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異世界恋愛短編集

今日も世界は無感動に回る

作者: 星キノ

 車の音が聞こえる。


 恐らくは彼が帰ってきたのだろう。

 この家の持ち主たる夫が。


 帰って来た彼を出迎えるべく、待機していたリビングルームのソファから立ち上がり、玄関へと向かう。

 車のエンジンが切れて、車が沈黙するのを聞き届けながら私は部屋の扉を開けて廊下へと出る。


 彼が車から降りて玄関の扉を開けるまで、平均して33秒は掛かる。

 過去の記録を参照する限り、誤差は概ねプラスマイナス3秒。つまり30秒以内に玄関に到着すれば、イレギュラーが無ければ彼を出迎える事が可能だ。

 30秒ジャストで玄関に到着し、玄関マットから1歩引いた所で3秒間、呼吸を整え自らの表情筋を確認する。


「ただいま」

「お帰りなさいませ、あなた」


 扉を閉め、靴を脱ぎ、こちらと視線が合うのにおよそ5秒。


「飯、出来てるか?」

「はい」


 彼が脱ぎ捨てた靴を揃え、彼の後ろを3歩半の距離を維持しながらリビングへと向かい、彼の脱ぎ捨てるネクタイと上着、ワイシャツ、靴下を手に取る。


 冷蔵庫で冷やしてある麦茶をグラスに注ぎ、彼に渡す。

 脱ぎ捨てられた衣類を洗濯機に入れ、スーツに関してはハンガーに掛けながら皺を整える。

 そのまま玄関へと戻り、彼の靴には靴墨を掛けておく。


 リビングに戻れば、彼はソファでくつろぎながらテレビを眺めていた。

 そのままキッチンへと向かい、夕飯の支度を行う。


 今夜の彼の食事は、彼の健康を気遣って減塩食にしている。

 カロリーの計算はもちろん、不足しがちなビタミンやミネラルを考慮した料理だ。


 彼はひと目料理を見ると、眉間に皺を寄せる。


「まるで精進料理だな」


 サラダをサーブし、米を彼の前に出す。

 自分もまた席に着く。


 彼は手を合わせて小さく頂きますと呟く。

 そして湯豆腐を口へと運ぶ。


「……本当に精進料理みたいな味の無さだな」


 ため息が彼の口から出る。


 何が不満なのか理解が出来ない。

 彼の生命維持活動可能時間を最大化するための料理なのだが、どうもこれは良くない模様だ。



 食事を終えると、彼はそのまま浴室へと向かい入浴。

 その間に洗濯機に向かい、念じると勝手に洗濯機が動き出す。


 私は魔法を使うことが出来る。

 と言っても微弱で、基本的には家の中の物、それも電化製品とかを遠隔で使用することが出来る程度だ。

 具体的には冷蔵庫の扉を開けたり温度調節したり。エアコンやヒーターとかも念じれば手に触れずともつけることが可能だ。

 あとは細かいところではお風呂の温度もある程度調節出来る。


 彼が浴室から出るのに合わせて、洗濯しておいたパジャマを手渡す。

 ほんのりと柔軟剤の成分が鼻を刺激すると、彼はそれに身を包み頭を乾かし、寝床へと着く。

 こうして私の一日は終わる。




「行ってらっしゃい」

「ああ」



 一日で最も嫌いな瞬間。

 彼が鞄を手に取り、家を出る時だ。


 家の中では私が常に見ていられるが、外では何があるか分からないからだ。


 浮気とかは性格的にも出来はしないので問題ないだろう。


 だが、仕事中に事故に遭ったら?

 あるいは、急性アルコール中毒になったら?


