第一章3 『自分勝手なデリカシー』
「―――であるからして、この座標を求める場合は先述した微分積分法を使うことで――」
「ここの例題も同じように解けるからな。宿題で出すぞ~~」
「この問題だったら積分法で一発で行ける。出した答えとここで出た答えで式作りゃすぐに答えは出るぞ」
先生の講義が耳穴を通じて片方の耳へと流れていた。
多分、数学をやっているのだろうか・・・。そもそも今は何時間目の何の授業なんだ・・・?
オレはゆっくりと眼を黒板から下に向ける。そこにはやけに綺麗な白紙に、乱雑に線が書かれた状態のノートがあった。
「何描いてんだ、オレ・・・・」
何を描いていたんだか・・・。
見てみれば開いてる教科書のページも違うことに気が付いた。50ページくらいズレていた。直そうと思ったが、直す手が動かなかった。・・・まぁ、無理もないか。
正直、今はとてもどうでもいい気分だ。
瞼も重いし、身体も動かない。動こうとも思えない。
「(もう少し、寝るか・・・)」
疲れていると、不思議と何も考えられず、そのままオレは奈落に落ちるように眠りについた。
A A A
「おい起きろゼクサー、おい、聞いているのか?」
真っ暗な視界の中、誰かが頬をぺちぺちと叩いてきた。
「おいおい・・・僕がせっかく帰って最初に会うのがゼクサーなのに僕の事は無視でお眠かい?」
相変わらずと言っていいほど耳障りで、問答無用にオレの逆鱗にタックルを噛ましてくるようなこの挑発的な物言い。
オレの友人でここまで無意識に人を煽ることに長けている人物と言えば、オレの中では一人しかいない。
「お~い、ゼクサー君の幼馴染の僕もあの人たちも帰ってきてるのに会わなくていいのかい?」
本格的にオレへの攻撃が始まった。
まず肩を揺らしてくる。
そして、
「研修会から帰ってきたというのにゼクサーったらぁ~、ねぇねぇ起きてよ~~」
思いっきり耳を引っ張って来た。
「あびゃびゃっびゃっばッ!!?」
あまりの痛さに現実味が無く、朦朧としていた意識が覚醒する。ばっと目を見開いて慌てて後ろを振り返ると、オレンジの明るい髪の毛を生やした同級生がいた。
「やっと起きた~~」
あははッ!と、人を子馬鹿にするノリで笑い声をあげる。オレ個人的にはコイツは一番嫌いな奴の内の一人だ。話をするだけでオレの沸点が上昇するのだから。
こっちは現実的な問題と、オレ個人の問題とでもみくちゃになって疲労困憊だと言うのに、出会ったやつがコイツである。
オレは盛大な溜息を吐きながら「んで・・・」と、話を切り出す。コイツに話の主導権を握らせると碌なことにならない。早く聞きたい情報だけ聞いて早々に会話を切り上げるのが得策だ。
「今、何時だ・・・?」
「え?五時切ったあたりだと思うよ?まさか寝過ごしてたの!?あっはっはっはっはっは!!爆笑。あり得ないんだけどwww。え?誰にも起こして貰えなかったのカワイソー」
「・・・・・・・」
こっちが反応する前にオレの考えてることを代弁し、そのまま自分の爆笑ネタに引き込むクソ天然男子。研修会で消えてったから安心していたのも束の間。これでもかと煽られた。
「(しかしまぁ、何で皆オレを放課後になっても起こしてくれなかったんだろうな・・・、なんか話かけるなオーラでも出てたかなぁ・・・)」
そんなことを思いながら笑うクソ男に目を向ける。
「・・・帰ったのかデルシ・・・。もういっそのこと一生研修してればいいのになぁって思ったわ」
