第一章39 『質』
ルナティック家の地下倉庫にて――。
オレはランプを片手に埃と鼠とゴッキーに溢れかえった地下倉庫を探索していた。
「マジで汚ねぇなここ・・・。扉も金の癖にガタついてたし、あれか?封印されし云々とか冥界のキングの記憶とか保存されてんのか?」
ぜひともそういうものは常温保存ではなく、冷凍保存の方でおねがいしたいものだ。ここって黄金櫃とかねぇだろ?記憶の冷凍保存技術とかねぇんだから、そんなモンを常温保存しようもんなら腐るまである。
もはや湿気とカビの体臭が臨界点をぶち抜いたような地獄の暖床、その現実を見たくないし嗅ぎたくもない一心でオレは現実逃避に浸りながらあるものを探す。
足場はねちょねちょ、天井はキノコ、壁の棚にある物体共は鼠の住みか。なんというかこれが家に住んでる人の心の中だと思ってしまうような、まるで幻想の世界居るような感覚に襲われる。
「(多分キノコの胞子のせいだと思うけどな・・・)」
天井のキノコはまるで絵本で見た様な、とても鮮やかな赤と黄色と青色で彩られており、周囲にまるで火山の噴火の如く胞子らしきものを噴出してくる。それが換気性のない暗く湿気のある淀んだ空気に纏わりついて空気が煌びやかな色を帯びているのだ。まぁ、吸っても見えるのは虹ではなく三途の川なんだがな。
「(だからこうしてオレは布巾で口元を押さえているわけだが・・・)」
正直天井の虹色キノコの胞子はオレの布巾なんて関係なく呼吸に乗っかって肺に入ろうとしているのだ。しかもなんか目に染みる。
「(ヤベェな。悲しくも嬉しくもねぇのに、強制的に泣かされている・・・。ある意味悲しいわな。なんでここだけこんなにひでぇ環境なのか・・・)」
少なくとも長居はすべきではないと、オレの本能がそう告げている。だが、オレ、もうここで一時間くらい探し物してるんだけどね。草。
「笑い事じゃねぇよなぁ・・・。っと、これも違うな・・・」
皮袋を開けて中身を確認するも、中身は工具一式だった。オレの探しているのとは違う。
こんどは箱を開けて中身を確認。パカッと開けて最初に香るのは糞の香り。
腐り散らかした下水の香りがオレの眼前にふわっと現れたのだ。
「なんだこれ、―――うわぉッ!!?」
強烈な熟成された腐敗臭。その根源はというと、
「うげぇッ!?なんだこれ? 魚か?何でドロドロ・・・、いつ買ったんだこんなもん。うぉえッ! 絶対親父だ。こんなゲテモノ買ってくるのは絶対親父だ!!」
ウチの親父は大のゲテモノ好きで、『年代物を作ってやる』tか世迷言をほざいた挙句、誰も食わなさそうな劇物を旅行先から買って帰り、保管する癖がある。時々掃除に来るメイドや、学校から帰ってきたオレが激臭に気づいて捨てているのだが、まさかこんなところにもあったとは・・・。
見たところ、数羽の鳥の羽とくちばしと、骨。そして完全に液体と化した魚の死骸が箱の中でたぷたぷと音を立てて波を起こしている。
八年間は洗っていない便所臭、溜池のようなドブの臭いがそこにはあった。
鼻がもげそうだった。いや、多分もうもげてた。
なのでオレはこれ以上もげないようにと蓋を占める。そして鍵をかける。鼻つまみ者だけに臭いものには蓋理論だ。
「なんで親父は食べ物を腐らせるのかねぇ・・・」
ちなみに今開けた箱の真後ろにはビール樽があるのだが、中に入っているのはビールでもワインでもなくチーズである。そしてそのチーズも例に漏れずに青色以外のカビを付け、更にはその原型は今やぐじゅぐじゅの液体となり、一緒に保存されていたよく分からない『トーフ』『ナット―』を巻き込んで新しいジュースになっている様である。
「(そもそもこの国の食卓には腐ったりカビた食べ物はほとんど出ないからな。調味料で使われることはあっても主食や主菜で食ったりはしない。親父がおかしすぎただけなんだろうな・・・)」
