昔語り~真愛良~
真愛良が警吏隊に入ったのは十歳の時だった。その二年前、真愛良は総隊長にスカウトされた。
「えへへ~、いっくよー」
半分ほど水の入ったバケツを、真愛良は“念動”で宙に浮かせた。数人の子供たちがわくわくと熱い視線でバケツを見上げている。
真愛良は生まれつき“念動”を持っていて、ご近所でも有名だった。
公園の入り口付近の木の陰に隠れた真愛良たちは、通行人が来るのを待ち受けていた。
そこに一人の中年の男性が通りかかり、真愛良は「えいっ」とバケツの中身を通行人にぶちまけた。
「うわああっ」
「やったやったー、大成功!」
「これで三人目だね、真愛良!」
「きゃははは」
男性の服は左側が見事に濡れていた。飛び跳ねるように喜んでいる子供たちを、男性が呆れと怒りの混じった顔で見る。
「またお前たちか! いい加減にしろ!」
「引っかかる方が悪いんだも―ん」
反省の色を見せない真愛良と子供たちは、転がったバケツを持って公園の中へ駆けていく。
この頃の真愛良はご近所でも有名な悪ガキだったのだ。毎日のように“念動”を使ってイタズラばかり。
大人たちは真愛良の両親に何度もやめさせるよう言っているのだが、両親は「ちょっとくらいおてんばな方が可愛げがある」と取り合ってくれない。
そして次の犠牲者を待っていた真愛良は彼と出会ったのだ。
通行人を見つけ、真愛良は水の入ったバケツを宙に浮かせる。
通行人が木の前を通り、バケツを傾けた時だった。その通行人はバケツの水をひらりとよけた。
「!」
「え!?」
バケツをよけられたのは初めてだ。子供たちは驚いて通行人を見つめる。
通行人は木の陰に隠れている真愛良たちを見つけ、にこりと笑いかけてきた。
「おやおや、やんちゃな子どもたちだねぇ。うちのおチビさんたちもこれくらいやんちゃだと面白いのだけれど」
柔らかそうな茶色の髪と緑の瞳。三十代前半くらいの男性はじっと真愛良を見下ろす。
「君が木下真愛良ちゃんだね?」
「そうだけど、おじちゃんは?」
真愛良はくりっとした大きな目で男性を見上げた。
「おじちゃんは榊原陽向。警吏庁総本部の総隊長をやっているんだよ」
「警吏庁? おじちゃんは警吏隊士なの?」
「そうだよ。君を警吏隊にスカウトしに来たんだ」
膝を折って真愛良と目線を合わせた陽向の言葉に、真愛良は目を瞬かせた。
そのあと、真愛良は両親と話がしたいという陽向を家に連れて行った。
父親は仕事でいなかったので、母親が応対した。二人はリビングで真愛良を交えて話をすることになった。
「そういうわけですので、お嬢さんを警吏隊特殊課に招き入れようかと思っています」
「まあまあまあ、まいらちゃんが警吏隊士? この子に務まっちゃうかしら?」
フリルのついた緑色のロリ服を着た母親は、両頬に手を当ててぽけっと言った。
真愛良のゴスロリ趣味はこの母親からきているようだ。
「ただ、警吏隊士になれるのは十歳からです。お嬢さんはまだその年齢に達していませんから、その年齢に達してから入隊ということになりますが」
「あらあらあら、そうなんですか? ん~、まいらちゃんはどうしちゃいたい?」
「まいらねぇ、入ってもいいよ」
「まあまあまあ、じゃあそういうことで」
母親と真愛良はよく似た顔でにっこり笑った。こうして真愛良はあっさりと警吏隊に入隊(予定)となった。
その噂は早くも町中に広まった。単純に警吏隊士になるということで喜ぶ者もいれば、あのイタズラ娘に警吏隊士が務まるのかと危惧する者もいる。
しかし、その日を境に真愛良はほんの少しだけ真面目になった。ほんの少しだけ。
