第一章72 『ロストワン』
「・・・・は?」
オレは呆然と立ち尽くしていた。口からは絶え間ない疑問の声を象徴するかのように、展開に付いていけない音が漏れている。会場も同じ疑問を持ったのか、誰一人として叫ぶ気配を見せない。全員が全員、ウガインの方向に首が向いている。
後ろには今のウガインの剣技によって風穴を空けられた壁がある。そしてその穴を空けた剣技は少なくともオレの知る限りだと一人しかおらず、
「な、んで・・・・」
斧を握る力が増すのが掌に感触を伝える。手の甲の骨が割れるほど大波のような熱量がオレの全身を支配していった。
対するウガインはオレの心象などどうでもいいかのように、元々見えていない目元を掌で隠して剣先をオレの目元へと向けて言う。
「どうだ、ゼクサー! 俺はこの二ヶ月必死にこの剣技を習得しようと血反吐を吐きながら必死に練習してきたんだ!」
「いや、お前。何でお前がその技を使えるんだよ・・・、その技は親父が」
震える指で剣を指し示すと、ウガインは何かに気が付いたように自身のバスターソードを地面に突き立てる。
「あぁ、言ってなかったな。俺はこの二ヶ月間、イズモ様に直々にイズモ様の剣技を教えて貰っていたんだ。使えるのはまだ数種類だが、毎日イズモ様に成長の過程を褒められて、駄目なところは治せるように一緒に考えてくれたのさ」
「ん!? ・・・な、ぁ・・・ッッ!!?」
信じてはならない衝撃の現実が牙を剥いて、オレの心臓に突き刺さった。見てはならない侵食がオレの心を嬉々として抉り、深いところまで軽々と到達する。
想像もできない最悪がオレの喉元で小さく脈打ちながら食道を小さくひっかいている。そのひっかかりを無理矢理呑み込むように言葉を紡ぐ。
「そんなはずは・・・! 親父はずっと仕事で忙しくって、そのはずで・・・!」
「それはイズモ様の事をよく見ていない証拠だな。ゼクサー。お前がイズモ様をしっかり気にして慕わないから、ずっと仕事をしているだなんて妄想が吐けるのだ」
「―――――ッッ!!?」
驚いて顔を上げると、ウガインはまるで知ったような口調で親父のことを話す。
「二ヵ月前、俺が絶華剣術を完全習得していながらもそれでもまだ何か足りないと感じていた時、仕事へ行く途中のイズモ様に偶然お会いしたんだ。その感じていたことをイズモ様に話した時にイズモ様が”千剣天威”を俺に伝授させてくれると言って、二ヶ月間もの有給休暇を仕事先に申請してずっと俺につきっきりで”千剣天威”を教えてくださったのだ!」
ウガインの感激したような笑みに、会場全体が上層部席に座っていたイズモの方に目線が集中させられる。信じられないと言わんばかりの声が各所から飛んでくるが、その内容も仕事をサボったことではなく、どちらかと言うと未来ある少年に剣術を教えていたと言う事実に感心する声だ。
この会場の沸き様には統括理事会の頑健なジジイ共も、きょとん顔のイズモの胸倉を摑んで問いただす。
「イズモ! この間の有給休暇は確か羽を伸ばしたいとかいう理由だったな!? まさか将来有望な冒険者剣士に剣術を教えてるだなんて聞いてないぞ!? お前は自身の剣術を国内屈指の剣士にも教えないって言ってただろうが!」
急なウガインの暴露にジジイに怒鳴られるイズモは至って普通の顔で弁明する。
「ふっ、だってよぉ爺さん。俺の剣技っていうのは其処ら辺の有象無象の宗派とは違って、自由であるべきなんだよ。教えて欲しいって奴に教える。爺さんみてぇに、「素晴らしい剣術を継ぐ跡取り!」とか騒がねぇの。そんな凝り固まった剣術じゃねぇんだよ」
「「「「「お、おお~~~~~~!!! 流石は伝説の勇者様だ。言う事だけで格が全然違うわ~~~~~~!!!!」」」」」
それっぽくてしっかりと矛盾をしている親父の言葉に、表面的にしか理解しない観衆は涙を流して感動する。審査員側も四人も泣いていた。ウガインも泣いていた。
そんな中で声を上げる者、――水を差す者と言えば誰だろうか?