確かに他国で”発酵食品”という名目の品が出回っているのは知っているが、すくなくとも常時新鮮な肉があるこの国では発酵食品何て滅多にお目にかからない。
まぁ、中には愛好家とかが居たりして、熟成肉やら醤油やらを仕入れたり自分で調理するんだそうな。
「(美味しそうだとは思うけどなぁ、ここにある成れの果てを見てると喰いたくなくなる・・・)」
そんなことを思いながらオレが歩き回り、丁度倉庫内の五分の一位を調べ終わった時だった。
壁の棚に立てかけられてあったかなり大きめの布袋。
「―――まさか、」
オレはそっと物が多い倉庫の中、粘着質な床を歩き、その袋を手に取る。ごつい防御力の高そうな皮袋に沢山の切り傷。しかし破れた様子はなく、むしろその分かなり年代の古いものだと直感する。
そして中身はというと―――。
A A A
オレは再びいつもの場所へと舞い戻った。
今日は帰らない予定なのでオレは先にしっかりと風呂に入り、新しい制服でイドの元へと帰ってきた。
イドは木の根っこ上で脚を組みながらオレに帰宅を待っており、オレを視界に入れた瞬間膝の上を叩く。
「来たか。例のものはちゃんと持ってきたんだろーなー?」
「なんで偉そうなのかは知らんけど、そうだな。これだけど」
と、オレは肩にかけて背負っていた袋をイドに手渡す。
イドは「おー」と短い返事で区切り、オレから手渡された袋を開けて中身を確認する。
袋を開けた瞬間に何か、鮮やかな虹色の空気がイドの顔面にふわっとかかった。
「うわぉッ!くっさwww え?なんでこんなに臭いん?え?ちょっと待って、こんな劇物ルナは運んできたってこと!?は―――ッ!!やべー!!ルナやべ――ッ!!」
臭いに驚き、オレをヤバい奴扱いするイド。そのままひとしきり笑いながら袋の中に手を突っ込む。
出てきたのは別の袋っぽい鞘にしまわれた大振りのナイフと、手に収まる程度の小さく藍色の石ころ数個、万能ナイフ、包帯、縄、鉄製の入れ物、水筒、小型の裁縫セット、ミノムシ寝具、マント等様々だ。
どれもかなり使われた形跡が有り、少なくともこういう経験がかなりある人であることはすぐに分かった。
イドはというと、袋の中に入っていた物全てを出して物の状態を確認していて――、
「あーこれ、ルナの爺ちゃんの使ってた奴だな。遺伝子の残り香がする。男子の」
「は?残り香?」
急にイドがキモイことを言いだした。最初から存在がキモイが。
それはさておき、聞き捨てならない台詞がオレの耳に入り込んだ。
「オレの爺ちゃんが使ってた・・・!?」
「あーそーだよ。その認識であってる。・・・まー、使ってたのなんて、ルナの爺ちゃんがまだまだピッチピチの十五歳から三十二歳の間だけだからな。残されてる死滅した皮膚片の細胞の遺伝子情報から見て、多分それで確定」
「え、マジで? ホントに爺ちゃんの使ってた奴なの?ってか、それで分かるもんなの???」
「そーそー、この国がまだ弱小国だった時の、ルナの爺ちゃんがスパイだった時の装備かもな。国またいで情報抜き取るプロだったんだから野営とかする時に使ってたものだと思うぜ」
「急に話題飛んだなッ!?」
オレの叫びにイドは興味深そうに袋の中から出てきた物体達を見ながら舐め回すようにその全体像を見る。なんならちょっと涎も垂らしていたまである。怖い。
だがまぁ、イドの話からしてオレの爺ちゃんがスパイだったのはこれで確実だろう。だから何だって話だが、まさかホントに爺ちゃんが昔よく話していた武勇伝が本当の出来事だとは驚きである。
前にも似たような事があったが、あの時は只々イドの冗談か何かだと思って受け流していたけれども、ここまで的確な証拠が揃っていると、オレの爺ちゃん、ホントに凄い奴じゃねぇかッ!!