「デルシオンだよ。デルシオン=ディバインス。僕の名前を数か月で忘れるなんてひどい・・・。でも君の場合、実の母親に「名前なんだっけ?」って言われてるし、僕の方がマシだよねwww親に名前忘れられるなんてwwwwもうwwwあははははははははははははwwww!!!!」
今度は腹を抱えて大爆笑するデルシオン。
「(オレが言った皮肉をトラウマ級の煽りで返しやがってッ、このクソ野郎が・・・ッ!!)」
一瞬殴りたくなるが、実際にあった事ゆえ、殴っても解消されないと思い拳を収めた。
オレの親は、特に母さんの方は親父と違ってほとんど家に帰ってこない。偶然にも会った時は実の息子なのに不審者扱いされた挙句、「名前なんだっけ?」と聞いてきた始末。最初はそれこそオレを喜ばせるための質の悪い冗談か何かだと思ってた(親父から冗談だと教えられた)けど、昨日の出来事があってからあの時の言葉が真意だったのかもしれないと、昨日散々吐いたのに喉奥から酸っぱい感触が漂ってくる。
オレは何とか学校に行けるようにまで立て直したメンタルをやられる訳にはいかないと、話の話題を変えることにした。あまりオレのストレスに関わってくる内容じゃないもので・・・。
「・・・そういえば、研修会から帰って来たんだろう?だったらアイツらも帰ってるんじゃ・・・」
「あ!!そうだよそう!皆今学校の正門で質問責めにされてるんだ!!さぁさ、行こうゼクサー。僕らのマドンナも帰ってるんだよ!また一段と美人になってるから覚悟しときなよ?」
デルシオンが身勝手言いぐさと共に、オレの腕を引っ張ってくる。
オレは半ばフラフラな足取りでデルシオンに引っ張られ、クラスを出た。
A A A
正門は人で溢れかえっていた。
騒ぎの中心はどうなのかは知らないが、その周りは確実に五月蠅い。なんなら隣でオレの腕を引っ張ってくるクソガキも五月蠅い。
「多いな・・・」
「でしょ~~」
オレの視界にはオレと同じく白い制服を着た同級生から赤い制服を着た上級生、中には紫色の服を着た最上級生も居る。その全ての人が研修会から帰って来た人たちを取り囲んでいた。
と、そこでオレはある疑問が浮かんだ。
「お前、どうやってあの大群の生徒からオレの教室まで逃げてこれたんだよ・・・」
出迎えるのは正門。この人だかりだと、馬車から降りた瞬間に生徒に囲まれるだろう。だとしたら何故デルシオンがオレの寝ている教室まで来れたのか不思議になった。
オレの質問にデルシオンは堂々と答えた。
「僕の属性って水と火じゃん?研修会で自分が危機的な状況になった時の回避策を思いついてね。――陽炎を、ね?」
「あー、そうか」
おそらくデルシオンが言ってるのは陽炎を作ることによって自分を分身させて、その隙に逃げると言うものだろう。
属性に指向性を付与するのは簡単だが、そういう細かな指向性を付与するのは中々に難しい。それも二つ以上の属性の同時使用ともなるとかなり高い集中力が必要とされる。それをこのクソガキは研修中に身に着けたと言う事だ。
・・・・はぁ、気が重い・・・。
皆が皆、こんな風に進化して行くのにオレには何もない。いや、あるにはある。でも”この属性”は強化が出来ないに等しい。そんなもの、あって無いようなものだろう。
自身のみすぼらしさに項垂れていると、人だかりの方からこちらに誰かが近寄って来た。
見物人が押し出されるような形で白い制服を着た同級生、否、友人が人混みの中から現れた。
茶髪のツインテとポニテの姉妹、そして黒髪のキザな男だった。
数か月ぶり過ぎて、顔と名前が一致しなくなったがこの百合百合な雰囲気とナルシスト的な雰囲気を醸し出してくる奴はオレの知ってる中でも特に親しい、いわゆるデルシオンと同じ幼馴染という奴だ。
