参
最初に被害に遭った酒井伸彦さんは、角刈りのスポーツマンといった感じ。
家を訪ねて事件のことを訊くと、酒井さんは不思議そうに、しきりに首を傾げていた。
「いやー、ほんと突然だったんですよ。仕事から帰る途中でね、夜道を歩いていたらいきなり目の前に、火の玉がぼわっと現れて」
「で、例の言葉を聞いたんですね?」
淑生さんが代表で問いかけると、酒井さんは肩をすくめた。
「そうなんですよ。熱さは感じませんでしたけどパニクっちゃっててね。必死こいて火を消そうとしてたら聞こえたんです」
「……その炎の色は、何色でしたか?」
「色? うーん、黄色…オレンジ? ですかね。よくは覚えてません。何せ頭が真っ白になってましたから」
「そうですか。ありがとうございました」
酒井さんにお礼を言い、二番目の被害者を訪ねた。
中山功男さんは窓際のサラリーマンといった感じで、事件の話をすると蒼い顔をした。
「あの日は給料日で…それを狙った強盗の仕業かと思いました。あの時のことはほとんど覚えていません。声は聞きましたけど、もう恐ろしくて……」
そう言って頭を抱える中山さん。気弱そう…というか胃が弱そうだなこの人。なんかトラウマになっちゃってるみたいだし。
まあ、いきなり体に火がついたら驚くよね。僕でもパニック起こしそう。
「では、炎の色も覚えていませんか?」
またこの質問だ。炎の色が重要な手掛かりなのかな? でも、中山さんは頭を抱えたまま首を横に振る。よほど怖かったんだろうな。
これ以上はなんの情報も得られないと分かったので、僕たちは次に狙われるだろう最後の登山メンバーを訪ねることにした。
その人の自宅に向かう道すがら、僕は淑生さんに訊いてみた。
「あのー、淑生さん。さっきから炎の色を訊いてますけど、あれって何か重要な手掛かりなんですか?」
「ん? ああ、火鴉の炎はね、精神が普通の状態だと緑色、興奮した状態だと黄色になるの」
「はん、それで色を訊いてたのか。さっきのオッサンは使いもんにならなかったが、初めの奴ァ、オレンジだか黄色だか言ってなかったか?」
「そうですね。ということは、火鴉は興奮状態だったってことですか?」
「そういうことになるわね。しかもオレンジに近かったってことになると、かなり激しく興奮してると思うわ。一体、何があったのかしら」
疑問は膨らむばかりだ。気性が穏やかな火鴉は、よほどのことがない限りそこまで興奮することはないらしい。
なら、人間の方に何かしら過失があったんだろうけど…被害者も混乱しててまともに原因は分からないし、あとは火鴉本人に聞くしかないよなぁ。
諸星史也さんはまだ被害に遭っていない、最後の登山メンバーだ。火鴉が次に襲うのはきっと彼だ。
豪邸ってほどではないけど、結構広い家だ。諸星さんはここに一人で暮らしているらしい。
通された客間も広くて、マンションの僕の部屋より広い。うらやましいなぁ……
一連の事件の話をすると、諸星さんは難しい顔でため息をついた。眼鏡をかけていて生真面目そうな人だ。
「そうですか……そんなことが。で、次に狙われるのは私ということなんですね」
「ええ、何か心当たりはありませんか?」
「その火鴉とか言う奴に狙われる理由ですか? さあ……あの時は彼らと一緒にいつも通り山に登って……」
その時の記憶を手繰り寄せるように、諸星さんは目をつむって天井を仰いだ。
「珍しい花がないか探してたんですよね……」
「花?」
「ええ。私は花が好きでね」
目を開け、諸星さんは壁の額縁を指した。
「気に入った花をああして、額や花瓶に飾ったり、育てたりしているんですよ」
特に触れようとしなかったけれど、この部屋にはは花がたくさん飾られている。
花瓶も一つや二つじゃないし、額縁には押し花が、はく製の蝶のようにきれいに並べられている。
「見てもいいですか?」
「構いませんよ」
近くで見てみると、本当にいろんな花がある。
