第一章52 『禁断番号』
暗い暗い、明かり一つない通路を沢山の影が通り抜ける。沢山の壁に張り付いた鉄の扉のどれにも触れず、足音が木霊して床を叩く。
褐色白髪のオッサンを筆頭にいくつもの角を曲がる。
暗がりとは言えど、急な方向転換はオレもよくやっていたので、慣れている。だからか、新入りにしてはまるでこの建物の構造を知っているかのように、オレの脚はさらさらと動く。
「やぁやぁ、暗がりでも迷路みたいな構造の建物でも平気な顔して付いて来るけど、やっぱりそういう環境で仕事することが多かったのかな!?」
「ロデリーさんか・・・」
「ロデリーで良いよ。トール」
誰かが走る速度を落とし、オレの隣に並んできた。誰かと思えばロデリーだった。
ロデリーはきやすく声を掛けると、淡々と仕事内容の説明をしだす。
「僕らは基本的にここの患者たちの収容や、暴動の鎮圧をしたりするんだ。勿論、医者様が薬を投与する時に手足を抑え込んだり、時々患者と話したり色々するけど。まぁ大体はトールが今までやって来た血濡れ仕事に似てるかもね」
「血濡れ仕事ねぇ、見たところモンスターとかは居なさそうだけど。・・・まさか、違法乱獲者を拷問するとか、そういう・・・?」
オレがまさかの可能性の話をすると、ロデリーは首を横に振った。
「確かにここは社会に不利益しかもたらさない精神異常者や、傲岸不遜なチンピラとか宇宙語婆とか居るが、あぁ言う奴らはまだマシな方だ。僕らの本業はモンスター・・・」
「もうすぐ着くぞ!! 全員、気ぃ張れやぁッ!!」
ヴォルツの怒号が響き、直後にオレの前に居る全員からどす黒い瘴気が放たれ始める。今さっきまでオレを取り巻いていた敵意に近い空気が、オレの精神を強張らせる。
全員が角を曲がり、その後を追ってオレとロデリーもその集団に付いて行く。ところどころの壁や床に血が滴っているのは、ここで戦闘が起きたという証拠だ。
「今さっきの獣爪・・・・ッ!!」
一見モンスターが抉ったのではないかと、そう思うような傷跡が鉄の壁をいともたやすく斬り裂いた爪痕が生々しく映り込んだ。
「(いったい何が居るって言うんだ・・・ッ!!?)」
少なくとも生身の人間が付ける傷ではなかった。だとすればなんなんだ!? 生物実験施設とかそんなところなのかッ!? でも今さっき医者の人は「三人」って言ってたし、やっぱり人なのか?
途切れぬ疑問がどんどん積み重なっていく。此処に来てから変な事ばかり起きる。
――と、
「到着、か・・・」
目の前の一同が止まったのが見え、オレもまた止まる。入り口で止まっているせいで中身はよく分からないが、構造的に考えるとこの先は少し大きい広間だと思う。
オレが何故止まっているとかと思っていると、後ろからロデリーが息を吐きながらやって来た。
「あぁはぁ、着いた・・・。はぁはぁ、トールも皆も早すぎだってばよ・・・。はぁふぅ、・・・・マジかよ」
「あん?」
肩をせわしなく動かしているのを見るあたり、あまり運動が得意な方ではないことは分かる。だが、不意にロデリーの声が曇った。視線はオレを跳びぬけて前の集団がじっと見つめている方向へと集中放火されている。
「なにがあるんだ」と、オレもまた周囲が見ている方向へと視線を移す。直後に移さなければ良かったなとか思いながら。
オレの視界の先には六人の人影が見えた。
三人は血に汚れた白衣を着ており、それぞれが手に持った拷問器具に属性の力を宿している。三人三様の表情だ。苦悶に満ちた顔をする者もいれば、歓喜に震える表情をしてる者、仏頂面を曝け出している者がいる。
そしてそれに相対するのは三人の、いや一人の患者だ。全身から白い体毛を生やし、掌は刀剣のような爪を携えた獣の剛腕と成り果てており、元々着ていた紺色の患者服は内側から破られたようにビリビリに破けている。
そんな猛獣の爪が二人の患者の首筋に当てられているのだ。
見れば一瞬にして事の全容がつかめる。これは人質だ。
どちらも手が出せない状況だからこそ、目の前の看護師たちは止まったのだ。
「――って、納得してる場合じゃねぇ!」
止まってるだけでは何も動かない。オレ達が来たところで、この状況が動くとはとても思えない。
考えろ、考えろ、考えろ。半分獣の人間が三人の医者相手に人質を取っている。看護師集団のオッサンも動けないでいる。何か起こせるアクションは無いか?