「親父・・・・!!」
飛び出したのは声。だがしかし、それは感涙したからでも感動したからでもない。激情だが、これは激情ではない。もっと、――もっと黒くてドロドロとしたものだ。
「―――親父!」
まだ確定したわけでもないのにオレの心は黒く淀んだ何かに理不尽に意志を侵食されようとしている。
観客が一斉にオレを見る。折角の感動的な名言が出てきているところで水を差すなと言う目線らしいものが刃物と化してオレの耳を穿つ。だが、オレは気にせずに親父に問いかけた。
「なんで、なんで・・・! オレと約束したじゃねぇか! オレに”千剣天威”を教えてくれるって言ったじゃねぇか!! 二ヵ月前に! なんで約束破いたんだよ! ずっと仕事忙しくて約束置いてかれただけなのかと思ってたのによ・・・」
オレはいったい今どんな目をしてるのだろうか。裏切られて殺意を宿した目だろうか。それともまだ希望があると思っている眼だろうか。それとも、それとも・・・。
認識してはいけない事実。それでももう既に決まっているのか、黒いものは溢れ出て止める気配を見せない。ただひたすらに溢れて、溢れて、もうすぐで防波堤が崩れるという現状だ。
オレはただ一言。”嘘でも”いいから「そんなことはない! なにかの間違いだ!」とでも言ってくれれば良かったのだ。それだけでこの感情の奥底から出てくる闇を覆い隠す蓋をすることができた。出来た・・・? 何で「出来た」って過去形なんだ・・・?
勘付いていた。いや多分予知レベルでもう読み取っていたのだろう。
『平面の集中力』が、親父の喉の動きを捉えていたのだから。
オレの頭の中で会場の全てが再現された瞬間に、それに追いつく親父の言葉が世界中の耳を駆け巡る。
「言ってたか? そんなこと。俺が覚えてないってことは言ってないことだからな。――お前、嘘ついてんだろ? 俺がほんの少しの心変わりでお前の約束破ってウガインに剣術教えたみてぇな言い方だしな。変な嘘つくなよ。嘘つくようなクソは俺の子供じゃねぇしな。お前、誰?」
「・・・・ぁ?」
「俺は最初お前と約束していたことと仮定しよう。俺はその次の日の早朝、そんなどうでもいい時間の無駄の極みみたいな約束は忘れて仕事に行っている途中だ。そこでウガイン君と出会って剣術を教えるという素晴らしい約束をする。そしたらどうする? 普通は仕事休んでつきっきりで剣術を教えるのが普通だろう? どうせ忘れたんだ。人の過ちは許さねぇといけねぇんだぜ。それが子供の役目だからな。それを未だ引きずって待ってるって時間の無駄じゃねぇか! 勉強しろよ勉強! 国語が苦手なんだろ? 知らんけど」
「話をずらすな!」
「ずらしてねぇだろ。お前が嘘ついて、大人の過ちを赦せないままなんだから、お前がしっかり謝るべきだろ? それで次からは嘘をつかないって言うんだぞ? それにくらべてどうだウガイン君は。しっかりと大人に対して敬語を使えるし、俺の言った事を頑張ってこなそうとしてくれるんだぜ? それに比べてお前はどうだ。母さんを悲しませてばっかりだし、電気属性? 論外ですねハハッ!」
「ん、―――な、ぁ・・・!!」
尊敬越えて呆れ。いや、それどころか出てくる感情が全部黒くなっていく。むしろ白い?
