09.白狼の群れ
傭兵組合に食堂のフロアスタッフの求人があったのを思い出し、店に客として入ってみた。
他の人が注文をしているのを聞いてフロアスタッフは諦めた。
牛丼特盛ツユダクネギ抜きとかそういうのを、異世界の固有名詞混じりでやられても理解が追い付かない、という事だ。
ちなみにこの店では肉は豚、鳥、兎(と思われる物)の3種類で、それを芋(らしき物)、各種野菜類で煮込み、塩で味を付けたような物が基本の料理だった。
それだけなら何とかなりそうだったが、略語の類が多く、基礎知識がない美咲にはハードルが高かった。
食堂のフロアスタッフは常識を知らずに出来る仕事ではなかった。
いや、前提が間違っている。
常識を知らずに出来るような仕事はごく僅かなのだ。
出来そうな依頼がないわけではなかった。
白の樹海の砦までの護衛だ。緑以上推奨だが、片道を歩いた限り、あのルートは安全そうだ。
そう考えて組合の受付で聞いてみたところ、ルートの大半は安全だが、砦周辺には魔物が出る可能性があるとの事。
だから緑推奨なのだそうだ。
美咲に魔物は狩れない。
なら、砦のニール隊長の真似ならどうだろうか。
角兎狩りである。
が、これも受付で聞いただけでアウトと判明した。
角兎は弓か魔法でなければまず狩れない。
魔物にでも追いかけられて来れば人の前に顔を出す事もあるだろうけれど。との事。
なるほど、確かにあの時の角兎は魔物に追われていた。
そして美咲に弓が使える筈がなかった。
後は猫探し……では赤字確定である。
時折薬草採取等の依頼もあるが、それこそ薬草についての知識、生える場所や見分け方を知らねば出来る物ではない。
常識が足りない美咲に出来る仕事は殆どなかった。
たまにフェルに頼まれて魔道具に魔素を篭める。
魔道具部分の魔素多めで、とかやったら器用だと驚かれたが高品質だと喜ばれた。
赤字状態は解消されないが小遣い稼ぎ程度にはなった。
ちなみにフェルの首元には青いペンダントトップがあった。どうやら傭兵もやっているらしい。
「あ、フェルも傭兵なんだ。私もなんだ、偶然だね」
「あれ? ミサキ、初めて会った時はペンダントしてなかったよね?」
「うん。加入したんだよ、仕事探すのに便利そうだし」
「あー、なるほどねぇ。早くちゃんとした仕事が見つかると良いね」
いや、うん。ほんとに。
◇◆◇◆◇
青海亭に宿泊し始めて2週間が経過しようとしていた。
美咲は相変わらずの無職で、広場で人間観察しつつ、時折傭兵組合の依頼募集を確認に行く生活を続けていた。
幸い食料は、色々呼べるレパートリーを増やしたので、毎日お昼はおにぎりという事態は避けられているが、このままではいずれお金がなくなってしまう。
(何とかしないとねぇ…これでも結構本気で頑張ってる筈なんだけどなぁ)
まだお金に余裕があるからか、若干の余裕が感じられるが、美咲本人は焦っているつもりだった。
そんな時だった。
町に半鐘の音が鳴り響いた。
門番が門を閉ざしていく。
傭兵らしい人達が傭兵組合の方に向かっている。美咲も何となくその流れに乗ってみた。
「魔物が町に近付いてきている。脅威度は中程度! 詳細は偵察中だ! 戦える者は装備を整えてくれ!」
傭兵組合の玄関前で誰かが台の上でそんな事を叫んでいる。
(無理だよねぇ……短剣一本しかないし)
更に言うなら防具もない。
常識もまだまだ足りない。
こんな美咲に出来る事があるのだろうか。
「戦えない者で動ける者には荷運びを頼む!」
あったようだ。
リアカーに似た荷車に矢と槍を積み込む。
それが美咲に割り当てられた最初の仕事である。組合の受付の指示に従って、黙々と作業を行う。
