第二章幕間《知ること》
「落ち着きましたか・・・?」
「うん、割と。ごめんね迷惑かけちゃって」
「構いませんよ。私も結構迷惑かけてると思いますし・・・」
ベンチに座り、私の赤面が収まるまで付き添ってくれた女の子に私は目の前で手を合わせる。
アンドロイドはその製造過程と外見のせいで、生前の関係者とトラブルになりやすい。遂に私もそんなトラブルが・・・と妄想を膨らませたが、現実は只の勘違い。これは流石に死にたくなる。アンドロイドだから死ぬんじゃなくて“壊れる”のだが。
そんなことはさておき、私はとあることが気になった。
「・・・・女装?」
「え?」
目の前の子は確かアイストース=ベネズェトという近衛騎士の育成係を輩出してきた、ベネズェト家の長女だ。戸籍上の性別が男性から女性になった人で、それに関係した問題を抱えてアルバルト・メンタルクリニックに通っている患者さんだ。
どんな病気なのか先生は詳しく教えてくれないが、目の前のアイストースちゃんは明らかに“女装”しているという印象があった。
「(仕草の節々に男性的な特徴があるからかな。騎士道の家系だから父や弟の影響を受けたのか、動きが騎士臭い。・・・でも身体の鍛え方は男性のそれなんだよなぁ・・・)」
父は現役の近衛騎士の育成係。弟は次期当主。両社の間に居るから騎士道精神が染みついてるのはなんとなく理解できるけど、どう考えてもこの身体の作り方は幼少の頃から戦うために鍛えてきたとしか見えない。
「ど、どうして私のお腹をじっと見つめてるんですか・・・?」
服の薄さ故に、光に当てられて見える腹筋にうつつを抜かしていたらアイストースちゃんの声がかかった。違うんだ! ただちょっと肌障りのよさそうな筋肉が服の上からうっすら見えたから思わず舌なめずりをしそうになったというだけであって、決して私にそんな邪な感情はない!
心の中で慌てて弁明したが、どうにも下心が隠しきれていない。
だからここは諦めて話題をずらして下心を隠そうと思う。
「んー、なんかすごく筋肉あるよなぁって。子供なのに腹筋割れてるのはびっくりしちゃった」
「!!?」
「およ? 顔が真っ赤だねぇ。可愛いねぇ」
「そ、そういうのは流石に相手が女性でも怒りますよ! あと、発言の仕方がおばあちゃん・・・」
つんつんと腹筋を指先で突くと、更にアイストースちゃんの顔が赤くなっていく。やはりへそか! へそが良いのか! そうか分かった。ならば私は全力でへそ周りをゆっくりと撫でまわしてその奥をつんつんしてやろう!
いざ覚悟ォ! と、へそ穴に指を突っ込もうとした瞬間、その腕を思い切り掴まれた。
「いくら女性と言えど、そういう行為は駄目です」
掴んだのはアイストースちゃんだ。耳まで真っ赤だが、目には怒りが滲んでいる。恥ずかしさもあるが、その声音は明らかに女性のようなおしとやかさは微塵もない。
「ごめんごめん。腹筋割れてる子は初めてだからつい気になって、ね?」
「・・・まぁ、そうですね。環境のせいで色々あって、家族の見ていないところで鍛錬したりしてます。なんか癖になっちゃってて、この前も婚約した相手に腹筋を指摘されて「女子のくせに腹筋があるのは男性の尊厳を無視してる!」って親に告げ口されて・・・」
「ん?」
言い訳をしたつもりが、返された言葉は私の想像の斜め上を行った。
「もうアルバルト先生から伝わっていることかもしれませんが、僕の意識は女性と男性の間で揺れています。弟が生まれるまで、僕はずっと男として生活してきたので、ずっと騎士道を行くものだと思っていました・・・」
ぽつりと呟くアイストースちゃんの声はついさっきの可愛らしい声ではなく、凛とした男の声だった。
「(雑談だけで済まそうと思ってたのに、なんか会話の方向がドロドロし始めてる!?)」
最初は私の赤恥で始まった。しかし話の途中からどんどん不穏な方面に会話がステップアップしているではないか。私の驚愕を余所にアイストースちゃん改めアイストース君は言葉を紡ぎ続ける。
「でも弟が生まれてから父と母は僕に女であることを求めました。この格好もその一環です。婚約も強制的にさせられて、習いたくもないバレエとかピアノを習わされて・・・」
「・・・・」
「学校で友人もできたけど、その人にはまだ伝えられてません。バラされたり、もしくはこんな僕に嫌悪するかも・・・、そう考えると怖くなって、言えなくなってしまう」
項垂れるアイストースちゃんの息は焦燥と疲労に染まっており、日ごろからのストレスが見て取れる。目の下の隈も見るに堪えないが、それでも彼はスカートの端を握り耐えている。
「(極度の不安を検知・・・。発汗及び鬱の危険因子の増加を確認・・・。今初めて原因聞いたけど中々ひどいなぁ・・・)」
