第一章56 『変わる人』
次の日も、また次の日も、そのまた次の日も地獄が始まる。
究極的に話が合わない人の診断の時間だ。
「さぁ、――行こう・・・」
病室で着替え、覚悟を決めて廊下に出る。すると一人の看護師とぶつかりそうになった。壁際を歩いていたせいで、オレがドアを開けた時視界に入れる事が出来なかったのだ。
「――っと、すいません」
「あっ、いえ私の方こそ不注意で、うん?」
「え、・・・・。―――あッ!?」
看護師の女性が驚くと同時に、オレもまたその驚愕に感染した。
肩までかかった甘い栗毛に紅色の唇を携え、茶色の上着を掛けた看護服の上からでも分かるハリのある身体つきを惜しげもなく見せているその年上女性には見覚えがあったのだ。
――少し前にエルメットをがちがちに恐怖させたお姉さん看護師だった。
「ミドルさん!? あ、その、おはようございます」
「トール君でしょ? おはよう。良い朝ね。これから出勤?」
「ここが出勤先なんですよね。ははっ、仕事場で夜を明かしちゃったよ・・・」
「私も最初は同じよ。カジノや風呂屋とは比べ物にならないヤバい奴の相手よ。初日からぶっ倒れちゃったわ」
「そんなことが・・・」
サラッと流された彼女の経歴よりも不吉なオーラを出していたにも関わらず、そんな看護師でさえも初日でぶっ倒れる事実に驚きを隠せない。
おそらくオレも初日からしっかり一日働いたらぶっ倒れるだろうな・・・。
肉体的にも精神的にも、人を天使扱いする奴相手に疲れない方がおかしい。頭がおかしいだけならいいんだ(良くない)。問題なのは暴れた瞬間に『禁断番号』を凌駕する力を行使するところなんだよ・・・。
あの出来事が生々しくよみがえり、初っ端から気分が落ち込んでいると、ミドルが気さくに話しかけてきた。
「やっぱり男の子でも、あぁいうのは辛いのよね・・・」
「そうですね。特に糞尿野郎とか水属性の癖に手から火ぃ出す奴とか、壁に上半身埋め込む奴とか色々・・・」
「疲れてそうだねぇ。・・・じゃぁ昨日の患者診察一緒にやらない?」
「????」
そして突然の共同診察のお誘いだ。は?意味が分からないんだが?
今さっきまで話からどうして一緒に診察と言う流れになるのか、神経が分からんと言うかメルティオスの言う通り、隔離されてる奴は見るからにイカレて外の奴はそれほどではないがイカレていると言う奴か。
前後の話の脈絡と関係の無い話題が出されて来た事にどう返すべきか悩んでいたところ、ふとオレの指導者役の存在を思い出した。
「(話が通じないのはイドだってそうだからな。相手の話に合わせて自分に話の棒を持たすんだ)」
「でもオレ、ロデリーと一緒に診察しなきゃいけないんで無理ですすいません」
「あら? 今さっきロデリー君に出会ったけども私が「トール君貸して」って言ったら、「ひゃいいいい!!」って頷いてくれたわよ? 何も問題は無いわ」
「ロデリイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!」
何やってんだお前ぇぇぇぇぇぇ!!!情けねぇなオイ!!簡単にオレを売るとか頭オカシイだろ!!
