第二章8 『呪い』
―――茫洋とさまよう意識の存在。手に脚、目や舌といったいずれの感覚も失われ、ただただ浮遊している事だけが分かる。
「全く、ワシの身内は襲わないように言ったんじゃが・・・。ぶっ飛ばされてるし、説教は後日かの」
「ゼクサー君は大丈夫でしょうか?」
「息子なら大丈夫じゃ。腐っても山の神様の眷属の瘴気じゃが、自分でぶっ飛ばすくらいならそこまで強い毒は貰ってないはずじゃぜ。まぁ、もしものこともあるし後で薬草食わせとくか」
「今はこのままでいいんですか?」
「中でしなさい。外は霊獣よりも虫刺されの方が面倒じゃ」
ぶっきらぼうでありながら、優しさを感じさせる声と脳髄が滴り落ちるような癒しの声が響く。
オレが見える世界には、地面もなければ地平の果ても見えない。ただひたすらに闇が広がり、漆黒に染められ、影がオレの意識以外の全てを覆い隠している。
「――― 」
ふと声ではない声が聞こえた。男でも女でも子供でも老人でもない。そもそも人語ではない、文字通り別の世界の言語だ。超特異次元に近い性質を持った声だった。何を言ったのかは分からない。友好的でもなければ敵対的でもない。非常に不思議と、何の判断も付けられないような声だった。
「」
何かを発そうとしたが、言葉が出ない。周囲の黒に全て吸い込まれるように、発した言葉が丸ごと抜き取られるようだ。
そのままオレの意識は判然しないままさらに下へ下へと落ちていくように消えていった。
消えていった――――。
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目が覚めると眩しい照明と天使よりも明るい笑顔が見えた。肌の温かさからここが外ではないと言う事がよく分かる。おそらくは建物の、おじいちゃんの家の中だ。
火がつけられた燭台は長く眠っていたのか、オレの眼に深く沁み、若干涙目になった。しかしオレはぼやけた視界の中に混沌の瞳に白銀の髪の天使を見た。それはすぐそこにあり、目と鼻の先よりも近い位置で、少し顔を上げれば唇が重なる。膝枕をされているのだと直感した直後、魂の煩悩が雪がれるような声が弾むように、慈しむようにオレの耳へと入り込んだ。
「えへへ、ゼクサー君の寝顔可愛い・・・」
はにかんだ笑みを捉え、自分が倒れている状況を一瞬で把握し、――焦る。
「うわぉ!? アルテインか!!」
「えうわっ!!? ゼクサー君いつから起きてたのッ!?」
大好きな男子の存在がひどく驚いた表情をしている。それが一押しとなってこれが夢ではないと言う事を再認識した。驚いたアルテインによって膝枕が崩れ、オレは後頭部を床に打ちつける。痛覚もあると言う現実にオレは意識を完全覚醒させる。
そして同時に、オレは今置かれている状況のほんの前、”何か”と戦闘になった過去を思い返した。
「そう言えば、あの”何か”はどうした? オレ、あの変なのが庭をうろついてたからぶっ飛ばしに行ったんだよ」
「それはゼクサー君があの禍々しい瘴気っぽいのをぶつけて、庭の壁ごと吹っ飛ばしたよ。コンクリート壁なのに穴開いてたよ」
「え、マジ? 記憶ねぇんだけど」
思い出したのはついさっきの出来事だ。オレがベランダで夜風に当たっていると例の”何か”を見つけたので、思い切って武器装備して宣戦布告をしたのだ。割と善戦したものの、不思議と事が喋れるそいつによってオレの記憶からトラウマが再生されてしまった。原理は不明だが、明らかに属性による力ではないのは確かだった。そしてその声によってトラウマを引きずり出されたオレは強制的に”悪意の翼”を解放してその”何か”を吹っ飛ばそうとしたのだ。
しかしそこから先はなにがなにやら分からぬまま、アルテインの声が聞こえるやら意識を失うやらで記憶がない。
