第一章幕間《繰り返した過ち》
ゴゥンゴゥンと、機械の駆動音が不気味に鳴り響く。
ここはとある屋敷の地下の実験室。壁際にはガラスケースが一台鎮座しており、その他には多くの実験器具や液晶画面がある。どれもこれも、普通の家庭には手に入らない代物ばかりであり、それこそ政府お抱えの研究施設しか持っていないようなものだ。
そんな沢山の機材と何かしらの培養液が置かれた研究室で一人の男が立っていた。
実験をする研究者にはまるで見えない筋肉質な巨体に白髭を生やした人物だ。白衣を着ているものの、肩幅の大きさのせいで知的ではなく威風しか感じない。
そんな男だが、手に持っている紙は割と研究者よりの内容だったりする。
「最近は著しく能力量の超回復量が上がっているし、指向性もより微細なものになっている。素晴らしいな・・・。昨日までは超回復量が物足りないから廃棄にしようと考えていたが、急に化けたな」
内容は人間の能力量がからっけつになった状態での超回復、その効果の表れを数値化した資料だ。だがこの男の発言からしてただ単に「スポーツ選手を目指す!」的な和やかさは感じない。もっと人間的ではない何かを感じる。
男は資料を読み進めながら歩も進める。たどり着いたのは部屋の壁部分、大きなガラスケースだ。
ガラスケースの中には男とは数年の歳の差を感じられる黒髪ロングの女性が入っていた。マスクを付けられ、大量の点滴を打たれた状態で、まるでフランケンシュタインの製造過程のように一糸まとわずのままでだ。
男はそっとガラスケースの中に居る女性の下腹部を見た。その瞳には女性の下腹部と機械を繋げる、通称『へその緒』と呼ばれる透明の細い管が付いていた。現代で言うところのストローのような太さの管だ。
とても人工的で、少なくとも母体から伸びているものではないと言うことは何よりも明白だった。
だが、この管は何年間もそのままなのか、男は別段気にする素振りもなく資料の中にある母体の健康状態と事実の確認をするだけだ。
「コールドスリーピングなんて意味分からんことをイズモはほざいとったが、なるほどな。原子属性の遺伝子操作で身体の構造を魚に近くすれば、歳こそゆっくりとるが健康に問題はなさそうだ」
男の口から出たのはゼクサーの父親であるイズモの名だった。
どうしてその名が出たのかは不明だが、少なくともこの男は国際法をしっかりと破っていることは確定した。
国際法では原子属性による意図的な人間の遺伝子操作は固く禁じられている。過去に優秀な兵士を築き上げるためにどこかの諸外国が遺伝子操作で大量の全属性所持者の兵士を作り、戦争で使用したことが大々的にバレて所謂”倫理的な問題”として禁止されたのだ。
その技術をこの男はこの女性に対して行ったようなのだ。
許されざることだが、どうしてそんなことをするのか。
疑問は分からぬまま男はガラスの中の女性に話しかける。
「ノウスフォート、あと少し待ってくれ。もう数か月の辛抱だ」
ノウスフォートと、その女性の名前らしい言葉を口ずさみながら、男は毅然な態度を崩さない。それでも、その女性に対する話し方にはどこか強い愛情を感じられた。
――と、そんな応答もしない眠り姫と男の時間に割り込む音が一つ。
――コンコンッ、と。
ノックの音だった。
二人、と言うべきかは定かではないが少なくとも閉鎖された愛の空間にその声は邪魔なものだった。
「・・・入れ」
「・・・失礼いたします」
男とノウスフォートの居るところとは真反対側の壁、――扉が開かれる。
入って来たのは一人の金髪の女性だった。男と同じくして白衣を着ており、その眼は男よりも健康的だが、どこか人間的なものを感じない色をしている。
「何の用だ?」
「つい先ほど実験体が帰って来ました」
「・・・? この時間だとまだ学校なはずだが、どうした?」
「どうやら早退のようで、帰ってきた時にはもう既に発疹や四十五度以上の熱、血管の破裂が見られました。原因は持たせていた弁当の中に入っているはずの能力量回復安定剤の効果が発揮されなかったことだと思われます」