漫画よく見かける、チュートリアルで仲間面する奴みたいだ。まさか現実にもいるとはな・・・。
オレが急な裏切りに戦慄していると、ミドルがオレの腕を摑んだ。見れば満面の笑みを浮かべている。でも全く嬉しくない。オレの腕握った直後に噴き出したオーラがヤバいせいで、全く嬉しくない。こちとら猫に興味を示された玩具の感覚だ。
が、しかしこの状態で逃げられるわけもなくオレは渋々とミドルとの共同診察をせざるを得なくなってしまった。
だが、まだ希望が潰えたわけではない。付き添いの医者が真面に狂っている人であれば、ミドルから別の狂人に移ればいいのだ。まぁ、その狂人がミドルよりもヤバかったら終わるんだがな。
そして医者はと言うと―――、
「精神安定剤の代わりにギ酸を「精神安定剤ですよ」と言って流し込んだら、患者はプラシーボ効果で精神安定剤と同様の効果を得られるのではないかと思うんだが、ちょっと少年手伝ってくれないか?」
「あら、エルドーラ君じゃないの。久しぶり、今日の診察は楽しくなりそうね」
「ぎぃえッッ!!??ミドル姉さん!??・・・すいません、ちゃんと診察するので頭の中に水入れるとかやめてくださいお願いしますぅ!!」
「こっちの子はトール君。臨時でこの仕事に就いた若い同業者さんよ。まだ入って五日だから分からない事たくさんあるかもだし、その時はよろしくね?」
「は、はひいいいいい!!!お、お願いしますトール君!!分からないことがあれば何でも聞いてください!!」
「は!質問です!なんで皆ミドルさん苦手なんですか?」
「トール君、この世には知るべきではない事がいくつかある。それがこれだ」
「・・・・・・・・」
医者、全く役に立たなかった・・・・。
正直高望みしたオレが馬鹿なのだが、そんなオレの腕を組んで色っぽくミドルが唇をしたためて、こそっと耳元で呟いてきた。近い近い、後恐い。
「トール君だって一人のオトコノコなんだから、しっかり甘えてくれていいのよ?肩こりするくらいには大きいし、経歴上、素人も相手したことあるから何でも教える事ができるわよ♡」
「オレは限りなく”無い(なにが無いとは言わぬ)”人が好みなので勘弁してください。そういうことはお一人で、虚空に向けて言ってください」
せめてもの反撃を試みたものの、一コマ開けた先に響いたのは笑い声だった。それどころか、一層オレの腕を引き寄せてくる始末である。ぜひともやめていただきたいし、誰かに代わらせたい。
オレはそう思いながらも恐怖で何も発せず、医者もほとんど無言を貫いたままオレ達は共に診察をしに行った。
A A A
「なんで無い子の方がいいの?」
「なんで診察中にそんな事聞いてくるんですか・・・?」
「だって大きい方が男の子は歓喜乱舞するでしょ?」
最初からなぜオレと診察したがるのか理由も明かさないまま三室目に突入している時、不意にミドルがかなりプライベートな質問を飛ばしてきた。
オレは一瞬無視を決め込むのも有りだとは思ったが、隣で直に不吉なオーラを出してくる相手にシカトは無理だと判断し、オレの美学に則った返しをした。
「大きいってだけで判断すると、際限がありませんからね。オレは仕事は基本”外”なので、一緒に活動するならやはりそれなりに動ける人で、尚且つ被ダメ部位の少ない人の方が良いです。ハリのある人を決して受け付けないと言う訳ではないですが、オレとしては際限ない不毛な争いの中で”無い”と言うのは一種の希少価値を感じます。言わば、量より質を体現した姿ですよ」
「・・・つまり男の子が好きってこと・・・???」
「”完全完璧な垂直”と男の胸板を一緒にしないでいただきたい。混ぜるな。混ぜたらそれはそれで別ものになるから。あれにはあれの、素晴らしいとこころがあるんですよ」
「変態・・・・」
「聞いてきて、答えたらこれかよチクショウ!」
すっとミドルとの距離が広がり嬉しく感じる一方で、なんか納得できない気持ちが湧いた。
