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『最弱』の汚名は返上する。~不遇だなんて、言わせない~  作者: パタパタさん・改
第一章『アルテイン編』
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第一章55 『拝啓、羽の見えない天使様へ。私愛を込めて』

 過去最高に頭や鼻や目にダメージが行った日だと思った。


 オレは真っ暗闇の中、身体を洗った後真っ先にベッドに飛び込んだ。看護師用の部屋の一室が貸し出されているらしく、病室よりは広い部屋の一角に備わった、割と大きいベッドだ。


 「うげぇぁ、大変だった・・・・」


 オレは今さっきまでの三時間で得た疲れを身体に乗せてベッドの耐久性を測る。流石はベッド、ふっかふかだ。


 オレが此処まで疲れているのは勤務初日だけではない。


 それ以上に患者の相手をするのがきつかったのだ。


 特に最初のインパクトと最後の不可解な現象がダメージの原因だろう。


 オレ脳には未だあの体験が強く残っているのだった。



 A A A 



 一室目。


 メルティオスが扉を開けると、異臭がオレの鼻を突いた。ロデリーも渋い顔をしている。


 初めて来た病室にはベッド以外何もなく、人が沢山入れる広さもない。薄明かりが付いているだけの白い部屋なのだ。


 ならばこの異臭はなんなのか。答えはすぐそこにあった。


 青い手術服のようなものを脱ぎ散らかし、全身に茶色い”泥らしきもの”をくっつけて立っている患者の姿がある。どうやら臭いはここから来ているらしい。


 鼻がひん曲がりそうな汚臭を放つ患者から今すぐ逃げたいが、仕事柄離れられそうにもない。


 「(いったいここで何を学ぶと言うんだ、イドめ・・・)」


 最初から世紀末みたいな病室に駆り出された恨みを今はいないイドにぶつけていると、メルティオスがその患者につかつかと近寄っていく。


 「ノルドさん、またですか。いい加減糞を身体に塗るのは止めてください」


 「いいか少年少女達よ。服がない場合、まずは全身を泥まみれにするのだ。これによって太陽から体内の水分を奪われないで済むぞ」


 メルティオスの呆れ声に対して、ノルドと呼ばれる患者はどうでもいい豆知識で返した。


 ―――誰も居ないベッドの下を覗きながら。


 「この大草原で生きていくためにはまずは水の確保をしなければならない。そこで池の水を探すのは正解だが、池の中には寄生虫やら細菌やらがうじゃうじゃいる。そのときはこうして池のすぐそばの泥を掘ってだな」


 「聞いてないようですし、臭いんでさっさと身体の糞を落としますか・・・。ロデリーと、トール君だっけ? 手伝ってください」


 「あーい」


 「えッ!!? えぇッ!!?」

 

 訳も分からず目を白黒させていると、メルティオスが手袋とスコップを手渡してきた。ロデリーは皮袋を開いて待ちの体勢に入っている。マジかよ・・・。


 ベッド下を見てサバイバル知識を披露する全身糞男を見てオレは覚悟を決める。


 「(やるか・・・・・・・!!)」


 ごくりと息を呑み、オレは手袋をしてスコップを手に取る。


 意を決してスコップを汚臭を放つ患者の茶色の肌に差し込んで、・・・ひぃぃ!?中から蛆虫出てきたぁッ!!?


 一瞬気が遠のきそうになったが、なんとか踏ん張り、耐える。


 「きちぃな・・・。特に腐っても人肌にスコップ突き立てるのが・・・」


 表面は固く乾いており、中からは肌色の蛆虫が「ひゃっはろー!」してくる現状だ。スコップを持っているとはいえ、色々なところでダメージがデカすぎる。


 さっそくオレのメンタルが砕け散りそうになっている所、腹回りの糞を削り取ったメルティオスが助言のつもりか、諭すように言葉を紡ぐ。


 「大丈夫だよトール君。こいつらはこういう生物だと思えばいい。あまりに顕著に人間として終わっているからこうして部屋の中で監禁されているだけであって、外の人間はそれなりに終わってるんだ。終わってる人間に使う気なんて無いんだから、外野が叫んでも「あー、あいつらは人格破綻者なんだなー、頭に障害があるんだなー」って思っていればいいさ。あとは好き放題格好つける。僕はその道に精通したロデリーを見て射止められたんだ」

