第一章45 『みる。』
戦場に先駆けたのは大熊だった。
大熊は狩りの事となると生半可な人間よりも凄まじい腕を発揮すると聞いたことがある。野生の勘もあるだろう。だが、主な武器は己の身体一つだけだ。分厚い皮膚に索敵能力、豪腕と大爪、噛む力と耐久力と嗅覚、そして知性。
一つの身体にしてはあまりに多くのものを持っている。
そして、その生まれつきのポテンシャルに胡座を掻くことなく積まれた研鑽の日々の賜物。
――さも自身が怒り狂って単調な動きしか出来ないと相手に思わせるという、詐欺師顔負けの考えが大熊の目には映っていた。
「グヴォオオオオオオオッッッ!!!!!!!!!!」
迫り来る漆黒の嵐が、当たればひとたまりもない豪腕を振りかぶりながら、さも「避けてください」と言っている単調な攻撃を放とうとしている事が手に取るように分かる。本音はこの一撃にオレがどう反応するかを確かめるのだろう。
草木を踏みにじり、風を蹂躙し、地面を蹴り飛ばす音が遅れて聞こえる。
だがどれだけ大声を上げたとしても、オレは騙されない。
本気で怒る動物というのは、大抵真っ直ぐな悪意をぶつけてくるのだ。
「だから、そんな風にこっちを謀ろうとする視線を向けねぇんだよ」
大熊にすら聞こえない独り言で大熊の敗因を遠回しに伝える。そしてオレはそのまま全身の神経を剥き出しにした状態で、斧を握る。
カウンターを狙う。
単純を装うのであれば、こちらとて容赦はなしない。
漆黒の巨駆が地響きを立てながらあっという間にオレとの距離を詰めてきた。
そして振りかぶった豪腕がオレの脳天目掛けて降り下ろされようとして・・・。
その前にオレは大熊の次の行動に感づき、横一閃する姿勢から真横に縮地法で移動した。
直後に空気が引き裂かれる音がオレの真横から響いた。見なくても分かる。大熊のもう片方の掌がオレの頭を吹き飛ばそうとしたのだ。
だが目論みは外れ、大熊が吹き飛ばしたのは大熊の視界に残っていたオレの残像だった。
オレはすぐさまその場から脚のバネによって一時的な戦線離脱をする。
大熊は目の前で起きたことが信じられないのか、自身の掌と距離をとったオレを交互に見る。そして状況を理解したのか、大熊の目がスッと鋭さを増した。
明らかにオレへの認識が変わった事を後ろで応援してくれているイドが伝えてきた。
「今ので大熊はルナを完全な危険因子として認識したぞ。次の攻撃からは中々トリッキーなことしてくるからなー」
「わーってる。殴りかかる直前にオレの姿勢に違和感感じて、単調な攻撃から騙し打ちに変えてきたんだからよ」
オレの神経が察知したのは微弱な電撃的なビジョンだった。
――目の前の大熊。その左腕の手のひらの向きが明らかにオレの眼前を捉えていたこと。
「平面の集中力に近い感覚だったけども、範囲が小さすぎる・・・。ここは保留か・・・」
脳内に瞬間的に映し出された大熊の手の動き。それを伝えてきた“何か“だが、オレはとりあえずとして考えることを後回しにする。
というか、大熊の目に見えるオレへの危険度が上がったせいで、考えながら戦闘するとか言うマルチタスクはさせてくれない。
「天候は快晴だけど嬉しくないし、電気属性の平面の集中力も発動できてねぇ。イドから斧を新調されたけど正直手が慣れてねぇ。脚の器具がねぇから蹴りを放つと折れかねねぇ・・・」
改めて周囲の状況と自身の状況を確認する。
「(ハンデがでかすぎるだろ・・・)」
イドの援護があるとは言えど、大熊の方に分が行き過ぎている感は否めない。大熊の額には今さっきオレの与えた一撃があり、左目が潰れて、口が少し切れている。
奇襲成功の割には現在の戦況に差がありすぎる。
「(うまく大熊の頭に触れられれば『幻影操作』で自滅も狙えるが、あまり現実的じゃねぇ)」
少しでも触るのが、『幻影操作』が遅れでもしたら頭と身体がパッカーンされる。灰獅子のように完全暴走状態ならやりようはあるが、大熊相手となると触れるまでが難しい戦いだ。
「だったら別のやり方か・・・?」
触れるのが死と紙一重だというのなら別の方法はどうだろうかと、オレ自身へ新しいアプローチを考える。
「何があるんだ・・・?」
「考えるのもいーけど、身体は動かしとけよ。四秒後に熊さん走って叩いて来るぞ」
さらっと耳に入るイドの助言にハッと前を向くと、隙だらけのオレに猛突進する大熊の姿が視界の大部分を占めていることに気が付いた。
オレはすぐさま攻撃の軌道から右斜め下に体重をかけて一回転し、またもや剛腕の風を間近に感じながらも必中圏内から大きく外れた場所へと移動する。
「電気属性の平面の集中力頼みが続いたからな。ここで一旦オレ自身の力試し、と行きたいところだけど、普通に猫の手も借りたいんだよなぁ・・・」
かと言ってイドは”もしも”の時にしか役に立たないため、実質役者不足である。
目を見れば次のモンスターの動きが分かると言っても、おちおち戦闘中に相手の目をずっと見てるわけではないのだ。相手の攻撃を防げてるか、避けているか、とかがどうしても気になってしまうのだ。
「(避けてると錯覚して、実は腹に穴が開いてましたじゃ笑えんよ・・・)」
中には今の大熊のように、ふと気を抜いた瞬間に急に攻撃方針を転換する奴もいるのだ。だからこういう奴とやり合うに当たっての相性はとても悪い。