流石にこれは人がドン引くレベルの大失言だ。自ら約束を破っておいてそれを許せない子供が悪いなんて、例え勇者として許されても親としての発言では失格だ。そうだろう?と、オレは観客たちを見る。そして次の瞬間、民衆に希望を見いだしたオレが間違っていた事が世界から告げられた。
「やっぱり伝説の勇者様だ。親としても冒険者としても最高とは!」
「自分の子だから怒らないと思ってたけど、やっぱりデキル親ってのは子供の過ちにも怒れるんだなぁ・・・」
「勇者様もこんな出来損ないが産まれて大変なのに、親として素晴らしい対応だわ!」
「まさに世界の父親だな!!」
味方は居なかった。観衆のほぼ全員が親父の在り方に涙を流して賛同し、称賛する。子供に罪を擦り付けて無罪を勝ち取るのが素晴らしいという脳みその在り方に吐き気すら覚えた。
オレの心境なんて関係無しに親父は続け様にウガインを呼ぶ。
「ウガイン、今のはミスしたな! 感情が高ぶりすぎて距離が開くほどに指向性が疎かになってたぞ。あの時に言ったことを思い出せ!」
「はい! 確か、回転するような直線・・・! 次こそは当てるぞ、ゼクサー!」
オレの事が見えていないかのように、空気全体がオレをウガインの踏み台としてしか認識していない。バスターソードを引き抜いたウガインが今度こそ外さないと強固な意思で剣先をオレに向けた。世界が親父のために回っていると言わんばかりにオレの感情はおいてけぼりだった。
何言も挟む余地がなく、疑問は膨らむばかりで、吐き出すところがオレの口しかない。
「なんで、だよ。・・・親父。なんでそんなにオレの事嫌いなんだよ・・・」
電気属性だからなのか? 髪が赤いからか? ハシが上手く持てないからか? 絵心がないからか? 著者の心がわからないからか? 目が金色だからか? 女の子に生まれなかったからか? オレが弱いからなのか? 本気でやらないからか? そもそも最初はどうだったんだ?
断言は出来ない。だけど、いや、まだ・・・・。もしかすると、
絶対にあり得ないと分かっていながらも、オレはまだすがりついていた。もしかしたらオレが全力で戦っていないことから来る疑念が、今の暴言だったのではないかと、挑発させて本気を見る為の演技なのではと、本気で、オレは本気で思っていた。
でも、だ。
「“千剣天威“カラドボルグ!!!」
ウガインの声が空気を切り、指向性に動く突風が竜巻となって突きの形を取る。そしてそのままオレの眉間へと飛び込んでくる。
オレはそれを無言で横にずれることで回避した。あまりにもゆっくりと脳内再生される属性技を見て、その剣先の向き、風の渦巻く先、そして向き、全部再現された情景を見て、オレは余裕を持って横へとずれたのだ。これで親父も分かってくれると、そんな叶わない願いをどこかで持っていた。
しかし沸き立ったのは歓声でなく、オレへの罵倒だった。
「あいつ、避けやがったぞ!!」
「間抜けが! 男だったらガツンとぶつかるべきだろうが!」
「将来有望な若手剣士の一撃を避けるなんて縁起が悪い! きっと前世は大量殺人犯だぞ!」
「電気野郎が! さっさと死ねよ! 皆がお前の事嫌ってるんだぞ!」
悪意だ。それも何千何万の数多の悪意が空を穿ってオレへと降り注ぎ、オレの鼓膜一つ一つに丁寧に害意を埋め込んでいく。
だがオレにとってそんな言葉は戯言に過ぎず、頭を上層部席の親父へと向けた。これほど余裕にウガインの攻撃を避けたのだ。きっと今の暴言から掌を返して誉めてくれるのではないかと。
そう、・・・・願っていたのに。
嘘でも構わないから、「少し動きが良くなった」とか「ウガイン、気を付けろ」とか言ってくれれば、オレはまだ信じることができた。できた。・・・できた。
「親父、おr」
「出てけ」
「え」
