肆
事件後、諸星さんは酒井さんや中山さんに火鴉のことを話したらしい。
二人とも、原因が分かって安心していたそうだ。それと、あの事件のことは世間に口外しないとも言っていた。
それを聞いて僕も安心した。これで火鴉は静かに暮らせるだろうから。今頃、どうしてるのかなぁ。
あ、そういえばあの後、総隊長から聞いたんだけど、総帥がこの事件の捜査を直々に依頼してきたのは、諸星さんと総帥が知人だったからなんだって!
二日前、諸星さんが珍しい花を見つけたと聞いて、あの花を見に行ったそうなんだ。
で、総帥ってばその時に、あれが火鴉の卵だって気づいてたらしいんだよ!
だから近いうちに火鴉が卵を取り戻しに来るかも~って思って、僕たちに捜査というか、ぶっちゃけ諸星さんの警護をするように仕向けたんだ!
知ってたんならその場で諸星さんに言うとか、僕たちに言うとかしてくれればよかったのに!
それに、なんであれが火鴉の卵だって知ってたわけ!? 人外である淑生さんだって知らなかったのにっ。ほんと謎だよあの人!!
憤懣やるかたなく、僕はソファーで、春希ちゃんが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。春希ちゃんは僕の向かい側で茶菓子を食べている。
心なしか頬が赤いようで、時々僕をちらっと見るんだけど、目が合うとすぐに俯いてしまう。いつもそうなんだよね。なんでだろう?
ため息をついて窓の外を見ると、こつん、と僕の後頭部に何かが当たった。
「?」
「あ、ごめーん、ゆかりん」
振りむくと僕の足元に紙飛行機が落ちていた。淑生さんがもう一つ、紙飛行機を手に駆け寄ってきた。
「……紙飛行機?」
「ちょっと目測誤っちゃって。大丈夫?」
「はい、ちょっと当たっただけなんで。どうしたんですか、これ」
「んー、暇だったから暇つぶしに作ったのよ」
それにしたってなぜ紙飛行機。懐かしいけれど。子供の頃よく作ったなぁ。
「ゆかりんも作る? 今、真愛良たちと誰が遠くまで飛ぶかやって……」
言葉を切って、淑生さんは瞬時に真剣な顔で僕の頭を抱え込み、姿勢を低くした。
「ぶっ!?」
「こーら、真愛良! こっちに飛ばさないでよ。能力使うのも反則!」
「使えるものは使った方がいいでしょ~。一番はまいらだもーん」
「そんなのズルいわよっ」
何かもめてるみたいだけど、それは僕抜きでやって! 今の僕の状況は、かなり苦しい。
頭を抱きかかえられたかと思ったら、そのまま淑生さんの胸に顔を押しつけられた。このままじゃ窒息する!
「むーむーっ!」
「あら、ごっめーん、ゆかりん」
「ぶはっ……はぁ…苦しかった……」
「んふふ、でも気持ちよかったでしょう? あたしの胸のな・か・は」
そ、そりゃあ淑生さんの胸は大きくて柔らかかったけど……ってそうじゃない!
「いきなり何するんですかぁ!」
「で、ゆかりんもやらない?」
人の話は聞いてクダサイ。もう、いくら暇だからって紙飛行機なんて……
「ふっ、油断すんのはまだ早いぜ? トップはこの俺だ!」
火群さんがそう叫んで紙飛行機を飛ばす。紙飛行機は紙飛行機とは思えないスピードでこっちに飛んでくる。
「うわっ」
とっさに体を逸らしてよける。紙飛行機は開いていた窓から外に出ていく。
きょ、凶器だ。火群さんの手にかかると、紙飛行機でも凶器に大変身だ。
「あ、危な~……」
「あたしも負けてられないわね。よーし」
淑生さんは紙飛行機を持って、真愛良ちゃんたちの方へ。
よくよく見れば、すでにあちこちに紙飛行機が落ちている。ずいぶん作ったんだな。こんな大量の紙、どこにあったんだろう。
捜査資料も書類も、今じゃデジタル化が進んでほとんどコンピューターの中だ。チラシでもなさそうだし、どこから持ってきたのやら……
はたと思い当たって、僕は嫌な予感がした。
そおいえば昨夜、昔の未解決事件を調べるために、一通り書類を借りてきたような……
確かにほとんどの資料や書類はコンピューターの中だけど、デジタルの場合、不測の事態でデータが壊れる場合がある。だから念のために紙での書類も保管されている。
その紙の方の書類を僕は昨日借りてきたんだ。そしてそれは、僕の机の上に置いておいたはずなんだけど……
その時、捜査の応援に駆り出されていた土師さんと天刻さんが戻ってきた。
「おわっ。……何やってんだ、お前ら……」
「あーら、昂さん、天さん、おかえりなさーい」
「おやおや、紙飛行機ですか。懐かしいですねぇ」
紙飛行機の脅威から避難し、僕はおそるおそる床に落ちている紙飛行機を一つ手に取り、開いてみる。そして、愕然とした。
「ガキかお前らは」
「まだ未成年だもーん。土師おじさんたちもやろうよ」
「お、勝負すっか? 誰が来ても負けねェぞ」
「いいですねぇ、幼少時代を思い出して、私も混ぜさせてもらいましょうか」
「天刻さんまで……」
「ねぇ、春希ー、あなたもやらなーい?」
【いいえ……私はいいです…】
「さあ、一番手はどいつだ!? 来ねェなら俺から行くぜェ!」
「まいらもいっくよぉ~」
背中でみんなの声を聞きながら、僕はプルプルと手を震わせた。
それはまぎれもなく、僕が昨夜持ってきた書類(の中の一枚)だったのだ!
