第二章幕間《自殺志願者とアンドロイド》
日差しがぎらつく窓ガラス、日光が強く部屋の中を照らす中、僕は机の上の散らばった書類を片付けていた。本当なら僕は此処にはいなかったはずなのに、不幸な事にも今日もまた生きてしまった。その結果がこれなのだろうと思うと、世界は僕を死なせたくないのではと自信過剰にも思える妄想を膨らませてしまう。
――自殺志願者。
そう言われても仕方がないのかもしれない僕は、一人の臨床心理士だ。臨床心理士とは患者の心に寄り添い、その問題を見つけ共に解決へと導く心のお医者さんだ。
病院を構え、書斎と言う密室も用意した。名声も地位もあるにはあるが僕はさっさと全部投げ捨ててこの世からおさらばしたくてたまらない。「死」が喉から手が出る程欲しいのだ。
しかし死ぬことにも体力は使う。その体力が切れた時は大抵自殺は失敗に終わっている。今日も見事に世界に地に足を着けてしまった僕は切れてしまったロープと、落ちた衝撃で散らばった紙を片付ける。
「「生きること」は簡単なのに、「死ぬこと」は難しいだなんて、まるで人は簡単には死なないように出来ているみたいだ。本当、どうして神様はこんなにも不便な能力を与えたと言うのか」
吐くため息が部屋の中を木霊する。窓ガラスを越える光が煩く照らしてくるが、部屋の中は辛気臭いままだ。コンクリートと木造の書斎。壁紙こそ貼ってはいるものの常時冷たさがこの部屋の中にはある。息をする事すらも面倒くさく感じる程に、重く、苦しい空気だ。
散らばった紙をかき集め、とりあえずと束を作る。そんな時にふと病院の玄関鈴が鳴らされた。
チリリンと軽快にな音も書斎ではやけに重く響く。そして野太いオッサンの声が聞こえた。仕方がなく、僕は書斎を出て玄関へと向かう。
医療診断所、もとい病院は朝の八時から開く。今はまだ六時。運営時間は看板に貼って外に出している。それで玄関鈴が鳴ると言うことは相手は患者ではない。だとすると得られる答えはただ一つだろう。
少し頭を悩ませて、僕はふと思い出した。
―――今日は荷物が来る日だと。
僕が玄関を開けると声の主であろう配達業者のオッサンが居た。緑と黄色の特徴的な作業服に犬のマークの入ったアップリケが縫い付けてある。腹の出た恰幅のいいオッサンは少なくとも僕より背が高く、僕の顔が曇っている。
「やぁ、えっと・・・、アルバルト・クラーク=トリトメギストリスさんだよね? 修理済みの最新型医療用アンドロイドの配達に来たんだけど、この用紙にサインを貰えないかな?」
「あぁ、はい。ここですね。―――――書きました」
配達業者のオッサンが渡してきたサイン用紙に自身の名前を書いて渡し、オッサンのチェックが入る。そして「うんうん」と頷いたかと思うと、目にもとまらぬ速さでくるりと横にズレる。
「おう! しっかりと頂いたぜ。・・・じゃぁ、行っておいでご主人様のところに」
一瞬オッサン独自の生態系の一端かと思ったが、単純に後ろの人を見せるだけの大げさなスキップだと分かった。
分かった直後として、僕の目の前に一人の少女が現れる。いや、ずっと立っていたのだ。オッサンの後ろに。
「こんにちは。私は万能型心理的医療福祉専用アンドロイドです。機種ナンバーは2117です。よろしくお願いしますご主人様」
まず最初に印象的だったのはおさげの桃色の髪だ。明るいその桃色の髪の毛はまるで今でも生きているかのように生き生きと輝いている。そして全面的に白い頬。その整った可愛らしい顔つきにはめこまれた黄色の眼、その顔だけでも十分美少女だ。生前はさぞかし異性にモテただろうに、今ではアンドロイドたる器。――その死体となっている様に一寸の憐憫も感じた。白衣を纏ってはいるものの押し出された魅力は隠し切れておらず、その身体つきからまだまだ成長途中の子供であったことが窺える。おそらく十四、十五あたりだろう。
「(本人ももっと生きたかっただろうに、こんな自殺志願者と働くアンドロイドになってしまうなんて可哀そうに・・・、好きな人と恋愛したり、女性同士の稀な友情を作ったり、なんで死んでしまったんだろう・・・)」
アンドロイドの媒介として使用される身体は機械ではなく、生きていた人間。つまり死体だ。身体の欠損が少なく、若い死体が媒介となっている程アンドロイドの値段は比例するが、こうも若いと一層可哀そうに感じてしまう。
ほんの数年前から普及したアンドロイド。死者への冒涜と言われればそれまでだが、作業経済の効率化と言われればそれもそうだ。現にアンドロイドを死者として見るものはほとんどおらず、どちらかというと言う事を聞く道具という扱いに近い。
まだまだ死ぬには早い年齢の人がアンドロイドとして目の前に居ることは、僕の中では違和感であった。