オレが頭を抱えていると、ロデリーが今さっきの剣幕はどこへやら、呑気な声で言った。
「トールはもう見ただろう? あれが僕らが本業とする対象だ」
「あぁ、そうだ! あれはなんだ!?獣と人が混ざってるぞ!」
オレが指を指した先、それを見据えながらロデリーは落ち着いた様子で呟いた。
「モンスター、それを宿した人。――トールは『呪胎』って知ってる?」
A A A
「『呪胎』? なんだそれ・・・・」
聞きなれない言葉に耳を傾けると、ロデリーは軽い説明を加える。
「何かしらの方法で、人の根源的な、・・・ここでは存在としよう。その存在にモンスターの魂が宿ること。それによって身体や精神が著しく変化する事。これを『呪胎』って言うんだ」
「人に、モンスターを宿す・・・?」
「どういう原理であぁなるのかは分からん。治せるか治せないのか、病気なのかまったくの別物なのか、それを研究するための、隔離施設の一つが此処だ」
ロデリーが捕捉を入れてもオレにはさっぱりだった。
今の今までこんな奴が出てきたなんて新聞に載ったことすらないのだから。この世界に入ってからずっとこんな感じだというのに、まだモンスターの種類が増えるのかと思うと頭の処理が追い付かない。
「ってか今までこんな奴”外”でも見かけた事ねぇよ」
一応”外”はかなり限定的だが、オレとて普通の違法乱獲者とか声明を蔑む冒険者は見たことがある。だがここまでしっかりモンスターしてる人間なんて見た事がない。
「今の今まで、出てきた『呪胎』は僕らとは違う同業者が回収したり、抹殺したりしてきたからな。騒ぎが起きる前に鎮圧してる。だから表の方では『呪胎』の存在なんて都市伝説程度の認識だろう」
「なるほど、でもなんで集めてんのよ」
「知るか。それは『業皇』様に聞いてくれ」
残念ながら詳しいところは一端の看護師には明かされていないらしい。ロデリーも「別に知らなくてもいいし・・・」と言う態度である。確かに変に裏社会を知ろうとする者は総じて主人公とヒロイン以外死ぬ運命にあるからな。
「(現実はもっと厳しそうだがな・・・)」
しかしずっとここでロデリーの話を聞いてる暇はない。今すぐにもこの状況を打開しなければいけないのだ。
だが動こうとしても、どう動くべきかかなり迷う。
これはもっと情報が必要だ。
「ロデリー、実際問題、あの状況ってどうやったら打開できるの?」
仕事を教えてくれるのだからこれくらいは教えてくれて然るべきだろう、とオレがロデリーに問うと、ロデリーは難しそうな顔をしながら腰に掛けた剣の鞘を握る。
「本当はズバーッ!ってしたいんだけど、残念ながら相手は『禁断番号』だからな。『呪胎』の解除時間はまだ長そうだし、今さっきから喧嘩やってたってことはもしかしたら後三時間は『呪胎』解除はなさそうだなぁ・・・」
「ヴォルツさんも言ってた奴ですけど、『禁断番号』って何です?」
「『呪胎』を発現させた者の危険性の順番。一回『呪胎』を発現したら本人の意志でしか解除負荷になる状態、理性が高い『呪胎』者が一番危険性の高い『終末番号』、その次が半分モンスターに呑まれた状態の『禁断番号』。後は有象無象」
「なるほろ。・・・・ん?」
ロデリーの説明に相槌を打ったオレは耳に何かがつっかえた感覚を覚える。
それを確認するためにもロデリーに確認を取る。
「つまり、『禁断番号』は意識がモンスターってことですかね?」