だからか、アルテインがオレがその”何か”を吹っ飛ばしたと言う事に驚きを隠せなかった。
アルテインは続けるように言う。
「ボクもびっくりしたんだよ。急に外からドン!って音が聞こえて、ゼクサー君も居ないから、ゼクサー君のおじいちゃんと一緒に外に出たんだよ。そしたらゼクサー君が禍々しくなってて、声かけたら今度は急に庭の壁に穴が開いてゼクサー君が倒れたんだよ? ボクの方こそ説明が欲しいんだけど」
「すまねぇ。オレも状況が呑み込めてねぇんだ。何を説明すればいいか分かんねぇもん」
手を合わせ、半分怒り気味のアルテインに頭を下げる。しかしアルテインは気にしたそぶりもなくそっと顔を逸らした。
「ま、まぁ、ゼクサー君の寝顔を間近で見れたことで手を打って上げても良いんですよ」
「素直じゃないっすね。正直に言ってくれてもいいんだぜアルテイン」
照れるアルテインの瞳は、「オレが無事なら何より」という考えを映し出しており怒ってはいないようだった。
オレの軽口にハッとして目を伏せて耳まで真っ赤にするアルテインを見ていると、今の扉が開き、雑草を持ってきたおじいちゃんが入って来た。いつもと変わらぬ優し気な表情にオレはハッと、自分が無意識下にしてしまった事について頭を下げる。
「あ、爺ちゃん。ごめん、庭の壁ぶっ壊しちゃった・・・」
「息子よ。口を開けなさい」
「口って何をsもごがばぁッッ!!?」
反応した直後、眼にも止まらぬ速さでオレの口いっぱいに雑草が放り込まれた。
突然の牛扱いにオレの眼が白黒になる。おじいちゃんはさほど慌てた様子もなく「しっかり噛んで呑み込みなさい」とだけ言った。
「もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ・・・」
「それでゼクサー君のおじいちゃんさん、ゼクサー君がぶっとばした”あれ”って何なんですか?」
口いっぱいに苦みが広がるがなんとか顎の運動をして歯と歯の間で草をすりつぶしていると、アルテインがおじいちゃんに向かって質問を吹っ掛けてきた。
おじいちゃんは「あぁ、あれか」とだけ言い、その場に座る。
そして神妙な面持ちで話し始めた。
「息子とアルテインちゃんはオカルトの分類は何処まで信じている性質かの?」
「もっきゅもっきゅ」
「ボクはあまり信じていませんが、呪いの力自体は世界史を通して少し信じています」
オレとアルテインの回答におじいちゃんは「十分じゃ」とだけ返答し、説明を続ける。
「息子がぶっ飛ばしたのは”霊獣”っつぅ、元々ある獣の霊的存在が”降霊術らしき呪術”を介して強くなった奴の事じゃ」
「”霊獣”・・・? それがゼクサー君を襲ったと。でも悪霊なんですよね?」
「あぁ、それも山の神様の眷属じゃ。悪霊ではなく、生霊じゃがな。実体がないかあるかの違いじゃからそこはどっちでもいいんじゃよ。なんにせよ即効性のある呪いを振りまくことに変わりはねぇ」
「そんなものがどうしてゼクサー君のおじいちゃんさんの庭に居たんですか? 確か身内は襲わないように言ったとか言ってましたよね?」
アルテインの鋭い質問におじいちゃんがうぐっと言葉に詰まる。オレは全然問題無い訳だが、それでもアルテインにとっては夫が襲われている認識になっている。それだけでもその怒り様は相当なものだろう。
おじいちゃんは「うむむ」と唸りながらも弁明をする。
「それについてはすまない。あれはワシの畑を荒らしてたのを捕まえてボコボコにして、調教した後山の神様の元に連れてって超強化を施した奴なんじゃ。山の神様自体が祀られていない神様じゃったのもあってあまり期待はしてねかったが、まさか身内の区別も付けられんとは思わなんだ」