「こ、これは……」
ななななんてことおっ。この書類はただの未解決事件じゃなくて、重要未解決事件のものなのに!
よりにもよって、よりにもよってそんなものを紙飛行機にするなんてぇ!
「みんな、今すぐ紙飛行機を戻し……わっ!」
いくつかの紙飛行機が目の前に飛んできた。慌ててよける。
「紫ちゃん、そこにいたら危ないよ~」
「おら、どけ、ゆか!」
「待って下さい、この書類は…」
「気をつけて下さいね、海宝君」
「はーい、じゃあ次、あったしー!」
またも飛んできた紙飛行機をしゃがんでよける。
「だっ、だからやめてって……」
「ったくしょうがねーな。ガキの遊びに付き合ってやる、よっ」
なんと土師さんまで紙飛行機を飛ばし始めた! こ、これ以上、重要書類をメチャクチャにしないでーっ。
僕は床に落ちている紙飛行機を集めつつ、部屋の隅へと移動する。
「もう、みんな人の話を聞いてくれないんだから!」
たとえデジタル書類で同じものがあると言っても、書類自体が大事なものだ。他の人だって使うし……もしも。
「こんなことが総隊長や総帥に知れたら……っ」
「私に知れたらなんなのかな?」
……………………………………。
「総隊長!!?」
ぐりん、と振り向くと、隅っこで紙飛行機を拾い集めていた僕の真後ろで、しゃがみこんだ総隊長が僕の顔を覗き込んでいた。いったいいつの間に!
軽い笑顔で「やっ」と小さく手を上げる総隊長。なぜここに! いやなぜこんな時に!
「ここはいつも楽しそうだね。ついつい遊びに来てしまったよ」
来ないでクダサイ! 何もこんな時に!
ワークデスクの向こうでは、総隊長たちの存在に気づいているのかいないのか、紙飛行機競争がなおも続いている。
「紙飛行機か。いいね、私も昔作って遊んだものだよ」
「そ、そーですか」
無意識に声が裏返る。総隊長のくせに、どうしていつもこの人はここに来るんだよ!
総隊長って言ったら、この警吏庁のナンバー2で多忙のはずなのに~!
「それにしてもたくさん作ったんだね。それは紫くんが作ったのかな?」
「いえ、あの、これは……」
「私にも一つ貸してくれないかい?」
そう言って、ひょいっと僕の腕の中から紙飛行機を取る総隊長。待って、それは!
「ん? この紙飛行機……」
ぎゃーっ! 気づかれた!! 総隊長はおもむろに紙飛行機を広げ、書面に目を走らせた。
「これって、私が昨日、君に貸した書類だよね?」
「そそそ総隊長、これには深いわけがっ」
「あはは、やってしまったね~。重要書類で紙飛行機か。おもしろいねー」
ぺらぺらっと紙飛行機の折り目がついた書類をひらめかせながら、総隊長は満面の笑みを浮かべる。
笑ってるけど……なんかオーラが怖い。
「まあ、別にコピーがあるからね。気にしなくていいよ」
僕の体からだらだらと冷や汗が流れ出る。総隊長はこう言ってくれているけど、重要書類であることには変わりない。
それに、総隊長からものすごくプレッシャーを感じる。や、やっぱり怒ってます?
「紫くーん? 大丈夫? 私の話、聞こえてるかい?」
僕の顔の前で、総隊長は手を振ってみる。やっぱりこのままじゃいけない!
僕は大量の紙飛行機を抱えたまま、勢いよく立ちあがった。
「みんな! 早く紙飛行機、いや書類拾ってキレイに戻して!」
「どーしたの、紫ちゃん」
「なんだなんだぁ?」
「なるべくキレイに! 元通りとはいかなくても、あまり目立たない程度に戻して下さい!」
叫びながら、僕は片っ端から紙飛行機を集め始める。みんなは一斉に不平を漏らした。
「えーっ、なんでぇ?」
「後でちゃんと片付けるって」
「交ぜて欲しいならそう言えばいいのに。ゆかりんってば淋しがり屋さん」
「そうじゃありません! これっ、この紙飛行機全部! 重要書類なんですよぉ!」
「「えーっ!」」
「おやおや」
さすがにみんなも目を白黒させる。天刻さんは悠々としているけど。
「早く! 早く元に戻して下さい!」
「なんでもっと早く言わなかった!」
「気づかなかったんだから仕方ないじゃないですか! それより、紙飛行機にする前に誰か気づいて下さいよ!」
叫ぶと、真愛良ちゃんがつまらなそうに、ぷいっとそっぽを向いた。
「まいら、知らなかったんだもーん」
「中身ちゃんと読んでクダサイ!」
「そういえばさっき、いくつか外に出てったよな…」
ぽつりと言った土師さんの言葉に、淑生さんが悲鳴を上げる。
「うっそ! じゃあ、外まで探しに行かなきゃいけないの!?」
「どいつだ、外に投げやがったの!」
「あんたでしょ、ほむらん! 何考えてるのよ、バカ!」
「るせーな、知るか!」
「今はケンカしてる場合じゃありませんってば! とにかく、全部残らず拾って下さ―――――い!!」
隊員室に、泣き叫ぶ僕の声が響いた。そんな中、天刻さんと総隊長は立って壁に寄り掛かり、
「おやおや、いらっしゃったんですか、榊原さん」
「うん、さっきからね。何度来てもここは賑やかだね」
「そうですねぇ」
なんて、手伝う気ゼロでなごやか~な会話をしている。
僕は今日も、明るくて、楽しくて、ちょっと……いや、かなり騒がしい一日を送っています。