07.この世界の常識
今日も今日とて広場で人間観察をする美咲である。
(……不審者がいる)
美咲の事ではない。
先程から、何回も広場を行ったり来たりしている男の子がいるのだ。
隠れるように幾つかの露店や屋台を覗き、何回も行ったり来たり。あからさまに怪しい。
(浮浪児……なんだろうな)
相手は10歳にも満たないような男の子だった。
瘦せていて、着ているものは汚れ、手や顔にも汚れが付いている。
お腹を空かせているようで、食べ物を扱っている店を見て行ったり来たりしている。
(何とかしてあげたいな……今だけなら救えるけど最後まで救えないならそれは救いじゃないよね……ああ、でも)
「ねえ、君。ちょっとお仕事する気はない?」
対等な立場なら問題はないだろう。
「……んだよお前」
「私は美咲。見ての通りの田舎者でね。この世界……じゃない、私の出身地以外の世界の常識を知らないんだ。あなた、若いけど結構苦労してそうだし、色々お話を聞かせて貰えない?」
「……それが仕事か?」
「そう。お礼はお腹いっぱいになるまで食べられる権利」
男の子は少し悩み。
「3人分だ。3人分の食事が欲しい」
と答えた。
「よし、契約成立。どうする? 何なら先払いでも良いよ?」
「……俺は……いや。うん。お願い。3人分先払いで」
男の子はそう言って振り向き、手を振った。
美咲は2人出てくると予想していたのだが、出てきたのは3人だった。
男の子が10歳としたら、7歳くらいの男の子が一人に女の子が2人。
「……支払い条件を変えるよ。4人分にします。リクエストは?」
「くしやきにき!……く!」
「おなじの」
「みりーも」
「……じゃ、それで」
串焼き肉を4本買って来て4人に渡す。
「まずは食べて。仕事は落ち着いてから」
「……あ……ありが……と」
串焼き肉を更に2本追加、半分ずつ消費し、みんな落ち着いた。
ちなみに串焼き肉の値段は1本15ラタグだ。合計90ラタグでこの世界の情報が入手出来るのであれば、安い物である。
というのが美咲の考えであった。
食事を終えて、美咲と少年は広場のベンチに並んで座った。
「……グリン……俺の名前、グリン」
少年は自己紹介から始めた。浮浪児に見えたが何がしかの教育を受けているのかもしれない。
「そ、グリン。私は美咲。私の田舎は本当に遠くて、この辺りの常識をまったく知らないの。ついこの前までお金の単位がラタグだって知らなかったくらいの田舎なの。だから色々教えてほしい…でも答えたくない事は答えなくて良いからね」
グリンは少し安心したような表情を見せた。おそらく美咲の正体が分かって安心したのだろう。
「分かった、ラタグも知らないって事は外国の田舎者ってことだね」
国が複数存在する程度には複雑な政治体系である。という事が分かった。
「そんな感じかな。まず教えてほしいんだけど、この国の名前は?」
「エトワクタル……エトワクタル王国。お姉ちゃんはどこから来たの?」
国の名前と国が王制である事も判明。
「日本って国だよ、遠すぎて、この辺の人はみんな知らないけど…ええと、神様ってわかる?」
(未開地の原住民との接触で気に掛けるべきポイント。
1.宗教。教義によっては接触自体を避ける必要すらある。定期的に余所者を生贄に捧げるとか、異教徒を許さないとか。
2.政治。絶対的な権力を持つ王がいるような世界なら、要注意。余所者がある日突然粛清対象となる可能性がある。
3.人種問題。黒髪黒目を人以外とするような民族問題があれば死活問題となる。
他にも色々あるけど、最低限この辺りは押さえたい。押さえたいけど下手に聞いて回ればそれこそ危険だし、これは渡りに船だよね)
「この国で神様と言ったらユフィテリア様だ……です。白い花の女神って呼ばれてて、白の樹海の奥の花園に住んでる。いつもたくさんの人の声を聴いて願いを叶えるっていうけど、俺は叶えてもらった事はない……綺麗な黒髪と黒い目で……きっとお姉ちゃんみたいな女神様だと……思う」
一応は一神教なのだろう。
だけど、この国で、という言い方をしたという事は、国により異なる宗教があるという事も意味している。
緩い宗教観に聞こえるのは子供だからなのだろうか。
「優しいって事は特に難しい決まりはないのね?」
「うん……悪いことしないで、仲よくすれば幸せになれるって、シスターが言ってた」
少し悲しそうにうつむくグリン。あのまま声を掛けなければ食べ物を盗もうとして捕まっていただろう。
悪い事をしたくなくてもせざるを得ない所まで追い詰められていたという事か。
「シスターって?」
「孤児院のシスター。怒ると凄く怖い」
孤児院がある。シスターがいる孤児院という事は教会の施設なのだろう。
「そか……この国の偉い人の事は分かる?」
