70.温泉
復活祭が過ぎれば暦の上では春である。
美咲と茜は、ユフィテリアの神託に従い、復活祭の2日後には王都を出てミストの町に向かっていた。
馬車が多い時期なのか、キャラバンの後ろを追い掛けるように美咲達の乗った馬車は走っていた。
天候は晴れだが、辺り一面雪景色である。
「一冬、王都で過ごしちゃいましたねー」
「ミサキ食堂も巫女選定からこっち、閉店しちゃってるしねぇ。雑貨屋の方は在庫、大丈夫なの?」
「在庫がなくなったら、お休みにして良いって伝えてあるので大丈夫だと思いますよ。でも、かなり補充しといたから、そうそう売り切れることはないと思いますけどねー。それより、あれ、どうするんですか?」
「あー、アレね……」
復活祭最終日に神殿で渡された、巫女としての報酬。
金貨5枚と、4体の小さな女神像。
金貨は国からだそうだが、神殿からは女神像を貰ってしまった。
「ミサキ食堂に神棚でも作りますかー?」
「いや、それはちょっと罰当たりな気がするし……孤児院に礼拝堂あったから、あそこに寄付しようか。ユフィテリア様がダブっちゃうけど」
「あー、専用の施設があるなら、その方が良いかもですねー」
唐突に馬車が停車した。
「あれ? もう休憩?」
「幾ら何でも早過ぎませんかねー?」
馬車の扉を開けて顔を覗かせると、前方がひどく騒がしい。
「なんだろ? 茜ちゃん。ちょっと見てくるよ」
「あ、私も行きますよー」
馭者に断って、馬車から降りて騒ぎの中心に近付くと、革鎧を着た傭兵達が白狼と対峙していた。
積もっている雪に紛れてはっきりしないが、見えるだけで白狼は3匹いる。
傭兵達は白狼を剣と魔法を使って牽制しているが、効果的なダメージは与えられていない。
「魔物が出たんだね」
「嬢ちゃん達、危ないから馬車に戻ってろ!」
美咲達に気付き声を掛けた傭兵。その背後から白狼が襲い掛かろうとしていた。
「……炎槍!」
その白狼の顔面に美咲の炎槍が着弾する。オレンジ色の炎槍は白狼の毛皮で弾かれるが、目や鼻を焼かれかけた白狼はその場で顔を雪の中に突っ込むようにして転げ回る。
その機を逃さず、転げ回る白狼に止めを刺す傭兵。どうやら魔剣持ちのようだ。
「万物を構成せし極小なる物達よ、我が呼び掛けに応え、天狼星が如き獄炎を現出し、槍となりてあの的を貫け!」
一番遠くにいる白狼を狙い、茜が魔法を放つ。
青い炎槍が白狼に直撃し、白狼は倒れ伏した。
倒れた白狼の周囲の雪が解け、地面が見えている。
「後一匹は……逃げちゃったか」
「あ、あんたら何者だ?」
一番近くにいた傭兵が、美咲達に問い掛けた。
「私は蒼炎使いでーす。で、あっちが青いズボンの魔素使い」
「聞いた事がある。あんたらミストの町の傭兵か。助かったよ……この礼は」
「あ、お礼なら結構です。勝手に戦いに割り込んだのはこっちなので」
美咲は、すみません、と茜の頭を下げさせる。
「いや、魔剣持ちが一人しかいなかったから助かったよ」
「へー、魔剣あったんですねー」
「傭兵が持てるような弱いのだけどな。魔法だけで白狼を撃退するなんて、この目で見るまでは信じてなかったよ。ありがとな」
「それじゃ、私達は馬車に戻りますね。あ、白狼はお好きにしてください、分け前とかは要らないんで」
◇◆◇◆◇
その後は何事もなく、キャラバンはミストの町に到着した。
まだそれほど遅い時間という訳ではないが、辺りは既に暗くなりつつある。
「ほら、茜ちゃん。到着したよ」
「んー……眠いです……あれ? ミサキ食堂じゃないんですかー?」
「ほら、馬車下りて、今日は温泉付きの宿に泊まるからね」
「んー、温泉?」
久し振りの青海亭である。
年末に大掃除をしたとは言え、ミサキ食堂は一冬締めきっていたのだ。流石に掃除なしで眠るのは抵抗があったため、美咲は青海亭に宿を求めた。