オレは刹那としてコイツ等に会う事から逃げたくなる気分になった。
なぜなら見物人の数人の生徒がオレを奇異の目で見てきたからだ。別に、研修会から帰って来た有名人と仲がいいから”奇異”な訳ではない。そんな目線、両親のもとに生まれてから吐くほど浴びてきた目線だから。
だが今のは違う。
明らかに、「場違い」という言葉が一番よく似合う、そんな視線だったからだ。
だが此処で逃げても不自然だし、オレの気分でせっかくの再会を棒に振りたくは無かった。
オレは出来るだけ不信感のないように笑顔を作って三人を出迎えた。
「やぁ、お帰り皆。研修会はどうだったんだ? プロの冒険者と”外”に行ったんだって聞いたよ。”外”はどんな感じだった?」
「ゼクサー、僕にはそんな事聞いてくれなかったのにどうしてあの三人には聞くの~?」
「(お前相手だと面倒くさいからだよッ!!)」
心で叫びながらもデルシオンのことはしっかりとスルーしておく。構うと面倒なのは三人も知っているようで、無為に口は挟まなかった。
そして出た第一声は―――、
「ただいまゼクサー、四か月ぶりだね!お土産話なら沢山あるよ!お姉ちゃんがねぇ、道端に落ちてる白い玉を見つけてね~、とても良い匂いだからたべようとしtわぷっ!!?」
「ちょっっ!!ヒルディア、それは言っちゃダメな奴!っていうか言うなッ!!変な誤解を生んじゃうでしょうがッ!!」
何かとんでもないことを言おうとして、咄嗟に姉のミルティアに口を塞がれる妹のヒルディアだ。
どちらもエルダー家が代々受け継ぐ風属性と、その指向性の精密さを宿した天才姉妹で、オレの母さんも二人には良く接していた・・・。いや、母さんは今は忘れよう・・・。
急に頭に現れた母さんの像を振り払い、オレは話の続きを手に入れようとキザのナルシストに尋ねる。
「んで、ミルティアはその白い玉をどうしたんだ?分かるかウガイン」
「あぁ、あれはすさまじかったな・・・。冒険者のアルドさんが「それはダメだ―!」と静止を呼びかけるも時すでに遅し。しっかりと齧り付き、咀嚼して味の確認をして吐き出すミルティアの様子は見るに堪えなかった・・・」
「コラ―――ッ!!何勝手にバラしてんのよウガイン!!何感慨深そうな顔してるのよぶっ飛ばすわよッ!!」
黒髪のキザナルシストのウガイン=ペドワルルが口に手を当てて、痛々しそうに呟く。思い出すのも辛いと言った様子に、ミルティアが顔を赤くして憤慨した。
「それで、その白いのってなんだったんだ?・・・うんことか?」
「何で分かるのよゼクサーッ!!―――ぁ」
「合ってるのかよ・・・」
吠えたミルティアがハッと我に返った様子で赤くなった顔を隠す。どうやら禁忌に触れてしまったようだ。
げんなりとした表情で半歩引いていると、人だかりの更に奥からまた一人の白い制服を着た同級生が此方に歩いてきた。
金髪ロングをなびかせて、鋭い紺青の瞳を覗かせながら悠然とこっちに歩いて来る姿は正に次世代の王と評しても余りある。そんな男顔負けの美人は、悲しいかなオレの幼馴染の中でも交友時間の長い友人で、名をマテリア=オーネットと言う。
マテリアが此方に歩いて来る姿を見たウチの学校の生徒は上級生下級生構わずに、その傲岸不遜な態度とその美貌に眼を奪われていく。
だがオレは知っている。
コイツはデルシオンの次くらいに、人を煽ることに長けていると言うことを。
マテリアは周囲と和やかに話しているオレを見て、猛然と突っかかって来た。
「ゼクサー=ルナティック。此処で他の者と他愛ないおしゃべりとはどういうことだ? 伝説の冒険者の子孫の貴様は迎えの筆頭をすべきではなかったのか? それなのに何故こんな後ろの方で固まっている?」