「あぁ、ほとんどだ。僕の知ってる限りだと外見から察するに宿したモンスターは白虎ってところか・・・。質問は以上か?」
首を傾けるロデリーに、オレはすっと顎を引く。
「それだけ分かれば十分ってもんだな。後は、――オレの脚か」
「?」
ロデリーが首をかしげる中、オレは目の前の看護師を押しのけてヴォルツの隣に行く。オレの考えが正しければ、ヴォルツが話の通じる人であれば、と願いを込めて。
ヴォルツが急にオレが横に来たことに不思議な顔をすることもなく、そっと腕を広げて「これ以上行くな」と押しとどめる。
背中で語る系の、風格のある筋肉質な背中を見上げながら、オレは後ろからこっそりとヴォルツに耳打ちする。
「ヴォルツさん」
「ヴォルツで良いぞお前さん。・・・なんだ? 今は硬直状態だ。面倒くさい奴が人質を取ったせいで今は動けない」
「いや、ちょっと作戦があるんですけど・・・」
オレが言い躊躇うと、ヴォルツは「申してみよ」と低い声で応じた。
オレは「では・・・」と前置きし、オレの想像と奇策の全容を話す。
そして「どうですか?」とオレにしては似合わない上目遣いでヴォルツを見るも、ヴォルツは振り返ることもなく淡々と言葉を紡ぐ。
「・・・ほう、やってみるだけの価値はありそうだ」
「じゃぁ早速オレが?」
答えはヴォルツが腕を下げた事だ。つまりはオレの作戦の”GOサイン”と言う事だ。
「ゆけ」
ヴォルツの低く重たいゴングが鳴らされ、オレは倒れ込むように両手を床に着く。
オレは体育の授業で習った短距離走の構えである、”クラウチングスタート”を皮切りに、脚のバネを最大限に跳ね飛ばした。
「―――――!!」
オレは腰に装備した斧を抜き取り、猛然と風を置いて一気に白虎の『呪胎』をした男の懐へと入った。
「な、ぁ―――――」
医者三人が急に飛び出した来たオレを認識し、声にならない叫びを声を上げかける。
それに釣られて、白虎の『呪胎』者もまた視線の先に居る、今まで居なかったオレの存在を捉える。そして―――、
「喰らえ――――ッ!!」
『呪胎』者の一歩手前で止まり、身体を捻らせて腕の筋肉と腰回りの遠心力を手先に存在する斧へと込める。
腹の底からの雄叫びを勢いに乗せて、斧の軌道をたどる。
金属製の刃の唸りは確実に無防備を貫いている『呪胎』者の頭部に食い込、
――まなかった。
「ぐ、ぅぅ、ぅおおおおおお・・・・!!!」
白虎の剛腕がすんでのところでオレの斧撃を止めていたのだ。いや、止め切れてはいない。骨の関節に斧を喰い込ませることで威力を無理矢理に殺したのだ。
だがこれで――、
「人質、さっさとあっちに行け!!」
「「―――!!」」
残り少ない理性で首に爪を掛けられそうになっていた人質が、自我を取り戻してその場から医者の方へと一目散に退散する。
『呪胎』者は残り少ない理性で人質を取っていたにも関わらず、オレの奇襲によってモンスターに意識全てを乗っ取られたようだ。その証拠に、今さっきまで黒い靄がかかって見えていなかった瞳の霧が晴れたのだから。
「一本、取ったぜぇ!」
オレは深入りすることなく、関節で止められた斧を回収し、『呪胎』者の胴を蹴り上げて後ろへ下がる。
バックステップで距離を取ったと同時に、だ。
「かかれぇ――――ッ!!」
オレの背中から号令が響き渡り、虹色に光る属性の技が指向性を帯びて咆哮し、人質のなくなった『呪胎』者へ牙を剥いた。