僕は花とか詳しくないからほとんど分からないけど、よく見かけるものからまったく見たことないものまで。よくこんなに集めたなぁ。
淑生さんは女性なだけあって少しは花の種類が分かるのか、諸星さんと花についていろいろ話してる。
火群さんは……あ、やっぱり全然興味なさそう。思いっきりどうでもよさそうな顔してるよ……
「ああそうだ。確か帰り際に花を摘んで帰ったんですよ。見たことのない色の花でして、調べるために持ち帰ったんです」
「え、どんな花なんですか?」
ちょっと気になる。僕が問いかけると、諸星さんは得意げな顔をした。
「まだ蕾なのかもしれないけれどね、見てみるかい?」
「いいんですか?」
興味をそそられた僕だけど、火群さんにうんざりした顔で待ったをかけられた。
「おいおい、俺たちが何しに来たのか忘れたのか? ゆか。
俺たちは花を見に来たんじゃなくて、事件の捜査に来たんだろうが。花なんざ事件解決した後にでも見ろや」
「うっ…ごめんなさい」
「そうだったわね、うっかり忘れてたわ。それでは諸星さん、いつ火鴉が襲ってくるとも限りませんので、私たちがしばらく警護します。よろしいですか?」
「ええ、分かりました。お願いします」
「それじゃあゆかりん、いつものようによろしくね」
淑生さんはにっこりと笑った。
諸星さんに変装した僕を見て、本人は呆気に取られていた。
いつものように、僕は身代わりとして変装した。たいてい僕の役回りは身代わりなんだ。
今回は、僕が囮になって火鴉の気を引いているうちに、火鴉を捕獲することになった。
火鴉は聖獣だから殺すわけにいかないからね。本物の諸星さんは淑生さんが守ることになってる。
「安心しろ、ゆか。ほのかだかトロワだかが来ても、俺が返り討ちにしてやっからよ」
「火鴉ですよ! なんですかトロワって! それに返り討ちにしちゃダメです!」
不安だなぁ……火群さんのことだから、本気で返り討ちにしちゃいそうだよ。いくら人外でも聖獣を殺したら犯罪なんだから。
火鴉の目につきやすいように庭に出て、僕は花壇を見ていた。
庭もすごく広くて、そこにある花壇も大きい。花壇というより花畑だな、こりゃ。
「来るかなぁ、火鴉」
今日来なかったら、毎日ここに張り込まないといけないんだよね。
嫌じゃないんだけど、なんか落ち着かないんだよね、この家。広すぎて。
「火鴉よ来ーい。……なーんちゃって」
まったりと花畑のそばにしゃがみ込んで僕がそう呟いた時だった。ひらりと、火の粉が僕の目の前に落ちてきた。
「……火の粉?」
「ゆか! 上だ!」
火群さんの声に僕が頭上を見上げると、青白い体のカラスに似た大きな鳥が滞空していた。
広げた翼は炎そのもので、ちらちらと青白い火の粉が落ちてくる。ほ、ほんとに来たー!
「あ、あれが……っ」
「出やがったなホンダ!! 俺サマの炎を喰らえェェェッ!」
「ってちょっとー!? 何やってんですか火群さん! ホンダじゃなくてほの」
最後まで言う前に、火群さんが放った炎の渦が火鴉を飲み込んだ。熱風が強く吹きつけ、火が間近まで迫る。
「あーっっつぅ! 火群さん!! 僕まで火ダルマにする気ですか!!」
「ククク、炎は芸術だぜ?」
あ、ヤバい。目が血走ってる。もーっ、これだから火群さんと一緒の捜査は嫌なんだよおっ。誰か助けてー!
…って、はっ、火鴉は大丈夫なのか!?
慌てて火鴉を見る。けれど無用な心配だったみたいだ。火鴉はまったく効いていない様子で、炎の渦を打ち消してしまった。
「チッ」
「チッじゃありませんよ! 無事だったからよかったものの、火鴉が死んだらどうするんですかぁ!」
「犯罪者に同情なんざいらねェ。俺の炎で叩き潰すのみ!」
「警吏隊士が何言ってんの!?」
確かに犯罪者は許せないけど、火鴉はまだそうと決まったわけじゃないし、当初の目的忘れてるの火群さんの方じゃないか! この人ただ暴れたいだけだよ!