「王様がいて、領主様がいて、大きな町には代官様がいる。怒らせると首を切られちゃうんだ」
思ったよりも詳しい情報だった。
最後だけ聞くと圧政の可能性もあるけど子供に対する教育でそう教えている可能性もある。
いずれにせよ、接触は控える方向で。
「怖いねぇ……私みたいに黒髪。黒目の人って珍しい?」
「うん。女神様の色だから、そういう人は珍しい」
女神様の色……微妙な表現だ。良い事とも悪い事とも取れる。神様の姿に似た者は神様の元にお返しする、とか。
だが、珍しいという事はいないという訳でもないらしい。これは嬉しい情報だ。お返しされずに済みそうだ。
「そか。後、傭兵っているみたいだけど、戦争してるの?」
「お姉ちゃん傭兵じゃないの」
グリンは目を丸くする。
「見ての通り、武器は持ってないよ」
美咲がそう答えるとグリンは少し残念そうな顔をした。
傭兵に憧れでもあるのだろう。
「魔法使いの傭兵だと思ってた……えっと、シスターが言っていたけど、100年以上戦争は起きてないって。だから傭兵組合が出来て、傭兵がいろんな仕事をしてくれるようになったんだって」
この世界の傭兵は何でも屋という位置付けらしい。平和な世界ではそうなるしか傭兵という存在が生き残る道はなかったという事だろう。
組合は何でも屋の総元締めのような物なのかもしれない。
(それもう、何でも屋組合でいいじゃん)
「魔法使いってどれくらいいるの?」
「分からないけど、魔法使いになれるのは10人に1人くらいなんだって」
極めてレアではないが、そこそこ珍しいという程度である。
広場での人間観察で見たローブ着用者の比率はもっと低かったが、すべての魔法使いがローブを着ているという物でもないのだろう。
「なるほど……あとは……あ、そうだ。この町で家を借りるとしたら、幾らくらい掛かるか知ってる?」
「知らないけど、今、空き家が増えてるから買った方が安いって聞いた事がある…商業組合で買えると思うよ」
駄目元で聞いてみたのだが、答えが返ってきた。
宿屋暮らしは一日300ラタグ以上必要となるので継続的にそれ以上の稼ぎが必要となる。出費を抑えれば必要な収入も少なく済む。
「ええと……そだ、私の田舎には人しかいなかったんだけど、この町にはエルフとかいるよね、他にはどんな種類の人がいるの?」
「エルフとドワーフと、見た事ないけど獣人がいるよ」
(ホビットはいないんだ)
美咲にとってのファンタジーは、指輪を捨てに行くお話だけである。
「みんな仲は良いの?」
「うん」
民族……というか種族間問題はないようだ。
「あ、魔物って分かる?」
砦で魔物がいるという情報は得ていたが、それがどんな物なのかが理解できていなかった。
「えっと、頭に魔石が埋まっていて、人を襲うのが魔物だって習った。だから額に目があるように見える動物がいたら逃げなさいって言われてる」
獣と魔物は明確に異なるという事が判明した。
(額に目……あの白い犬ってもしかして魔物だったのかな)
「魔石って何?」
「知らないけどドワーフとかエルフに高く売れるんだって。強い傭兵は魔物狩りして魔石を手に入れて生活してるんだ」
グリンの表情が明るくなった。どうやらやはり傭兵が好きらしい。
「そう言えば、グリン、私の事を傭兵だと思っていたよね。なんで?」
「だって、ズボンを穿いてるし。大人の女の人でズボンを穿くのは傭兵くらいなんだって」
パンツと言わないのは子供だからか、そういう世界なのか。取り敢えず話すときには気を付けよう。
「そっか、確かにパ……ズボン穿いた女性は武器を持っていたっけ。でも傭兵か」
スカートで村娘を装っても良いけれど、恐らく傭兵の方が移動の自由や、見た目で舐められないというメリットが期待できるだろう。
それらがなくとも、いざと言う時には動きやすい恰好でなければ死ぬ。
魔物というクリーチャーが存在する世界で、死なないようにするには、動きやすさというメリットは捨てがたい。
(いっそ傭兵になれば、この格好も目立たなくなるかな……)
「傭兵って義務とかあるのかな?」
「あるよ。傭兵が登録している町の傭兵組合が、魔物溢れを宣言したら……えっと、町を守るために出来る事をするんだ」
やはりグリンは傭兵になりたいようだ。思ったよりも詳しい情報が出てきた。
町を守るために出来る事をする。ということは。
「戦うんじゃないの?」
「戦える人は戦うし、戦えない人は、みんなを守るために出来る事をするんだ。傭兵にも戦えない人はたくさんいるし」
美咲にとって、傭兵とは雇われ兵。という意味なのだが、戦争がなくなった世界では「戦えない傭兵」も存在するらしい。
傭兵組合で職を探し、日銭を稼ぐ戦えない傭兵は、当面の隠れ蓑に丁度良いように思えた。
「傭兵になるにはどうしたら良いの?」
ご指摘いただいた誤記を修正しました。