第二章幕間《凶人とクローンの団欒》
気づいたらゼクサー君がいなくなっていた。
「ちょっと田んぼの様子見に行ってくる」と寝言を言っていた彼は、ジォスさんが家に入って来てからものの一瞬でジォスさんと共にいなくなっていた。おそらく、ジォスさんがどこかに連れて行ったのだろう。
ゼクサー君の寝起きをこっそり見るのが最近の習慣になっているボクにとっては残念この上ない。
「ふぅ・・・」
「あ? どォした」
「な、なんでもないです。ただ、ジォスさんにゼクサー君を取られたのが・・・」
「そォか。ほれ」
「あ、ありがとうございます」
広いリビングに入り、ソファで項垂れるボクに黒い液体の注がれたグラスを渡すのは、この家の家主でありボクにとっては義父に当たる存在、オレウスさんだ。男性とは思えないすらりとした体型に、その見た目からは想像できない程の凶悪な目を持つ彼はどうやら裏社会でかなりの地位にいるらしい。しかしボクら含めて身内には乱暴な口調が目立つがこれと言って暴言暴力はしていない。
「コーヒーですか?」
「あァ、苦手だッたか?」
「いえ、カシュメール産の良い香りがします。すこし、落ち着きます」
「匂い? コーヒーの匂いなンてどれも一緒だろ。これは味がサッパリしてンだ」
すすっと鼻を近づけると、台地の香りが漂った。入れられたばかりのそれは、高地栽培を主とするカシュメール地方の風になびく草原のような静けさと清らかさを感じられる。カシュメール地方はパーティアスの領土だ。きっと異国で取り寄せるのは難しかっただろう。
「わざわざ取り寄せたんですか?」
「いや、お前らを迎えに行ッた時に買ッたンだ。箱で」
「箱・・・。前から思っていたんですが、オレウスさんってコーヒー好きなんですか?」
「名前以外で丁寧語はやめろッつッたンだが? ほれ、もう一回やり直し」
「ま、前から思ってたけど、オレウスさんってコーヒー好きなの?」
「いや、別にコーヒーである必要はねェンだ。単純に味が良いッてのと、甘いのはいけすかねェ」
「いけすかないって・・・」
大体この家で出される飲み物は水かコーヒーかに分かれる。そのコーヒーの大半はオレウスさんが独自に購入したものらしく、キッチンには数々の種類のコーヒーと、その箱が積み上げられている。これだけ見ればオレウスさんは相当なマニアと思うのだが、本人の口から出た言葉は「別にコーヒーじゃなくてもいい」だ。これにはボクも少し驚いた。
「意外だ・・・!」
「ンだよ。オレ様がコーヒーマニアにでも見えたか?」
「う、うん」
「まァ無理もねェか。クソイドにも同じこと言われたからな。男の全てを知る男から言われりゃァ、仕方がねェよな」
流していくノリでジォス君の蔑称を使うオレウスさんがコーヒーを呷るように流し込む。吐いた息からは濃ゆいコーヒーの香りがする。いったいどれほどの量を飲んでいるのか。
「そんなに飲んで健康とか大丈夫? すごくコーヒーの香りがする」
「あ゛ァ? そンな臭ェか、歯ァ磨いてンだがな・・・。健康は気にすンな。そもそも人としての身体はもォ終わッてンだからな」
「人としての身体・・・」
オレウスさんがどうでもいいと呟いた言葉をボクは口の中で反芻させる。ボクの全ては人工的なものだった。クローン技術という禁忌の科学で造られた未知の可能性を秘めた身体。ゼクサー君に運命を捻じ曲げられなければボクはこの世には存在しない。”人として”という言葉で形作るならボクはその理に当てはまっていない。
今はこうしてゼクサー君の介添え人としてダンケルタンで生活をしているけど、果たしてこのままでいいのだろうかと思ってしまう。
「そンなに心配か?」
「え?」
思わず首を上げると、オレウスさんが下品にも机に脚を乗せてこちらを見ていた。
「オレ様の読みが間違いなければ、お前の考えは杞憂だ。お前が全力を出せばこの世界が滅ンでもしぶとく生きるし、なんならもう一回世界を創造できる。単純なパワー判断で言えばゼクサーの『悪意の翼』には勝てねェが、お前の脳の密度は常人の数千倍を裕に超えてンだ。ごり押し以外に方法あンだろ」
「そ、そういうことじゃなくって!」
肩を震わせて叫ぶボクに、オレウスさんはコトリとグラスを置く。
「ぼ、ボクはこのままでいいのか・・・。これじゃぁまるで・・・」
「はァ~~~~~~~~~~~~~~」
表現する言葉の見当たらないボクにオレウスさんが息を吐く。長い長い息を吐いて、「めんどうくさいなコイツ」という目を向けてきた。
「お前、そンなことで悩ンでンのか? そンなこと、答えはもォ見えてンじゃねェか」
「・・・・」
沈黙するボクに、オレウスさんはゆるゆると首を振る。その後立ち上がり、扉脇にかけていたコートを取る。
「散歩だ。行くぞ。お前もついてこい」
「え? えぇッ!?」
「ンだよ。そンな驚くことじゃねェだろォが」
急なオレウスさんの誘いにボクは目を白黒させる。はっきりとした意思もないまま、反射的に投げられたコートを受け取ってしまった。
オレウスさんはなんてことないように首を掻き、殺人的な目をこちらに流す。
「ピィピィ鳴いても何も始まらねェ。ぐだぐだしてねェでさッさと気分転換しに行くぞ」
「ボク鳥じゃないんだけど・・・」
自身の悩みとオレウスさんの急な鳥の鳴き声に困惑するボクだったが、家主の誘いを断れる精神力も持ち合わせていないためコートを両手に抱えて立ち上がる。ふわふわしたコートだが、暖かいという感触はまるでない。
「そンな極度に心配するモンじゃねェよ。これは一種の家庭団欒だ」
「団欒・・・」
なんとなくオレウスさんの言いたいことが掴めないボクにオレウスさんは告げる。
「オレ様ァ、家族経験はねェし生まれ育ッた環境は絶望ものだッたがこォして見た目は五体満足だ。オレ様の運が良かッたのは確かだ。だからこそオレ様ァ、オレ様以上の業を背負う奴の道を補強できるよォに行動する。人は人であるべきだ。生まれがどォであろォと、オレ様みてェな災厄は誕生すべきじゃねェンだよ」
「・・・・」
「今はまだその意味が分からなくても良い。最終地点で理解できればそれでいい。スタート地点が大きく離れていても、人生は早い者勝ちじゃねェンだからよ」