第二章37 『団欒』
「いいかい、美術というものは正直な話、人生の、社会の中ではあまり頼りにならない。中にはそれだけで食べていける人がいるが、あれはバケモンだ比較しちゃいけない」
カラッと乾いた声が教室の中に響く。三十近くの生徒がひしめく中、その先生の声だけがよく聞こえた。
いつもはまるで俗世から切り離された、どこか哀愁の漂う雰囲気に教職としての威厳を一切感じさせない棒読み発言だというのに、授業中の先生の姿は違った。
「例えば、想像力、共感性、感受性、独創性、これは社会に出ても必要なことだ。しかし、普通の、そこんじょらの科目ではこれらの力を補うことは出来ない。美術こそが手っ取り早く、その力を発展させることができる」
――ネテロ先生。
オレの学校の美術の先生であり、オレのクラスの担任だ。
「ただ、想像力を鍛えるといってもどうやって鍛えるのか分からないという人もいるだろう」
美術教室は絵具特有の酸っぱい臭いが広がっており、部屋の隅には銅像やら絵やらが無造作に置かれている。蛇口の水滴が落ちる音も相まって、ここが一つの作品にも思えてくる。
「だからこそ、まずは出された課題から創造したまえ。今回の課題は『人としての罪』だ。さぁ、―――普通でありたまえ」
ネテロ先生がそう言った瞬間、今まで黙っていた生徒たちが一様にして動き出す。鞄から白紙の用紙を取り出し、何かを書き始める。
そして数分間何かを書き続けると、はたとペンの走る音が消える。
そこから先はまさに自由のような空間だった。
ぶつぶつと何かをつぶやきながら哲学をする者。早速絵具を出す者。友達に相談をする者と様々だ。
「(中々難しい課題だよなぁ、それ。『人としての罪』ってなんだよ)」
オレはただ迷っていた。
初めての美術の授業であるのもそうだが、何よりも課題内容が難しい。絵でもいいし、なんなら彫刻等でもいいとくるのだから選択に困る。
オレはそっと机に腕をつき、そっと熟考する。
『人としての罪』とは何だろうか? 殺人、窃盗、恐喝、詐欺・・・、もっと解釈を広げるならばいじめだってそうだろう。なんなら視点を変えれば殺人は罪にはならないかもしれない。
「(正当防衛だってまさにそうだし、オレの電気属性だってそうだ)」
人の見方によって、その『罪』は大きく意味合いが変わる。しかも形がないのだから、それを作品に落とし込むなんて難しい以外の何物でもないだろう。
「アルテインは何か思い浮かんだ感じ?」
一人考えていても答えは出ない。ならば他を当たり知恵を得ようと、オレは隣で筆を下唇にぷにっと当てているアルテインに声を掛ける。
しかしアルテインの反応は芳しくはなかった。
「んー、難しいよね・・・。一応、絵にしようとは思うんだけど、罪ってなんだろうね」
「哲学だなぁ・・・」
しみじみとそんなことを思ってしまう。
アルテインの言う通り、この問題はそんな一時間で出せられる答えを擁していないのだろう。
「(もっと時間があればなぁ・・・)」
オレにとってまだ学ぶことは多い。少なくとも、人生で知らないことが多すぎる。しかしここで答えを出さないといけないとなると、何を描くべきだろうか。
再び白紙に向き直り、ペンを動かしてみる。
罪、罪と言えば・・・・・・・・・。
A A A
「なぁ、オレウス。罪ってなんなんだろうな?」
「・・・・・・・・・・・・・それはクソみてェな泥に溢れた裏社会を生きていたオレ様に対しての皮肉か、あ゛ァ?」
「あぁいや、そういうやつじゃなくて! ・・・宿題でさぁ」
部活に少し顔を出し、部員の質問に答えて帰ってくると、珍しくオレウスが帰ってきていた。片手にコーヒーを携える彼の姿は宿題を徹夜でやり、朝が来たような学生の風貌を感じた。聞くに、情報収集は部下の仕事なので丸投げしてきたらしい。イドはオカマバーに遊びに行ったようだ。怖い、怖いよ・・・。
そして現在、晩飯の準備までもうすぐだなぁと思う夕方あたり、結局宿題となってしまった美術の課題。そのヒントを得るためにオレは家にいるオレウスに聞いてみることにしたのだ。危うくオレウスに千切りにされるところだったが。
オレウスはソファに寝転がり、肘置きに乗っけている脚を組み替える。
「罪なンざ高尚なもン、オレ様には縁も所縁もねェよ」
「高尚って・・・。なるほろ、そういう考え方もあるのか・・・」
「つゥか、オレ様みてェなクソは綺麗ごとじゃァ生きられねェ。自殺は悲しい、周りが迷惑する。でも生きるためには法を犯さねェといけねェ。でも法は犯してはいけない。――じゃァ、どうやッて生きろと? 汗水垂らして働いて金を稼げ? その金を奪われるような社会だぞ。それは言論で取り返せ。暴力は何も生まない? 結局、人間様は裕福になるほど罪に酔うよォに出来てンだ」
