小説のキホンって何?文章力をあげるには何をしたらいい?ならば読むべし
[小説の書き方]
あくまでも文章の専門学校を出て一応指導を受けた身として、ささやかに書いてみる。
・読書量がものを言う。
「自分は凄いものを書けるから人の作品は興味ない」という方。文章の学校にも8割近くいたので珍しくもないかもしれない。
しかし、食事と一緒で読書したらそれは栄養になる。無駄なものはない。書籍になっているものは書籍になるだけの意味がある。勿論好みの本はあるけれど。
まずは何でも読むこと。良いと思ったものはどこがどう良かったのか、感想文を書けるほど読み込んでください。嫌いだと感じたもの、それもどう嫌いなのかきちんと説明できなければいけません。
かつて学校の先生は言いました。「天才はもう排出されて出てこない。あらゆるネタはもうどこかで書かれている。閃いた自分のネタをオンリーワンだと思うな」
そう、自分だけのアイディアなんて天上があります。ハリウッドでは一家でマフィアファミリーで生まれた時母親は入所させられてて、監獄で生まれた。なんて壮絶な女優さんもいますが、日本に生まれて日本で育っている以上、周囲とさほど変わらない生活の方が多いはず。
自分だけが特別な能力があったら。ゲームのようにかっこよく敵を倒せたら。かっこいい・かわいい美形にベタ惚れされたら、なんて夢は誰しもがどこかで思うものです。
勿論それが悪いわけではなく、それを下地にした良作は山ほどあります。つまりそれほど支持されるのは共感できるから。
しかしそれだけ支持されるのは、それだけ同じベースのネタを書こうという人間が多いのです。
最近はマイノリティな職業などが注目を浴びていますが、知らない世界を覗きたいという関心もまた、誰しもが抱えているものです。
個人的には10代で世界傑作全集や伝記ものは低学年で読みおえて小学校高学年のときは純文学の世界に入っていました。また祖父母のものなので旧漢字は当たり前で育ったせいか、歌舞伎にいっても未だセリフが聞き取れないということにならないのでイヤフォンマイクの経験がないという私はかなりレアなようです。
中学生のときには鬼平犯科帳やら世界のミステリーなどを図書カード3人分駆使して、毎日5冊は平気で読んでいました。おかげで速読が勝手にオートスキルになり、模試の時にはかなり役立ちましたが。
哲学者エリック・フォッファーは一度全盲になり、目が見えるようになってからはもう二度と読めないかもしれないと強迫観念のように本を読んでいたそうです。おまけに父母も早くになくなり、乳母からは長生きできないだろうと絶望的な告知をされて、今しかないと必死に本を読んでいます。
グダグダになりましたが、とにかく自分の世界のキャパは限られれていること。読書・映画・漫画・観劇・音楽など、キャパを広げる努力は永遠に続けなければすぐに限界がでます。
・書くことはひたすら練習あるのみ。
山本周五郎などの賞の名前になっている人でも、作品を読むと同じような作品が幾つも出てきます。「これを書きたい」という気持ちがあっても本人の納得が出来なかったのでしょう。
どうしても書きたいものがあって譲れない場合は、納得できるまで書き込むこと。先人が出来て後輩ができないわけはありません。
本屋さんにいけば本のカバーなど、買わなくても勉強できることはあります。キャッチコピーの威力はただ書くだけでは養われません。常にアンテナを張って文字を意識して、心が動いたものは記録しましょう。覚えたと思っても脳は案外記憶しきれていないものです。
努力しなければ、勝手にうまくなる能力ではありません。
・物語の作り方
正直、人の数だけあると思います。私に限っては、ほぼ9割オチのシーンが映像として浮かんで、そのラストにもっていくためにはどうしたらいいのか。どういうキャラクターが必要なのか。逆行して組み立てます。
僭越ながら宮部みゆきさんなども同じタイプのようで、ラストから思いついて、そのラストの為に”火車”では「自己破産」などキーワードを使ったのだと仰っていました。
ただ大切なのは「何を言いたいのか」それだけです。
太宰治の引用を。「何故長々と文章を綴って書くのか。ひとつの小説的真実が云いたいのだが、人間はその結論のみでは納得しない。それを信じてもらうには長い物語が必要なのだ」