 

 「射止められないで欲しかったぜ・・・」


 後ろで袋を持ったロデリーが小さく唸った。皮袋には糞が溜められており、余計哀愁が漂っていた。


 「(可哀そうすぎる・・・・)」


 というか、オレとしてはこの患者の相手をしたくないのであって、決して人相手にスコップを突き立てることに嫌悪感を感じているわけではないのだ!だからお願いします蛆虫だけは勘弁してください。


 心の中で唸っていると、メルティオスが太ももの糞を剥がしながら言う。


 「はいはい、さっさと動くトール君。たかが糞相手に四苦八苦してはいけない。患者一人に早々時間をかけていられないんだから。むしろ僕はロデリーの糞なら喜んd」


 「やめてくださいそう言うプライベートな話は!ロデリーさんに「口の軽い男だな」とか言われますよ!」

 

 「はっ、そうか!ありがとうトール君」


 ばっと口を開いて感謝を述べるメルティオスに、オレは若干視線をずらして曖昧に返事をする。この人も目が黒い靄に覆われて見えないが、それでも変な視線をビシバシと感じてしまう。


 そう思いながら心をなんとか無にして、オレは真顔で患者の背中の糞を削り取ったのだった。


 ちなみに一人ジャングルハンターの患者はメルティオスに睡眠導入剤と精神安定剤を注射されてぶつぶつ言いながら眠りに着きましたとさ。


 

 A A A


 

 二十室目。

 

 今日訪れた最後の部屋だが、やはりここも白い部屋であり、壁沿いにベッドが一つある。


 今度の患者は今さっきまでのような、壁に顔を擦りつけながら前進し続け、異臭を放ち、糞を壁や身体に塗り、サバイバル知識を虚空に向かって披露する妖怪ではなかった。


 病的に白い肌に流れるような黒色の長髪で、美しいくらいに整った顔つきをしており、服装もちゃんとしていた。


 一見どこがおかしいのか不思議なくらい普通の美少女なのだが、やはりここに隔離されているだけあって頭のネジが異世界産だった。


 その美少女はベッドに座っており、こてっと小首をかしげながら入室してきたオレ達を見た。


 そして一言。


 「あら、勇者様に賢者様に天使様じゃありませんか。今は太平天獄大戦の真っただ中だというのに、どうしたのですか?」


 「???????」


 さっぱり訳が分からなかった。


 勇者様? 賢者? 天使? 太平天獄大戦? 何を言っているんだこの子は・・・?


 オレがロデリーに説明を求めるも、ロデリーも「???」とよく分からない顔をしていた。


 そんな中、メルティオスがその少女に声を掛けた。


 「やぁクリッカー、相変わらず元気そうで何よりだ。一応、精神安定剤の注射の時間だからね。来たんだよ」


 「私の事は構わず、勇者様は勇者様の成すべきことを。私は一介の信徒に過ぎません。森羅万象の魔法を操れる大魔導帝でもなければ、あらゆる剣技を魅せる剣聖でもありません。そこの天使様のような補正魔法や回復魔法も使えません。勇者様には私よりも向かい合うべき賢者様がいらっしゃるはずです」


 「あー・・・・、ちょっとクリッカー君は祈り過ぎじゃないかな?しっかり休んだ方が良いよ」


 「いいえ、あなた方勇者様が市民を守ってくださっているので、私たちは安心して平穏に生きることができています。ですが勇者様はもう少しちゃんと賢者様の元で休息を取った方が・・・。私たちは心配でならないのです」