そうして二年後。
「がんばるのよ~、まいらちゃん。ママ応援しちゃってるから」
「パパも真愛良の雄姿を想像して無事を祈ってるからね!」
「うんっ、まいらガンバル!」
初登庁の日、真愛良は両親に見送られ、迎えに来た陽向とともに警吏庁に向かった。特殊課は総本部のかなり端の方にあった。
真愛良が案内されたのは第三班のプレートが掛けられた部屋。そこで真愛良は天刻や土師たちと出会う。
「おや、榊原さん。その子が新しいお仲間ですか?」
天刻が笑顔で近づいてくる。窓を開けて窓際でタバコを吸っていた土師と火群もこちらを見る。
「ええ、そうです。木下真愛良くん、十歳です」
「十歳だぁ? まだまだガキじゃねェか。こんなんが警吏隊士たァな。警吏隊も格が落ちたもんだぜ」
鼻で笑う火群に、土師はタバコを灰皿の上で消しながら軽くたしなめる。
「そういう言い方をするなよ、火群。警吏隊に格なんてあるようでないものだし」
土師の肩に薄灰色の綿埃のようなものが降りてきた。手のひらサイズで、糸のようなものが一本出ている。
「そうだっち。カワイイ女の子でいいっち」
綿埃がしゃべった。真愛良はぎょっとしてその毛玉を見る。土師と火群がこちらへやってきて、綿埃はよく見ると小さな目と口があった。
「真愛良くん、紹介しよう。こっちの細目のおじさんが天刻柾周くん。眼鏡のおじさんが土師昂行くんで、目つきの悪いお兄さんが火群景朗くんだよ」
「ねぇねぇ、その毛玉なーに?」
真愛良の視線は綿埃に注がれている。綿埃はふわりと浮いて、真愛良の顔の前まで降りて憤慨する。
「ポクは毛玉じゃないっちぃ! ポクは緜霊のウルクシアーノだっち! ウルって呼んでほしいっち!」
ウルクシアーノことウルは、人間だったらふんぞりがえるように、ちょっとだけ体を上に反らす。
緜霊は綿の恠妖で、ふわふわ漂うだけなので人畜無害だ。
「ウルちゃんて言うの? よろしくね」
「他にもメンバーはいるんですがね、今は任務に出ているので戻ったら紹介しましょう。榊原さん、あとは私たちが」
「分かった。それでは真愛良くん、今日からここが君の職場だ。しっかりやりなさい」
「うん、ありがとう、総隊長!」
こうして真愛良は特殊課第三班に仲間入りすることとなったのだった。
「ってわけで、まいらは警吏隊士になったの~」
「十歳で警吏隊士かぁ。確かに特殊課は十歳から入れるって聞いたけど、真愛良ちゃんがそうだったなんて驚いたよ」
僕が十歳の頃なんて遊び呆けてたもんなぁ。それにしても、僕が入る前っていろんなヒトが三班にいたんだな。
えーと、ウルクシアーノさんだっけ? 特殊課では見かけたことないから、そのヒトも退職したのかな?
「真愛良ちゃん、ウルクシアーノさんって今は特殊課にいないよね?」
「総本部にはね。ウルちゃんは五年前に別の警吏庁に異動になったの。淑生ちゃんと入れ替わりにね」
「じゃあ淑生さんが入隊したのってその頃なんですか?」
淑生さんは総隊長がいなくなったのでこっちの輪に加わっていた。毛布は巻きつけたままだけど。
「そうねぇ~、あたしはただ、警吏隊っておもしろそうだな~って思ったから入ったんだけどね、総隊長があのヒトだって知ってたら入ったりしなかったわ」
「淑生さん、なんでそんなに総隊長苦手なんですか?」
「苦手なんじゃないわ。畏れてるの」
「畏れ……?」
その割にはポンポンといろいろ言ってるような気が。神狐ってそんなに偉いのかな?
でも、同じ神族でも種族が違えば格の差はないに等しいんじゃなかったっけ?