「祀られていない神様って?」
「そのまんまの意味じゃよ。ここが元々穢れの溜まり所で、その禍を鎮めるために作られた神様じゃ。信仰自体も昔はあったようじゃが、民族の過疎化もあって信仰されなくなり、力が弱くなって穢れに入り込まれた邪悪な神様が出来た。それがこの山一帯に住み着いてる祀られていない山神様じゃ」
「それに強化を任せるって・・・、おじいちゃんさん」
「わぁってる。頭下げても下げたりねぇよな。でも山の神様もワシが鉄拳制裁してボコボコにした奴じゃから大丈夫だと思ったんじゃ」
山の神様ボコボコにするとか罰当たりだなとか思いつつ、変な厄介事とか吹っ掛けられるんじゃないのかと不安になったが、呪詛返しをはたき落としている実例がある為そんな事もないかと頷き、苦い草を呑み込んだ。
「(うぇぁ、苦みが喉と舌から溢れてる・・・。にっが・・・)」
口を越えたら次は腹の中から苦みがあふれ出てくる始末だ。本当に何でこんなものを喰わされると言うのか分からないが、それはそれとして、だ。
オレはおじいちゃんの説明に少し既視感を覚えた。
「(元々の身体に”降霊術らしき呪い”を受けて強くなる・・・。なんだか精神病院で見た奴らと似てるなぁ・・・)」
禁断番号と終末番号は、今のおじいちゃんの説明にあった霊獣と似ており、人の魂のような根源にモンスターの魂を入れることで異様な進化を遂げると言うものだ。そしてその種類はざっと二種類あり、巣くったモンスターに魂ごと存在を上書きされるか、逆に入って来たモンスターの魂を屈服させて支配するかのどちらかだ。
オレは過去に禁断番号と終末番号の両方と戦闘をしたことがあるが、禁断番号はちょっと強いモンスターを相手にしている感覚で、やはりは獣としての本能が優先されるのかブラフを摑ませるのは容易だ。しかし終末番号ともなると、巣くわれた人がどんな人物かによって対戦の難易度が跳ね上がる。意図的にモンスターの力を得ることができるせいで、初見殺し戦術を食らうことになる。一回それで死にかけたのだから油断大敵である。
今回は人ではなく動物の生霊が禁断番号や終末番号のような変化を遂げているのを考えると、オレが対面した”何か”の説明も納得できる。
「(生霊だったら、生きてる状態の動物が反映されるからな。悪霊は若干グロイ見た目になるって聞いたことはあるけど、生きてる状態でも”あれ”だったら相当ヤバいぞ生物として・・・)」
オレがぶっ飛ばした”何か”に過去の経験を踏まえて頷いていると、アルテインがぶーたれた顔でこちらを見てきた。
「ゼクサー君、大丈夫そう? おじいちゃんさんに何か言いいたいことある?」
「あぁ、アルテインの顔見てると心がぽかぽかすんだよ。爺ちゃんに言いたいことは特にねぇよ。今回爺ちゃんには非なんてほとんどねぇからな」
「ゼクサー君が良いならボクも良いよ。ゼクサー君が被害者なので決定権はゼクサー君にあると思います」
「オレの短所は身内に優しいところだって? 安心しろ。オレが単純に好きってだけだし、反省してる相手を叱責しても仕方ねぇだろ」
どうやらアルテインはオレがおじいちゃんのミスで襲われたことに、オレ自身があまり腹を立てていないことに対して怒っているようで、瞳からはその意志がありありと浮かんでいた。
オレがアルテインの心情を看破すると、「むぅ」と頬を膨らませてアルテインがそっぽを向いた。
そんな中、おじいちゃんがオレに向き直り真剣な表情で口を開いた。
「今回は息子がぶっ飛ばしたから良かったが、息子も息子で霊獣を追い払う方法が危ねぇったらねぇ。だから明日早速対霊の護身術を教えてやる。あんな黒いヤベェのを霊相手にいちいち出してたらその内自我と関係なく呑み込まれかねんからな」