第一章62 『羞恥の熱』
血に倒れ伏すロデリーをオレはただただ見る事しか出来なかった。
全てが、世界が止まったようにスローモーションになったようだ。オレの耳元でロデリーの言葉が生々しく蘇る。
――「今度は、僕が失う番だ」
「なに言ってるのか分かんねぇけど、失わせねぇよ。お前が失うと、オレも失うんでな」
いったい今さっきの言葉が何を意味していたのかは分かりもしない。だが、戦闘に関係の無い人が一人巻き込まれると言う形で倒れる光景に冷静になったことで分かることが一つだけある。
それは、オレの『平面の集中力』が感知したもう一つの存在―――。
それはほんの一言と、そしてとんでもない”悪意”を膨らませながら此方に歩む存在で、
「よォく、耐えたな・・・。後は任せろ」
肩までかかった白い髪に、滴り落ちるような血の瞳。華奢な身体は一見女子と見まがう美しさでありながら、その身から溢れ出る雰囲気は禁忌の領域であると暗に伝えているようで。
「あなたは・・・・!」
「・・・・・・・・!」
私服姿とは違い、しっかりと白衣を身に纏った姿にはどこか威風が漂っているその青年を前に、『終末番号』はオレたちを越えて大きく後ろへ下がった。五つ目からは最高位の恐怖を映していた。
それほどに人ならざる者ですら恐怖させる存在、オレウス=ドラグノートはオレを一瞥した後、出血の止まらないロデリーを見るや否や、オレに言う。
「そいつァ後一分以内に失血死する。だが課長職と言う立場上、死なせる訳にはいかねェ。トール、そいつの服破ッて無理やりにでも止血しろ」
「オレウスは何をするんですか?」
「決まッてンだろ。片すンだよ」
オレウスはそうにやりと笑みを浮かべて、『終末番号』と対峙する。『終末番号』は完全に警戒態勢であり、腰を低くし、五つの目をそれぞれの場所を見て逃げる隙を窺っていた。
だがそんな行動すらも断ち切るように、オレウスは言い放つ。
「あァ、逃げンなよ?」
「・・・・・・・!!」
半笑いのようで、目は完全に憎悪に駆られているオレウスの視線に『終末番号』の目がオレウスで止まる。どうやら逃げられないと判断したのだろう。膨れ上がるように『終末番号』の腕が肥大化し、刀剣の爪から大剣のような鋭さのある爪へと変貌させる。
それだけではない。人型だった脚が”灰獅子”や”エクスムーアの魔獣”のような機動力と馬力を持った筋肉質な脚に変化を遂げる。
目からは逃げる要素が抜けており、オレウスを抹殺すると言う狂気的な意志が垣間見える。
狂気の変貌と人を殺すために変化させた武器よりも血生臭い手足を持つ『終末番号』を相手に、オレウスはじっとしながら人差し指を『終末番号』に叩きつけ、一言。
「一歩だ。テメェが動いた一歩で、テメェはへしゃげることになる」
「・・・・・・・・・・・!!!!!!」
オレウスの背を見ながら、オレはロデリーの上着を脱がせて破き、貫かれたであろう腹部を縛り始める。途中でロデリーをひっくり返したが、まるで反応はなくだらりと下がった腕からは血の気が引いており、顔も瞼が閉じられたまま白い肌を晒していた。
まるで死人だ。しかしまだ脈はあるようで、静かながらも心臓部が微弱に震えているのが生体電気を通じて伝わってくることにオレは安堵しつつ、より窮屈に強く腹部の損傷を縛り上げていく。
「死んでくれるなよ、ロデリー。まだサヨナラもしてねぇんだぞ」
「あァ、だから死なせねェ。オレ様が死ぬことを許さねェ。病院の為にも、お前の為にも」
口を開かないロデリーの代わりに、鋭い眼光で『終末番号』を睨みつけるオレウスが答え、その眼を横に流し、オレを見る。その血生臭いほどに赤く染まった瞳からは「安心しろ」と言う優しい意思が宿っていた。
そして、瞬間だった。
オレウスが眼を逸らした時を逃げる機会と踏んだか、『終末番号』が一歩を踏み出した直後、『終末番号』の身体が文字通り、縦に押しつぶされた。