 「あー、・・・・やっぱクリッカー君の意思疎通って難しいな。んー・・・・。・・・・どうしよう、助けて」


 病弱な印象を見せながらもはきはきと話すクリッカーに、メルティオスが半分涙目でロデリーを見てきた。


 が、ロデリーもこれには渋い顔をしている。この人ずっとこんな感じだな・・・。


 「いつもの相手を掌で転がす口のうまさで何とかならない?」


 「無理。クリッカーちゃんの場合、自身の想定する物語を中心に話をしてくる人だから、話を合わせてもすぐにボロが出る。ボロが出たら発狂して属性の力を行使してくるから、僕にとって最高に相手が悪い。今の清廉さが嘘みたいな表情になるから。夢に出てくるから」


 「そうか・・・」


 オレがこっそりと頼んでみるも、結果は芳しくないだろうとロデリーは首を振った。


 じゃぁどうすんだよこの状況。


 「無理やり注射とか打てないの?」


 「そんな事したらクリッカーちゃんが僕らを「異国の幹部かぁ!!」ってブチ切れるから。正直情け容赦のなさと凶悪性なら『禁断番号(シリアルレッドコード)』より上」


 「ヤベェじゃんそれ・・・」


 むしろ今までどうやって注射打って来たか知りたくなったまである。


 「(どーすんのよこれ。完全に詰んでるじゃねぇか・・・)」


 「「「・・・・・・・・・」」」


 メルティオス、ロデリー、オレが完全に意気消沈している中、ふとクリッカーが言葉を発した。


 「そこの赤髪の天使様、こちらへ来てくださいますか?」


 「「「ッッッッ!!!???」」」


 皆驚いた。特にオレが驚いたのだが。


 「(え!?なんか御指名かかったんだけど、なんでッ!!?オレ初対面だぞ!!?)」


 何でか知らないがクリッカーが手でおいでおいでしてくる現状、オレはとりあえずとして、なるべく慎重な足取りで彼女の元に向かった。断ったら何してくるか分からねぇし・・・。


 「なんでしょうか?」


 「もっとこちらに来てくださいな」


 「は、はぁ・・・」


 ぎりぎり彼女のてが届かないところで止まったものの、クリッカーは「もっとこちらへ」と手招きしてきた。なに?なにされるのオレ?


 ちょっとぎこちない足取りで彼女に近づく。傍から見たら、オレが彼女を見下しているような感じになるまで。


 すると彼女が「目線を合わせて」と言い、オレはそれに倣って彼女と目線を水平にする。ふと横のメルティオスを見ると、明らかに戦闘態勢だ。全身から微風が噴出している。


 そしてオレはと言うと、


 「はい、これでどうでしょうか? いったいオレは何をsもが!?」


 「ぎゅ――」


 「「―――――ふぁッッッッ!!??」」


 急に両肩を摑まれたかと思うと一気に視界が暗転し、気づけば生暖かい感触と共に愛でるような指の感覚がオレの頭に感じた。襲ってくるのは属性の暴力ではなく混乱だ。混沌がオレの思考回路を阻むのだ。


 後ろの方で男二人の絶叫が聞こえたが、それでも彼女は止める気配がなく、むしろ一層強くオレの頭を抱きしめてきた。暖かいし、ふわふわしてるし、なんか凄いいい香りが・・・、いやそうではなくッ!?


 「なにしてるんですかクリッカー!? 何故トール君の頭を抱いているんですか!!?」


 「ぎゅ―――――!」


 メルティオスが慌てた声で問うも、クリッカーは答える気配がない。ついにはじたばたするオレの頭さえもすっぽりと何かで覆った。重さを感じる。だが余計にオレは訳が分からないままだ。


 「(何が、は?え、いや、まっ!!どゆこと待ってそうじゃなくって何で急にそんなことをとりあえずなんでこんなことをして何がしたいんだよぉッ!!??)」


 服の上に顔を押し付けられて満足に呼吸も出来ない。見た目に合わず強い力でハグされて頭が潰されそうだ。「どうして」から頭が離れない。


 目が回る所の話じゃない。今オレは『禁断番号(シリアルレッドコード)』より凶悪性を秘めた、何をするのか分からない精神異常者に”頭”だけをハグされているのだ。なんの意図があってこんな事をしでかすのかが分からない。どうしてこんな意味の分からない事をするんだと、どうしてわざわざオレを御指名してくるのかと、そもそもなんで天使なのかと、どうして一層強く抱きしめてくるんだと、やめてくれよ。オレを抱き寄せて君はいったい何を、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――!