「ってか、ミドルさんも身勝手ですね。急に一緒に診察回ろうとか言ってきて、オレのヘキの話になったら身を離すとか。まぁ、離してくれた方が大助かりですけども。色々暑いし」
皮肉混じりに言ってのけると、ミドルは少し眉が動いた。が、すぐに元に戻り、
「エルメットが尋常じゃない程好いてたからね」
と、答えになっていない答えを返してきた。
「?」と疑問を催すオレを置いて次の部屋へと向かい、医者よりも早く扉に手を掛ける。その瞬間、「あれ、この部屋は」とミドルが小さく呟き、オレをみてにんまりとする。
「――ッ!!?」
軽くオレの背筋が冷やされたように強張るも、すぐさまミドルが扉を開ける。その後を慌てて付いて行く医者とオレ。
そしてオレの視界の先で待っていたのは―――、
「あら、奇術師様に治癒師様に、―――まぁ、天使様まで」
「(げぇ!!)」
「やっほークリッカーちゃん。注射のお時間だぜ」
むちゃくちゃ仲の良いクリッカーとミドルの構図だった。
A A A
クリッカーの診断は予定よりもずっと早く終わった。全部ミドルのおかげであるが、なんか感謝をしたくない気持ちなのは内緒だ。
というか、疑問しかない。
「なんでクリッカーさんと仲良いいんですか?」
オレは横を歩きながらやけに上機嫌なミドルを見ながら聞く。
「んっふー! 知らない!」
「知らんのか!?」
返って来た反応は完全に他人事のようで、ミドルは胸を張って堂々と答えたことにオレの度肝が抜かれる。今さっきまで仲良く頬にちゅーとかしてた奴の台詞だとは到底思えないのだ。
「むしろ私的には、トール君とクリッカーちゃんが知り合いだってことに驚いたよ。凄いねあの子、すっごいくらい、君に対して母性湧いてたよ!私が絶壁好きなトール君に紹介するまでもなかった!」
「そうなんですか?あれが母性?人の頭を抱きつぶそうとしてるんじゃなくて?オレじゃなくて”天使様”に母性感じてるんじゃないですかね?」
五日ぶりとはいえ、しっかりと今日もぎゅーっとされて乱れた髪の毛を整えながら、オレは歩を進める。あの時のような夢は訪れなかったが、拒絶感は前よりもあった。
「(やっぱ抱き着かれるの、なんか抵抗感があるよなぁ。なんもされねぇって言っても)」
「オレには分かりませんね。二日しか会った事ないのに、懐かれても・・・」
「無意識的な『終末番号』の『呪胎』者だからね。クリッカーちゃんは。数十年歳を取らないとなんか悟りでも開くのかなぁ・・・」
のほほんと顎に手を添えて考えるミドルの発言にオレの脚が止まった。今とんでもない爆弾発言が聞こえたからだ。
「・・・・は?クリッカーが『終末番号』?」
「え? 知らなかったの?」
戸惑い、首をかしげるミドルにオレはこくりと頷く。
ミドルはオレの反応を見て、「ロデリー君め、教えるの忘れたな・・・」と呆れ声で言った。
オレは訳が分からずミドルを見ると、彼女は「はぁ」と頭を抱えて言った。
「そうだよ。クリッカーちゃんは、無意識の内に『呪胎』を発動させて”何か”を取り込んだの」
「”何か”って何ですか?」
「身体的特徴がなにも見当たらなくて、『不老』の能力を常時発動している。どんなモンスターなのか見当もつかないからよ」
「『不老』・・・」
「そう、『不老』。彼女は約九十年間の間、永遠の十二歳を維持して生きているのよ。まるで、なにかを待っているかのように、延々と、ずっと。・・・・でも今日は違った」
すっと目を閉じ、ミドルが両手を胸に当てる。子供の成長を見た母親の様だった。
「自分から、進もうって感じがしたわ」
「・・・・」
「誰に触発されたのか、自分から何かを悟ったのか定かではないけれど、あの子は”何か”を見ようとしているのよ」
ミドルは来た道を見返す。閉まった扉の先にはクリッカーが居る。
そしてすっと顔を前に戻し、無言で歩き出す。
だがオレはそんな彼女が唇の乗せた一瞬の言葉を聞き逃がさなかった。
――「古い姉弟にでも出会ったのかな?」