昔語り~序~
しんしんと雪が降っている。こんな日は家の中にこもって、こたつでミカンを食べたり、ごろ寝していたい。
していたいけど……僕にそんな暇はない。だって、僕はこれから仕事だから。
つい一週間前まで春の訪れを感じていたっていうのに、今週になって冬の寒さが戻ってきた。おかげで、ようやくしまった冬物を引っ張りだす羽目になったよ!
はぁ~、今日は一段と寒いなぁ。ほんと、この時期は気候が不安定だよな~。でも、今日は平日だから仕事に行かなきゃ。
えっと、初めましての人もいるかもしれないから、一応自己紹介しておくね。僕は海宝紫。藍泉国警吏隊士なんだ。
警吏隊って言うのは、町の平和と安全と秩序を守り、犯罪の予防や事件の捜査・解決、犯人の逮捕などを職務としている、『警吏庁』と言う機関に属する団体のことで、警吏隊に所属している人たちを警吏隊士って呼ぶんだよ。
町の平和を守る、なんて大げさな言いかたしてるけど、別に悪と闘ったりするわけじゃないから。いろんな事件の捜査や解決が主な仕事だよ。
警吏庁はいくつもの部と課に分かれててね、僕が所属してるのは、実際に現場に行くことの多い刑事部。課は特殊課。
特殊課はその名の通り、少し特殊でね。異能者や人外が関わっている事件専門の課なんだ。
異能者は、『異能』って言う不思議な力を持つ人たちのこと。人外は人間以外の種族の総称。
特殊課が特殊だと呼ばれるのは、異能者や人外の事件専門ってこともあるけど、そこに所属するヒトも異能者もしくは人外だから。特殊課は異能者と人外だけで編制されている課なんだ。
だったら僕もそうなのかって言うと、実は違う。僕は異能を持たない普通の人間――常人だよ。
どうして常人の僕が特殊課にいるかというと…ある特技が警吏庁のお偉いさんに認められたから。
それはね、いわゆる変装。限界はあるけど、顔や体格はもちろん、声も性格もトレースできる。この特技のおかげで、僕は特殊課にいるわけ。
白い綿雪が降る中、僕は警吏庁総本部に入っていった。特殊課はこの本部棟から離れた独立した建物にある。
出入り口には警備員のヒューマノイドが立っていて、彼にIDカードを見せて本人であることを証明しないと中には入れない。
IDカードを見せると、彼は無表情で通っていいと示す。見た目は普通の人間なのに、あれでも機械なんだよね。
何年か前に、世界初の自律型ヒューマノイドを造ったっていう人を新聞で見たけど、僕の親よりも若かったなぁ。
確かまだ三十代だったと思う。ああいうの造れる人ってすごいなぁと思うよ。
僕は二階の隊士室を目指す。特殊課はいくつかの班に分かれていて、僕は第三班なんだ。
第三班のプレートが付けられた、二階端の部屋。僕はボタンを押して自動ドアを開けた。途端にむわっと熱気が噴き出てきた。
「熱っ」
なんで部屋から熱気!? まさか火事!?
慌てて中に入ると、床にあぐらをかいた男の人を、年齢が様々な数人の男女が囲んでいる。その中の一人が僕に気づいて手を振る。
「あ、紫ちゃん、おっはよー」
ゴスロリ服を着た女の子。彼女は木下真愛良ちゃん。
異能者で、物や人を浮かせたり動かしたりできる“念動”能力者。
「よぉ、来たか」
円の中心であぐらをかいている、チンピラ風な男の人は火群景朗さん。
同じく異能者で、体から火を出すことのできる“発火”能力者。
「火群さん、何やってんですかー!?」
僕は叫んだ。火群さんから熱が襲ってくる。熱源は火群さんだ! “発火”能力で体から熱を出してるんだ!
すると火群さんは口の端を持ち上げ、何か企んでるようにしか見えない悪そうな笑みを浮かべた。
「急に寒くなっただろ? だから俺の能力で部屋をあっためてやってンだよ」
「それにしたって暑すぎです! 何℃あるんですかこの部屋! ……ぎゃーっ、26℃!?」
部屋の温度計を見て仰天する。いくら寒いからってこれは暑すぎ!
「なんで止めないんですか、天刻さん!」
「だって、寒いじゃないですか。こういう時、火群君の能力は便利ですねぇ」
キセルでも似合いそうな渋い着物を着て佇む、糸目の男性。
彼は天刻柾周さん。目を合わせた相手に幻覚を見せる“魔眼”を持っているんだ。
能力を使う時は、ちゃんと目開くよ。あまり見たことないけど……
「暖房あるでしょう! 冷暖房完備なんですからここ!」
「わざわざ電力を消費しなくとも、天然ストーブたる火群君がいるんですし、電力の無駄じゃないですか」
うっ。それはそうだけども!