 全身の血流が脈動し、脳天に熱が籠り始める。


 まるで深海へと入っていくようにオレが切り離される。意識が何かを繋ぐ。


 オレの心とは関係なしに、何か別の世界に、――”別次元の世界”にオレが入ろうとしていて。


 そして、だ。


 ―――パンッ!


 と、思考回路が何重にも重なり、上から破壊されるかのような音が弾けてオレの意識の中に聞いたことのない声が響いた。


 

 

 


 ――「お腹の子はなんて名前にしようか、アリスドール?」


 ――「女の子ならクリッカー。男の子だったr」


 ――「おいおい、いくらオレの兄貴の娘さんの名前が可愛いからって真似するのはダメだろ」


 ――「いいじゃない。ねぇ、賛成でしょクリッカーちゃん。私の旦那ったら脳みそが固いわよねぇ」


 ――「ううん、私と同じ名前の女の子なんてなんか気持ち悪くて嫌。どうせなら二人の名前合わせてエリスオールとかの方が良いよ。たしか、『パーティアス大伝説書』の勇者様の姫様と同じ名前だったはずだし!」


 ――「おっ!流石はクリッカーちゃん。頭がいいね!じゃぁ女の子の名前はエリスオールにするか!そうなったらクリッカーちゃんはお姉さんになるのか!」


 ――「うん!私、エリスオールのお姉さん!男の子だったらお姉ちゃんなの!」


 ――「ちなみにアリスドールは私の旧姓だから!今は違うから間違えないでね!ちゃんと私の名前覚えているのかしら!?」


 ――「あ、そうだ!男の子の名前も思い浮かんじゃった。ねぇこんなのどうy」


 ――「無視すんなぁぁぁぁ!覚えてないなら覚えてないと言いなさぁぁぁぁあい!!」


 声が暗転する。


 ――「クリッカーちゃん起きてくれ。大変な事が起きたんだ。実は兄貴は、クリッカーちゃんのパパとママがしn」


 ――「馬鹿!十二歳の子供にそんな事言っちゃいけないでしょ!タンザネイト共和国にスパイに行く途中に運悪く”アジ・ダハーカの魔龍”に遭遇して死んだなんて、言えるわけがない!」


 ――「・・・・・・・・・・、どうしたの二人して、家に来t」


 ――「あぁ起きたのねクリッカーちゃん。・・・クリッカーちゃん、実はね。クリッカーちゃんのパパとママが仕事の都合でとても遠いところに行ってしまったのよ」


 ――「・・・・・・・・そう、なの。・・・・でも、帰ってくるんでしょ?だってお母さんとお父さん、すごく強いんだからっ!この前も”ジェヴォーダンの魔獣”倒したって聞いたし!ちゃんと戻ってくるよ!!悪いドラゴンが相手でも、負けそうになっても、伝説の勇者様が遠い彼方からやってきて二人を連れ戻してきてくれるんだッ!!」


 ――「そ、それは政府が国民の士気を高めるための悪質な洗脳系デマ伝説だよ。本当は、勇者なんていないんだよ。もう、二人は二度と帰ってこないかもしれn」


 ――「いや、違うの!絶対勇者様が助けてくれるんだ!!なんで嘘なんてつくのッ!?お母さんもお父さんも皆戻ってくるんだ!!彼方の世界から現れた勇者様とその仲間が、皆を助けてくれるんだ――――ッッ!!!!!」


 ――「あッ!待ってクリッカー!!」

 

 ――「待つんだ!!」


 ――「五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅―――――い!!!!」


 また、暗転する。


 ――「私は待ち続けなきゃいけないの!どんなことがあっても絶対に!勇者様が全てを救って、お父さんもお母さんも全員助けて戻ってきてくれるの!だから待たなきゃ、帰ってきてくれたお父さんとお母さんを笑顔で出迎えてあげないと!!だから私はどんなことをしても待ち続けなきゃいけないの!」


 



 

