97.捜索
エリーのいる生活は、美咲と茜にとって、掛け替えのないものとなりつつあった。
預かった子供に情を移し過ぎるのはよくないと理性で理解していても、エリーの何気ない仕草にふたりのハートは完全に奪われていた。
「エリー、今日は何して遊びたい?」
美咲の質問にコテンと首を傾げ、尻尾を振りながらボールを取りに走るエリーの姿に、美咲も茜も笑みを隠せなかった。
お風呂では、シャンプーを使って尻尾を洗うと、くすぐったそうにきゃいきゃい笑いながら抵抗したが、洗い終わると気持ちよさそうに甘えてきた。
お風呂上りにはブラッシングであると茜が主張し、茜はエリーの頭から尻尾までブラッシングをした。
狐の尻尾はそれだけでふわふわになり、綺麗な艶まで出てきて、エリーはそれを見て嬉しそうにしていた。
歯磨きはあまり好きではなさそうだったが、虫歯になると歯がなくなって肉が食べられなくなると教えると、丁寧に棒をガジガジと噛んで歯磨きをし、終わると、歯を見せに来た。
寝る時は抱き着いて眠る癖があるようで、夜、眠る時は美咲か茜のどちらかが抱き枕状態になって眠ることになった。
そのくせ、いざ眠ると激しく動き回り、朝になると頭と足の位置が逆になっていることもしばしばあった。
おはようからお休みまで、足元にまとわりつくように慕ってくるエリーの愛らしさに、ふたりが抗えるはずもなかった。
そんなこんなで約束の10日はあっという間に過ぎて行った。
◇◆◇◆◇
10日後、マリアはエリーを迎えに来なかった。
白の樹海で何かトラブルがあれば数日程度は誤差だろうと美咲は考えていたが、マリアが迎えに来るのを指折り数えていたエリーは目に見えて萎れていた。
「おかーさん、こない」
「ちょっと遅れてるだけだよ。マリアさん、エリーちゃんのこと、宝物だって言ってたでしょ?」
「んー……」
ボール遊びも散歩も上の空で、寂しそうなエリーを見ていられず、美咲はエリーを抱きしめた。
「エリーちゃん、心配しなくてもお母さんはきっと戻って来るからね」
「うん、だいじょうぶ」
その日が終わっても、マリアは戻らなかった。
美咲からすればまだ誤差の範疇だが、エリーはボール遊びも散歩もせずに部屋でじっと自分の尻尾を抱きかかえるようにしておとなしくしていた。
「美咲先輩、見てられません。なんとか出来ないでしょうか」
「例えば、傭兵組合に行って、マリアさんの捜索を依頼するとかなら出来るけど」
「ならやりましょうよ!」
「白の樹海の中で何かあれば少しの遅れくらいはあると思うんだよね。依頼を出しても行き違いになっちゃいそうで」
「それはそうですけど、エリーちゃんのこと見てられなくって」
茜は沈んだ表情でそう言った。
樹海の探索で10日ということは、どんなに深く潜るにしても片道5日が限界だ。
実際には進むだけではなく探索を行うのだから、2、3日の行程の付近にマリアがいる可能性が高い。
マリア探索の依頼を出すとすればその範囲での探索となるが、樹海の中では気付かず行き違いになるかもしれない。
マリアが無事で動ける状態なら恐らくそうなる。
だが、もしもマリアが怪我か何かで動けなくなっているとすれば。
「……そうだね。何かあって、その何かで動けなくなっていたら助けは必要だよね。依頼、出しに行こうか」
「エリーちゃんには?」
「んー、まだ伝えないでおこう。もしも泣き出すようなことがあったら、その時話そう」
「……分かりました。それじゃ、私がエリーちゃんを見てますから、美咲先輩」
「うん、傭兵組合に行ってくる」
◇◆◇◆◇
傭兵組合を訪れた美咲は、マリア捜索の依頼を出した。
早ければ明日には捜索が開始される。
捜索の所要日数は10日間。
出した依頼が無駄になることを祈りながら、美咲は傭兵組合を後にした。
美咲がミサキ食堂に戻ると、エリーが茜の膝の上で丸くなって眠っていた。
「ただいま。お昼寝?」
美咲が小声で尋ねると茜は小さく頷いた。
そっと扉を閉め、美咲はエリーの寝顔を眺めた。