「朝の能力量促進安定剤による急激な能力量の回復、それを安定化させるための能力量回復安定剤の消失か。なるほど、薬が切れるには丸一日必要とされる違法薬だ。一日中ストッパーなしに能力量が回復し続ければ、服用者にかなりのストレスがかかってしまう。それで早退か。だがしかし、何故?」
「本人の証言では、「咀嚼した際に強い苦みと激臭がした」とのことです。確か劣化した能力量回復安定剤だとそのような点が挙げられるので、もしかしたら誤って劣化した薬剤を使わせていた可能性があります」
「そうか。ともなれば”処罰”は無しだな。こちらの不備なら仕方あるまい。それに何より、”今度こそ”は成功の可能性が非常に高い。今までの失態を取り返し、あまりが出る程に伸びのある成長を見せている。今の実験体はあまり”処罰”したくなかったからな。少し安堵する気分だ」
「・・・分かりました。本人の回復を優先する方向に計画をまとめておきます。回復にはおそらく数日はかかると思われますが、よろしいですか?」
「そうだな。変に薬を大量投入して死にましたでは話にならない。その方針で頼む」
「分かりました。それでは失礼します」
一連の話が終わり、白衣の女性は頭を下げると部屋から退場する。ただただ怖いのは話の内容ではなく、どちらの表情も全く動いていないと言う事だ。それほどに、話の趣旨たる”実験体”に対して何の情も湧いていないと思われる。
話の内容からして”実験体”と言うのは学校の生徒なのだろうか。だがしかし、何故”実験体”なのだろうか。”廃棄”とは何なのか、ハンバーグとは、スパゲッティとは、いったい・・・。
考えても教えられても、理解なんて出来ないだろう。
再び部屋に静寂が訪れる。わずかな人の気配を掻き消す程の機械音が周囲の空気を蹂躙している。
今度こそ部屋は二人の時間となった。
A A A
――オレは寝ていた。
誰にも邪魔されることなく、ぐっすりとだ。
オレが働き出して二週間が過ぎ、もう後五日ほどでこの精神病院から出ることになる。
オレはここで沢山(のキチガイ共)を学んだ。
あの患者達あって、あの医者看護師ありなのだと。地獄の片鱗を見る毎日。話の通じない患者と意志疎通し、時々暴れる患者を取り押さえて医師に注射を打たせる。
本当に、地獄みたいな毎日だった。いや、地獄だった。
人を天使様扱いする美少女、糞塗りダンジョンサバイバー、水属性で火を出す婆さん、下半身を鉄の壁にブッ刺す異次元男、悪魔崇拝に魂を売ったイケメン、注射打っても元気に誰かに話し続ける優男、四つん這いになって首を横に振り続ける男性、誰かの名と共に「愛してる」を口ずさみながら自身の顔を殴り続ける青年、「うにゅら」だけで会話を成り立たせて来る美女、『呪胎』者でもないのに直接人の脳内に話しかけてくる男児、三秒先と三秒後を予言できる爺さん、自分の人生を実況するイケメン、ブリッジしながら壁を歩くおばさん、等々・・・。
普通に延々と狂い笑い続ける男とか、変な占いに全身浸った女とかを想像してた二週間前のオレを殴りたい気分になる。
想像の数千倍はキツイのがきた。
仕事をする際に、患者と親身になろうとすると本当に精神が削られるのだ。
精神病患者と言うか、もう超能力者みたいなファンタジーな領域に片足突っ込んでる奴ばかりなのだから親身に相手をすべきでないのは自明の理なのだ。だが、それも分からずに頑張って精神性を理解しようとした。だが結果として「どうして?」となる疑問が増えただけだ。
その結果として、オレは自分が如何に正常な人間なのかと言う事がよく分かった。
あいつらは病気なのだ。
病気の人間の心情なんて真に分かることはない。というか、理解する必要性がないのだ。
そう気づいた瞬間、オレの中で世界の見方が明らかに変わった。
メルティオスが言っていたことが今になってみれば分かる。
――「こいつらはこういう生物だと思えばいい。あまりに顕著に人間として終わっているからこうして部屋の中で監禁されているだけであって、外の人間はそれなりに終わってるんだ。終わってる人間に使う気なんて無いんだから、外野が叫んでも「あー、あいつらは人格破綻者なんだなー、頭に障害があるんだなー」って思っていればいいさ。あとは好き放題格好つける」