 「っぶぁ!!!?」


 息切れを起こし、深海から水面下に上がったかのような解放感を覚え、オレの意識が覚醒した。


 「(なんだ今さっきの感覚は、夢? いやもっと生々しかったぞ。どういうことだ?いやそれよりもクリッカーって子が・・・・!!)」


 まるで他人の記憶を遡ったような夢が脳裏をよぎる。


 内容は”クリッカー”と呼ばれる女の子が両親を亡くした事実を受け入れられずに、政府が流した嘘の伝説を信じ勇者が両親を連れて帰ってくることを待っている話だ。


 「なんだったんだ、今さっきのは・・・! 夢にしては知らない人の名前が沢山出てきたし、そもそもあの時の感覚はむしろ・・・、ってそれよりも!」


 はっと我に返り自身の置かれた状況を振り返る。


 オレは現在クリッカーに抱かれておらず頭も無事。意識が戻ったところで立ち上がったのか、クリッカーを見下ろす形になっている。が、無理やり立ち上がって抱擁から逃れたとかそういう訳でもないようで、クリッカーは手を重ね合わせて膝の上に置いており、こちらを穏やかな笑みで見上げていた。少なくとも敵意は無いと見える。


 「???????????」


 頭がパニクった。何を言おうか定かではない状況で、口を開くも言葉が出ない。そんなオレを見越してクリッカーに話しかけたのはメルティオスだった。


 「クリッカー君、なんで急にトール君を抱き寄せたんだい?後、彼に変なことはしていないかい?」


 「天使様は天使様なのに何故か天使様の羽が見えず不思議に思っていたのですが、なるほどこれでは仕方がありません」


 「やっべ、話にならない・・・」


 「私は信徒として天使様の御帰還を願っています。そして同時に、祈るだけではだめだと確信しました。――なのでどうぞ、勇者様」


 「んえ?」


 メルティオスが困惑し間抜けな声を上げた。そりゃそうだろう。いままで全く注射を受けようともしなかった患者がいきなり袖をまくり、差し出したのだから。


 「(急な反応に、メルティオスは医者なのに「これ打って良いの?」って言ってるし何がどうなってるんだ・・・?)」


 「こんな展開、今までの医療人生でなかったぞ!?」と、注射を打つことを躊躇うメルティオスはそっとクリッカーを見た。


 クリッカーはうんと頷き、


 「天使様が本来の実力を取り戻すためには、私もまた一人の信徒ではなく一人の戦士として覚悟を決めなければならないのです。届くかも分からない祈りを捧げることに酔っていなければ生きていけない私を天使様が導いてくださったのです。この好機を逃す理由がございません。私も、戦いましょう。勇者様と共には無理でも、始められるところから。ですので、逃げない内にお願いします」


 「は、はい・・・。少しチクッとしますよ」


 「――――っ」


 少し顔を歪め、精神安定剤を流されるクリッカーはどういう心変わりなのかは定かではないが、注射を打ち終わった後も、どこか夢心地な要素が少し取れていた。


 オレがロデリーの横まで戻ると、ロデリーがオレを見てぼそっと聞いてきた。


 「大丈夫かトール。痛いところとかないか?」


 「大丈夫だけど、オレとしては彼女の方が大丈夫に見えない」

 

 「それは同感だ。なんか雰囲気が変わった気がするけど、トールは何もしてねぇんだよな?」


 「あぁ、何もしていないはずだけど・・・」


 「だよなぁ・・・」


 オレの回答に納得したように頷くロデリー。そしてほんの数秒もしない内にメルティオスが軽くクリッカーに挨拶をしてオレ達を先導して部屋から出て行こうとする。


 「ではまた、失礼しました」


 「いえ、私の方こそ少しでもこの愛が天使様に届いていれば本望です」


 先にメルティオスが、次にロデリーが、最後にオレが出ようとするところで、クリッカーがオレを呼びとめた。


 「天使様」


 「・・・はい、なんでしょうか?」

 

 天使様ではないが、とりあえず振り返るオレにクリッカーはそっと微笑んで、


 「天使様に大いなる寵愛のあらんことを」


 オレに向かって祈ったのだった。


 

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