自分の尻尾を抱えるようにして眠るその表情は、美咲には少し寂し気に見えた。
「そうだ……」
美咲は神頼みをすることを思いついた。
この世界には女神がいる。
そして、美咲は神託を数回得たことがあるのだ。
王都の神殿は遠いが、この町にも女神像がある。
「ちょっと出掛けて来るね」
帰ってきたばかりなのに、と、不思議そうな表情の茜を背に、美咲は走り出した。
孤児院前に到着すると、美咲は汗をぬぐい、息を整えると孤児院の扉をノックした。
大して待つ事もなく、シスターが子供達に囲まれて現れた。
「おや、ミサキさん。今日はどうされましたか?」
「えーと、女神様の像の前でお祈りをしたいんですけど、いいでしょうか?」
「勿論です。どうぞ」
女神像の前で、美咲は跪くと女神に向けて祈りを捧げた。
(女神様。幼い子供が悲しんでいます。どうかエリーのお母さんを、マリアさんを無事に返してください)
女神からの神託はなかったが、美咲はそれだけを何回も祈り続けた。
◇◆◇◆◇
翌日になってもまだマリアは戻らなかった。
そろそろ誤差の範囲を越えているようにも思えるが、美咲達がエリーの不安を煽るようなことを言う訳にはいかない。
あくまでも、マリアは少し遅れているだけだとエリーを宥めながらマリアの帰還を祈りながら待っていた。
美咲が傭兵組合に依頼の状況を問い合わせに行くと、依頼は前日の内に受領されたとのことだった。
3名の緑の傭兵が依頼を受注し、前日の内に白の樹海に向けて出発したと聞き、美咲は小さく安堵の溜息を吐いた。
(これで、エリーに聞かれた時に、もう助けが向かってると言える)
食堂に戻ると、エリーが自分の着替えが入ったカバンを持って、食堂からこっそり抜け出そうとしていた。
「エリーちゃん、どこに行くのかな?」
「むかえにいくの」
「どこに迎えに行くのかな?」
「……じゅかい?」
「……戻ろうね。お母さんが帰ってきた時にエリーちゃんがいなかったら、お母さん、心配するよ」
「でも、でもね」
美咲はエリーの前に膝をついて、視線の高さを合わせて、エリーの目を真っすぐにみつめた。
「お母さんはエリーちゃんを宝物って言ってたよね」
「うん」
「宝物を置いていくわけないでしょ。エリーちゃんはここで待っていればいいんだよ」
美咲はそう言ってエリーを抱きしめた。
エリーはしばらくの間、静かに抱きしめられていたが、やがて、我慢の限界が訪れたのか、泣きじゃくり始めた。
「おか、おかーさん……エリーここだよ……」
「ん。大丈夫だよ。お姉ちゃんのお友達がお母さんを迎えに行ってくれてるからね」
◇◆◇◆◇
翌日の午後、シェリーがミサキ食堂に走ってやって来た。
「ミサキさん! マリアさんが見つかりました。今、傭兵組合にいます!」
シェリーの言葉に、一瞬、美咲は何が起きたのか分からなかった。
言葉の内容に理解が及ぶと、樹海に潜ったにしては早過ぎる。という思いがよぎったが、傭兵組合にいるという表現から、生きていると判断し、エリーを呼んだ。
「エリーちゃん! お母さん見つかったって、一緒に行くよ!」
「うん!」
美咲はエリーを抱っこして走り始めた。
その後ろから茜が付いて来ている。
傭兵組合のドアを乱暴に開くと、マリアがソファに横になっていた。
それを見るや、エリーは美咲の腕を蹴ってマリアに向かって跳んだ。
「おかーさん!」
「エリー? 遅くなってごめんね。足を怪我しちゃってね……ミサキさん、捜索依頼まで出して貰って済みません。怪我をしていたので助かりました」
「お怪我の具合は?」
「女神の口付けである程度治りました。今、丁度治療をして貰っていたところなんです」
「そうですか。エリーちゃん、本当に心配してたんですよ。甘えさせてあげてください」
「はい、勿論です」
マリアはエリーを抱きしめながらそう答えた。
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