つまり、外の奴らも同じなのだ。頭がそれなりに終わっているからこそ、新しさというものを受け入れることができないのだ。だからオレを嫌うし、否定する。
だが終わっていない人間だからこそ、オレの存在を快く受け入れてくれるのだ。オレの属性に気が付いていない。というか知る必要性を感じないのだ。彼らは。エルメットやロデリーがオレの属性を知ろうともしないように、人の価値を属性だけで全て決めはしないのだ。
「もう、お別れか・・・」
意図せずに口が言葉を紡いだ。それだけ、別れ惜しいのだ。
オレウスは「金が無くなったらいつでも労働しに来い」と誘ってくれるが、多分イドとの特訓でそうも言っていられなくなるだろう。まだまだ、オレには足りないことが沢山あるのだ。世界に電気属性が残念属性とも、オレの人生が不遇だとも言わせない道まで長いのだ。
・・・旅費を稼ぎにここに来るのはアリかもしれない。
そんなことを想いながら、オレは掛布団を首まで寄せる。
後五日。何事もなく日々が過ぎるのは物悲しくもあるけれど―――、
「トール!居るかッ!!?」
「―――ッ!!??」
意識が途切れ途切れのオレを繋いだのはけたたましく扉を開ける人の声だ。
しかもその声は――、
「ろ、ロデリー!?」
バッと跳ね起き、慌ててベッド横のランプに火をつける。
明らかに尋常ではない声音に慌てた顔のロデリーにオレの目は完全に冴えた。
オレはそのまま壁に立てかけてあった斧を手に取る。
「どうしたんだロデリー!?」
「大変だ!緊急事態だ!!医師の野郎共がやらかしやがったんだ・・・ッ!!」
廊下の照明に照らされたロデリーは暗く見えるが、その手には彼の一番の武器であろう片手剣が握られていた。それだけで、何があったことは容易に想像がついた。
「まさか、・・・『禁断番号』かッ!!?」
オレの答えにロデリーは首を横に振る。そして口から更なる絶望を吐き出した。
「逃げ出したんだ。・・・医師が人体実験で、強い睡眠導入剤を入れたからか大丈夫だろうって、一瞬血まみれの拘束道具を取り替えようとした時だったんだ」
「」
「一瞬だった。僕もメルティオスに連れられて見てたんだが、本当に一瞬で、――医師達が文字通りぺしゃんこになった。そしてそのまま、実験室を飛び出して、逃げたんだ。今は、課長さんも加わって、皆で”そいつ”を探してる最中で、僕は寝ている看護師たちを起こしに行っていたところで、トールが最後なんだ」
「現場に居たのに、どうやって逃げたんだ? そんなヤバい奴を相手に、どうして・・・」
オレの問いに、メルティオスの表情がくしゃっと歪むのが分かった。そしてぶつぶつと、途絶え途絶えの声で言う。
「メルティオスが、僕がやられそうなところを助けてくれたんだ。その後も僕を逃がさせるのを優先で動いてて、走って逃げて後ろを見た時にはメルティオスが背中から腹を貫かれているのが眼に入った」
「―――――」
「動け、なかったんだ。足が。いつも、そうだ。なんだかんだで、一番大事なのは、自分の命だったんだ・・・!! 伝令役に、胡坐をかいて、無力を良い事に、助け出せれなかったんだ・・・! 迷惑でも、僕を想い続けてくれた人を、僕は置いてきて、しまったんだ! 僕はまた、裏切ってしまったんだぁ・・・ッ!!」
ガンッ!!と、拳が壁を打つ。嗚咽混じりに、彼の黒塗りの目部分から、廊下の光に照らされて透明感のある後悔が水分を纏って頬を伝っていた。
「みんなは、「お前は悪くねぇ!」って言ってくれたけど、違う!そんな言葉をかけて欲しくなんか、ない!僕は、もっと、責め立てられるべきなんだ!僕が、彼を死なせてしまったかもしれないのに・・・ッ!!」
苦汁を噛みしめ、咳き込むロデリーにオレは声を掛ける。
「いったい何があったんだよ。何が、脱走したんだ・・・!?」
「・・・・『呪胎』者。それも、この隔離病棟の患者の中では最強格の『呪胎』で、何のモンスターを宿しているのか見当が付かない」
「・・・・」
一回息を吸い、吐き出すロデリーが意を決したように次の言葉を放つ。
「―――『終末番号』だ」