第二章幕間《四週間後の約束》
「では先生、ありがとうございました」
「こちらこそ。処方箋出しておきますので少しの間待っていてくださいね」
また一人、心に病気を抱える人の気分を軽くし、僕は再びこの世界に嘘をつく。お礼を言われるような職業ではあるが、完全な解決にはなっていない。せいぜい気休め程度の治療が僕のできる最大限の医療福祉だと考えている。
ぴしゃりと扉が閉められ、密室には再び静寂が舞い戻る。人がいることが不思議なくらいに、とても静かな空気が漂い始める。
「(・・・・とりあえず精神安定剤を二カ月分か。今度は前よりも少し強力なやつを出しておくかなぁ)」
患者の診断結果を書き込んでいき、どの薬が必要なのかを割り出した紙を束ねる。とんとんと机に紙束の角を叩きながら思い返すのはついさっき来た患者だ。彼は幼少期から情緒不安定を患う会社員で、会議や取引の場で極度に緊張し奇行に走ることがあるという。
幼少期からのそういった言動があるのなら、なぜ今になってからそんなことが分かるのか。少しでもおかしいと思ったならば親が病院に連れていくなりして障害持ちかどうかを検査すればいいというのに、不思議とそういった患者が来ることはかなり少ない。
きっとそういった子供を見ても「個性的」で終わらせる親が多いのだろう。明らかにおかしな子供を見ても「個性的」で話を終わらせる、きっと障害があることを頭のどこかではなんとなく理解していても、まじめにその懸念点をつぶそうとしないことが今の大人につながっているのではと思う。
ペンの頭を下唇に押し当てながら、僕は紙束に穴開けを押し付けて紐を通していく。上手く蝶々結びをしたところで不意に密室のドアが叩かれた。
「・・・アルバルト先生、いらっしゃいますか?」
硬いものが硬いものとぶつかる感触と音。窓しか音を逃がすところがないその部屋では来客の気配は一人でも大きく響く。それが聞きなれた声であればなおさらだ。
「どうぞ」
「失礼します」
入室の許可を出した直後、ぎぎっと扉がきしむ音とともにさわやかな風と一人の少女が顔を出した。外出時もずっと着ているその白衣は室内用の綺麗なものへとさし変わっているが、大人びた印象を与える白衣も目の前の少女が着るとコスプレの一貫にしか見えない。そんな少女は桃色の髪とその間から見える琥珀色の瞳をのぞかせながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「アルバルト先生、メルゲさんの診断書を受け取りに来ました」
「あぁ、出来ているよ。ニーナはちゃんと休み取ったかい?」
「大丈夫! 私はアンドロイドですから、疲れないの知ってるでしょ?」
「機械を稼働し続けると熱暴走を起こす。アンドロイドはどうかは分からないけど、機会が身体に入っているならその理屈は通ると思うんだよ。で、休みは取ったのかい?」
「アンドロイドは熱暴走は起こさないんです。『棺桶』に入っているシステムによって、大気の火の属性粒子を吸収して全身を内側から冷やしているからその心配はしなくて大丈夫ですよ。でもまぁ、休みは取りました。商店街に行って野暮用を済ませてきました♪」
ふふんと胸を張って得意げになるアンドロイド、――ニーナに僕は少しため息を吐く。
僕の営業しているメンタルクリニックで雇っているアンドロイドは人間よりも人間らしいことで僕の中で有名だ。それがまだ歳も少ない少女の死体で成り立っている事実のせいで、一層年頃らしい振る舞いをしているように見える。『棺桶』の中にある魂の人格が少し反映されるとは聞いたことのある話だが、ここまで来ると古代科学技術というものはすごいとしか言えない。
「野暮用、ねぇ・・・」
「あ、それはまだ教えませんよっ」
「別に教えてと言っていないのだが・・・、その含みある言い方、さてはまた変な“約束”を取り付ける気か?」