「色々あるんだよこっちは・・・」
「仮にも”勇者”と呼ばれた冒険者”イズモ様”と”ソフィア様”の子孫であるならば、その”色々”と言うのは我々が帰還する前に片付けてしかるべきだろう。落ちぶれたなゼクサー=ルナティック」
「・・・・」
「どうした。無言とはどういうことだゼクサー=ルナティック。相手の目を見て物を言う、それこそが人と人が分かり合うための最低条件だと言うのに、貴様は自分の都合が悪くなったら訂正もせずに黙るしか能がないのか?」
「・・・すいません」
「何に対しての謝罪なのだゼクサー=ルナティック。我は謝罪を求めているわけではない。何故伝説の冒険者の子孫の貴様がそんなことも分からないのだ?そんな事では将来、偉大なる両親の期待に応えることは出来ないぞ」
マテリア=オーネットは簡単に言えばクソだ。
こちらの事情なんて考えてない。端から問題に入れてないのだ。
マテリアの両親はオレの両親と共に調査員となって”外”を調査したり、冒険者や近衛騎士としてモンスター討伐をしてきた仲だ。その両親と何度か会った事があるが、なぜあの両親の性格故にコイツの存在は出来てしまったのだろうかと、疑問に思うことがある。多分、十中八九、種が違う(不敬)。
両親の期待に沿うことは絶対で、両親が自分の事を愛しているのは絶対で、身分に応じたそれ相応の態度(彼女の気分が基準)を示すと言うことが当たり前、まるで自己的正義感を常識でコーティングしたような奴、それがマテリアだ。
コイツの面倒くさい所はデルシオンとは違い、こっちの非を認めても自分の考えにそぐわなければひたすらに謎論理で人の意見をこき下ろして、論破してくるところだ。
コイツは普段何考えて生きているのかは知らないが、この面倒くさい女との会話を断ち切るには聞き流しが一番手っ取り早い。長年関わって来たオレが開発した対マテリア会話術だ。
オレは早速耳にマテリアの声だけ弾くフィルターをかけてミルティア達の会話に戻る。
「一体どういう経緯でヒルディアそんなことしたんだよ・・・、遂にシスコンにスカト■属性が追加されたのか・・・」
「ちょッッ!! だから言ったじゃんミルティア! ゼクサーの事だからどうせ誤解するから言うなって。ほら、今もゴミを見る目で見てくるんだけどッ!!」
「釣られて頷いたお姉ちゃんの責任ですかね?」
「俺を巻き込むな。確かに一瞬宝玉か何かに見えたが、あれを見て美味しそうと思う辺り問題はヒルディアの頭だと言える」
「ちょwwwそれはツボwww。何故そうなったwww。ちょっと今から学校全体に広めてくるわwww」
「デルシ! オイ誰か今すぐあのクソ口軽男を捕まえろッ!!」
ミルティアが鬼の形相でデルシオンを追いかけ捕縛しようと、ヒルディアの拘束を逃れてその足を地面に踏み込んだところで―――、
「ゼクサー=ルナティック!!」
マテリアの甲高い声が多数の声の嵐を断ち切るように響いた。
まさか急に名前を呼ばれるとは思ってもなく、反射的にオレはマテリアの方を向いた。
向かなきゃよかった、なんて思ったが、こうも怒声に近い声音で叫ばれると無視しようにも出来ない。
「なんだよマテリa」
「貴様に質問がある。答えて貰おう」
オレが反応している途中で、マテリアは簡潔に要望を述べる。
ある意味、これは避けて通れない課題で、尚且つ他人にも踏み込んでほしくない話で――、
「貴様、何属性を発現した?」
今一番聞いてほしくない話題を、今一番会話をしたくない奴の口から発せられた。