第一章18 『波の使い手』
「―――ゴぉッッ!?」
灰獅子が軽々と、文字通り全身を持っていかれる衝撃に白目を剥いて、蹴りつけられた石のように軽々と吹っ飛ばされた。
今さっきの咆哮と、刀剣のような爪の攻撃とは打って変わり、面白いくらいに不細工な灰獅子の顔面がオレの視界の端を通り過ぎ、地面に二度、三度叩きつけられる。
いくら生徒達が一か所に固まっているとはいえ、生徒と灰獅子の距離はほんの2m前後。そんな中で的確に灰獅子の身体に巨大な波をぶつけたのだ。
「(ここら辺に居る生徒は年中に属性を発現した奴だけだからな。ここまで的確に灰獅子をぶっ飛ばせるほどの指向性の操作力、・・・絶対只者じゃねぇ・・・)」
今のオレでも、流石にワンポイントにだけ電気ぶつける程の制御性も持っていない。まぁ、そもそもの話、オレが本格的に制御性に生を出したのってほんの十数日だ。多分、今の波を撃った奴は相当長く指向性の付与を頑張ってたんだろうな。
急に目の前の敵が居なくなり、攻撃の手が止まる生徒が波が放たれた方向へと視線を向ける。
脅威がぶっ飛ばされたことによる安堵感より、自分たちよりもずっと強い真打たる存在に気が行ったのだろう。
無論、オレも気になる。新たな強者の登場、っていうよりも掛け声が可愛いため、ちょっとどんな顔してるのか純粋に気になった。
皆が見てる先にオレも視点を合わせる。
そこには肩までかかった髪留めを施した白銀の髪に、雪原とも呼べる白い素肌。灰色と光と白が混ざった混沌の瞳を浮かべた美少女が――――、
否、あれは男子だ。
まがうことなき、男子だ。
純度100%の男の子だ。
ウチの学園の制服と、その顔を見て見れば一発だった。
その女性よりも女性過ぎる見た目と、破壊力抜群の声。そして身体の細さから、女子からはモテないものの近寄る男子は後を絶たないと言われる究極の性別詐欺男。『全男子が泣いた』という、不名誉過ぎる称号を得たクラスメイト、アルテイン=エルダーデインだ。
そして彼を例えるなれば、世間一般で言うところの――男の娘、と言う奴である。
「(オレも最初の頃、完全に女子だと思ってたけど男子だと分かった瞬間、脳内で告って振られる一部始終が再生されたわ・・・)」
遠い過去の記憶だが、今でも忘れられない記憶だ。インパクトが強すぎて強すぎて、視覚からの暴力とか想像の外側だったのだから。
そんな他愛ない過去を掘り返しながら、記憶の悦に浸っていると、アルテインが口を開く。
とてつもない剣幕で、
「皆、逃げてッ!!」
「「「「「――――――――ッッッ!!!!!???」」」」」
直後にアルテインが手の平を叩き合わせ、その直後空気を振動させる波の塊が生徒達の眼前を素通りして―――。
「グゥ、・・・・オオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
けたたましい咆哮、そして直後地割れにも似た振動が地面を伝って伝播する。
生徒達、そして少し離れたオレが反射的に音源へと眼を向かわせる。
そこには、今の波の砲弾を片手で地面にはたき落とした灰獅子の姿があった。
脅威はまだ去ってはいなかった。
A A A
「うわぁッ!まだ生きてる!?」
「やべぇ!ヤベェよ!あんなん相手に何か出来ねぇ!」
「オイ!俺が先に逃げるんだよ、どけよぉ!!」
「私はまだ死にたくない!囮は誰か代わりにやってよねッ!」
今度こそ生徒たちは我先にと逃げ足を選ぶ。見ていて醜いなと感じつつも、かと言ってオレがそんな状態になったらやっぱり我先にと逃げだしてしまうため、人の事は言えない。
互いが互いに敵を滅ぼそうと協力するのは、肝心な大いなる一手が存在していなかったからだと思う。
逃げても逃げ切れる可能性と、同時に逃げ切れない可能性がある。だが、あの生命を凍てつかせるほどの咆哮の前では逃げ切れる可能性が消失してしまうのだ。だからこそ、同じ共通の敵を持つ彼らにとって協力とは、自身の命を長らえさせるも同義なのだ。
だが今は違う。
アルテインと言う、灰獅子をぶっ飛ばせるだけの戦力が居て、何より”逃げる”ことが許されてしまっているのだ。そんな状態なら誰でも責任転嫁して逃げたくもなるだろう。オレは、単純にまだ灰獅子に存在を認知されていないのと、灰獅子相手に自身の実力がどこまで通じるか試したいと言う気持ち故に此処に立っている。
四方八方に散っていく生徒達を見据えながら、灰獅子は波の砲弾を当ててきた敵へと首を傾ける。
灰色に黒く輝く鬣が逆立ち、赤い眼に狂気が走る。黒い顔のせいでより凶暴さが顕著に見えた。
その暴走寸前の獣を前にしても、アルテインの表情から冷静さが抜けることはない。
「ふー」と、息を吐き、掌を叩いて衝撃を生み出す。
瞬間、彼の前を一直線に地が割れる。
「――!」
地面がめくり上がり、よく分からない何かの力が灰獅子の眼前に叩きつけられる。灰獅子もこれには生命維持本能が働いたのか、寸でのところで躱し、アルテインから距離を取った。
今の技は少しオレにとって既視感があったが、今はそう思ってる暇はなく。
「―――ゥ、オオオオオ!!!」
