第二章35 『案内』
「あれ? ゼクサーじゃない? どうしたの?」
「それはオレの台詞なんですが?」
学校帰りに商店街への道を歩いていると、見知った顔が右往左往していることに気が付いた。しかし話かけないように通り過ぎた結果がこれである。
アルバルトと呼ばれる男が経営するメンタルクリニック。そこで雇われているアンドロイド、ニーナだ。
桃色のふんわりとした髪質に、琥珀色の瞳が埋め込まれた、本人談ではオレよりも歳が一個上らしいニーナは白衣を着ていても外見の問題で子供らしさが抜けていない。
何年アンドロイドをしているのかは分からないが、どうにも精神的な年齢を見てみると過保護なばあちゃんのようにも思えてくる。可愛いような、可愛くないような、そんな感じだ。
「えぇっと、ニーナさんは何をしてるんだ? あっちやこっちやと移動してたけど」
「そこは「お姉ちゃん!」でしょうが!! ・・・・・・・迷子なんですぅ」
「いや可愛いかよッ!?」
オレのニーナへの声のかけ方に憤慨するも、すぐに耳まで顔を赤くして「迷子」を自白するニーナに少し庇護欲を掻き立てられそうになるオレだが、何とか耐えた。これがアルテインだったらオレは陥落していた自信がある。
というか、だ。
「ここ商店街の近くだろ? 迷うか普通?」
確かに商店街はでかい。それに大通りだけでなく、小道も合わせれば上から見た図はさながら数百年の歳を生きる大木の枝のよう。しかし明確に地図化されたものが入口や街路に置いてあるうえ、入口出口といい特徴的なアーチをつけているため、見間違うことなんてない。
「(オレでもどこ行けば商店街のどこに入れるくらいは知ってるんだから、ニーナが知らねぇわけがねぇってんだ)」
それで何を迷うのだろうか、とオレは目の前で涙目になるニーナを疑り深い目で見る。
「ちょっと、そんな変な目で見なくてもいいでしょ!?」
「だってこんなところで何を迷うんだよ。人捜してたら迷ったとか?」
「ううん、商店街への行き方が分からなくって・・・」
阿呆かと思った。
「阿呆かと思った」
おっと、思っていたことがそのまま口に出てしまった。
ハッと口に手を当ててみたがもう遅い。完全に顔を赤くしてプルプルと震えているニーナがそこには居た。涼しげな空気が一変し、背筋を凍らせるような瞳にオレは少したじろぐ。
「私は阿呆じゃない! 阿呆じゃないもん!」
「うわぁ! ごめんって、だから掴みかからないで! 力強いなあんた!?」
胸倉を掴まれ、殺す勢いで揺さぶられるオレにニーナは怒涛の勢いで前言の撤回を求める。一歳の歳しか違わないはずなのに、あっという間に距離を詰められすごい力で頭をぐわんぐわんと揺すられることに驚きだ。どんな身体の構造をしているというのだろうか、はなはだ疑問である。
すぐさま訂正すると拘束が解放され、地面にへばらされた。三半規管がすごいダメージを受けた気がする。
「んで、なんでわざわざ商店街に? すぐそこにあるじゃん」
「そうじゃなくって、十七番の出入り口が分かんないの」
せき込むオレにニーナは簡潔に迷子の理由を説明した。
この商店街は大通りを除いて五十にわたる小道の出入り口が存在する。しかも人ひとりがぎりぎり入れるかくらいの隙間にも出入り口の数として数えているため、現地人でも時々オレに聞いてきたりするのだ。
「(現地人が知らねぇならオレも知らねぇってのによ・・・)」
オレの「知らねぇよ」という視線に対して、ニーナは、あ!と何かに気づき、申し訳なさそうな顔になる。
「・・・ごめんね。方向音痴だったんだね・・・」
「うぉいこら、なんでオレにそんな評価が出されるんだよ」
「だって十七番入口分かんないんでしょ?」
「それはオレがまだここにきて一週間ほどしか経っていないことに対する皮肉か何かか?」
「あ、お引越しか! それなら仕方がない! 許してあげようじゃないか!」
