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あの男がいなくなった後、僕は暫く残業した。本当はすぐに帰れたのだが、万が一外で待ち伏せされていたら困るからだ。
無駄に働きまくり、とっぷり日も暮れた頃、窓の外をチェックする。よし、いないな。僕は帰る事にした。
「うぅっ、お腹すいた。」
役所の近くにある食堂、にこにこ亭に入る。
お気に入りの隅っこの席に座り、すっかり顔なじみの店員さんに料理を注文。一息つく。
すると、僕の前に影が射した。
「相席、いいかな?」
僕はおそるおそる顔をあげる。
......奴だった。
「お断りします。僕、食事はひとりでゆっくり食べたい派なもので。」
どうも奴は耳が機能していないようだ。僕の前の席に座り「彼と同じものを。」と料理を注文しだした。
「なぁ、ユリウス聞いてくれよ。」
無視しよう。まるで、友達かのごとく話しかけないでほしい。
「今は割と落ち着いてるからさ。」
落ち着いてるって何。
「気がつくとあんたの事考えててさ、なんつーか、こう、ドキドキしてくるってーの?」
僕も別の意味でドキドキしてるよ。
「で、突然我に返るんだよ。俺、今何考えてたんだ、って。自分にビックリすんの。」
「はぁ。」
あ、しまった。つい、返事しちゃった。
「でさぁ、夕方あんたに会いに行ったじゃん?その時、手ぇさわっちゃったんだよ。」
ん?すがり付いたり、握りしめたりされたが?
「そしたら急に、頭の中がカーッとなって、あんたが好きだって事しか考えられなくて、もうどうにかしてヤれ......ぶっ。」
僕は奴の顔面にメニュー表を叩きつけていた。
何か恐ろしい言葉を発しようとしなかったか、こいつ。
「とにかく、俺おかしいんだよ。自分でも制御できないんだ。」
奴はしゅんとしていた。
「このままだと、俺は確実にあんたを襲う。」
断言!さらっと何言っちゃってんの!?
いやいや、こんな筋肉ムキムキ男に襲われたら太刀打ちできないでしょ。
自慢じゃないが、僕は喧嘩だってした事ないんだ。
「そんな嫌そうな顔しないでくれよ。」
するだろ、ムリだろ。
「あなたにそんな顔されたら、傷つく。」
ヤメロ。頬を染めるな。
「......いや、違うぞ。そうじゃない。」
おや?どうやら奴も自分と戦っているらしい。
「とにかく、このままだとヤバいんだよ。俺だって男なんか抱きたくないんだ。」
「うわー、うわぁーうわぁあぁ━━!」
僕は思わず奇声を発した。
「俺はヤるなら柔らかい女の子じゃないと嫌だ。」
「同感だな。」
「でも、あんたに対してはものっすごいムラム......ぶふっ。」
僕は再び奴の顔面にメニュー表を投げつけた。
「お待たせしましたー!激辛マーボでーす!」
店員さんが、僕の前に料理を置いた。
美味しそう。
早く食べて、さっさと帰ろう。
「なんか、揉めてたみたいだけど大丈夫?」
店員さんが、こそこそ話しかけてきた。
「今のところ......」
「ヤバくなったら助太刀するから呼んでよ!」
「ははは。」
僕は激辛マーボを口に入れた。ん~、今日も辛いね、うまい。
僕の向かいに座る男は辛いのが苦手なのか、一口食べてものすごい顔をした。おもしろ。
「で、このままだと、俺もあんたもヤバいだろ?」
奴は話を続けるようだ。僕を巻き込まないでほしい。
「だから、さっきイーラに会いに行ってきたんだよ。そしたらさ、呪いが解けるまでは会わないって言ったでしょ!っつって、追い返されたんだ。門前払いだよ。」
「......それで?」
「ユリウスが俺の代わりにイーラに会って、呪いを解いてもらってくれよ。」
「なんで僕がそんな事を。」
「なぁ、頼むよ......はぁ、」
ん?僕を見る奴の目がおかしくなってきているような。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
い、息が荒くなっている。これはまずいのでは。
「わかった、僕が頼んでくる。だから、今すぐ僕から離れてほしい。」
「そうか、恩に着るよ。ありがとう。ところで、手を握ってもいいかな?」
「よくない、断じてよくないぞ。どうしてそうなる?」
奴は身を乗り出すと、すごい速さで僕の手を取った。
「ひぃっ!」
「あぁ、やっぱり全然柔らかくない。ペンだこがあるし、がさついてるじゃないか。」
「悪かったな。ところで、お前の耳は飾りなのか?」
「でも、そこもいい。」
奴はうっとりした顔で、僕の手を、なんかこう、サワサワ?してきた。ゾワッと鳥肌が立つ。
「今日は離れたくないな。泊まりにいってもいいかな?」
僕は奴に掴まれていない方の手を上げた。
「ヘルプ!」
気になって様子を窺っていたらしい店員さんが、フライパンを手にすぐ来てくれた。
「ちょいとお兄さん、ユリウスさんが嫌がってますよ。離してあげてください。」
「なぜだ。」
「だから、嫌がってるからだって!」
「俺は嫌ではない。」
「だぁからぁ、アンタじゃなくて、ユリウスさんが嫌なの!」
「さてはお前、俺とユリウスの仲を裂こうとしているな!」
ゴンッ!
「すまない、また俺はどうかしていたようだ。」
フライパンでぶっ叩かれ正気に戻ったらしい。
「俺は正常なうちに家に帰る。ユリウス、イーラの事頼んだぞ。」
「僕も貞操の危機を感じたからね。明日頼みに行ってこよう。」
奴はイーラさんの自宅地図を書くと「俺は女の子が好き、俺は女の子が好き、」とブツブツ唱えながら帰っていった。
店員さんにお礼を言う。
頼りになる人だ。
「今日は助かったよ、ありがとう。」
「なんか、面白い話してたね?」
「全然面白くないでしょ。」
僕はトボトボ帰路に着く。
今日は厄日かな、はぁ。