第二章69 『ウルティガ=ダンケルタン』
ウルティガ=ダンケルタン。
それは正義を過剰信仰する一人の人間。しかし、何も彼の持つ正義感は何も異常な英雄症候群からくるものではない。
――それは昔、ウルティガの幼少期を知る必要がある。
ウルティガは暴君ブロード=ダンケルタンの隠し子であった。正確には正妻の妹との子であった訳だが、生まれが生まれなだけに公表はされなかった。それもかなり無理やりな手法で、かつ他人には話せないような暗澹たる行為故に生まれた子であったのだから、猶更だろう。
――「母上、父上はいつ帰ってくるのですか?」
――「お父さんはね、遠いところに居るの。お母さんは一人だからあなたのことが好きだけど、お父さんには戻ってきてほしくないな」
これは何度も繰り返されてきた、ウルティガと姉の為に全てを捨てられてきた母との会話だ。正妻とウルティガの母は姉妹だが時代は戦乱。いくら後期であれど貴族社会には王族との結婚には数々の試練が、敵が居る。妹はそのためだけに家族から使い潰され、自身の持ちうるすべてを姉の為に捧げられ、最後は姉の罪を被せられ地方へ追放された。幼少のウルティガはその辺りを詳しくは知らなかったが、少なくとも母親と父親の仲が悪く、その原因が父親にあると理解はしていた。
そして来る災厄はそのほんの二週間後であった。
――「正妻の妹である貴様が生きていると知られると困るのでな。安心しろ、死体はその場でバラバラにして山の中にでも埋めてやる。そうすればお前はただただ失踪しただけという記録になる・・・」
――「母上をどうする気だ! 離せ!」
――「なんだ貴様、あの一晩で孕んだのか。なるほど、男か。歳はまだまだだが、貴様も生きていられると迷惑だ。世間体的にも、その顔のそっくりさにも」
――「何をする―――!」
ダンケルタン王国がパーティアスに敗戦し、更には実子であるブロシュートが裏社会の組織と手を組み、暴君を王座から蹴り落とすための反乱を起こしたことで、逃げたブロードが起こした事件だ。本来であればドの付く圧政によって国民からの反乱を防ぎ、王への忠誠心を高めさせる独裁的な政治戦略を続けていく予定だったため、反乱が起きたときの隠れ蓑は用意していなかった。それが自己の力と未来を過信しすぎた結果なのは明白だ。
まさか、王の実子が反乱を起こすとは考えもしないで。
こうして隠れ蓑を探す羽目になったブロードは逃走中ある場所を思いつく。それがウルティガの家であった。浮気性の暴君がしてきた無理強いのほとんどは貴族のもの。簡単に言えば押し入って隠れ蓑にしてもすぐさま情報が洩れて処刑される可能性がある場所だ。それに対してウルティガの家は違った。地方の山の中。家と家の距離がかなり遠いところだ。それに住んでいても正妻の妹一人だけであり、事実上家族は戸籍から彼女の存在を強引に抹消している為家の繋がりなどもない。
そこに目を付けたのがこの暴君の悪知恵であり、ウルティガの家族との別れでもあった。
――「あなた、今頃姉さんと悠々自適に過ごしてるはずでしょ! 今度は何!? 殺すって!? ふざけないで! 今すぐその後ろの兵と一緒に帰って!」
――「貴様、王の為に殺してやると言っているのだ。それくらい受け入れよ。数年前の夜、我を受け入れたように」
――「「姉が気にかけていたから支援してやる」とか言って隙を見せたら変な薬を飲まされて抵抗できなくなったところを強引にしてきたんじゃない! あの時つけられた傷は今でも首に残っているわよ!」
――「それはこっそり薬を入れた湯呑に自ら口をつけた貴様が、白目で涎を垂らしながら懇願してきたから強めにやったにすぎん。それで傷ができるのは貴様の耐久性の問題だ。それより、いい加減死んでくれんか。そこの教育を受けてなさそうなのに実子によく似た顔つきの男も一緒に。顔つきが似すぎてるせいで我では手が下せん」
ゴミカスの理論は、発言をするのが暴君なのも相まってその屑さを増す。しかしその王の後ろに控えた精鋭の存在のせいでその発言には力があった。
――「こ奴らを捕らえよ。特にその子供はそこの椅子に括り付けておけ。殺すでないにしろ、その精神を壊せばやりようはある」
――「駄目! させない! ウルティガ、裏口から逃げなさい!!」
――「残念だな。裏口はふさいでいるし、精鋭からは逃げられん」
――「放せ! は、母上に何をする・・・! それ以上の暴行は許さないぞ!」
――「言葉も喋る。顔もブロシュートに似ている。しかしそれは紛い物に過ぎん。瓜二つであろうとも、貴様は贋作だ。しかし贋作でも殺せば心が痛む。一度実子に命を狙われかけたが、それでも我には次期国王となる者に手を挙げられん。ましてや似ている者でも。・・・だから、」
――「だから、贋作の精神を壊し、自決をしてもらうか言葉を話せなくなるほどに脳に死んでもらおう」
――「何をするの!? ウルティガの精神を壊すですって!?」
――「黙れ、この売女めが。貴様はここで少しずつ死に、その死にざまをそこに居る偽物に見せつけるのだ」
「やれ」という言葉と共に、抵抗むなしく椅子に括りつけられたウルティガの目に母親の絶叫と血しぶきが叩きつけられる。最初こそ「やめろ!」と叫ぶも、ウルティガはどんどん言葉を失くしていき、母親も「呪ってやる!」という言葉から「ごめんなさい」と言葉を零すしかなくなっていく。夜中響くのはウルティガ家族の声だけとなった。