「別に神狐を畏れてるわけじゃないわよ? あのヒトの一族に対して畏れてるの。
あたしたち水宮の一族は、元々この国にいたわけじゃないわ。この国には昔から別の水神がいてね、その水神がこの国の守護神。あたしたちは別の国から移住してきた外津神なのよ」
な、なんだか意味深な話になってきたぞ? たぶんこれって一般には知られてない話だよね?
それぞれの国や大陸には守護神が必ずいるんだけど、単なるおとぎ話としか思っていない人もたくさんいるんだよね。
僕だって昔は神様なんてあんまり信じてなかった。
毎年、藍泉の守護神である水神様や藍泉を建国した神様を祭る行事はあるんだけど、ただの宗教的行事としか思ってなかったし。
でも、淑生さんと会ってホントに神様はいるんだって分かったけどさ。
神様は実在するものだって子供でも知識にはあることだけど、それを世界中の人すべてが信じているわけでもない。
だって、神様はほとんど僕ら人間の前に姿を現さないから。
神話だって昔からちゃんと言い伝えられてきた“真実”と、誰かが作った“作り話”がある。神様しか知らない“事実”だってきっとあるだろうし。
淑生さんが今話してくれることは、その神様しか知らないことだろうな。藍泉神話だったらちゃんと全部覚えてるけど、これは知らないから。
「昔からいる水神様ってサヲギラ様ですよね?」
「そうよ、ちなみにあたしたち水宮はカガミの一族なの。で! 問題はサヲギラじゃないのよ。サヲギラは同族だからいいんだけど、同じ守護神のオミリア様! あの方の一族なのよ、総隊長は!」
「「えええっ!? オミリア様ぁ!?」」
これには全員が驚いた。だって炎神オミリア様は、この藍泉を建国した神様なんだから!
さすがに天刻さんも知らなかったみたいで、天刻さんが目開けたの久し振りに見た。(そっちでも驚いたよ)
「もう何百年もこの国にいるけど、外津神ってことに変わりはないから、その国に元からいる神…国津神に逆らうことなく敬意を示すのは当然なの。
そうでなくても、あのヒトはあたしの何倍も生きてるしね」
うーん、外津神とか国津神とか知らない単語出てきた……元からいる神様とか他の国から来た神様とか、そういう風に違うものだったんだ。神様の世界にもいろいろ決まりがあるんだなぁ。
「まあ、あの人はそういうの気にしてないみたいだけどっ。こっちとしては気が気じゃないの! 機嫌損ねでもしたら何されるか分からないもの」
とか言うわりには結構反論してるみたいだけど。そっかぁ。淑生さんの総隊長への態度にはそういう意味があったのか。
うう、今度から総隊長にどう接すればいいんだろう。オミリア様に関係してるってことは、国王陛下よりも偉いわけだし。
ていうか、そんな偉いのにどうして総隊長なんかやってるんだろう?
「そういうことで、あたしの入隊エピソードは終わり。あと話してないのって、昂さんと春希とゆかりんだけよね」
「オレも話すのか?」
【私はこれといって特別な理由ではないので…】
「この際だから話しちゃいなさいよ。昂さんの入隊エピソードはあたしも聞きたいし」
おまんじゅうをほおばってウインクする淑生さん。春希ちゃんは僕の半年後に入隊したんだったよね。土師さんは……いつだろう?