終わったら門まで荷車を曳き、荷を下ろす。
戻ったら食糧が詰まった袋など、炊き出しに必要な物を載せて再び門へ。
門の横に即席の竈が作られ、そこで芋と野菜類、干し肉を煮る。炊き出しだそうだ。
井戸から水を汲み、巨大な鍋の半分程度まで満たす。
桶にも水を汲んで食材を洗い、ざっくり皮を剥く。食堂で食事をして得た常識。この辺りではあまり食材の皮は剥かない。
塩以外の調味料が高価すぎるため、素材の味を大事にしているのだろう。ただ念のため芋の芽だけは取るように気を付ける。
アタックザックから自前の包丁を取り出し、食材を適当なサイズに切って火にかけた巨大な鍋に放り込む。
味付けは干し肉から出る塩気だけだ。
沸騰した後は火は弱めに。長期戦になったら、この鍋が戦線を維持する者たちの主食となる。
何気に大役なのだが、美咲は気付いていなかった。
◇◆◇◆◇
「白狼の群れ1つ! 数は推定50以上。 早く! 組合に伝令を!」
門が開かれ、偵察に出た者が転がり込んでくる。
再び扉が閉じられ、伝令が走る。
門内が騒然としている。
美咲は食事用の木の器に水を汲み、偵察から戻った傭兵に手渡した。
「あの、水をどうぞ……」
「ああ、ありがとう………っはぁ…生き返ったよ」
傭兵は器を受け取り、一気に水を飲み干す。
「白狼50って大変な事なんですか?」
「ああ……脅威度中程度じゃない。大だ。万が一、塀が破られたら大災害だ……ああ、炊き出しか、貰っても?」
「どうぞ」
器にスープを入れ、木のスプーンを手渡す。
「ありがたい。俺はジェガンだ……空腹のまま走っていたから助かるよ」
聞けば、食事前に呼ばれて偵察に出されたそうだ。
脚力強化のアーティファクトを使って走り回る事を前提とした偵察行だったので、何も食べる余裕がなかったらしい。
「塀は大丈夫なんでしょうか?」
「おそらくは。だが、撃退にどれだけ掛かるか……あいつら、武器が中々通らないからな」
白い毛皮に魔素をまとっているとの事で、魔素の影響を受けない魔剣か、魔法でなければ攻撃の効果は薄いそうだ。
◇◆◇◆◇
日が暮れてから炊き出しの鍋が増えた。
長期戦の構えである。
白狼は頭が良く、一度狙った獲物はひたすら追い続ける。
そして今回の獲物はミストの町という事だ。
塀を越えたらごちそうが待っている。という事を理解しているらしい。
たかが炊き出しと思っていたが、作る分量がシャレにならない。当初は美咲一人で対応していたが、事態の変化があった事で組合から増員があった。
「ミサキさん、こっちの鍋、そろそろ空になります!」
「新しい方はもう大丈夫そうだね。それじゃ、鍋の中身、新しい方に混ぜて、新しいの作ろう……あ、シェリーさん水汲みよろしく!」
増員は傭兵組合の受付、シェリーだった。
「はい。分量は同じですね?」
「そだね。火に掛けたら食材の準備手伝って!」
炊き出し班は大抵は暇なのだが、人員交代の時間帯等は食事に来る傭兵が増えて手が足りなくなる。
現在、状態は膠着。
塀の上から弓で攻撃したり、投擲武器で攻撃したり、一部魔法使いが出張ってみたりしているらしい。
だが、魔法以外の攻撃は当たっても弾かれる。
また、魔法は距離が遠くなるほど効果が落ちるため、塀の上からでは効果的なダメージを与えられていない。
ミストの町に魔剣がないわけではないが、魔剣はあくまでも相手を切れる剣でしかない。切る為には塀の外で戦う必要があるが、それには敵の数が多過ぎた。
必要なのは強力な魔法使いだった。
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