第二章幕間《平和主義核地雷》
「―――というわけだ。僕を通報した男子生徒を出してもらおうか」
「そういうわけにもいきますまい」
「はぁ?」
一触即発の空気。静けさが蔓延する応接室の中、相手の顔に冷や汗が浮かぶ。しかしそれはあくまでも僕という人格者を目の前にした焦りなどではない。もっと脂ぎったものだと目の前のでっぷりとはみ出した腹を持ったおっさんを見ると確信する。
――マグリッド私立学園。僕を治安維持団体に通報した愚か者がいる学園だ。
現在、僕はそんな学園へと足を運び、その愚か者に謝罪させる目的で応接間に通されたわけだが、どうにも向こう側は生徒の情報を出すことを渋っているようだった。それどころか僕のような人物を毛嫌いしているような空気さえ感じる。勿論、明言されているわけでもないので僕が動く理由にはならないが。
応接間にしては居心地はあまりよくない中、目の前のでっぷりとしたおっさんが再度同じことを口にする。言葉を喋らす度に脂も一緒に出てきそうな不快感を煽るはみ出た腹が揺れ、てかてかと鈍く光る。
「生徒の個人情報は他者に開示できません。本当にウチの生徒だったのか明確な証拠を出してもらわないとぉ、ねぇ?」
「話し方がいちいちネチネチしていて腹立つけど、それは君の体質上仕方がないとして、証拠なんていくらでも改修改竄ができる信頼性の欠片もないものを持ってくるなんて馬鹿な真似するわけないだろ」
「なら、お帰りいただこう」
今度はデブの横に立っている小太りのおっさんが声を発した。つるっ禿なのはこの際置いておいても、豚男と同じように橙色と黄色の縞々模様のスーツを着ている。というか、部屋全体がやけにきらびやかだ。
「(いまさらだけどチカチカするなこの部屋。無駄なものが多いんじゃないか?)」
部屋の隅、壁、床、椅子、机すべてが匠の技だと分かる。はてさて、こんなにたくさんの装飾品を並べるにはたくさんの費用が必要だろう。そんな金額、どこから出ているのやら。
「(まぁ、そんなことは僕の知るところではないか・・・)」
豚が入る箱にしてはどうにも贅沢な気がするが、人の趣味趣向に口出しできるほどの権利は僕にはない。一旦息を吐き部屋から小太りのおっさんの方へと注意を向ける。
「おかえりいただく? 僕はまだ用事は済んでないんだよ。勝手に君らの都合で話を断ち切るとかどういう神経してるわけ? 教職としてあるまじき発言だって自分で気づくでしょ。まさか僕という個人を相手にした瞬間にだけ教師として立場を撤回するってこと? それはつまり僕みたいな人間を甘く見ているってことだよねぇ。僕という人間なら人権を踏みにじっても構わないと思ったわけだ。それはつまり僕の存在の在り方を否定したということだ。たかだか、ほんの少しの質問に答えてくれればそれでいいのに、君らはそんな小さな労力を惜しんで僕という一般国民の権利を侵害することに力を注いだわけだ。それが、その行為が誰かの心を傷つけるとは考えもしなかったわけだ。僕という人間を、人道的な真心に切り傷を入れたんだ。あぁ―――、こっちが下手に出ていればいい気になりやがって! お前らはいつもそうだ! そうして僕の権利を侵害して、知らぬ存ぜぬを決め込むんだろう! お前らのやっていることは僕の事件解決への邪魔だ。知的探求心の妨害だ。知る権利の阻止だ。つまり人権侵害なんだよ! 分かるか!? 分からないよねぇ! そうして今まで多くの人をお前らの薄汚れた手で権利を侵害してきたんだからさぁッ!!」
僕は目の前の贅肉の保管場所みたいなやつ二人の前で机を『原子属性』の力で消し飛ばす。一応の警告だ。これに相手がどういう反応をするかによってこの学校の皮を被った犯罪者育成所も消し飛ばす。話し合いを平行線にしないためにも、だ。