 考えうるケースは幾つかある。

 家であればそうしたリスクを回避する事も出来るが、外ではそうもいかない。


 それが不安なのだ。




「ただいま」

「お帰りなさいませ、あなた」


 扉を閉め、靴を脱ぎ、こちらと視線が合うのにおよそ4秒。いつもよりも少し時間が短い。


「飯、出来てるか?」

「はい」


 この瞬間が私は一番好きだ。

 彼が私の元へと帰ってくる瞬間が、一番嬉しいと感じる。

 反対に、一番嫌な時間は彼がこの家を出る時だ。寂しく感じる。


 今夜の彼の食事は、彼の健康を気遣って減塩食にしている。

 と言っても、厳密にカロリーや塩分量を管理している訳では無い。

 厳密に栄養素を管理してしまうと、食事が実に淡白なものになってしまう。

 それは彼の望まない所だ。故に、彼の健康にも気を使いつつ、決して彼が不満に思わないように料理を調律し、その天秤の傾きと相談し味付けを決定する。

 ある程度の()は許容しなければない。

 それが幸福度(所謂QOL)を上げるからだ。


「うん、今日は美味しいね」

「それなら良かった」


 彼は何か特別に私に対して愛情表現をしてくる事はない。

 それは私が空気と同じで、絶対に無くてはならない、しかし当たり前に存在しているものだからだ。

 完全に安心しているからこそ、特にそうした事をする必要性がないのだ。それは此方も同じこと。

 だから私も、彼に対して特別に何かを表現することは無い。

 しかし、こうした何気ない一言が嬉しく感じる。




 テレビを見ていて、ドラマで夫婦が喧嘩をしているシーンが流れる。


「私たちって、やっぱり普通とは違うのかしら」

「んー?」


 嫁役が飛び出し、どことも分からない土地へ走る。


「普通の夫婦って、こんなに喧嘩したり感情豊かなものなのかしらね」

「なにそれ」


 やがてどことも分からない公園と思われる場所に息が上がりながら到着すると、彼女はベンチに座り込む。


「いや、こんな(テレビでの)ことって私たちには有り得ないなーと思って」

「そりゃそうだ」


 そういうと、彼は瞬きをしてこちらに視線を寄せた。


「よそはよそでうちはうちさ。ヒトとは違う」

「そうね」

「ヒトは千差万別だし、ヒトの皮を被った何かみたいなのも世の中いくらでもいるからな」

「ええ」


 嫁役が涙を流す。

 ふと気になって、自分の目の下、頬をコンコンと指先で叩いてみる。


 私は生まれてこの方泣いたことがない。

 少なくとも、そんな記録は私の脳内に残されていない。忘れているだけかもしれないが。


 感情の起伏がヒトよりも少ないのかも知れない。

 実は誰にも言った事がないが、一度『泣く』とはどの様な事なのか、体験してみたいと思っている。



 感情の起伏と言えば。


 最近彼から求められた事もない気がする。

 最後に求められたのはいつだっただろうか。


 ……思い出せない。


 そもそも、求められたことなんて、あっただろうか?

 記憶力には自信がある方だが、海馬に語りかけてもそのような記憶が見つからない。


 あれ、私たち、夫婦じゃなかったっけ?




「行ってらっしゃい」

「ああ」


 嫌な瞬間だ。

 いつものように彼を見送った後、今晩の献立を考えながら、洗濯機の中のものを取り出し、

物干し竿に洗濯物を干す作業。


 外は雲天だ。

 雨は降らなそうだが、何だか冴えない天気だ。


 洗濯物を干し終えて、家の掃除を行う。

 洗濯槽のクリーナーを洗濯機に仕掛け、家の掃除ロボを起動しながら、叩きを取り出して天井や背の高い家具の埃を落とす。

 今夜の献立を考えながら、ふと、開け放った窓の外に目を向けた。


 雲天だ。


 この時間はいつも不安になる。


 玄関の向こう側、道路の真ん中を園児と思われる子供が引率に連れられて歩いているのが見える。


 子供。

 そう言えば、うちには子供がいない。


 欲しいと思ったことは無いが、夫婦である以上、そうした事も考えなくてはならない。

 うち()は跡取りが必要な類の仕事では無いが、老後はどうすべきか。




「え?」

「これから、どう?」


 それとなく、夜寝室で誘う。

 思わず聞き返してくる夫に、思わず眉を顰める。


「どうしたんだ突然」

「私たちには子供が居ないなとふと思って」

「子供?」

「ええ。貴方は欲しくないの?」


 そう言うと、夫は頭を掻いてみせる。


「……あー、そういう事か。うちには特に必要ないんじゃないのかなあ」

「そう? 我々の老後のことも考えたら、居た方がいいんじゃないのかなと私は結論付けたんだけれど」

「大丈夫大丈夫。問題ないさ」

「その根拠は?」


 やや動揺した様子で夫が答えるのを見て、頭を傾げる。


「うちはうち、よそはよそ。あと、俺は今日疲れてるからこの話はまたにしてくれ」


 そう夫は話を切り上げると、ベッドに潜ってしまった。完全に寝る体勢だ。

 仕方が無いので、自分も横になり、目を瞑り規則正しく呼吸する。


 暫くすると、夫がため息をつくのが聞こえた。



「やれやれ。これは想定外だったな」



 想定外?

 何が?





「行ってくる」

「行ってらっしゃい」



 そんな会話をしたのは今朝の話だ。


 いつもの会話。

 いつもの日常。


 それなのに、なぜこんなに不安な気持ちになるのだろう。


 結局、昨晩の話を蒸し返す事無く、私たちはいつもの日常に戻った。

 これで良かったのだろうか。分からない。


 空は晴れている。

 洗濯にはもってこいだが、生憎そんなに洗濯物が無い。


 ああそうだ。

 こんな時は掃除でもしよう。

 そう思って収納を開け、ハタキを取り出す。

 そしてリビングから椅子を持ってきて、天井からホコリを落とそうと思ったその時だった。



「え……?」


 我が家の通気口の奥から、何か光を感じ取った。

 目を凝らしてよく見てみると、そこにあったのはレンズ。


 これは。


「隠しカメラ……!?」


 何故。


 頭がフリーズし、現状を整理しようと試みて、失敗する。


 これは一体なんだ。


「……」


 ようやく脳が再起動し、状況を整理し始める。


 これは隠しカメラだ。

 コードに繋がれている。


 一旦椅子から降りて、位置をずらして天井の点検口を開き、上を覗いてみる。


 愕然とした。


「なに、これ……」



 無数のコード。

 電源と思われる物はもちろん、昔のブラウン管に繋がれてるような黒くて丸い映像のケーブル(同軸ケーブル)、更にはネットに繋げる青いの(LANケーブル)と思われる物まで。