淑生さんに助けを求めようとしたその時、火鴉が急降下してきて口から炎を吐いた。
炎は僕の体を包み込み、僕の周りにだけ炎の壁が出来上がった。
「うわあああぁぁぁっ!」
「ゆか!!」
さほど熱さは感じない。でも、少しだけ熱は伝わってきて地味に暑い。
火ダルマになってるはずなのに、不思議な感覚だ。これが火鴉の炎なのか。
気配を感じて、僕は正面を見た。
僕の身長の何倍もある大きな鳥が、僕を見下ろしていた。
〈……ない……許さない…………〉
頭の中に直接、声が聞こえる。火鴉の声? 予想していたよりもかわいい声だ。まだ小さな子供のような高い声。
〈許さない……人間……〉
どうして? 何が許せないんだ? どうして君は……そんなに悲しそうな声をしているんだ?
「チッ、壁を作りやがったか。炎比べってか? いい度胸じゃねーか鳥公。そんな壁、俺の炎にかかれば……」
「何やってんのよ、ほむらん!」
ククク……と危ない笑みを浮かべていた火群の頭を、淑生がハリセンではたいた。
「ってーな! 何しやがる!」
「我忘れてんじゃないわよ! 騒がしいと思ったら火鴉が来てんじゃない!
火鴉が来たら呼べって言ったでしょ!? それにゆかりんはどこ!?」
「ゆかはあん中だ。さっき鳥公に捕まった。だから今、俺サマの炎で……」
「バカ言わないでよ。あんたの炎で火鴉に敵うわけないでしょ? それに、万が一その炎が中のゆかりんに当たったらどうするのよ」
もう一度すぱん、とハリセンで火群を叩く。
「俺はモグラ叩きのモグラじゃねぇ! 何度も頭叩くな!」
「ここはあたしに任せなさい。なんたってあたしは蛇神――水神だもの」
僕は炎に包まれながら、火鴉と対峙していた。火鴉は僕を見下ろし、伝えてきた。
〈返せ……盗んだもの……ずっと探していた……〉
「盗んだもの……?」
〈そうだ……おまえだろう。わたしから、大切なものを奪った人間…〉
諸星さんが、火鴉から大切なものを奪った? そんなことをするような人には見えなかったけど。
〈返せ……わたしの……大切なもの……〉
「何を盗まれたんだ?」
〈とぼけるな!〉
炎の勢いが増す。オレンジ色の炎は、容赦なく僕を襲う。蒸し暑くて汗ばんできた。まるでサウナだ。
火鴉は怒ってる。諸星さんに大切なものを奪われて。それは何?
〈おまえが奪った! わたしの大切なもの! 返せ! 返せ!!〉
「落ち着いて、火鴉。教えてくれ。なんなんだ? その大切なものって」
なるべく優しく問いかけると、ややあって沈んだ声が返ってきた。
〈……花……〉
「え?」
〈花を……盗んだだろう〉
「花……って」
もしかして、諸星さんが言ってた珍しい花? でもあれがなんだって言うんだろう。
〈返せ……あれはわたしの大切なものだ。あれは……〉
不意に、僕の顔に冷たいものが落ちてきた。この炎の中でそれだけは冷たく、僕の頬を伝って滑り落ちていった。
それは涙だった。火鴉の涙。そして、微かに聞こえた悲しみに満ちた声。
ああ、そうか。君は……
大切な子供を奪われて、泣いていたんだね。
急に炎の勢いが増して、淑生は怯んだ。炎が周囲に燃え広がることはないが、あまりにも炎の勢いが強い。
そのせいか、熱さを感じない火鴉の炎でも熱が伝わってくる。この炎の中心にいる紫は、さぞ苦しいことだろう。
(こんなに怒り狂ってる火鴉なんて初めて見たわ……)
吹きつける熱風で淑生の髪がはためく。髪を手で押さえ、淑生は手を前に出して水鉄砲を放った。
しかし、炎の壁に当たると水はすぐに蒸発した。
「まだ弱いか……これならどう!?」
さらに強い水鉄砲を撃つ。一瞬だけ炎の壁が分断されて、奥にいる紫――変装しているので、格好は諸星の格好だが――の姿が見えた。