「それでもこの部屋は暑すぎですよっ。換気します! 窓開けますからね!」
ずかずかと僕は窓に歩み寄る。すると後ろから全員のブーイングが。
「おいおい、ゆか。せっかくあっためたってのに余計なことすンなよ!」
「そうだよ、紫ちゃん!」
「これくらい大丈夫ですよ。暖かくていいじゃないですか。ねえ、水宮君?」
天刻さんがソファーでまるまっている女の人に声をかける。女の人はむくっと起き上がり、僕に飛びついてきた。
「わあっ」
「ひどいわぁ~、ゆかりんったら。あたしが寒さに弱いって知ってるでしょぉ?」
だるそうな声を出してしがみついているのは水宮淑生さん。人外で、水の神でもある蛇神。人の姿をしているけど、その正体は大きな白蛇なんだ、けど…
「わわわ、す、淑生さん!」
背中に胸当たってます! 赤面して淑生さんを引きはがそうとするけど、さすがは人外。見た目は女の人でも力が強い。
それに蛇だし……巻きつくようにしがみついて離れてくれない。
「つれないこと言わないで、ね?」
「な、なんと言おうと換気します! 窓開け……あれ?」
窓を開けようと手をかけたけど、動かない!?
カギは開いてる。なのに開かない。なんで? いくら力を入れてもびくともしないなんて。
「あ、開かないぃ~っ。壊れたのかな?」
「ダメダメ、紫ちゃん。開けたら寒いでしょ?」
真愛良ちゃんがホットココアをすすって言う。それでピンときた。
「――真愛良ちゃん、能力使ってるね?」
「なんのこと~? まいら知らなーい」
「とぼけてもダメだよっ。もう、こんな暑い部屋にいたら気分悪くなっちゃうじゃないか!」
力ずくで開けようとするけどダメだ。奮闘していると、くっついていた淑生さんが離れた。
かと思うと、足元から地面が消えた。
「え?」
違う。地面が消えたんじゃなくて、僕の体が宙に浮いてる!?
「寒い時はあったかい部屋にココアって決まってるの!」
「ちょ、ちょっと真愛良ちゃ……」
「紫ちゃん、あっち行って!」
ぐんっ、と何かに引っ張られるように、僕の体は真愛良ちゃんの“念動”によってデスクの方へ飛ばされる。
「わーっ!!」
飛ばされた僕は受け身も取れず、背中から床に落ちる。さほど強い衝撃じゃなかったけど、叩かれた時のようなヒリヒリ感がある。
「あたた……真愛良ちゃんってば、見かけによらず乱暴なんだから……」
背中を起こすと、ぱさっと顔に布のようなものが被さった。なんだろこれ。
布をつまんでさらに身を起こすと、布が後ろに引っ張られる。振り返ってみて僕は硬直した。
僕の視界に入ったのは人の両足と、その間の暗がりに見えるイチゴ柄の…
「あ……」
顔を上げて僕は絶句する。赤い顔でスカートを押さえながら僕を見下ろしている女の子。
彼女は金成屋春希ちゃん。声で相手を操ることのできる“声魅”能力者。
春希ちゃんは目を潤ませて、膝の上に置いていたタブレットPCで僕の顔を叩いた。
「いだぁーっ!」
勢いで僕は入り口まで転がった。あわてて春希ちゃんが駆け寄ってくる。
【すみません、海宝センパイ!】
春希ちゃんはタブレットを見せて頭を下げた。春希ちゃんは能力のコントロールが未熟で、なるべく声を使わないようにタブレットで筆談してるんだ。
「あはは……大丈夫。僕の方こそごめん」
春希ちゃん、イチゴパンツなんだなー……って違う! さっきのは不可抗力だし!
とにかく火群さんたちを止めないと。あ、そうだ。
「春希ちゃん、“声魅”でなんとかしてよ」
上半身を起こして言うと、春希ちゃんは目をしばたたいた。
「これ以上僕が言ってもダメだし、あとどうにかできるのは春希ちゃんだけなんだ」
【で、でも…】
「お願い、春希ちゃん」
じっと見つめると、春希ちゃんはかあっと頬を朱くして小さく頷いた。
タブレットを下ろして、深呼吸してから火群さんたちを振り向く。
〈真愛良さん、“念動”を止めて下さい〉
春希ちゃんが“声魅”を使うと、真愛良ちゃんはぴくん、と動きを止めた。
〈火群センパイもやめて下さい〉
金縛りにあったように、火群さんも身動きが取れなくなり、熱の放出をやめる。
天刻さんが「おやおや」と苦笑いして、仕方ないというふうに窓を開けてくれた。
淑生さんが入り込んできた冷たい風にぶるっと震えて、ソファーの毛布を体に巻きつける。
「あの……これでいいですか?」
春希ちゃんは不安げに振り返って僕を見下ろした。あの二人があっさり言うこときくなんて、“声魅”はすごいなぁ。僕は立ち上がって笑った。
「うん、ありがとう。春希ちゃんがいてくれて助かったよ」
「そ、そんな…私なんて未熟な半人前の警吏です……」
「半人前なのは僕も同じだよ。ふふ、春希ちゃんの声、久し振りに聞いたよ。綺麗な声なのに筆談なんてもったいないなぁ」
そう言うと、春希ちゃんは顔を真っ赤にしてタブレットで顔を隠した。あれ? 僕、何か悪いこと言ったかな?