アイストースちゃんの背中をさすりながら、私は彼の両親の非常識さに心の中でため息をつく。私はこれでも「心の医療」専門のアンドロイドだ。人の発汗や息遣い、心音、言葉の重み等の情報を読み取り、その人の心情をある程度推測できる。
だからこそ、アイストース君が持つ悩みの大きさがよくわかった。
本来は業務外時間なのだけど、私はそういう人を救う目的で開発されたアンドロイドだ。積極的とまではいかないが、この子の話を聞き、多少なりのアドバイスをすることは出来る。
「最近、ちょっと大きな事件が立て続けにあってその友達がすごく命を張ってくれて、僕を助けてくれました。その次の事件は、友人の友人ですが剣をくれて、僕が僕であることを・・・なんというか再確認したというか・・・」
「再確認? 剣を持つと?」
「はい・・・。その剣は使用者を選ぶと言われたんですが、僕は正直半信半疑で・・・。剣が自意識を持つなんて信じられないし、女子として生きる僕を果たして剣が認めるかどうか・・・。でも、あの時剣は僕を認めて、その力を振るってくれました。――僕の騎士道精神はまだ廃れていなかったと」
「ふむふむ」
「でも家に帰ると父が言うんです。「女は戦ってはならない」と。母が言うんです。「あなたは男じゃないんだから」と。二人とも僕が剣を握ったことは知りませんが、二人の言葉を聞いているとまるで自分が悪いことをしたのではないかと罪悪感に苛まれます」
「・・・・」
「友人は僕がそんな悩みを持っていることを知らないので態度が全く変わりません。それが嬉しいし、少しむず痒くもあります。助けられたことに感謝はありますし、恩も感じていますが、それでも・・・」
少し嬉しそうに、しかし悲しそうな表情を浮かべるアイストース君に私は”その友人”となる存在を考える。
「(剣をあげる友人を持っている友人か・・・。しかも人の為に命懸けられるなんてそれだけでも十分に信頼できる要素がある。でも彼はそういう風に考えられない。それだけ彼を人間不信にしている要素があるのか・・・)」
こういう親と子のすれ違い・・・、いや、子供にとって親が毒という事例は私のところでもよく聞く。そういった子は一部悟りを開いた人を除いて、自身の親が毒親だということを他者に話そうとしない傾向がある。それはその人が問題とする内容がセンシティブになるにつれて話そうとしない傾向が強くなる。
性的自意識となれば猶更だろう。
「・・・その友人は男子? それとも女子?」
「男子です」
「男子は、そうかぁ・・・難しいね。その男友達には彼氏とか彼女いるの?」
「どう見ても女性にしか見えない彼氏がいます」
「そ、そう・・・。中々、うん・・・。変わってるね。私の弟以外にもそんな上級者がいるのか・・・」
思い出すのは初めてこの国でゼクサーと再会した時。ゼクサーとくっついていたアルテインという男子。かわいらしく、男子というよりは女子、女子より女子をしていたでぇれぇ可愛いゼクサーの恋人。
「(初々しいというか熟年夫婦というか・・・、驚きなのは一緒に亡命しているところか)」
「正直見ているこっちが恥ずかしくなる程イチャイチャしていて、その様相は正に「熟年夫婦」とクラスに言われています」
「うーん、共通見解!」
「え?」
「いやこっちの話さ」
怪訝な顔をするアイストース君に手を振り、私は別の角度からアイストース君にアプローチをする。
「アイストース君は両親と仲良くやれてる?」
「仲良く・・・かは微妙です。僕にとって両親はかけがえのない存在です。仲良くありたいと願っていますが、父も母も私には見向きもせず、弟の剣術の仕込みやダンスの踊り方を教えています。時々バレエやダンス、外国語教室に通うように言ってきたりします」
「ふむふむ・・・」
どう考えてもアイストース君が一方的に毛嫌いされているようにしか見えない。問題とする原因はアイストース君の両親にあるのは確実だが、話し方からしてアイストース君自身に否があるような物言いはアイストース君の思考の歪みから成っていると思われる。
「(この場合はどうするかなぁ・・・。もっとアイストース君のことについて知らなきゃならないな)」
本人の思考が毒親によって汚染されている。多少の洗脳程度なら強い言葉や能力量に干渉して操作すれば治るが、このタイプは中々治らない。
治療方法は様々だが、患者の心に寄り添う目的で私は作られたのだ。ゼクサーのように嫌われてきた私を受け入れてくれた人間がいる事を、アイストース君にはもっと知ってもらう必要がある。
私はアイストース君に向き直り、その掌を握る。
「私、こう見えてまだアンドロイドとしては出来たばかりなの。だからあなたのこと、色々教えてほしいな」
まず大切なのは相手を知る。そして己の使命を知ることだ。