だがそれで許してもらえる環境にはいないのだと、オレは確信しているのだ。
オレは大熊の目を見る。
大熊はオレを『只者ではない』と認識しており、『単純な攻撃に別の攻撃だけでは防がれるか返り討ちに合う』と考えているようだった。
「どうせならオレを”弱い奴”認定してくれれば良かったんだけどな・・・」
「最初はそーでもここは”外”だからな。”見た目が弱いから弱い”って考え方はこの環境下じゃ身を滅ぼすことに繋がるぜ」
確かにここは”外”の世界。諸外国の”外”とは比べ物にならないくらいの過酷さと、それに準じた生物がごった返している魔境だ。当然こんなだだっ広い魔境を国が管理できるはずもなく、諸外国と比べて冒険者の強さが平均以上あるこの国も、この世界での生存率は20%を下回ると言われている。
そんな地獄みたいな環境に囲まれたウチの国に攻め入ろうとした諸外国もあったそうだが、ある意味国の壁となっている”外”に入ったものの数時間で全滅したとの記録があると、歴史の授業で学んだことがある。
そんな”外”だ。”外”の動物はおそらく大分戦闘や生存の事に命を懸けているはずだ。イドの言う通り、いつまでも『自分最強!とか己惚れている奴は真っ先に実は強いのに弱そうに見える相手を襲い、そのまま学修せずに死んでいくのだろう。
そうならないためにも”外”の連中は頭を働かせる。学習能力がとんでもなく高くなるのだ。それと同時に”外”を通り抜けて諸外国に仕事をしに行かなければならない冒険者や調査員の強さも上がっていくことになる。
それが”外”クオリティなのだ。
つまり―――、
「大熊に敵認定されてるってことは、オレ今”外”で生きていけるくらいには強いってことか・・・?」
「己惚れんなよルナ。あの大熊にとって”敵”ってだけだ。他の”獣”や”魔獣”にとっちゃ、取るに足らねーよ。出直してこいって感じだ」
「マジかよ・・・」
がっくしと項垂れる。流石に自信過剰が過ぎただろうか。ずっとイドに支えられてばっかりなのだ。そんなオレが認められることなんてないだろうと、
でも、だ。
イドはそんなオレを尻目に大熊を見ながら言う。
「でもその大熊だって”外”の世界で生きて数年は経ってるんだから、ルナは”外”で数年間過ごした奴くらいには強いって見られてるってことだぞ。そこは喜んでいーかもな。すげーぞルナ! 俺だけでなく、アルテインや大熊までしっかりと見る奴は見てるんだよ!! お前のすげーところを!!」
「―――――ッ!!」
イドの声援にオレの”何か”が腹底から溢れ出した。
オレの内側にあった意識の堤防があふれ出す”何か”を抑えきれずに決壊する。
壊れ、破れ、裂けて、爆発して、崩れて、溜め込まれていたものが一気に”外”の世界に外へ干渉する。
それは無意識の内に封じ込めたつもりで、今の幸せの後ろで忘れたつもりで、しかしほんのひと欠片も消すことのできずにいた激情の吹き溜まりで――!
A A A
――あの子は親不孝者よ!社会的に言えば犯罪者!
――それがどうして”ああ”なのよッ!!
――貴様は両親の愛情に背いたのだぞ!!期待を失望に変えたんだぞッ!!
――・・・ゼクサーの嘘つき。約束勝手に破るんだ・・・。
――これだけは言える。―――俺は友人選びをミスった。
――人間として失敗作だ!!
――見ればわかる。お前はれっきとした不遇人間だということがな!
――汚名、返上してやろーぜ?
――これほどにデケー武器があるかよって話じゃねーか。
――革命を起こそーぜ。元ある価値に、新しい世界観を付ける。
――「”関わりたい”。――そのために気絶するまで拳を振るって声を上げたゼクサー君に、”興味何て持つな”っていう方が無理だよ!」
オレの中のどこかで、何かがオレの全身から噴き出されていく。
世界を覆っていた残滓に新しい力がしっかりと入っていく感覚だ。
前までそこがオレのそのものだったような、消えかかりの残骸に魂が入ったような、
洗練されていく? いや、むしろこれは―――ッ!!
A A A
現状の絶望的な局面から生み出されたそういう”誇らしい事”には、流石のオレも口を歪めずにはいられない。
「ふー」
「グゥゥゥ・・・」
息を吐き、肩の力を抜く。なぜだか知らないが、今オレは神になった気分だ。
世界の全てに手が届くとさえ錯覚してしまいそうな、いや、今のオレなら届いてしまう。全部がオレの手中だ。この世の全ての事象は、オレの知るところにある。
知りたくないことも、知りたいことも、全てがオレの脳に直接送られてくるのだ。
「(あー、この感覚は・・・)」
まさか・・・と思いながらも、その感覚をオレは噛みしめる。
まさかこんな時に・・・。だが、オレらしいと言えばオレらしい。
オレは大熊へと向き直る。両手には斧が握られている。そして、オレの頭の中ではあらゆる情景がオレの中へと入りこんでくる。
後方では、イドが驚いた顔でオレを見ている。もっと驚かしてやりたいな・・・!
少し気分が高ぶっている。いや、かなり気分がアガっている。
今のオレなら何でも出来てしまう。
そう思ったオレの頭の中には一つの”新技”が思い浮かんでいた。
「試してみるかね・・・?」
答えは明白。GOサインだ。
「さぁ、行こう」
オレの中で覚悟が決まった瞬間、オレは脚で衝撃ごと、世界を蹴飛ばした。
この戦いに幕を下ろすために、そしてオレ自身の為に。
大熊戦、終戦―――。