「こんばんは、女将さん、2部屋空いてますか?」
「ん? ああ、ミサキちゃんじゃないか。空いてるよ。荷物はないのかい?」
「はい、それじゃ、1泊でお願いします」
「そっちの娘は蒼炎使いのアカネちゃんかい? それじゃ、こちらへどうぞ」
女将さんに案内された部屋は、以前美咲が泊ったのと同じような、ベッドとチェストが置かれた部屋だった。
「あ、女将さん、出来たらこれ、今日の夕飯で使ってください」
美咲は、大きな葉っぱで包んだ地竜の肉の塊を女将さんに手渡した。
「ん? これはまた随分な量だね」
「余ったのは差し上げますので……ほら、茜ちゃん、温泉行くよー」
「温泉あるんですかー?」
「あるよー」
久し振りの温泉にテンションが上がっているのか、ずりずりと茜を引っ張って温泉を目指す美咲。
途中から諦めたのか、茜も素直に美咲について歩き出す。
「何か慣れてますねー」
「ミサキ食堂に引っ越すまで、ここを宿にしてたからね」
「温泉につられて宿を決めたんですかー?」
「それもあるけどね、安全な宿って商業組合で紹介されたんだよ」
「ミストは割とどこも安全な町だと思いますけどねー」
「当時は右も左も分からない状態だったからね」
この世界に自分以外の日本人がいるだなんて想像もしておらず、孤独の中で生きて行かなければならないと思っていた。
未知の世界で、目立ったらどうなるか分からないと戦々恐々としながら、広場で常識を身につけ、地味に生きているつもりだったあの頃。この宿は美咲が安心できる数少ない場所だったのかも知れない。
「そう言えば茜ちゃんと一緒にお風呂入るのって初めてだったっけ?」
「ミサキ食堂のお風呂は1人用ですからねー」
リバーシ屋敷のお風呂は広かったが、一緒に入るという発想がそもそもなかった。
脱衣所に入った美咲は、入浴道具を2セット呼び出して、茜にも手渡した
「それじゃ入ろうか」
「はーい。背中流しますねー」
◇◆◇◆◇
温泉でゆっくり温まった後は、部屋に戻って室内着に着替え、少しのんびりする。
なぜか茜も美咲の部屋でまったりしている。
「茜ちゃん、そろそろご飯行こうか」
「そーですねー」
温泉で湯あたりでもしたのか、もそもそとベッドの上を這いずる茜を引っ張り起こして、美咲は食堂に降りて行った。
食堂はかなりの賑わいを見せていたが、美咲の姿に気付いた女将は、手を振ってくれた。
「あ、ミサキちゃん。今持ってくからね」
待つ事数分ほどで、夜定食が出てくる。
「地竜のステーキも付けたからね。しかしあんな鮮度の地竜の肉なんて、よく持ってこれたね」
「王都から帰ってくる途中、ちょっと魔物と会いまして」
嘘は言っていない。
魔物が白狼であったと言う事実を伏せているだけだ。
「流石は青いズボンの魔素使いだね。残りは本当に貰っちゃって良いのかい?」
「ええ、新鮮な内に食べた方が美味しいですからね。それじゃ、茜ちゃん、頂きましょう。感謝を」
「はい、感謝を」
青海亭の食事は、美咲が知る限りミストの町でかなり上位に入る。
そこで地竜を調理したらどんな料理になるのだろうかと思い、美咲はブロック肉を女将に渡してみたのだが、出てきたのは山椒のような香草を僅かに散らし、岩塩で味付けをしたステーキだった。
「シンプルだけど、美味しいですねー」
茜が感嘆の声をあげる。
「そうだね。料理人によって、色々な調理方法があるんだね……山椒を合わせるなんて思いつかなかったなぁ」
「この風味が良いですねー。ちょっとピリッとするし……あ、大根おろしの和風ソースなんかも合いそうですねー」
「あ、確かに。後で試してみようね」
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