「お前みたいな場の空気を読めない生き物なんて、人間様の期待も投げ捨てて、俺に母さんの凍えた目を見せやがって、電気属性ってだけでもクソなのに、ましてや一丁前にウガイン君の剣術も避けて、更には俺の教えた剣術まで避けて、嘘までついて、謝らないで、そんな生存価値もない生き物から「親父」なんて呼ばれたくない。死ね。消えろ。それ以上に苦しんで死ね。俺の無双人生ぶち壊しやがって、世界が受けた苦しみよりも苦しんで絶望しながら死ね。あの一撃を受けてゲロ吐いて喀血して骨折したらまだ許してるが、お前みたいな役立たずは出てけ。あの家はお前の家なんかじゃない。お前の家族は俺じゃない。ゴミより希望がない生き物の存在の容認なんて、こっちから願い下げだ」
とくとくと、実の親父から悪意が漏れる。その勢いは静かながらも強くなっていき、オレの存在が許せないと激怒する。激怒して、オレの死をしっかりと願っていた。
パーンと、何かが砕ける音がオレの内側から響いた。全身の骨が、内蔵が、血が、意識が、まるで空気に流されて霧散するような、崩壊の音破滅音がいっそ面白いくらいに弾け飛ぶ。
オレの目は親父の見えない目に集中していた。何も見えないモザイクの目元が、口よりもずっとひどい言葉を投げつける。
オレの絞り出した声も、信じられないくらいか細く、流されるように消えていく。
ある意味、確認だったのかもしれないと、いった直後に気付いた。答えなんて分かりきっているのに、どうせ見捨てられて、アイされていた時なんて産まれてすぐとか生まれる前とか言われるに決まっていると、そう思っていたのに聞いてしまった。
「親父は、オレのことなんて最初から好きじゃなかったんだな・・・?」
「好きとか嫌いとか、お前がそんな高尚な所に立ててると思ってること事態異常だな。産まれてなんて頼んでない。父性も湧かん奴なんて産まれないのが世の幸せだ。勝手に受精なんてしやがって、母体に負担掛けやがって、無駄金掛けやがって」
「・・・・・」
「ついでにこれ以上勘違いさせない為にも言っておくが、俺のモットーは、『愛は妻、情は子供』だ。お前は生き物未満だからモットーにすら入っていない。そこんとこ、ちゃんと弁えて死ぬように。もう家にも帰ってくんなよ。お前の部屋のもの全部捨てとくから」
「ぁ」
何かがぷっつりと切れた瞬間だった。
全部が黒に染まる。心も、こころも、ココロも。
認識していた光が、繋がりが切れたのだ。願っていた希望がオレを捨てたのだ。
まるで産み落とされて、放置された鳥の子供のように全部がぐるりと敵となったのだ。
「あぁ、そぉか。なぁんで、気づかなかったんだろぅなぁ・・・?」
信じるべきは自分だけだ。守るのも自分だけだ。もう、誰もオレの味方はしない。そんなことない? 違うな。自惚れていたのはオレの方だったってだけだ。それを今、認識したんだ。
「今だウガイン君! あの生き物の余生に終止符を打て!!」
「はい! 今度こそ、当たれよ! ”千剣天威”カラドボルグ!!」
オレの背後でウガインが剣に指向性を付与した風属性を回転させていく。
敵はオレで、的はオレだ。
螺旋状の風がより一層加速し、剣先にエネルギーを溜めている。
そしてそれはオレの背中を穿つように真っ直ぐと向けられてーーー。
「穿て! 人類の栄光の幸せのために、世界の宿敵を滅ぼせ!」
怒号と共に世界が割れる音を轟かせて荘厳とした神風の螺旋がオレの背中目掛けて飛び込んでくる。
それをただずっと呆然としているオレはそっと、世界に向けて呟いた。
「じゃぁ、もぅ良ぃんだな?」
言い終わると同時に、オレを中心に一瞬だけ世界を暗黒が飲み干した。
A A A
撒いた種は撒いた奴が片付けるべきだ。でももう止まらない。
それでも君を喜んでくれる人は居ないだろう。
――なら、ここで始めるしかない。
だからこそ、彼は飛び出す。
今度こそ、自身が無視できない存在であることを、世界に知らしめるのだ。
もう、この悪意は止まらない。
だからこそ、ここから全てを始める。
「さぁ、―――行こぅか」
悪意が弾ける。猛然と、爆裂的に、己の中にあった世界を世に放つのだ。