まさに、それです。これ以上に的確に伝える文章は難しいです。小説の中に忍ばせた1つの嘘をリアリティーに見せるために99の真実を並べる、と仰ったのは小野不由美さんだったか。
想像だけで文章を書くのではなく、リアルに見せるために事実を調べてその中にいれる。そしてその事実のためにはググって適当なことを調べてはいけません。
ネットの海の中には玄人から素人までおり、あなたがそれが事実か確認できるプロならともかく、何でも鵜呑みにして信じてしまうのは危険です。
むろん本も間違っていることや、当時の技術の限界などもありますが、図書館などを利用して意外な出会いもあるかもしれません。まめに通う意識をつけましょう。
ただ綺麗なだけの文章は、勉強していれば誰でも書けます。でも、「何を云いたいか」それは千差万別。一番の主張をいかにして題材をもとに云いたいか。無難なまとまりでも読了のあと内容が残らない作品はそのメッセージ性に欠けている証拠です。
作品を通して作者は何がいいたいのか、散々国語の授業などでやらされてきたかと思います。文体にこだわって内容が薄くなるようでは本末転倒です。
・視点について
一人称、三人称一元、三人称神の視点などがあります。一人称は「私は~」という主人公或いは、シャーロック・ホームズでいうワトスン君のような語り手の視点。当然「私」が知らないことを読者も知らないのです。そこを忘れずに。
三人称一元は、キャラクターに寄り添いつつ一人にだけ心理を描写しつつ他のキャラクターの動きも描くものです。
三人称神の視点は、特定のキャラを掘り下げずひたすらに平等な描写をしつつ神にしか知り得ないことも描写できるのが良さです。
視点が定まっていないものを読むと、悪酔い状態がおきます。今のは誰の気持ちなのか、誰の動きなのか、混乱します。あとは書き手の気持ちを書いてしまうこと、これも基本NGです。
せっかくその世界に入り込んだのにメタ発言がきたらおしまいです。ニコ動のように実況が売り、などの特殊案件でない限り、読者は書き手の気持ちなんて正直どうでもいいのです。
作者が感激しようと泣けようと、読んでいる瞬間からその作品は読者の世界です。いわば、ドキドキして見ている映画を真横でネタバレして邪魔してくる行為と同じです。
書いている間はその世界に入り込むものですが、作品と書き手の距離を必ず作ってください。作り手の視線と、何も知らない読者としての冷静な視点。両者がない限り、ただのナルシズムで終わる可能性が大きいです。
そして読者の視点を養うためにも、読書が必要不可欠だということ。あらゆる年代と違う性別を意識してください。
・キャラ作り
人によっては、ここから作り始める方もいらっしゃるはずです。世界観を構築する基礎ですので、きちんと構成すること。
けして描かないことであっても、細かい設定があるとどこかでつながることもあります。
あとはキャラの良さを伝えたいがために、全て作品の中で説明してしまう方、読み手の空想力を潰さないでいてあげてください。
頭のなかで、こうかな、ああかなと読者が自由に想像できる部分がないと、読み手は押し付けられて窒息します。
書き手が想像するように読み手もまた空想していることを忘れずに。
此処までが基本中の基本です。
個人的な見解ではありますが、書くことに必要なことは何かを述べてみました。
レビューなどは短いセンテンスの中でどれだけ作品を紹介できるか、能力を問われるものです。底上げしていきたいという方、挑戦して他のレビューと冷静に比較して見てください。
どっちが手にとりたいと思わせるか、自分の語彙をあげるスキルにもなるので良作だと思ったものは試しにレビューを書いてみてください。
自分がどこに感動して、何故これを薦めるのか。伝わっているかどうか冷静に判断して、うまく短く纏めることを意識するとそれは自作にも影響します。
レビューも小説だと思って、練習するのも一興です。
私個人としては、「面白い」「楽しい」などのありふれた表現をNGワードとして自分に課しています。いかに他の方と違う視点でその作品をプッシュできるかどうかが技術の底上げになると思います。
あくまで個人の見解です。
引用やたとえにご存命の方は敬称をつけさせていただいております。