃ……もう嫌だ……止めて……助けっ…………ぅうう許して……許して下さい……っ、ごべんなさい……ごべんなさい……許して……助けて…………もう嫌だぁッ……勘弁して……、なんでナんでなンで俺がこんな……どうして…………っ」
何もかもが限界だった。
折れてはいけない何かが折れる音が聞こえた。
「なんて情けない……神楽生芽さん、貴方の主人公さんはなんとも情けない……。私にはこれが主人公には見えませんね」
情けなく許しを乞う俺の姿に、生芽が明らかに動揺を見せた。
「そ、そんなこと……! だって幸平は主人公で、主人公だから……幸平は、主人公なんだから…………!」
「その主人公さんは一体何処に行くんでしょうねぇ」
「…………えっ?」
「わぁ……! その表情、とっても素敵ですね。まるで本物の人間みたいだ!」
生芽はその時、何を思ったのだろうか。
生芽はそれを見て、どんな表情をしていたのだろうか。
生芽はどんな気持ちだったのだろうか。
俺が知る由もないし、知る権利すらない。
体が自由になった瞬間、俺はその場から逃げ出していた。
怖くて、痛くて、怖くて、どうしようもなくて。
わき目も降らずに、ただの一度も振り返ることなく。
呆れるほどに情けなく、転がるように。
ただただ我が身可愛さに、その場を逃げ出したのだから。




