64.マルセラ
「こちらにミサキ様はいらっしゃいますでしょうか?」
アルが王都に帰ってから5日後、ミサキ食堂を訪ねて来た者がいた。
「はいはーい」
部屋で本を読んでいた美咲は本に栞を挟み、来客を迎えに出た。
ミサキ食堂を訪ねてきたのは、まだ年若いシスターだった。
「王都神殿より参りましたマルセラ・オリファントと申します。ミサキ様を春告の巫女として招聘するために参りました」
「マルセラさんですね。思ったより早かったですね。復活祭まではまだかなり時間があると思いますけど」
「衣装の準備に時間が掛かりますので。後は祈りの作法を学んでいただく必要もありますし、衣装に慣れて頂くにも時間を割く予定です」
「あー、なるほど。それは時間が掛かりそうですね」
この世界において、衣類は中古品かオーダーメイドが大半であり、当然すべて手縫いである。それだけでも時間が掛かるのに衣装慣れするまで着る練習をするとなると、下手をすれば本番用衣装、練習用衣装の2着を作るつもりなのかもしれない。
加えて祈りの作法の学習である。
元々、春告の巫女が何かも分かっていなかった筈なので、衣装にしても祈りの作法にしても、別の祭祀から持ってきた代物なのだろうが、決まった以上は覆ることはないだろう。
「それで、急で大変申し訳ありませんが、可能であれば3日以内に王都に向けて出発したいのですが、ご都合は如何でしょうか?」
「ええ、それなら2日後に出発としましょうか。私も少し準備が必要なので」
実のところ、2日後と言うのはかなり余裕を持った日程である。
元々、アルが春告の巫女を選定した翌日には、美咲は出発の準備を整えてアイテムボックスに荷物をしまってある。
また選定開始からミサキ食堂は閉めたままだし、後は茜との調整と、ご近所への挨拶だけなので、必要なら明日にでも出発出来る状態なのだ。
「分かりました。明後日、夜明け頃にお迎えにあがります」
「あー、もしかしたら、1人連れて行くかもですが、大丈夫でしょうか?」
「はい、馬車は2台仕立てておりますので問題ありません。お付きの方ですか?」
「いやいや、私、平民ですから。今ですね、王都のリバーシ屋敷の茜って娘と同居してまして、本人が希望するようなら、一緒に連れて行こうかと思ったんですよ」
「なるほど。王都では、そちらにご宿泊されるのですか?」
「そのつもりですよ。あ、神殿の寮か何かに入らないと駄目でしょうか?」
「復活祭2日目、最終日の前日ですが、そこだけは精進潔斎のため神殿で生活していただく必要がございますが、それまでは自由になさってくださって結構ですよ」
◇◆◇◆◇
「というわけで、神殿からお迎えが来たんだけど、茜ちゃんも一緒に王都に行く?」
その日の晩、茜に事情を話すと、茜は少し考えてから首を横に振った。
「ごめんなさい、今ちょっと洗濯機のテストが最終段階なので、離れられないんですよー」
「そっか……1人でお留守番になっちゃうけど、大丈夫?」
「う……だ、大丈夫です。小学生じゃないんですから。あ、でも、試作機で問題が出なかったらすぐに追い掛けますね。美咲先輩はリバーシ屋敷で待っててください」
思いっきり挙動不審になる茜に若干の心配を覚えながらも、美咲は頷いた。
「うん、分かった。王都でみんなと一緒に待ってるね」
◇◆◇◆◇
翌日。
傭兵組合に長期間留守にすると伝え、ご近所には留守の間、茜のことを気にかけて欲しいと頼み、孤児院には長期間留守にするので処分したいという名目で、大量の小麦粉を寄付し、美咲の準備は完了した。
その日の夜、美咲は茜のリクエストに応じ、大量の甘味と雑貨を呼び出し、お礼にとカイロの魔道具とドライヤーの魔道具を数個ずつ貰った。
「馬車は寒いですからねー。これで温まってくださいね」
「カイロとドライヤーがこれだけあれば十分に暖は取れるよ、ありがとね」
「いえいえ、美咲先輩にはいつもお世話になってますからー」
ポンポンと、美咲が茜の頭を撫でると、茜は気持ち良さそうに目を細めてそう言った。
そして翌早朝。
ミサキ食堂の前に神殿の迎えの馬車がやってきた。
「あ、来た来た。本当に馬車が2台ですねー」
日の出前から外で待っていた茜が、興奮したように美咲の方を振り返りながらそう言った。
「なんでなんだろうね?」
「1台は専属の護衛だと思いますよ。でも専属護衛付きなんて贅沢ですよねー」
「あれ? 私達が王都に行く時とかって護衛はつけてないよね?」
「美咲先輩と私のペアなら下手な護衛より強いですからねー」
2人がそんな話をしていると、ミサキ食堂の前に馬車が停車し、1台目の馬車からマルセラが降車してきた。
「おはようございます。お2人が王都に向かわれると言うことでよろしいですか?」
「いえいえ、私は美咲先輩のお見送りに来ただけです」