土師さんはけだるそうにガシガシと頭を掻いて「仕方ないな」と話し出した。
「言っておくけどな、オレのもたいした理由じゃないぞ。十二年前、“透化”を使って壁をすり抜けたところに総隊長がいて、特殊課に入らないかって誘われたんだよ。
警吏隊なんて面倒だったから断ったんだけどな、そのあともしつこく近づいてきたから仕方なく入隊したってわけだ」
みんなの話を聞いてて思ったんだけど、なんだか総隊長っていつもタイミングよく現れるんだな…僕も総隊長にスカウトされたわけだし。
「な? たいした理由じゃないだろ?」
「そうねぇ、おもしろエピソードはなかったわね。春希はどうなの?」
【私も…真愛良さんと同じように、“声魅”の噂を聞いた総隊長さんがスカウトに来たんです。
私、この能力あまり好きじゃなかったんですけど、この能力が事件を解決するのに役立つならと思って、入隊を決意したんです。】
天刻さんと同じ理由だ。やっぱり春希ちゃんは真面目だなー。ちゃんと考えて自分の道決めてるんだから。……それに比べて僕は……
「これで残るはゆかりんだけね! さあ、ゆかりん! 出番よ!」
淑生さんの声に、僕は我に返った。あんまりぼうっとしてたもんだから、みんなが訝しげに僕を見る。
「? どうしたの? ゆかりん」
「なんか元気ないみたい?」
「腹でも痛いのか?」
「ぼんやりするなんて海宝らしくないな」
【大丈夫ですか? 海宝センパイ。】
「長話になってしまいましたからねぇ、疲れたのでは?」
みんなが心配してくれている。心配をかけたらだめだ。僕は笑顔で場を取り繕った。
「えっ? あはは、大丈夫ですよ。入隊した理由でしたよね? やー、僕はそれこそなんの理由もなしに入隊したんです。総隊長に言われるままに」
本当に、あの時は何も考えていなかった。疲れていて、自暴自棄になっていたから。
「僕が入隊したのは二年前ですけど、その頃は就活しながらバイトしていました。
……で、そのバイトは女性の方が給料が良かったので、女装してたんですけど……客として来た総隊長に一発でバレちゃって、才能を生かしてみないかってスカウトされたんですよ」
まさかバレるとは思っていなかったから驚いた。一発で見抜いたのは総隊長が初めてだったんだ。
「けど、特殊課って異能者や人外が入るところじゃないですか。
僕は常人なのにいいんですかって聞いたら、総隊長は全然問題ないって……そう言われて、道を失いかけてた僕は後先考えずに入隊したんですよねー」
苦笑して肩をすくめてみせると、みんなは少し残念そうだった。
「なーんだ、そうだったの。特別な理由で入隊したわけじゃないのね」
「特殊課発足以来、初の常人だって言うから特別な意味があったのかと思ってたな」
「まいらはなんとなく気づいてたけど。あの総隊長のことだもん、特に深い意味はないんだろうなーって」
「あのオッサンのやることに意味があるなんざ、俺ァ初めから思ってなかったがな」
「まあ、榊原さんですからねぇ」
なんとかごまかせたみたいだ。ほっとした僕は、春希ちゃんだけがまだ不安そうな顔で僕を見ていたことに気づいていなかった。
「なんにせよ、これで全員話し終わったわね~。さて、そろそろ仕事始めますか」
「そうだな。まずは部屋の片づけをしないと」
「かったりィぜ、このまんまでもよくねェ?」
「見つかったら怒られますよ。テイラーさんとか」
「鬼ババァはもうこの班のメンバーじゃねェんだからいいだろうが」
「ほむらん、口より手を動かしたら?」
昔話が終わって、みんなはそれぞれのやることに戻っていく。だいぶ話しこんでたなー。わっ、もう三時間近く経ってる!
みんなが部屋の片づけを始めたので、僕も手伝おうとした時だった。
「紫くん」
「へ? ひわああっ、総隊長!?」
また出た!! 神出鬼没のこのヒト! あ、どうしよう、神様だって分かっちゃったし今までどおりでいいのかなっ?
「少し頼みたいことがあるんだけどいいかな? ああ、よかったら春希くんも」
「頼みたいこと、ですか?」
「ちょっと資料の整理をね。今、手は空いてるのかな?」
「はい、大丈夫です」
「よかった。柾周くーん、紫くんと春希くんを借りていくけれどいいかい?」
淑生さんがびくっとしているのが見えた。今なら淑生さんの気持ちがよーく解るよ。天刻さんが「いいですよー」と返す。
僕と春希ちゃんは総隊長に連れられて資料室へ向かった。