ふと、目の前のアンドロイドが口を開いた。
「ご主人様のお名前はアルバルト・クラーク=トリトメギストリスと窺っていますが、これからはなんとお呼びすればいいでしょうか?」
「適当でいいよ。君が、呼びやすいと思った名前が、僕の名前だ」
「それではこれからはアルバルト先生と呼ばせて頂きます」
死んでいる人間を媒介にしているためか声は機械的というよりも人間的で、どこか親しみのある雰囲気を感じた。というか、そういう仕様なのか頬が少し赤いし、目も心なしかキラキラして見える。
なんというか、修理前のアンドロイドとは比べ物にならない程に人間らしいというか、少なくとも同じ生物圏内にいるような気さえするその子に、僕は無意識に半歩引いていた。
「んじゃぁ、仕事あるんでオレはここでお暇させていただくぜ」
顔色を悪くする僕と押し気味のアンドロイドを尻目に、配達業者のオッサンが手を振って病院を離れ、配達用の馬車に乗って去って行く。
少し裏切られたとも感じる僕に、ふとそのアンドロイドは僕に問いかける。
「アルバルト先生は今年で幾つになるのでしょうか?」
「・・・・今年で二十一だよ」
「ご趣味はありますか?」
「ないよ。これと言って特にないよ」
「それでは、彼女さんやもしくはお嫁さんといった存在はいらっしゃいますか?」
「・・・・いないよ」
「よっっしゃぁ!」
「・・・・・・・、何か言った今?」
「いいえ、何も言ってません。不眠による幻聴ではないでしょうか? 今日の仕事はお休みにしてしっかりとした休息を取ることをお勧めします」
一瞬彼女の口から喜びにあふれた声が漏れたと思ったが、すぐに否定されてしまった。しかも僕の不眠を指摘されてしまう始末だ。確かに僕は昨日の夜に死のうと色々状況整理とかしていたからドキドキで眠れなかったが、まさかもう隈が出来ていたと言うのか。
しかしそれはそれとして僕は目の前のアンドロイドに変な違和感を覚える。僕が初めに買ったアンドロイドはこんな変な質問をするような子ではなく、能面の普通の子だった。表情がずっと同じで、生気のない瞳をしている、そんなアンドロイドだった。
それに比べて今目の前に居るアンドロイドは人間臭いというか、言動が初対面の人間のそれだ。小学校の新任教師に対する生徒の質問責めのような、どことなく雰囲気がそれに似ている。
「(まぁ、あまり気にするものでもないか・・・。媒介とした人によっては、アンドロイド化された後でも生前の習慣や性格が少し表に出ると言う話を聞いたことがある。流石に修理済みの時から”人間病”なんてないはずだし)」
僕は元々、個人的にアンドロイドを所有していた。姿形は今いるアンドロイドは違うが、同じ女性であり左腕が機械で出来ていたのを見るに生前に事故に遭ったのだろうと思われる。そんな彼女はある時に外に医療薬品を調達しに行ったときに、僕を庇い解体中の建物の崩落に巻き込まれてぐちゃぐちゃになった。幸いアンドロイド自体がかなり強い部類に位置するもので、彼女の中にあった機器は一部を除いて無事だった。
彼女にはアンドロイド保険が適用されたので身体の交換と、機器の中の”棺桶”を直せば、新しい個体を買うよりも安く済むことが分かり、彼女を修理に出す事にした。修理士が言うには”棺桶”は人で言う脳らしく、修理をすると少し人格が変わるかも知れないとのこと。それでもまさかこんなのが来るとは思ってもおらず僕は構わずに修理を続行した。
その結果が、目の前に居るなんとも風変わりなアンドロイドだ。
「とりあえず、今日からよろしく。・・・名前、なんて呼ぼうか?」
「適当で構いませんご主人様。ご主人様の呼びたい名前が、私の名前でございます」
「あぁまさかの僕の真似かい? 前の子は確かイサナだったな・・・。確か君は2117だっけ。じゃぁ、―――ニーナ。君の名前はこれからニーナだ」
即興で作ったなんとも単純な名前だが、その名づけを後悔する程にニーナは名前を聞き嬉しそうな表情をする。
「ニーナですか!? 嬉しいです。ご主人様の付けてくれた名前、ニーナ。私はこの身の全てを貴方様の為に使うことを約束します!!」
「うわぁッ!? 最近のアンドロイドって、こんな感情の変化が豊かなのかッ!!?」
ずずいと前目乗りになって、ニーナが鼻息を荒くして僕に詰め寄ってくる。僕はなんとか後ろに下がって距離を取る。患者にも極端に人との距離が短い人が居るが、アンドロイドで此処まで積極的なのも初めてだ。医療福祉専門のアンドロイドだとそうなってしまうものなのだろうか。
「と、とりあえず中に入ってくれ。仕事内容を説明するよ」
きらきらと目を輝かせるニーナをなんとか病院内に連れ出す。そこまでおおきな病院でもないが、小さい所でもない。一人よりは二人のほうがやはり丁度良く感じたのだった。