そこで入り口が開いて冷気が入ってくる。背後で驚いた男の人の声がする。
「うお、海宝と金成屋、何してんだ? こんなところで」
立っているのは小さな丸眼鏡をかけた男性で、土師昂行さん。
自分の体や服を透明化させたり、壁なんかをすり抜けることができる“透化”能力者なんだよ。
僕たちは土師さんに道を譲った。
「いえ、ちょっとしたトラブルで……」
「? そうか。それにしても、なんでこの部屋こんなに暑いんだ?」
「さっきまで火群さんが熱放出してたんですよ。今、春希ちゃんが“声魅”で止めてくれましたけど」
「だからか……おい、火群。やりすぎだぞ」
呆れ気味に土師さんが火群さんたちに近づいていく。火群さんは「あン?」と土師さんを仰ぎ見る。
と、その頭を土師さんがぺしっと叩いた!?
「……何すンだよ!」
ぎゃーっ、やっぱり怒ったぁぁぁぁっ! 土師さん、なんてことをぉぉぉっ!
火群さんが立ち上がって、土師さんを見下ろす。と言っても、火群さんの方が数センチ高いくらいなんだけど。
いやいやそれより土師さん逃げてー! 殴られちゃうよ!
僕と春希ちゃんがおろおろする。けれど、土師さんは逃げるどころか火群さんの胸を拳で軽く叩いて、ため息混じりに言った。
「雪が降って落ち着かないのは分かるけどな。慢心するなって言っただろ?」
「…………」
眉間にしわを寄せたまま、火群さんはしばらく無言だったけど、ややあってばつが悪そうに、ソファーの空いているところに座った。
僕と春希ちゃんはぽかんとした。あ、あの火群さんがおとなしい!? 僕や他の人が注意したり文句を言うとすぐ怒鳴るのに!
「すごい……土師さん…」
「あの二人は昔から仲いいからねぇ」
突然、誰もいないはずの背後から人の声が! 僕は振り返って悲鳴を上げた。
「ぎゃーっ!! 榊原総隊長!?」
紅い隊士服を着てにこにこと笑っている男の人。この人は榊原陽向総隊長。この警吏庁総本部の長官なんだ。
神出鬼没で、いつも飄々としている雲みたいな人。
異能者か常人か、はたまた人外かいまだに知らないけど、僕としては人外に一票。
だってこの人、ほんっとに神出鬼没なんだよ。今みたいに…
「なんでここにいるんですか!? また遊びに来たとか言うんじゃありませんよね!?」
「よく分かってるね。その通りだよ」
にっこり笑って肯定。忙しいはずなのに、なんでこの人はちょくちょく特殊課に顔出すかな。
まあ、特殊課は総隊長直属の課だけどもさ。だからこそ余計に怪しい。この人は異能者もしくは人外だ。
「暇じゃないんでしょうに、よくこうも毎日…って、さっき、土師さんと火群さんは昔から仲いいって言ってましたけど、どういう意味ですか?」
「ん? そのままの意味だよ? 景朗くんが入隊した時にね、昂行くんが面倒見ていたんだよ。それで景朗くんは昂行くんに懐いちゃってね。
まるで年の離れた兄弟みたいで可愛かったよ。まあ、今でも充分可愛いけれどね。ふふふ」
火群さんをかわいいって…総隊長恐るべし。
そう言えば、入隊して二年になるけど、みんながいつ入隊したのかとか知らないなぁ。いい機会だから訊いてみようかな。
「その話、詳しく聞かせてくれませ…ってあれぇ!?」
総隊長がいない!? いつの間に消えたんだあの人。というか、何しに来たんだよ…
呆然としていると、天刻さんが寄ってきた。
「今しがた、榊原さんが来てましたねぇ。すぐに帰られましたけど。なんの話をしてたんです?」
「えっと、土師さんと火群さんが、昔から兄弟のように仲がいいって総隊長が言ってたんですよ」
「ああ、言われてみればそうですねぇ。火群君は、入隊したばかりの頃はすごい荒れてましたけど、土師君と滋生君が世話をしてからちょっとはマシになりましたから」
「滋生……さん?」
誰だろう。聞いたことないなぁ。三班の前のメンバーかな?
「滋生 織。昔、三班にいた方です」
「その人は今どうしてるんですか?」
すると、天刻さんは哀しげに笑った。それだけで、僕にはその先の天刻さんの言葉が分かった。
「……亡くなりましたよ。任務中のある事故でね」
訊いてはいけないことだったかもしれない。俯いた僕を、天刻さんは微苦笑して見つめた。
「少し、昔語りをしましょうか。火群君はこの話をすると不機嫌になりますから、隣の部屋ででもね」
白い雪が舞い落ちる。しんしんと。
遠い日と同じように。