第一章13 『過去の経験』
昼の七時間、オレはただひたすらに森の中を走った。
不思議と体力は減る感覚はなく、脚と腕、腰の動かし方がイドとほとんど連動していたのか、ところどころ危うい場面はあったものの無事にパルクールの練習を終えた。
パルクールの終着地点はオレとイドの初めて出会った場所、夢抜きで言えば私有地だった。
「どーだ?割となんとかなっただろー?パルクール」
「最初は死ぬかと思ったわ。リアルで」
オレが経験した”パルクール”は地獄だった。多分最初にやるパルクールって、ちょっとした障害物をよけてスムーズに移動することからだと思うんだが、実際は神のみぞ知る。
減速と加速を繰り返し、木々のくぼみを使って跳躍したり、崖の壁を文字通り走ってUターン、時々軽い倒木を手で登って飛び、安全そうな木の枝から猿のように他の枝へ飛び乗ったりと様々なことを七時間の間、ずっと繰り返した。
オレとしてはなんかもの足りない感覚こそあったが、”逃げる術”が前提にある以上どうしても途中で投げ出せなかった。というか、物理的に行動が制限されて逃げ出せなかったが。
そしてそれよりも気になるのが――、
「行動をそのまま連動させるのは、身体に分からせるって意図があるって考えると理解できるんだが、なんで七時間もずっとやる必要があったんだ?ルートを覚えるとか、そう言う事じゃねぇと思ってる」
「んー、そーだな。ルナ、お前は確かに七時間ぶっ続けでパルクールしてたわけだが、何か気付くことあっただろー?」
「なんだよ・・・。体力が減らなかったとか、呼吸が一定だったとか、そんなことを言ってるのか?でもあれはイドのよく分からない術法のおかげd」
「俺がお前の身体を全部操作してたの、あれ、最初の三時間だけだぞ」
「―――え」
衝撃の事実、イドが何気なく放った一言にオレの目が見開かれた。
え、最初の三時間・・・・って・・・・・え??
オレの驚き何て関係なしにイドが淡々と説明をする。
「最初の内の三時間は完全に操作してた。っていうか、ルナの身体に俺の電気信号を流してたってだけだけどな。んで、四時間目にはルナの腕と足首の筋肉に自由を与えた。それで六時間目、膝の関節に自由を与え、首に自由を与えた。最後の七時間目、全ての筋肉と関節を自由にした。まー、あぶねーところは俺の操作で回避させたけどな」
「え・・・・・、それってつまり―――」
オレは自分の力でパルクールをこなしていた、と言う事か・・・?
たった二日で、だぞ?パルクールってそんな簡単な事じゃねぇだろ。
現実に不信感を抱いてしまうような真実を、更にイドが補強する。
「そもそも、ルナの身体の細胞には疑似的な”パルクール”をした形跡がある。それも一年くれーの時間の間、ほぼ毎日。・・・・8歳、9歳辺りによー、ルナ。森を中心にした追いかけっこかなんかしただろー」
「8歳、9歳にそんなパルクールしてた時期があってたまるk――――あ」
イドの質問にオレが「そんなことない」と思い口を開いて―――、思い出した。
だがこの記憶が果たしてイドの言う”パルクール”に繋がるのかは定かではなく、オレは確かめるようにゆっくりと口を開いて言葉を押し出す。
「確か、今住んでる家――、一軒家なんだけど。母さんと親父が喧嘩になっても壊れないようにって、めちゃくちゃ長い時間かけて建設してて、その間お世話になったのが親父の親父、――叔父の家でよ。そこで、叔父と毎日学校帰った後に追いかけっこしてたんだ。・・・庭が森でさ。開けた場所ねぇから森で追いかけっこしようって、叔父が・・・・」
「・・・・あー、正解」
イドがグッと親指を立ててオレの目前に突き出す。
だがしかし、正解と言われても、・・・叔父としたのはあくまでも追いかけっこだ。猿芸や壁走りとか、そういった事はしてねぇ・・・。
どこからどうやって”パルクール”に繋げられるのかはオレには分からなかった。
追いかけっことパルクール。似てるとこなんて何処にあるのか・・・。
オレの考えを読み取ったのか、イドが「そんなことねーよ」と手を振る。そしてまっすぐに指を突き出してオレの眼前に叩きつけて、
「森でやった。これが大事なんだ。分かるかルナ?過去に複雑な障害物を、全体を把握しきれない不意の世界で一人の獲物を追いかける。もしくは狩猟者から障害物を駆使して逃げ切る。これを長い時間やってたってのは”パルクール”をするうえで大事なことだ」
「――――!」
「パルクールじゃ、想像力と、それを体現する身体が大事だ。不意の障害物に対して正確に早急に判断を下す脳みそがあるのは一つの武器だ。これは間違いねー。その過去は長い時を経ても身体に刻み込まれるんだ。・・・それに」
「それに・・・・?」
「ルナの叔父は―――、ルナの体つくりから察するに、多分この国のスパイ的な立ち位置だったんだろーな。他国の情報抜き取ってオサラバ。戦いよりも逃げることに特化した役職、――それ故の体つき。老いても孫に「森で追いかけっこ」を提案して全力で追いかけて、逃げ切るその大人げなさ。敵としても獲物としても、プロと相手取った経験があるからこそ生きる。―――それこそ、ジェヴォーダンの獣級の戦歴だ」