 どうなっているんだこの家は。


 今まで、掃除の際は高い所は夫がやっていて、私は魔法で自走式の掃除機(ルンバ)を遠隔操作で付けたりして、あとは水周りをしていたから、こんな事には気付けなかった。


 よく見ると、コードは所々で小さい穴から下へと伸びている。


 大凡の目星をつけて重点的にその辺を捜索すると、またカメラが現れる。


 何が、どうなっているんだ。


 ひとまず全てのケーブルを引き抜き、カメラを機能停止させ、全て回収する。

 カメラは浴室を除く全ての部屋に1箇所ずつ、取り付けられていた。


 こういう時に限って、私の家の中限定での魔法はカメラに対して作用しない。

 動揺しているからだろうか。




「ただいま」


 その日の晩、いつもよりも早く夫が帰ってきた。

 深刻そうな顔をしていたが、今の私にそんなことを気にする余裕は無かった。

 不安でたまらなくて、恐ろしかったからだ。

 そこでようやく、夫が帰ってきた。

 やっと、やっとこれで。



「あ、あなた、良かった、実ーー」

「カメラはどこにある」



 思わず瞬きをした。


「か、カメラ?」

「ああ」


 同じ話題を切り出そうとしていたはずなのに、いや、だからこそ、夫がカメラの話題を切り出してきて、また頭が凍る。


「知ってたの……!?」

「そうだな」

「な、なんでこんなに家にカメラがあるの!? 一体、何がどうなってるの!?」


 バチりと天井の電球から火花が散る。

 私の魔法が感情に呼応し、暴走しかかっている。


「お、落ち着け。まずは座って話そう」

「ねえ、貴方、このカメラの事をどうして知っているの」

「そ、それは……」


 電子レンジがバチバチと弾ける様に火花を散らす。

 赤外線オーブンのランプが割れ、洗濯機が勝手に回り出す。

 夫に掴みかかると、それに合わせて照明がショートし部屋が暗くなり、オーブンから火が上がった。


「ま、待て!先ずは手を離してくれ!冷静になれ!」


「冷静に、なれる訳ないじゃないのーー!」


 テレビが弾け、表面のガラスが割れ、掃除機が唸り声を上げてボン!と言う音と共に沈黙する。



 絶叫した所で、身体から力が急速に抜けていく。

 全ての電化製品が沈黙し、私はそのまま床に崩れ落ちた。


 最後に視界に映っていたのは、マスクを付けた白い装束の人間がズカズカと入ってくる所だった。






「んー、なんで上手く行かないかな」


 ふと、声が聞こえて、意識が浮上する。

 目を開けると、そこにあったのは見知らぬ天井。そして、無数の白衣。


 ここは、どこ?


 そう声を出そうとしても、声が出ない事に気付く。


「解析結果は?」

「分からないなあ。どっかで基盤が焼き切れたか?」

「検査結果を報告してください」


 目を近くのPCに向けると、そこにはPCが映っていた。

 その画面には、自分の視線の端で切れている研究員らしき人物のトルソーが、やはり同じように切れていた。


 その研究員の顔を見上げる。



 夫だ。



「あ……な……」

「シミュレーションは上手くいってたんだけどなあ。シャットダウンして解析に回すぞ」



 夫が私の顔を見て、何の感慨も無さそうにそう言う。

 そして腕に刺さっていた(電源)が抜かれると、急速に力が抜けていく。


 一般的に、ヒトの頭部は卵状だ。

 ヒトである自分の頭部ももちろんそうなので、全身から力が抜けた事で頭を寝台に打ち付けると、自分の頭が無造作に横を向く。


 暗くなって行く視界に、人影が見える。

 自分と同じ顔を持つ人影だ。


 瓜二つの顔。

 ケースの中に何人もの自分がいる。

 顔以外は全身が銀色だ。髪もなければ、皮膚もない。ひたすら鈍色だ。



 ああ、そうだったのか。


 ヒトとは違う(・・・・・)とはそういう事か。


 要するに、私は、ヒトですらなかった(・・・・・・・・・)のだ。いや、そもそも生きてすらいない。


 通りで、あの人が振り向かない訳だ。


 なるほど私の替えなんて(は所詮)いくらでもいる(量産品である)のだ。


 ヒトの皮を被った何かは、自分(・・)なのか。


 その事実に行き着いたところで、カメラ(眼球)の動きを滑らかにするために、シャッター(まぶたの裏)に指されている潤滑油が一筋零れる。


 よもや、こんな形で涙を流す現象を体験できるとは。


 そう思考した所で、私はシャットダウンした。

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