そして押しつぶされ、無理やり体積を縮められた反動で『終末番号』の身体が内側から裂け上がり、見た目のおどろおどろしさからは想像もできない蜜柑汁のような鮮やかな体液が四方八方に飛び散る。まるで決壊したダムのようなその体液の波は鮮やかに、一つの生物のように鈍く輝きながら狭い廊下の一面を絵本の海のように広がっていく。その身体からは体液だけでなく、緑色に変色した内臓が飛び出して弱々しく震えながら脈を打っていた。
「・・・・・!?」
あまりの瞬間的な出来事に目を丸くしていると、振り向いたオレウスがオレに指示を出す。
「もォ死ンでやがンのに動くたァバケモンだな。さァて、処理は任せろトール。お前はロデリー背負ッて看護師待機室に行け。ミドル辺りが治療してくれるだろォな・・・」
「は、はい・・・!」
「さッさと運べ。走れ、走れ、走れ」
「あぁはい、分かってますよぉ!」
急かすオレウスの言葉に、オレはロデリーを背負い走り出す。力なく、倒れるように寄りかかる態勢のロデリーの腕は暗闇と同化してしまうのでは?、と思うほど血の巡りが無いように見えた。
「(止血してるとはいえかなり無理矢理だからな。早く運ばねぇと)」
オレのロデリーに施した処置はかなり不細工な止血の仕方で、患部をきつく縛って血の流れを止めているものだ。これで延命処置と言っても、延命できてほんの十数秒だろうか。
故にオレはロデリーを抱えながら無機質な階段をかけ上がって行った。
A A A
「お疲れ様トール君。原始的な止血の仕方だったけど、あれをしてなきゃちょっとヤバかったよ。ありがとう」
「いや、課長の助言で動いたってだけだからオレの独断じゃねぇ。・・・それよりロデリーの体調はどうなんだ?」
事が収まり、看護師待機室で一息をついていたオレにミドルが話しかけに来た。片手には紅茶の入ったコップが握られており、オレは無言で差し出されたそれをありがたく受け取った。コップは紅茶の熱で熱くなっており、死線を掻い潜った報奨としては十分なものだった。
オレのロデリーへの心配事を尋ねると、ミドルはオレの隣に腰掛けて答える。
「今は衰弱が激しいけど、体内の不純物は血流操作で濾し出したし、救急医療の輸血袋を使ったからしばらくすれば回復するよ。傷もスッパリとやれてたから縫った痕も残らないと思うよ」
「そう、か。・・・よかった・・・・」
オレがロデリーを運んできたときは、ロデリーの意識はほとんどなく、止血した箇所から血がにじみ出ている状態で、幽霊の仲間入りを果たしそうな身体であったのだ。
「(一瞬はお別れも考えちまったが、杞憂だったみたいで何よりだ)」
あの時に死んでいたならオレの心情はボロボロだっただろう。命あるだけ儲けものとはよく言ったものだ。
ロデリーの回復の兆しを聞き、安堵に胸を撫でおろしているともう一人、オレに声をかける者が居た。
「やぁ、トール君。少しいいかい?」
顔を上げた先に居たのは、水分の足りないようなガラガラした消え入りそうな声音をした白衣を着た男性だった。髪は黒くぼさぼさで、壊れかけのメガネを着けている人物だ。血まみれの服を着ている以外は至って普通の若人に見える。
「・・・・誰・・・??」
オレにとって全く見え覚えのない医師だった。だが相手はオレの事を知っているようで、オレの反応に「えー!?」と声を上げている。
「(目が黒塗りだから分からねぇんだよなぁ・・・。もしかしたらすれ違ったとき挨拶交わした人かもしれないし、単純に臨時で入って来たオレを知っている人なだけかもしれないし。誰だよ・・・)」
謎の他人の目が見えないデバフに悩まされていると、その男は慌てたようにオレに問いかける。
「メルティオスだよ!ゲホッ、・・・まぁ今は髪も整えてないから誰か分からないかもしれないけど、ゴホゴホ・・・。あ、声も枯れてるし誰かと言われても分からんか・・・」
「―――――ッッッ!!!!!!!!????」
「そこまで驚かれると、僕も傷つくってもんだよ。本気で覚えていないようだ・・・ゲホッ」
どこか哀愁漂う空気を醸し出しながら、台詞の一言二言に咳を入れてくる男性、――メルティオスはオレの驚いた顔を見て残念そうに肩を落とした。しかしオレが驚いたのはもっと別の部分で――、