最初は手足の指を一関節ごとに、それが終われば市場でよく目にするロースハム程度の大きさごとに手足の腕、腿をゆっくりゆっくりと切り落とす。気絶すれば正気を取り戻す軍用の薬を打って蘇らせる。腕と足を切り落としたら、次は腹を裂き、内臓を取り出していく。最後の心臓へと至った時、ウルティガの母はもう数百度目の「ごめんなさい」を口に息絶えた。
地獄を体現したような血の海が、首さえなければ何の肉か分からないほどに細かく分解された物が、言葉を失い、それでも気を何とか保ったウルティガの視界に映る。
――「”男”は女を守らなければならない。しかし、貴様は”男”だというのに女を、貴様の母を守れなかった。無様にも、目の前でしっかりとその女を死なせてしまった。貴様のせいだぞ。貴様の怠慢のせいで、貴様の母は死んだのだ」
最後に暴君が残した言葉は今でもウルティガの精神に染みついている。
あの悪鬼のような口が、醜悪な声帯で、唾棄すべき言葉を吐いた。
しかし子供は自主性の強い時期でもある。その言葉の影響を、その憎しみを、ウルティガは強く受けた。
――「ブロード様! ついさっき山の中腹にに小隊が展開しているのを確認しました! やつら、すでに此処を嗅ぎつけている様子です!」
――「一刻の猶予もありません! すぐにでも逃亡を!」
ブロードが早速ウルティガの母親だった物を部下に片付けさせようと指示を出そうとしていた矢先、急いだ様子で見回りをしていた暴君の手下が報告をする。地方の山の中の家。住民を手にかけ、ほとぼりが冷めるまで暮らそうとしていたブロードにとっては寝耳に水だったようで、慌てた表情で方針の変更をする指示を出す。
――「急いで周囲の兵を招集し、山の裏から逃げるぞ。クソ、戦争孤児共め、嫌に準備が早い。使い潰されて死ねば良かったものを・・・ブロシュートまでもたぶらかしおって・・・この恨み、必ず晴らしてやる」
暴君は憎まれ口を叩きながら、急いで荷物を詰めなおし始める。
そいて準備が整ったのか、家から再び逃亡生活に戻るというところでブロードはあることを思いつき、椅子に括りつけられたウルティガに向く。
ウルティガは完全に意気消沈しているが、その目は明らかに一つの方向を向いていた。
――「この気持ちの悪いマザコンめ。自身のせいで失ったものだというのに、それでもまだ執着するか」
そう言い、ブロードはウルティガの母の亡骸、――その中の生首を手に取り、座らせられているウルティガの膝の上にそっと置く。そしてその瞼をこじ開ける。
――「「お前のせいで、私は死んだ。男のくせに、守られなかった。呪ってやる。一生、呪ってやる」と、そう言っているぞ、ウルティガ。やれることがないことは罪なのだよ。名声も肩書も権利もないことはもっと罪だ。裁かれろ罪人。母すら守れず、見てただけ。貴様が母を殺したのだ。貴様のその何もないことが殺したのだ」
残酷に、そして暴虐に。彼らにとってはブロードは前兆無しに現れた大型台風のようなものだ。それが、死した人の口を勝手に使い、「お前が無力なのが悪い」とのたまっている。死人に口なしとはこのことだろう。
――「”男”のくせに。権利も大儀も何もないのか」
この言葉を聞いた瞬間、ウルティガの中で再び感情が爆発した。
死した母、しかし生きている母でも絶対に言わないであろう言葉。思いつかないであろう言葉。それは分かっているが、理解しているが、それでもウルティガは本当にその言葉を母親が、生首だけの母親が言っているような気がしたから。
――「――――――!!!」
言葉にならない叫びが木霊する。張り上げても、張り上げても足りない声なき絶叫が、彼の額を雫と共に濡らす。
母を殺し、分解し、勝手に口を使ったブロードへの、それに従う無数の兵士への憎しみが。
男でありながら、それが出来ずに日常を享受していた自分への怒りが。
何もない、自分への許せなさが。
ただ涙を流すだけの、無力な雄たけびへのやるせなさが。
その全部を加味してもあまりある感情の渦が、彼の精神を摩耗させる。
泣いて、泣いて、哭き続けて―――。
結局、ウルティガはその数時間後家を訪れた小隊に発見されて保護された後も泣き続けていた。
きっとあの瞬間から、ウルティガの正義への執着が目を覚まし、その意識を作り始めていたのだろう。
一時的な名称だけの共有となっている「国王」に彼がしがみつき、その肩書と正義心を行使する。そしてもう一つの変化によって、彼はウルティガ=ダンケルタンとなった。
肩書、権利、大儀。全部そろってそれでもまだ何かを手に入れていない、普通未満の王族関係者。無垢なまま正義に憑りつかれた人間。
ウルティガ=ダンケルタンは未だ正義に捕らわれ続けている。
その身を滅ぼす要因になろうとも、本人はそれを手放せない。取り戻せない過去。その代わりに正義がある。肩書がある。王族の特権がある。
しかしそれは過去には代われない。
ウルティガ=ダンケルタンは正義の亡者であり続ける。それが、それしか、ウルティガには見えていないから。
ウルティガ=ダンケルタンは、ウルティガ求める今がある限り正義に愚かであり続けるのだ。