「許すも何も、オレは裁かれる立場にねぇんだよなぁ・・・」
「ふっふーん! どうやら正真正銘、私がいろいろな意味で姉ってことだ!」
突っ込んだら負け、というやつである。
オレは何も言わずに息を吐く。ニーナは迷子だというのにずいぶんと機嫌がいいようで、鼻歌を歌い始める始末だ。こいつの人生、楽しそうである。
その鼻歌が一曲丸々と終わったところでオレは嬉しそうな顔をするニーナに問う。
「んで、その十七番の入口に何か用だったのか?」
「――え? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」
首を傾げ、かなり熟考した後、何かとても重要なことを思い出した時のように顔を青ざめさせる。この反応と瞳から察するに、何か大事な相手との約束。つまりはデートを忘れていたというところか。
なんてやつだ。そんなこと忘れんな。
サッと血の気の引いた顔をするニーナが手をわちゃわちゃと動かす。
「どっどどどどど、どどどどどどどっどどっどっどっどどど、どうしよ!? どうしよ!?」
「お、おい落ち着け。勝手に絡んでおいて勝手に理解して勝手に慌てるとかお前人のことあんまり考えない性質だろ? 誰とデートの約束してた?」
オレが問うも、ニーナの目は完全に混乱状態だ。今さっきまでのテンションの高さはどこへやら。完全に意気消沈というか、別の方向にテンションが高くなっている。このまま暴発するのではと思ってしまうほど言語に障害が出ている。
おそらくは前に会ったときに、ニーナを回収に来たあのアルバルト先生とやらとの約束なのだろう。
アンドロイドと人間の恋って叶うもんなんだなと感心に思うが、本人はそんなことを思っている場合ではないのだろう。一刻も早くアルバルト先生のもとに行かねばと、焦燥と狂気が全身からあふれ始めている。
仕方がないなとオレはそっと目を閉じる。
意識するのは広大な網である。それが席のすべてを捉えるようにと緻密に全てを覆っていく。そしてその世界で起こるすべての事象がオレの知るところとなる。
――『平面の集中力』。
電気属性の原点にして頂点の探知技だ。意識をもっと細かくすれば人体の血管や心臓の動きまでわかるが、そこまでする必要はない。今回はあくまでも目標地点までの最短ルートの模索だ。
オレは商店街の十七番目の入口と現時点にオレ達がいる地点とを結び合わせる。
「ニーナさん、こっからだったら、右に進んでその曲がり角を左に。それで商店街に入るから、そこを奥に進んだら洋服店が見える。そこと菓子屋の間を挟んだところに十七番出入り口があるぞ」
「え!? ほんと、案内して!」
「おう行ってらっしゃい。―――え、案内???」
一瞬、「ありがとう行ってきます」とお礼を言って走り去るニーナの姿が想像できたが、出てきた言葉を反芻し、オレの表情が固まる。
今、目の前の自称”姉”を名乗るアンドロイドは「案内して」と言ったのか?
「いやなんでッ!!?」
目をひん剥いてオレは叫ぶ。
道順を教えてやったというのにどうして「案内して」が来るのだろうか。そのまま行けばいいのに、わざわざデートにまだ二回しか会ったことのない男を入れようとするのはどう考えてもおかしいことだ。
しかしニーナは聞かない。
「さぁさ、レッツゴー! ってやつだよ!」
反論するオレの右腕をあっという間に捕まえ、逃げる余地を与えない。
「なんでッ!? デートなんでしょ? オレに案内させるとか意味あんのそれ?」
「あるでしょ。アルバルト先生もゼクサーに会いたがってたよ」
「それ全くデートに関係ない日とかに会いたいって意味では!??」
話の通じないアンドロイド。そんなニーナにオレは半ば強制的に道案内をさせられることになってしまった。
「(声かけられても無視しとけばよかった)」
そんなことを後悔しても仕方がない。
どうせ、後の祭りなのだから。