目を伏せてぶつくさと文句を言う彼だが、言い方からして経験があるようだ。まだオレウスがチンピラの時だった、その時にでも言われたのだろうか。
しかしオレウスに助言を仰いだのは間違いじゃなかったかもしれない。
思い出した過去に盛大にため息を吐いたオレウスは、そっと起き上がりソファの眼前に置いてある机のコーヒーを取り、仰ぐ。そして机を挟み同じくソファに座るオレの宿題の用紙を奪い取り、見やる。
「美術課題『罪』。絵でもなんでもいい、か・・・。ンなもン、心臓の絵か分厚い辞書でも描いとけ」
「急に答えを出してきた!?」
「オレ様の意見聞いても筆のなる音が一向に止まねェンだ。どォいう課題を出してンのか、見てみただけだが?」
オレウスは言い捨てると用紙をオレの手元に戻す。そしてまたソファに横たわった。白い髪に赤い目と、華奢でもその口から出された言葉にはイドとはまた違った説得力がある。しかし、なぜそれなのかは分からない。
「なんで心臓、・・・・辞書なんだ?」
「心臓は動いてても動いてなくてもでいろンな罪を生むだろ。ある種の宗教的な観点だがな。あと辞書ッてのはいわば法典だ。罪ってのは形じゃねェが、それに意味を与えたのは人様の作った法だ。なら、罪の源流は本、――法典にあたる」
「―――――」
思わず頷いてしまった。
やはりオレウスに相談を持ち掛けたのは正解だった。悪には悪なりの美学があるのだろうか。穿った見方で社会を見る人間にとっては答えのないものにそれらしい形を与えるのが得意なのだろう。
「考えすぎッてのはよくねェ。そォいうやつの答えはいつでもシンプルだ」
「はい・・・・・」
想像してすらいなかった、いやむしろ灯台下暗しというべきか。考えすぎて別の方向へと思考を転換していた自分が情けない。アルテインも「答えは結構簡単なのかも」と授業終わりに言っていた。その言葉の意味を深く考えずに、独り言だと思っていた自分が恥ずかしくてならない。
「(同年代のアルテインが分かる。なのに、そんな難しい問題でもないってのにオレは気づかなかったのか・・・)」
それでオレウスに助言を煽ってしまったのだ。広く視野を持とうとしたオレが、一番視野が狭かった。そのことを考えずにオレウスに手伝ってもらったことに嫌な気分になる。
「だがァ、ゼクサー。テメェの考えていることは悪くねェぞ」
「え?」
「テメェの答えは『人の目』、・・・いや『自分の目』だろ。その罪を感じるのは自分たちの目、答えの向きはどちらかと言えば『罪』の”根本”か。オレ様の提示した答えは『罪』の”出来方”だ。問題の趣旨が分からねェ以上、「これだ!」とは決められねェが、問題の作りとして挙げる最適解なら、ゼクサーの答えが一番近い。そこに教師の思惑が入ッたらその限りじゃねェがな」
考えてもいなかった言葉であった。驚き、固まるオレに対してオレウスはさも当然だろという表情でオレを見る。そこには殺意のあふれる目とは違い、優しさと嬉しさを合わせたような瞳をするオレウスの姿があった。
横たわった状態であるのに変わりはないが、腕枕をする肘の近くから見える彼の瞳は相手への気遣いを感じさせない。文字通り、”本心”であった。
「だから、あンま責めンじゃねェよ。他人は他人、テメェはテメェ、オレ様はオレ様だ。比べンのは向上心があるときだけにしろ」
「・・・・はい」
それどころか、オレがアルテインやオレウスと自信を比べていたことまで看破されてしまった。
こうなればオレは何も反論できない。
シュンとうなだれるオレに、オレウスは視線をさまよわせると、ふとソファから立ち上がる。
「ンー、まァ、あれだ」
「?」
「間違いッてのは誰にでもあンだよ。特に若者はな。オレ様の時代とは違ェンだ。いくらでも間違えろ。やべェ間違いじゃねェ限り、オレ様とイドはそれを補強する。とりま、間違えまくれ。全部間違ッたら、残るもンが答えだ」
華奢な体つきに細い腕で首を鳴らす。しかし言葉は強大で、なおかつ説得力たるものがあった。
オレはその視線を合わせ、ゆっくりとしかし強く頷いた。
こころなしか、これが家族の在り方なのではないかと、そんなことを思った。
少し与太話ですが、作者最近オレTUEEE!の異世界無双小説書きたいなーって思ってます。第二章の終わり&第三章始まりの間に設定とか決めて書くんで、よかったら見てってください(週一投稿になりそうだけど)。