少し疑いを含んだ視線を向けると、ニーナは大きく首を振る。これだけで僕はがくりと肩を落とす理由が作れた。というのも、ニーナはなぜか僕に毎日毎日“約束”を取り付けてくる。その約束は様々だがその約束が果たされるのは大抵明日で、その明日になると新しい約束が追加される。勿論その約束にもさまざまなものがあり、ある時は「一緒に買い物」、ある時は「幼児向け劇場に行く」、ある時は「ウサギのふれあい広場に行く」等の普通なことから明らかに僕の年齢では通報案件になりそうなことまでピンキリだ。
そして今まさに目の前のニーナの口からその恐るべき約束が告げられる。
「四週間後まで、です・・・」
「(四週間後?)」
「四週間後まで、毎日楽しみにしておいてほしいです・・・!」
「えぇ・・・」
一緒にカエル捕まえて食べようとか言っていたニーナの言うことだ。どんな爆弾を持ってくるのかと思って身構えていたが綺麗にそんな恐怖心も通り過ぎて行った。出てくるのは困惑の吐息だ。
目の前には過去「明日蛇毒を飲み比べしましょう!」とかほざき、約束通りに毒を飲ましてきた狂気的な冒険心と致命的な不味さを兼ね備えたニーナが、福祉専用アンドロイドというよりは狂科学者アンドロイドといった方が納得できる“あの”ニーナが、頬を朱色に染めて照れ恥ずかしそうに書類で顔を隠している。
「そこまで時間をかけるとなると、今までの“約束”とは段違いの・・・、いったいなにをする気なんだ・・・!?」
「なんでアルバルト先生引き気味ってか、反応が嬉しさよりも恐怖とはどういうことだっ!?」
「過去の自らの行動を省みてから言え!」
僕の反応が予想と違って不服なのか、ニーナはびっくりしながらも怒り口調で座る僕に迫る。無意識に後ずさるも腕が肘置きに当たった瞬間に逃走の意思が薄れた。なんとか言葉で反撃を試みたが、それが悪手だとすぐに分かった。
ニーナがにんまりと口角を上げている。
「そんなに言うのなら追加でもう一つ約束です」
「―――ッ! しまった。余計な言葉が出てしまった・・・」
「まるで本心から出た言葉みたいでしたけどねぇ? ・・・明日ウサギのぬいぐるみを見に行きましょう」
「ベッドといい床といい、壁紙と言い小物と言い、僕の書斎がどんどんウサギに侵食されている・・・。僕をウサギにしたいのか・・・!」
ウサギに囲まれて過ごす生活なのだからどちらかというと人参の方が、僕の比喩表現としてはあっているかもしれない。なんにせよ、僕は食われる身のようだ。
「分かった。分かったよ。だから仕事に戻ってくれ。―――患者様だ」
ちょうど壁にかけていた時計の針が五時を迎えようとしている。それは今日は“とある患者”が来る日だという意味がある。月に一度の面談だが、その子を取り巻く環境が中々にイカレているので他の患者よりも記憶に残っている。
とりあえず約束を受理し(受理させられ)、ニーナを部屋から外させる。一対一の面談と言えど、アンドロイドを出すのはいささか、これから来る患者にとっては都合が悪いように思ったからだ。
そして時計の針が五時となった直後に部屋の扉を叩く音が聞こえる。
「どうぞ」
「・・・失礼します」
木材と金属の擦れ合うような耳障りな音と共に、一人の少年が顔を出す。少女のような愛らしい顔だが、丁寧な所作で入ってきた彼は紛れもない騎士精神を持った貴族の子だと改めて認識させられる。
その少年は肩まで伸ばした上等な若木のような茶色の髪を揺らしながら、それでいて男の優雅さを感じさせるお辞儀をし、手短にある椅子を引っ張ってそこに座る。その目は以前面談した時よりもひどく赤く充血しており、染みついたような隈を刻んでおり、痛々しい見た目となっていた。
それが全てこの子が被害者である事実を物語っている。
僕は彼を眼前に座りなおし、いつもよりも大分辛そうな息遣いをする少年を見やる。
「最近、何か生活に変化はあったかい。アイストース=ベネズェト君?」