直線攻撃に当たらないように、今度は突進ではなく左右ジグザグに走り、即座にアルテインの後ろを取りその鉤爪を振り上げる。
今度のアルテインの行動は単純明快、指を鳴らすだけだ。
それだけでアルテインを中心に大爆発とも見て取れる空気の大震動が起こった。
「ゴォオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!??」
大気の大震動が灰獅子の攻撃方向を無理矢理遮断し、余波をもろに受けて灰獅子がまたもや吹っ飛ぶ。
そして空中をくるくると回る灰獅子にアルテインはおそらくは本命と言える、大技を披露する。
勢いをつけて思い切り、掌と掌を叩きつけ、甲高い音が響き渡る1秒前。
音波。
その波を他に分散させぬように指向性を付与し、更にその音波に自身の属性の能力量すらも上乗せする。最初はただの甲高い拍手音。それが今、完全に生物を叩き潰す凶器に変貌した。
「―――音波砲」
ゆっくりと、そして明瞭にアルテインの唇が技名を紡ぎ、直後に破壊の奔流が逃げ場のない灰獅子を抉り飛ばした。
「―――――ッッッッ!!!」
それは悲鳴すらも掻き消す超音波が一直線に、灰獅子の血管や骨が揺さぶられる結果だ。
全身を破壊の音波が過ぎ去った灰獅子の身体が地面に叩き落とされる。今度こそ気絶したのか、全身をプルプルと震わせて泡を吹いている。
そして同時にアルテインもその場に崩れ落ちた。どうやら能力量をほとんど使い果たしてしまったらしく、肩で息をしながら、だらだらと汗をかいていた。今の一撃がかなりの集中力を必要とするのがよく分かった。
相打ち、というより若干アルテインが勝っている状況に、オレは自然と感嘆の言葉をお漏らしていた。
「すっげぇ・・・」
遠目からだったが、アルテインの勇姿とその属性の使い方には目を見張った。それは確かだ。絶命には至らないものの、中々に破壊力のある一撃だった。
「文字通り、音波砲か。・・・見えねぇ一撃ってのは不意打ちでも真正面からでも分かりにくいよなぁ・・・」
波は見えない。だから恐ろしい。音が確か毎秒340m近くで飛ぶんだから、あの音波砲は秒速340mの波の砲弾が突っ込んで来ると言う事だ。それに耐えうる灰獅子もすごいが、それを人が、属性発現して半月も経ってない生徒がやることに驚いた。
「一体何を、どれくらい、どんな工夫をして、・・・」
オレは知りたいと思った。波と電気じゃ明らかに違うし、実戦に持ち込ませるってのもやり方が違うのも分かっている。
でも、実際オレはイドの指導がなけりゃここまで来れてねぇってのに、アイツはあそこまで自身の属性を使いこなしているのだ。
電気属性の次にその力を高めるのが難しいのが波属性だ。勿論、電気属性の鍛錬の難しさと比にはならないが、基本属性と比べると圧倒的に強化が難しいのだ。
「やり方だってそうだよ。アイツは音波に指向性を与えてたけど、”制御”もしてたんだ。どうしてその思考に至ったのか、そりゃもう気になるところしかねぇよ・・・」
模擬試験中と言うのは分かっているが、今の立場上、模擬試験を終わらせたら元の生活、――クラスメイトから陰口言われる日々に戻っちまう。そうなると同じ学校だから近づきづらくなるし、アイツと話せるのは今しかねぇ。
そう思ったオレはもう既にアルテインに向かって走り出していた。
「(まずは労いの言葉をかけて、それから――――)」
このとき、オレはもう既に灰獅子は戦闘不能だと、そう思っていた。
だけどそれは誤りで―――、
「ゥゥゥゥウ、・・・・・・グゥオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」
今さっきまで泡を吹いていた灰獅子が猛然と立ち上がり、回復したての体躯で躍り込んできたのだ。
異常なまでの回復力を侮っていた。
目の焦点が合っていない辺り、怒りによる我の喪失も灰獅子の行動に起因する一つではないかと思う。
「―――しまっ」
アルテインもまさか立ち上がるとは思っても居なかったのだろう。だが、反射的に出る手が動かない。せいぜい顔を上げるのが精いっぱいのようで、それでも身体を動かそうと必死で。
この瞬間、オレは良かったと思った。お門違い甚だしいとか思われそうだけども、何となく。
理由は分からないけれども、彼を失ってはならない気がして。
だからこそ――、だ。
ひび割れ、折れた刀剣のような鉤爪はそれでもって人を斬り裂くには十二分過ぎる代物だ。
灰獅子の目は片方は明後日の方を向いているが、片方の目は狂気を纏ってアルテインを射抜く。
対してアルテインは体力と能力量を極限まですり減らしたのが災いしたのか、首を上げてその胡乱な瞳を自身の脅威を映し出す事しか出来ないでいる。
「オオオオオオ――――――――――!!!!」
鼓膜の破れそうな咆哮と共に、凶器の付いた剛腕が振り抜かれる。
その掌に何を見ているのだろうかと、見え透いた疑問が過ぎ去って――、
アルテインと殺意の間を割り込む形で。オレの存在が待ったをかける。
オレの全力が脚に込められ、その脚力に金属の防具が合わさり、遠心力が加算される。
技術とタイミングと持つ力。それと、ただの暴力がぶつかった。