確か爺ちゃんはよく分からないが、国から”戦争における凄い名誉監督”みたいな勲章をもらった事があるんだとか。やはりオレの爺ちゃんは凄い奴だったのだ。
「すげぇな、爺ちゃん・・・。流石は通った道が違うだけある・・・」
いくつもの修羅場を潜り抜けてきた爺ちゃんに尊敬の念を抱いていると、イドがにんまりとした表情で言った。
「すげーなこれ。もう使わないかもしんねーのに、しっかりと手入れされてるじゃねーか。それに、このサバイバル道具結構材料の質が良ーぞ。今の大量生産とは大違いの質感だ」
うんうんと頷きながらイドがサバイバル道具を掌の上でクルクルと回す。
そんなイドの様子とは関係なく、オレはイドの発言が気になった。
「ウチの国、今は資源何て”外”に沢山あるから大丈夫だけど昔はむっちゃくっちゃに資源なかったんだろ?それなのに、スパイと言えど兵士に渡す装備が質の良いものってどうなんだ?それこそ、合金とか、混ぜ合わせの大量生産をした方が良いんじゃねぇのかよ?」
そんな一端の兵士にそんな大事なものを持たせて良かったのかと、オレはイドに問う。
イドはオレの意見を「確かにな」と前置きして、「でも」と反論の構えを取る。
「当時の民主国は”外”が魔境だったせいで外から入る人も、内から出る人も居ない、簡単に言えば”外”がやばすぎてどの国からも関係を断たれた弱小国家だったわけだよ。これは世界史で習っているはずだ」
「あぁ、まぁ、そうだな」
「んで、そこの資源元と言えば、運よく壁近くで死んだモンスターとか、掘り進んだ先にある鉄鉱石とかだな。石油とかは全部”外”だ。だから基本的には天然で、しかも”外”という魔境をくぐって来た猛者達の死骸が資源となる。しかも当時のこの国は資源も人口も少なかったからな。土地も狭いし」
「あー、なんか聞いたことあるな・・・」
「だからそれに比例して、一人一人に当てられる装備の元となる資源の質が良くなるのは当たり前となるわけだ。まー恐らくは、”外”を抜けて敵国の情報を手に入れなきゃいけない訳だから、兵士に安っぽい装備を与えて犬死にさせたくなかったんだろーなー」
「―――あぁッ!! そういうことか・・・ッ!!」
イドの説明にオレの頭に電流が走った。
なるほど通りで装備の質が良いのだ。あんな腐れ倉庫にあっても中身は一品級の代物と言う事か。
オレの納得を横目にイドは袋にサバイバル道具を詰め直していく。
そして全部を詰め込み終わり、紐で袋を縛り上げてオレに手渡しで返してきた。流石に人の物はちゃんと手渡しで返すか・・・。
改めてイドの数少ない常識に驚かされていると、イドは軽く手を叩いた後、言った。
「じゃー早速”外”へ行くとするかッ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
要らない話で脱線しまくっていたオレだったが、そうだった。今から不法外出するのだった。流石に世界を恨むオレでも法という真実には萎縮せざるを得ない。謎の罪悪感があるからだ。
「(いったいどんな不法な方法で”外”へ出るというのだろうか・・・)」
オレはその言葉に固まるも、なんとか口を開く。
「どうやって?」
オレの問いに、イドは人差し指をすぐ下に向けた。
その回答は至極単純明快で――。
「オレの座っている木の根っこの部分の空洞。ここから穴を掘って舗装して、壁の”外”まで続くよーにしてあるんだよ。実質繋がってるんだから、違法じゃねーぜ?」
・・・・・・・。
「(・・・・・・・・・・・)」
変な沈黙がオレとイドの間を駆け抜けた気がする。
合法とイドは言うが、おれの心境はというとすんばらしいくらいに吹っ切れていた。
オレは夕焼けの空に向かって、ため息を零す。
イドよ、それを屁理屈って言うんだぜ・・・。