「ゆかりん!」
だがすぐに炎は再び、彼と淑生たちを隔ててしまう。
「おいおい、得意げにしゃしゃり出てきた割りにはどうしようもなってねェじゃねェか」
「しゃしゃり出るですってぇ!? あんたに言われたくないわね! 見てなさいよ、あたしの実力はこんなもんじゃ……」
売り言葉に買い言葉、淑生が本気を出そうと意気込んだ時、炎の壁が消えた。
火鴉がどうして怒っていたのか解った。火鴉は卵を…自分の子供を取られてしまったから怒っていたんだ。
火鴉を落ち着かせて説得すると、火鴉は炎の壁を消してくれた。
火群さんや淑生さんが慌てて駆け寄ってきて……火鴉にもう一度突っかかっていこうとした火群さんを、淑生さんがハリセンでひっぱたいて、僕は諸星さんも交えて火鴉のことを話した。
「あの花が……火鴉の卵!?」
「はい。花に似ているけれど、あれは卵らしいんです」
今、火鴉は仮の姿――真っ白なカラスの姿――で、僕の肩に乗ってる。ちなみに僕はもう変装は解いてるよ。
卵のことは淑生さんも知らなかったようで、本気で驚いたみたいだ。
それは火群さんや諸星さんも同じで、特に諸星さんに至っては文字通り開いた口が塞がらない状態だ。
「そういうことだったのね。それじゃあ火鴉が怒るのも無理ないわ」
「ガキを取り戻そうとしてただけかよ。……チッ」
いや、チッて何。そんな残念がることじゃないでしょ火群さん。
「……知らなかったとはいえ……それは申し訳ないことをしました」
ようやっと、といった感じで諸星さんが言う。言うなれば彼は卵泥棒なわけで、火鴉は被害者だったわけだ。
やっぱり火鴉はむやみに人を襲うわけじゃなかったんだ。よかった。
この件が世間に広まって、火鴉は人間を襲う凶暴な生き物だってことになったら、人外の印象が悪くなる。
ただでさえ、人外はみんな同じだと一括りにしてしまう人が多いから……
「火鴉は卵を返してくれさえすればいいと言ってます。卵を返してくれれば何もせず立ち去ると」
「ああ、そうですね。あの花……いえ、卵は別室の花瓶に活けてあります」
卵を活けるって…変な感じだ。いや、見た目は花なんだからおかしくないんだけど。
別室へと案内されると、そこは花瓶や花の入った額縁だらけだった。まるで花の博物館……っ。
諸星さんは奥の棚に置かれている花瓶を持ってきて差し出した。
「これです。新種かと思って調べようかと思っていましたが、お返ししますね」
差し出された花瓶の中には、全体的に薄緑色で先っちょだけが赤い一輪の花……というか蕾が活けられていた。花の蕾にしては大きくて、僕の手と同じくらいあるんじゃないかな。
火鴉は僕の肩の上から首を伸ばして、蕾に顔をこすりつけた。まるで小さな赤ん坊に顔をすり寄せるように。うれしそうだな。
「よかったね、火鴉」
僕が火鴉の頭をそっと撫でた時、蕾がプルプルと小さく震え、ふわりと開いた。
「「!」」
開いた花の中には、群青色の鳥のヒナがいた。う、産まれたーっ!
「……ピゥ」
ヒナは親鳥の姿を見つけると、小さな羽をばたつかせて何度も鳴いている。かわいい~っ、青いヒヨコだ! ヒヨコ!
興奮する僕の肩の上で、火鴉は一度翼を大きく広げると、外へと首を巡らせて飛び立った。
ヒナは親鳥を目で追い、ぱたぱたと一生懸命翼をはばたかせて、よろよろと親鳥の後を追って飛び立つ。
外に出ると、火鴉は元の姿に戻った。青白く輝く身体。さっきまでと違って穏やかな瞳。
夕焼け空に青白い火の粉が舞って、とても神々しく見える。
「……火鴉」
ヒナが火鴉の首の上に乗り、一声鳴くと、火鴉は空の彼方へと飛び去って行った。
こうして、謎の火の玉事件は幕を閉じた。