「すみません、マルセラさん。結局、私1人だけになりました」
「承知しました。それでは、こちらの馬車にお乗りください」
そう言って、マルセラは2台目の馬車の扉を開いた。
「ありがとう、マルセラさん。それじゃ、茜ちゃん。王都で待ってるからね」
「はい、みんなによろしくです」
美咲が馬車に乗ると、マルセラは外から馬車の扉を閉めた。
どうやらこの2台目の馬車には美咲しか乗客がいないらしい。
「……贅沢すぎるよ」
ポツリと呟くと、美咲はアタックザックからタオルクッションを取り出し、座布団代わりにして、カイロの魔道具で暖を取った。
茜と一緒の旅と違い、神殿への旅は美咲に取って息が詰まる物だった。
休憩の時も食事の時も、マルセラは美咲に対して下にも置かない扱いで、何をするのもミサキ様、ミサキ様と立ててくる。それは、元々が単なる女子高生に過ぎない美咲に取っては、本当に落ち着かないものだった。
◇◆◇◆◇
そして、その日の夕刻、馬車は王都に到着した。
1台目の馬車は止められて確認を受けていたようだが、美咲の乗った馬車は神殿の威光か、そのまま門をスルーされた。
馬車は門を入ってからも、しばらく走り続け、神殿のある北区で停車した。
単なる停車なのか、到着したのかの判断がつかず、美咲が馬車の中で待っていると、馬車の扉が開かれた。
「ミサキ様、到着しました。本日は、まず採寸をして頂きます。その後、お屋敷までお送りいたします。明日は午前中の内にお迎えに参りますので、お屋敷でお待ちください」
「ここは神殿じゃないですよね?」
「いえ、神殿です。神殿の裏手になります」
なるほど。と納得した美咲は馬車から降りて伸びをした。
「マルセラさんもお疲れ様でした。採寸はどこでするんですか?」
「こちらへ」
マルセラに文字通り手を引かれ、美咲は神殿裏手から神殿に入り、応接室の様な部屋に通される。
「こちらで少々お待ちください。今、衣装の担当の者を呼んで参ります」
「あ、はい」
部屋にはソファーとローテーブルのセットが置かれ、壁にはとても古そうな絵画が飾られていた。
どれも華美ではなく、神様の御座所らしい、落ち着いた雰囲気のものだった。
美咲が風景画を眺めていると、マルセラが中年のシスターを連れて戻ってきた。
「ミサキ様、こちらが担当のシスター、コリーンです」
「あ、はじめまして、美咲です」
「おやおや、これはまた可愛らしい巫女だこと。コリーンおばさんが服を縫ってあげるからちょっとサイズを測らせて頂戴な」
「えっと、ここでですか?」
「そこに衝立があるでしょ。その向こうで今着てる服を脱いで」
コリーンが指差した部屋の隅に、確かに衝立が置いてあった。
「あ、はい。それじゃ」
衝立の後ろに隠れるようにして、アタックザックを降ろし、ウエストポーチを外し、コート、ニット、ブラウスを脱ぐ。ちょっと考えて、インナーのシャツとブラジャーはそのままに、靴を脱いでデニムを脱ぐ。
「えっと、これで良いでしょうか?」
衝立の後ろに隠れたまま声を掛けると、コリーンが覗いてくる。
「あらま、珍しい下着つけてるね。うん、それで測れるから大丈夫だよ。それじゃ、まず手を横に伸ばして……うん。次は肩と……胸と……腰と……今度は手を下に下ろして……うんいいよ。はい、寒かったね。もう服を着ても良いからね」
「もう終わりですか?」
「そうだね。後はコリーンおばさんが服を縫って、大体出来たらもう一度調整だよ」
「それじゃよろしくお願いします」
「はいよ、子供にしちゃ礼儀正しいねぇ」
美咲が服を着直している間にコリーンは退室して行った。
「それではお送りします。場所は平民街南区のリバーシ屋敷、スズキ様のお屋敷でよろしいでしょうか?」
「あ、はい。よろしくお願いします……あの、何なら、1人でも帰れますけど?」
「いえ、神殿長から、ミサキ様の送迎を仰せつかっておりますので」
◇◆◇◆◇
神殿から馬車でリバーシ屋敷まで送られると、今日はたまたま休みだった広瀬が美咲を迎えた。
「話はアルから聞いてるよ。大変だったな……というかこれからか、大変なのは」
「そうですね。明日からお祈りの練習するそうです」
「ところで茜はどうした?」
コタツに入りながら、広瀬が尋ねる。
「ミストの町で洗濯機の魔道具を開発中です。後ですね、カイロの魔道具を茜ちゃんが作ったんですよ」
「ああ、アルが自慢してたよ。ま、コタツには敵わないと思うけどな」
「コタツ、好きですねぇ」
「日本人なら冬はコタツだろ。後は畳があればなぁ。美咲は呼べないよな? 畳」
「無理言わないでください。女子高生がそんなの買ったことある訳ないじゃないですか」
「だよなぁ」
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