「僕は平和主義者で、博愛主義者で、人道主義なんだ。殺しは絶対にしないし差別も暴言も暴行もしない。でもこんなに慈悲深い僕でも器の深さは無限じゃないんだ。最初から君ら二人に抵抗する権利も意見する権利もないんだよ。わかるかい?君らみたいなごみ屑なんて、人様の権利を侵害しておいて人間の形を保っていること自体が奇跡なんだよ」
「ひ、ひえぇ・・・・」
「机が、消し飛んだ・・・・」
「君らが今の机みたいになってないのは、僕が平和主義だからなんだよ。たかだか一生徒に謝罪させるために学校を消し飛ばす真似はしない。その人を連れてきて、謝罪を促してくれればそれで良い。それで僕の怒りも帳消しにできる。僕は君らに機会を与えているんだ。・・・僕を通報したクソゴミ蛆ガイジ男を連れてこい」
流石に僕の意見に耳を貸してくれた校長と教頭があわあわとその脂肪分を震え上がらせる。ねじ切りたい衝動に駆られるが、ここでそんなことをしても僕の怒りは収まらないだろう。
「げ、ゲネラル君、今すぐその生徒とやらを連れてきなさい!」
「し、失礼ですがどういう生徒でしたか? 特徴を言ってくれれば・・・」
「茶髪で眼鏡をかけてるキノコ頭だ。やせていて、それでいて話し方が鼻につく。あれは日常的に人を馬鹿にしている奴だ。おそらく、かなり上流の貴族かなんかじゃないか?」
「さ、探してきます! 少々お待ちを!」
ゲネラルと、そう呼ばれた小太り中年が慌ててと応接間から飛び出していく。すてんと転んだ彼は痛みに顔をしかめながらもすたこらさっさと廊下を走っていった。
「(正直、謝ってもらっても酒が元に戻ることはない。被害者の心と同じか・・・。しかしどうにも腐っているな。この国は)」
思い返してみればここに来てから碌なことがない。酒は買えないし、冤罪で時間奪われるし、通報されるしで、まるでこれが王国の普通のようで嫌気がさす。一人暮らしとなったら真っ先にここには住みたくないと決断できる治安の崩壊っぷりだ。
パーティアスはゼクサー=ルナティックがいるところだからアリ寄りのアリだが、父親母親は揃ってクソと来た。しかも国内はゼクサー=ルナティックを蔑視している風がある。移住するにしても僕と価値観が致命的に合わなさそうだ。だからと言って王国は治安が良くない。家出する際にはどちらの国も合わないだろう。
そう、未来の一人暮らしに思いを馳せていると、静かになった応接間の扉が擦り切れるような音を立てて開かれ、ゲネラルと一人の青年が入ってきた。
まず印象に残るのはキノコのような髪型の茶髪。そしてすらりとした、瘦せているようにとらえることのできる体型、そして黒縁眼鏡の奥から見える人を侮辱しているような緑色の眼。正直生きてて楽しいかと聞きたくなるほどの歩く屍みたいな顔は一度見ただけで、「いっちょ成仏させてやるか」とすら感じてしまう。
間違いなく、僕を通報した蛆羽虫男だ。
その蛆虫男は一度僕を一瞥したかと思うと、あからさまに顔をしかめる。
「誰っすかこいつ。クロテント家の三男である僕に対して頭も下げないなんてどうかしてるんじゃないっすかね? 普通地べたに這い蹲って謁見の許しを乞うのが普通でしょ?」
「アブノール=クロテント君、彼は君が治安維持隊に通報した人だ。その通報で冤罪で捕まったからという理由で、そ、その・・・・しゃ、謝罪を求めていてね・・・」
「はぁ!? クロテント家の三男に対して謝罪を要求だぁッ!? 冗談も休み休みにしてくれないっすかね? 呼び出した謝罪を受けるのはこっちっすよ!」
「し、しかし・・・」
「何? 言い訳? 兄さんと親父のコネで校長になれたのを忘れたとかじゃないだろうね? 僕が言えば明日のお前の朝は牢獄だぞ?」
「そ、そんな・・・」
