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65.事故

翌日、朝食を摂り、コタツで読書をしていた美咲に、セバスが来客を告げた。


「ミサキ様、神殿のマルセラ様がお迎えに来ております。応接室にお通ししますか?」

「あ、すぐに出ます……って、応接室に一度通した方が礼儀に適ってますか?」

「通常でしたらその通りでございますが、お急ぎのご様子でした」

「ん。それじゃ、すぐに出ます。準備も出来てるし」


立ち上がり、横に置いたコートを羽織り、アタックザックを背負うと、美咲は玄関に向かった。


「おはようございます、マルセラさん」

「おはようございます、ミサキ様。遅くなってしまい申し訳ございません」

「本を読んでいたので気にしないでください」


美咲とマルセラが馬車に乗り込むと、馭者が馬車を発進させる。


「マルセラさん、今日はどういう予定なんですか?」

「はい、まず祈りの内容を学んでいただきます。昼の休憩後、今度は祈りの作法を学んでいただくご予定です」

「お祈りの作法って難しいんですか?」

「簡単ですよ。女神様の像の前まで歩いて跪き、手を合わせてお祈りするだけです」

「お祈りの言葉とかあるんですか?」

「はい、本番では祈りは本を黙読して貰います。ただ、祈りの言葉だけでなく、意味を理解して頂く必要がありますね」


馬車は前日同様、神殿の裏手に停車した。

マルセラにエスコートされ、小部屋に通された。


「こちらで修道服に着替えて頂きます。着替えた服や荷物は、この部屋に置いたままで大丈夫です。着方は分かりますか?」

「えーと、取り敢えず着てみますね。それ1枚だと寒そうだし、中に服を着ていても構いませんよね?」


この世界の修道服は、基本墨染めのワンピースである。頭にベールを被る習慣はない。


「はい、私達も中にセーターを着ていますので、問題はございません。それではドアの前でお待ちしていますので、着替え終わったらお声掛けください」


マルセラが退出したのを確認した美咲はアタックザックとウェストポーチを外し、コートを脱いでから、頭から修道服をかぶり、襟元についていたボタンを留めた。


「うわ……ぶかぶか」


袖はまあ、我慢できなくもない。最悪捲れば済む話だ。

だが、どう見ても裾が長すぎだった。


「これは間違いなく引き摺る。そんでもって踏んで転ぶ……」


しばらく考えていた美咲は、ウェストポーチをベルト代わりにして丈を調整することにした。


「うん、まあ、これなら何とか」


ウェストポーチが異彩を放っているが、石造りの神殿では、下手に転んだりしたら頭を打って昇天しかねない。死活問題である。


「マルセラさん、出来ました」


ドアを開けてマルセラを迎え入れる。

マルセラは、美咲の全身を眺め、ウェストポーチで眉を顰めたものの、すぐに裾をたくし上げるための物だと気付いたようで、裾周りに異常がないかを確認し始めた。


「済みません、これが神殿にあった一番小さな修道服だったのですが、それでもまだ大き過ぎたようですね」

「構いませんよ、お祈りの作法のお勉強をする分には、これで十分だと思いますし」

「……それでは、そこの椅子に腰かけて、こちらの本をお読みください」


薄い文庫本のような本を手渡される。

サイズは小さいが、革の装丁で重厚感がある。


「これは?」

「今回のために作られた聖句を記した本です。聖句自体は3ページほどで、その後ろは聖句の意味が詳細に書かれています。本番ではこれを黙読していただきますが、予め意味を理解していただく必要があるのです」

「覚える必要はないんですね?」

「意味を理解し、聖句を間違えずに読めるようになるのが目標です」


暗記するのではないと分かり、美咲はほっと溜息を吐いた。


「今日は、本を読むだけですか?」

「午後からは礼拝堂で祈りを捧げる際の動きを学んでいただきます」

「分かりました。それじゃ、まずは本を読んじゃいますね」


美咲は、ざっと本に目を通し、要旨を理解した所で、もう一回聖句を読み返した。

聖句の内容は、堅苦しい言葉で神の偉大さを称え、微睡祭からの神の不在を悲しみ、復活祭での目覚めを寿ぎ、春の訪れに感謝をし、一年の無事を祈念する。といったものだった。


「意外と普通な内容なんですね」

「今迄になかった祭祀でしたので、春告に相応しい聖句を聖典から拾い集めて作られているそうです」


 ◇◆◇◆◇


大食堂で他のシスター達と一緒に昼食をとり、食休みを挟み、午後は礼拝堂で祈りを捧げる際の動きの練習を行った。

復活祭最終日は礼拝堂前に祭壇が設けられ、祭壇から一人で礼拝堂に入り、女神像前で拝跪するため、実際に歩くルートを教えて貰い、それを覚えたら拝跪の作法を学んだ。


「まっすぐ女神像まで歩くだけかと思ってたんですけど、そうじゃないんですね」

「はい、この礼拝堂は世界を模したもので、各所に女神様の奇跡のあった場所が刻まれています。この礼拝堂を歩いて回ると言うのは巡礼を意味する行為なので、歩く順序、立ち止まる場所にはそれぞれ意味があるのです」

