98.マリア
マリアの足の怪我は、完治しなかった。
怪我をした足で、無理を押して樹海から脱出したため、女神の口付けでは癒せない深い怪我となっていたのだ。
女神の口付けによる治療で日常生活を送る分には支障はない程度に回復はしたが、戦いを生業とし続けるには無理があった。
「いい機会です。これからはエリーと一緒に暮らすことにしますよ」
マリアはそう言ってエリーを抱きしめた。
「マリアさんの拠点ってどこなんですか?」
「決まった町はないんですよ。ずっと旅から旅だったから、エリーにも随分と寂しい思いをさせてきました」
マリアはエリーの髪を撫でながらそう答えた。
そんなふたりを見ながら美咲は少し考え、結論を出した。
少なくともエリーはもう他人とは思えない。
「あの、何ならミサキ食堂で仕事しますか? 仕事内容は接客とお皿洗い、住込み、賄い付きで一日400ラタグくらいでどうでしょう?」
宿に泊まれば宿代だけでもかなりの出費となる。
ミサキ食堂は、美咲の呼び出しの秘密を守る為に店員を雇わない方針だったが、皿洗いと接客だけであれば、それほど致命的な部分に触れることはない。
「そんな、ただでさえご迷惑をおかけしたのに」
「エリーちゃんと一緒に居るにはいい職場だと思いますよ。拘束時間も短いですし……何より、私がエリーちゃんと一緒に居たいんです」
「少し……考えさせてください」
「はい。ゆっくり考えてください。それと、ミストにいる間はうちに泊まって行ってくださいね」
「……ありがとうございます」
「茜ちゃんもいいよね?」
美咲は振り向くと茜に問い掛けた。
茜は大きく頷き
「勿論です!」
と笑顔を見せた。
◇◆◇◆◇
マリアの膝で泣き疲れたエリーを茜が抱っこして、一行がミサキ食堂に戻ると、美咲はアイテムボックスからポーションを取り出した。
「あの、女神の口付けの元になったお薬です。試しに飲んでもらえませんか?」
「女神の口付けって、元は飲み薬なの? それを持ってるってことは、ミサキさんは、女神の口付けの製作者のお知り合いなんだ」
「ええ、同郷です」
マリアはポーションを受け取り、蓋を開けるとゆっくりと口に含んだ。
そして一口飲み、少し驚いたような表情を見せる。
「……意外に美味しい」
残りを一気に飲み干すと、調子を試すように足首を曲げたり伸ばしたりする。
「どうですか?」
「残念だけど、変わりませんね……これからはエリーのそばにいなさいっていう女神様のお告げなのかな」
「そうですか。えっと、それじゃ茜ちゃん、エリーちゃんをベッドに。そばについていてあげてね」
「はい」
茜とエリーを見送り、美咲はマリアに向き直った。
「とりあえずお風呂に入ってゆっくり休んで下さい。何か食べますか?」
「ありがとう。何か軽いものがあると嬉しいな」
「それじゃ、お風呂に入っている間に作っておきますね」
「……何から何まで本当にありがとう」
「どういたしまして。さ、お風呂どうぞ」
美咲は冷蔵庫から卵と牛乳を取り出し、小麦粉と砂糖を用意した。
作るのはエリーにも好評だったパンケーキである。
「えっと、後はベーコン焼いて、お酒も用意してあげた方がいいかな?」
◇◆◇◆◇
美咲が軽食を用意していると、階段からトットットっと足音が聞こえてきた。
振り向くと、そこにはエリーがいた。
エリーの後ろから、困ったような表情の茜が顔を覗かせている。
「あ、エリーちゃん、起きちゃったんだ。お母さんは今、お風呂だから」
「……ん」
「……エリーちゃんも食べる?」
「うん。おかーさんと食べる」
「パンとスープでいい?」
「うん!」
笑顔で頷くエリー。
その笑顔にホッとしながら美咲は小鍋にお湯を沸かし始めた。
エリーは美咲の足元に近寄ると、美咲の足を抱きしめてきた。
「エリーちゃん、危ないよ」
「んー、ミサキおねーちゃん。すきー」
「茜ちゃん、どうしよう、告白されちゃった」
「なに言ってるんですか美咲先輩は。エリーちゃん、茜おねーちゃんは好き?」
「んー、すきー」
「それじゃ茜おねーちゃんと、ご飯出来るの待ってよーねー」
狐の尻尾をゆらゆら揺らしながらエリーは茜に手を引かれ、テーブル席に座った。
椅子に座って足と尻尾をパタパタと揺らしているのを見ながら、美咲は、焼きあがったホットケーキとベーコンを皿に乗せ、ふたりの前に並べた。
「出来ちゃったけど、エリーちゃん、お母さん待つの?」
「まつー」
お風呂場の方からカタカタと音が聞こえる。
どうやらマリアが風呂から上がったらしい。
カップスープの粉だけ入れて、美咲はお湯の火を止めた。
「ミサキさん、お風呂ありがとうございました」
マリアが風呂から出てきた。
髪も尻尾も綺麗になっている。
「おかーさん、ごはんたべよー」
「ちょうど、スープが出来た所です。お酒もありますけどどうします?」
「う……スープで。お酒はまたの機会に」
「はい、それじゃ、席についてください」
カップにお湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜたものをマリアとエリーの前に置く。
「茜ちゃんはこっちねー」
「はーい。それじゃマリアさん、エリーちゃん、ごゆっくりー」
◇◆◇◆◇
食事の後、マリアとエリーは部屋に戻った。
エリーはともかく、マリアはここ暫くの間、樹海の中で探索をしていたのだ。
疲れ果てていることだろう。
それを見送り、美咲は食品庫の扉を開けた。
「どうしたんですか?」
「ん? マリアさん達と住むことになったら、食材の補充に一手間掛けないといけないかなって思ってね」
「あー、それはありますねー。雑貨屋に置いといて、たまにこっちに持ってきてもらうようにしましょうか?」
「あ、それいいね。それで行こう」
毎回である必要はない。
たまに外部から食材の搬入があれば、それだけで十分にアリバイ作りになるだろう。
ふたりがそんな話をしていると、扉をノックして、フェルが入ってきた。
「ミサキー、プリンある?」
「あ、フェル。久し振り。プリンならあるよ。ちょっと待っててね」
「うん……あれ? アカネもいるね。エリーちゃんは?」
「マリアさん……お母さんが帰ってきたから部屋で寝てるよ」
「そっかー。お母さんが戻ってきたってことは、子守のお仕事は終わりなのかな?」
「子守はね……出来たら、マリアさんにはここで働いてもらいたいんだけど」
「へえ、ミサキ食堂はニホン人じゃないと働けないのかと思ってたよ」
「接客とか皿洗いなら別に誰がやってもおなじでしょ?」
プリンをフェルの前に置きながら美咲は肩を竦めて見せた。
「そりゃそうだね……いただきまーす」
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