ぶっきらぼうに吐き捨てるその様は正に真性の屑というべきか。やはり何か有名な貴族だったようで、この学校にも幅を利かせていると見た。王国であるがゆえに、権力者の息子というだけで校長すらも従えられるらしい。というか、目の前のデブが校長だったことに驚きだ。事務員みたいなやつかと思っていたが、どうやら学校の頂点だったみたいだ。実質的な頂点は違うだろうけど。
しかしまぁ、ここまで振り切ったクソだと清々しい気分になる。なんにせよ、
「・・・・はぁ、君みたいな親の七光りしか自分の誇りにできないクソに通報されたとか、僕が誤解されるところだった」
僕という存在がこのクソによって誤った認識を世界にばらまくところだったのだ。
「君は何も聞かずに僕を通報した。だから求めているんだよ謝罪を。ただの一般人に余計な絡みをしてきたんだ。謝罪くらいできるだろう?」
「・・・・庶民風情が、クロテント家に歯向かう意味を分かっていないのか? その気になればいつでも君の家を取り潰すことが出来るんだよ!」
「吠えるな。馬鹿が感染る。貴族なら自身の犯した過ちくらい謝罪できるでしょ」
「馬鹿!? 馬鹿だと、・・・お前、僕が何者なのか知っただろう!? それでその反応だと!? 僕を馬鹿にするのもいい加減にしないとどうなるか・・・!!」
「もっと分かりやすい言葉を使っても構わないよ。僕は君がすぐに謝ってくれればいいだけの話。まぁ、それができないのなら―――それまでの話だ」
ギロッとデブ二人を睨みつける。大した意味はないが、「早く謝らせろ」という言葉を言外に察したのかデブ共が慌て始める。
「アブノール=クロテント君、い、今すぐ謝るんだ!」
「我々も命は惜しい! き、君も殺されるかもしれないんだぞ!?」
「なっ、なんだ急にお前ら! 無礼だぞ! 僕はクロテント家の息子だ。殺されるなんて馬鹿なことを言うな!」
掌がひっくり返ったようなデブの言動にクソ男子が目を見開く。いままで自分の思い通りだったことが、急に上手くいかなくなった時のような、そんな顔をのぞかせる。だが、自分がまさか殺されるとは思ってもいないようで、僕の発言を嘘だと決めつける。
「(そもそも僕はこの人生において殺しどころか暴力を振るった覚えすらないのに、なんか平和主義の僕の印象が歪んでないか?)」
それでクソ男子が謝ってくれればそれで終わりだが、そういうわけにもいかないようだ。
クソ男子は、”まだ慈悲深いままで居られている僕の頬に唾を吐き捨てて、まるで僕の存在を僕の存在として扱わないような口調で、警告してきた”。
「それ以上口を開いてみろ。それ以上僕に反抗する態度をとってみろ。お前の大事な人も、家族も、友人も、親戚も、全員奴隷商に売り飛ばしてやる。そのまま土下座をして僕の靴を舐めるのならば、許してやろう」
「・・・・・・」
「そうかそうか、残念だ。”お前の両親はお前みたいな身分を弁えない出来損ないを産んで、可哀そうになぁ”」
へらへらと笑いながらも、僕を、僕という存在を忌むべき視線で見るクソ男子。そのあとに謝罪が出ればましな方だったが、どうやらこいつも治安維持部隊と同じ脳みそをしていたみたいだ。
だとすれば、もう道は決まっている。
踏んではいけない領域に、目の前のクソは土足で踏み荒らしたのだ。治安維持隊は領域に片足を突っ込んだ程度だったが、目の前のクソは今確実に僕が抑えていたものを引きずり出したのだ!
「自身の有り様を恨むがいい」
「あん?」
目の前で知らん顔をしているクソに今の僕が行える最大限の譲歩をした。それが無駄なことだとは分かっている。しかしクソ男子はやってしまった。言ってしまった。
”唾を吐き”、言ったのだ。
――まるで、僕なんかよりも両親の方が可哀そうだ、と。
A A A
その日、知らないうちに僕は学校を地面ごと消し飛ばした。