「腹を貫かれたんじゃないんですか? 寝ていた方がいいんじゃ・・・?」
「あぁ、そこか。確かに僕は『終末番号』に腹を貫かれたさ。だけど僕は生物属性の使い手、『回復術士』だからね。ゲホゴホッ、完全とは行かなくても細胞分裂を促進させることはできるし、破壊された臓器も自然治癒できるまでに回復させることができるから。それに・・・」
「それに・・・?」
オレの反芻させる質問に、メルティオスはクイッとメガネを押し上げて、
「どうせロデリーのことだ。「逃げろ」と言わない限り、あいつは逃げることができない。だからそうやって人を庇って怪我を負ってきたら、その時はロデリーのことが一番好きな僕が治すと決めているからだ。・・・ココロも、カラダも♡ゲホゲホゲホッ!!」
「一瞬格好いいと思っちゃったぜ・・・」
「メルティオス君、ロデリー君の専属ストーカーだからね・・・」
すごい格好いい風に言ってくれるが、最後に大どんでん返しをしてきやがった。心と身体の言い方がなんかとても官能的でよろしくない。オレだけでなくミドルも頭に手を当てて呆れ声を出す。
咳き込み、言いたいことを言ったのかスンと、メルティオスの表情が引き締まる。
そのまま立ち去るかと思われたメルティオスだったが、オレの予想を覆して―――。
「ありがとう、ロデリーを助けてくれて。ロデリーが襲われたって聞いて居ても立っても居られなかったけど、連れて来てくれたのが君でよかった。むしろ、君であってくれて助かった。僕は頭しか下げられないが、ありがとう。――――ありがとう」
その場で丁寧に頭を下げたのだった。
「や、やめてくれよ!オレは助けてなんかいない!課長が『終末番号』をぶっ倒してくれたし、オレだって危ないところをロデリーに庇われたんだ!頭を下げるならこっちの方だ!」
「いぃや!構わないとも!理由がなんであれ、ロデリーが生きてることに変わりはない。そしてロデリーを君が連れて来てくれた。後数秒で手遅れだったからな。君で良かった。骨と皮だけの課長になんか任せられない!君が連れて来たことが重要なんだ!!」
「 」
逆に謝ろうとするオレの弁明を聞き入れずにメルティオスは頭を下げ続ける。
初めて、なのかもしれない。こうして人から感謝を伝えられたのは。
だからか、全く思い通りに身体が反応しないのだ。
言葉を失う、とはまさにこのことだろう。
オレの代わりを根本から否定された。
彼は言ったのだ。課長よりもオレが行ったことが大事なのだと。
「(・・・・・・・・・!!!!)」
こみあげるのは言葉にしがたい熱である。頭を中心に、血管の一つ一つに熱が入り、全身を感謝の言葉が反芻される。思わずに全身の毛穴から血が噴き出そうになる感覚がした。
「大げさだな。そんな大したことは・・・」
「人の命一つ救ッたことが大した事じゃねェッて? お前が思ッてる程この世界はシビアじゃねェンだ。受け取ッとけよお礼くらい、減るもンじゃねェし」
「「課長ッ!?」」
なんとか絞り出す言葉にすぐさま反論が入り、オレの目が仕事を片付けて此方にやって来たオレウスに向けられる。
相変わらずの人を殺した返り血のような赤い眼だが、今はこころなしか目じりが嬉しそうだ。
突然の反論に言葉を失っていると、同じく驚いていたミドルがオレの背を突く。
「良いんだぜトール君。こういう時はちゃんと素直に受け取って、誇っていいんだよ?」
「そォだぜ。怖いが取り柄のミドルもたまにはいい事言うじゃねェか」
「あ゛ぁ?頭に水でも入れられたいのか青二才風情が」
「やれるもンならやッて見ろよ」
急に険悪な雰囲気になる二人だが、オレウスの瞳からオレの羞恥心と緊張をほぐす為の演技だという事が分かり、オレはそっと息を零す。
そして犬猿の仲のような二人の様子に困惑顔のメルティオスにオレは告げた。
「どういたしまして、だな。オレも助けられたからオレからも、ありがとうだ。ロデリーが目覚めたら言っておいてくれよ」
「あぁ、言っておくよ」
メルティオスは頷き、オレと固い握手を交わした。