過去の経験が生かされた理由。何故こうもオレはイドと動きを無意識下でシンクロ出来ているのか、それが明かされたことにオレは顔面をはたかれたような感覚を持った。
そしてそれに続く叔父の職業の看破にはオレは息を詰まらせる。
過去に叔父の職業を聞いた時は、「世界を股に掛ける情報通」とか壮大な武勇伝を語ってくれた訳だが、まさかホントに文字通りだと言うことに震えが止まらないのだ。
日が暮れると同時にイドの顔からも光が失われて、その謎の怖さだけが残った。
体つきを見て、それで分かってしまうイドの視点が。
だが―――、
「まずは、これで終わりだ。お疲れさん。パルクールの修行はまたあるけど、明日は違う事するから、わくわくしてて待ってくれよ。んじゃ、――――解散!」
そう、パン!と手を叩いて今日の修行の終わりを告げる。
オレの思いをどう受け取ったかは定かではないが、少なくとも調子は全然変わってない。恐らく、イドは自分がヤベェ奴だと言う自覚があるのか、それともオレのイドへの思いがズレていると思っているのか・・・。
何にせよ、終わったのである。
「・・・・それじゃぁ、また」
「あー、またな!」
それだけを交わしてオレは帰路へとその足を運び―――。
少し立ち止まり、自身の脛を見る。・・・器具がついたまんまだ。
「結局イドはこの器具を使った訓練してねぇな。・・・・なんでオレはこれつけられたんだ?・・・・詮索しても、仕方ねぇな」
その恐怖も理解の不能さも全部、その言葉と共に森の肥やしにしたのだった。
A A A
「ただいま」
門をくぐり、やけにごつい見た目をした屋敷、――オレの家の扉を開けて、誰も居ない明かりだけ付いた我が家に帰ったことを伝える。メイドさん達は、もう帰ったのだろう。
赤いカーペットが敷かれた一般的なオレ家には、何故か他の家とは違って靴を脱いで入る習慣がある。オレはその習慣に倣って靴を脱ぎ、玄関の隅に綺麗に添える。
小奇麗に掃除されたカーペットの上を歩きながら食堂へと向かった。
オレの屋敷には不思議なことに変な絵が沢山飾られてある。
全部、無駄に画力の高いクソ親父の作品だ。
端から順を追って軽い説明をするならば、
白い山頂に青い山肌の気持ち悪い山。
四角い何かに柄の違う四角が沢山入ったよく分からない物体。
灰色の直方体に四角いガラスが付いているデカい集合体。
人が乗る、馬車でも竜車でも牛車でもない鉄っぽいなにか。
とても速く走る、白を基調に青いラインが入った何か。
黒い画面を黒い縁で囲ったなにか。
『ICOCA』の文字か記号か判断の付かないものが描かれた四角。
―――なにもかもが分からない。
親父の地元にあったものだとか聞いたけれども、叔父の家の近くにそんなものはなかった。
「やけにリアルだから不気味なんだよなぁ」
親父は「いつかお前も分かるときが来る、懐かしいと、そう感じるようになるんだ」とか意味わからんことを言っていたのを思い出す。見たことすらねぇってのに懐かしいなんて思うわけがない。
食堂に入り、テーブルを見る。
一枚の紙幣が置かれていた。
オレはこのかた、まともに家の料理を食ったことはほぼない。食ってたのはたまたま親父と居合わせたときくらいだ。シェフの料理は美味かった。あれから何年も口にしてないが、あれの美味しさは今でも忘れられない。
親父は「母さんの料理はカレー以外不味い」と苦言を漏らしていたが、オレはカレーとか言う料理は口にしたことなどない。叔父にも聞いたことがあるが、「そんなものはない」と断言された。
オレはテーブル上の紙幣を確認する。
最初は紙幣と共に置き手紙もあったのだが、ものの三日で飽きたのか、置かなくなった。
オレはテーブルの紙幣を掴んで財布にしまい、そのまま食堂を出る。家近くの、一番安いパン屋に行くのだ。
「1000クランか。また塩パンでも買いにいくかね・・・・」
お金を置いてくれたのはメイドさんで抽出したのは多分親父だ。
メイドさんが仕事に来てくれているのは、主にオレが学校に行った後からオレが学校から帰る直前までだ。土日は仕事が休みで、夏休みはオレがイドと鍛練してる間に来て帰る。だから、どんなメイドさんがいるのか検討もつかない。
取り敢えず、最近気づいた事だが、メイドさんが雇われていると言うことが分かっている。
家庭に対して無頓着と言われても仕方がない。
存在すら知らされず、「調べないのが悪い」とか無理やり過ぎる物言いはやめてほしいものだ。何年も過ごして、若干違和感が募ってきて、最終的に叔父が「ゼクサーのとこのメイドさん、むっちゃべっぴんさんだったぞい」と爆弾発言を噛ましてきて確信に至ったんだ。
「(親父も母さんも掃除苦手だし、ほとんど家に居ないからなんでこうも家が綺麗に保たれてるのが不審でならなかったんだがなぁ、叔父のせいで確信したんだよなぁ)」
オレはそう思いながら、再びパンを買いにく。
いつものことなのに、何故か最近は足取りが寂しいと感じるようになった。
あったものが偽物だと、そう分かったんだ。