「これは覚えるの大変そうです」


礼拝堂各所に隠れるように佇む小さな石碑を決められたルートで巡るのは、地味に疲れる作業だった。

何回目かの巡礼の練習をしていると、神殿の外から大きな音が響いて来た。


「何があったんですか?」

「分かりませんが……事故でもあったのかもしれませんね、手が必要かも知れませんから少し離れます」


マルセラはそう言って神殿の外に小走りに出て行った。

美咲もその後を追うと、神殿の前で乗合馬車が横転しているのが目に入った。

道には馬車の部品らしきものが散乱しており、馬が倒れているのが見える。


「うわ、これは……」


この世界に来て、美咲が初めて遭遇した交通事故であった。

馬車は自動車と比べると速度は圧倒的に遅いが、強度も相応に弱い。

シートベルト等ある筈もなく、横転すれば乗客は怪我は免れないだろう。

思わず馬車に駆け寄る美咲の前で、通行人や神殿のシスター達が救助活動を始めていた。

大半の人は打撲や擦り傷で済んでいるようだ。しかし。


「誰か! 誰か娘を、アンジェを助けて!」


横転した馬車の木材が腹部に刺さった娘を抱えて泣き叫ぶ母親の悲痛な叫びが聞こえた。

まだ10歳くらいの女の子は、弱々しく母の手を握っているが、腹部からの出血は止まらない。


「……みんな、迷惑掛けたらごめんね」


美咲はポーションを呼び出し、それを口に含むと女性の前に膝をつき、アンジェと呼ばれた娘に口付けた。

こくん、と娘の喉が動いたのを確認しながら木材を素早く抜き取り傷口の状態を確認する。

効果はてきめんだった。出血は止まり、木材を抜き取った後には、古傷の跡の様な引き攣れだけが残っていた。


「……おかあさん……」

「ああ、アンジェ! ありがとうございます」


娘をかき抱くようにしながら、母親が美咲に感謝を伝える。

きつく抱きしめられた娘は少し苦しそうだった。


「流した血が戻るかは分かりません。暫くは安静にしてくださいね」

「ミサキ様……今のは一体……」


恐る恐る、といった様子でマルセラが声を掛けてきた。


「えーと、秘密ですよ、魔法協会の小川さんが研究中の回復魔法です。この場に間に合ったのは女神様の奇跡ですね。巡礼する箇所が一つ増えちゃいましたか?」


 ◇◆◇◆◇


「あ、ミサキ様、お待ちください。そのまま神殿に入って頂く訳には……」


神殿に戻ろうとした美咲は、マルセラに呼び止められた。

美咲の両手と修道服は血塗れだった。


「今日はここまでにしましょう。お風呂に入った方が良さそうですね」

「あ、はい」

「それにしても、不可能と言われた回復魔法を研究していらっしゃるとは、オガワさんと言う方は凄い方なのですね」

「あー、はい……あの、まだ研究中なので、このことは内密にお願いしますね」

「承知しました。それでは、こちらでお風呂にお入りください。この時間ならお湯は張ってありますので」


神殿裏手にある宿舎に案内された美咲は、風呂に入って、体に付いた血を洗い流した。

風呂に入った美咲は、その後リバーシ屋敷へと送り届けられた。


 ◇◆◇◆◇


美咲は小川が帰ってくると、神殿前であった事故のことを報告した。


「小川さんが研究中の回復魔法だって、咄嗟に言っちゃったんですけど」

「まあ、事実だから、僕の名前を出したことは良いよ。ただ、問題があってね。まだ回復魔法は再現出来ていないんだ」

「そうですか……」

「でも、目の前で子供が死に掛けてたら、僕だってポーションを使っちゃうからね。気にしなくて良いよ」


ポーションの秘密を守る為に、目の前で失われて行く命を見捨てるという選択肢は選べなかった。

最悪の場合でも、市場で見知らぬ女性から購入した薬が回復のポーションだった、という事実を述べれば良いのだ。

この世界には真偽を見定める魔道具がある。その魔道具で真実であると確認されれば、それ以上の追及はない。

馬鹿正直に、それを更に呼び出した。と付け加えなければ、誰もそんなことを聞いてきたりはしないだろう。


「それより、教えて欲しいんだけど、その娘の傷は、傷跡になったんだね?」

「はい、飲ませ方が悪かったんでしょうか」

「いや、それはないと思うよ。僕の仮説だけど、あのポーションは、昔研究されてた回復魔法と同じ、自然治癒を加速するものなんだよ。だから傷跡が残ったんだろうね」

いつも読んで頂き、ありがとうございます。


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