06.人間観察
(しまった。やらかした!)
それが美咲の感想だった。
たかがタオルである。
布が貴重な世界であれば1本1万円程度で売れればという読みだったのだが、何が悲しくて想定の25倍の値が付くのか。
「あ、あの、そんなに高くなくても……その、日本ではそこまで珍しい物ではありませんし」
「ふむ……だとしても、どことも知れぬ遠方の地の特産品。それにこの丁寧な作り。深い色。倍額でも売れる自信があるのですよ」
売る側が値切る不思議な交渉は、商業会長の圧勝であった。
結局、美咲は金貨14枚が入った革袋と、10枚の大銀貨が入った革袋の二つを手渡された。
一部が細かいのは、生活費としてすぐにでも使いやすいように、というビリー氏の配慮である。
アタックザックの中で美咲が貴重品入れと決めている場所に金貨の入った袋をしまいこむ。
(そだ……ウエストポーチ……来た!)
ウェストポーチの呼び出しに成功。富士登山の装備の一つである。これを財布代わりにすることにした。
大銀貨10枚。それに加え、砦で入手した銀貨9枚と大銅貨5枚をしまい込んで腰に巻く。
受付前で装備を整え、外に出ようとしたところで振り返り受付嬢の前に戻る。
「信用できる宿があったら教えてください!」
受付嬢が教えてくれたのは、青海亭という宿だった。
美咲の記憶では最も高い部屋のある宿だったが、理由を聞いて納得した。
青海亭には温泉があり、個室利用者は清掃中を除く24時間の温泉利用権があるとのこと。
朝晩の食事も付いており、味は平均より上。量も多いらしい。
(とても不本意だけど大金を手に入れてしまった以上、宿屋での安全はお金で買おう)
◇◆◇◆◇
教えられた青海亭は、樹海とは反対側の門の近くにあった。
1階は食堂のようだが、奥にも受付のカウンターがある。
そちらに向かうと、座っていたお姉さんが立ち上がった。
「青海亭にようこそ。お泊まりかい? お嬢さん」
男前なお姉さんだった。
「はい。ええと商業組合で信用できる宿屋さんを、と言ったらこちらを紹介されたので。女将さんですか?」
「ああ、受付のマギーに聞いたんだね。まあ身内贔屓もあるとは思うけど、うちでは事件は起きた事ないよ……まあ、女将であってるね」
身内贔屓ということは、あの受付嬢はこちらの親戚か何かなのだろう。
何にしても事件が起きた事がないというのは心強い。
「それで、何泊かお願いしたいのですけど」
「部屋は3種類あるが、どうする? お嬢さんには勧めないが雑魚寝部屋、あとは個室、特別室がある…特別室は3部屋が繋がった部屋だから、一人で使うのにはこれもお勧めしないけどね」
選択肢はあるようでなかった。個室一択である。
取り敢えず10泊する事にし、これで3000ラタグが消えた。
通された個室は2階の角部屋だった。広さは8畳くらいだろうか。
壁際にベッドと、南京錠がついたキャビネット。金庫のようなものなのだろう。
歪みはひどいが、窓には窓ガラスがはまっている。
(ここを拠点にして情報収集をして、原住民に埋没して生活しよう)
大金は手に入ったが、一度限りの事である。
もう一度タオルを出して売るという事も考えたが、商業組合で話した内容を考えるとそれは出来ない。どことも知れぬ遠方の国の産物を易々と手に入れたりしたら怪しすぎる。
となると何か仕事を探さないと文化的な生活を維持できない。
青海亭の個室は一泊朝晩付きで300ラタグである。このまま、ここを拠点にするのであれば、最低でも日給300ラタグは必要だ。
が、それはさておき。
「まずはお風呂だよねぇ……となると着替えとかかな」
(下着……下着……っと)
いつも買っている無地の上下セットが出てきた。
(後は……バスタオルにサンダル……ちがう、ビーチサンダルは私が求めている物じゃない……けど登山靴よりはいいか……後はシャンプー……)
その他、色々と女性として必要な諸々を呼び出し、バスタオルに包んで風呂場に向かった。
◇◆◇◆◇
久し振りの風呂を堪能した美咲は部屋に戻って衣類の呼び出しに挑戦していた。
お風呂で綺麗にしたは良いけれど、汗臭い服を再び身にまとう事になってしまったためである。
(まず部屋着……ええと、シンプルな上下セットの衣類……うん。まあ、こんな感じかな)
出てきたのは、ドライ素材のシャツに八分丈のパンツのセットだった。早速着替える。
(衣類の洗濯とか出来るのかな……出来たとして、幾ら位かかるんだろう?)
脱いだ服をたたんで溜息を吐く。
『呼び出し』で物は呼べるが、呼んだものは消費しなければ残ったままだ。
好き勝手に物を呼び続けていたら、それだけで美咲の荷物はパンクしてしまうだろう。
(あまり荷物は増やさないようにしないとね)
特に衣類は嵩張る。衣類は極力洗って使い回す必要がある。
(洗濯屋さんとかあるのかな)
宿の受付で女将さんに聞いてみたところ、1籠20ラタグで洗うサービスを宿でやっているとの事。
籠に入れて部屋の隅に置いておけば、朝回収して夜には返却という流れらしい。
また、中庭に洗い場があるので、自分で洗うのもありだそうだ。
さて、そろそろ夕刻である。
食事は食堂でとの事だが、流石に部屋着で食事は恥ずかしいような気がする。替えの服も必要なんだし。と自分を納得させ、美咲は再度『呼び出し』を使う事にした。
(地味目でしっかりした作りで今の私が着られる上着……なんだこれ?)
出てきたのはブルゾンだった。何となく見覚えはあるのだが、あまり思い入れのある服ではないのだろう、いつのものかが分からなかった。
試しに羽織ってみて思い出した。
「あ、バイクの時のだ」
以前、兄に薦められて原付の免許を取りに行ったことがあった。
免許を取るだけ取って満足してしまったので、以降、出番が殆どなかったが、これは免許を取りに教習所に通っていた時に着ていたものだった。
長袖、長ズボン、くるぶし以上のブーツ。手袋など、色々と物入りだったのを思い出した。
「これが行けるって事は」
(バイクの免許取りに行く時に買った長いブーツ……おし……ついでに革のグローブ、あー、パンツはもう一本欲しいからデニムも、と)
全部出てきた。荷物を増やさないようにしないと、と思っていた矢先にこれである。が、取り敢えず呼び出した服とブーツに着替える美咲であった。
夕食は普通だった。
メインは何かの肉と野菜類を煮込んだスープ。
女将さんはウェリなんとかの煮込みと言っていたが良く分からなかった。
食感は鶏肉っぽかった。それに豚肉に似た肉と野菜の炒め物が少しとパン。あとは水。
美味しいが、美咲の基準からすると薄味でスパイスが使われていない、良く言えば素材の持ち味を大事にした料理だった。
部屋に戻って行動方針を決める。
基本線は常識の学習である。知りたい事は幾つもあるが、まずは周辺探索と町の観察をしよう。
◇◆◇◆◇
翌朝、町の広場。
商業エリアと住宅街の間にある広場である。
さして人口の多くないミストであっても、ここは憩いの場として機能していた。子供達が遊び、美咲のようにベンチに腰かけてのんびりしている人もいる。
見ていると、女性の多くはスカートで、パンツルックの女性は武器を携行している事が多かった。
(パンツの女性は傭兵なんだろうね、武器を持つのが普通みたいだから、私も何か買った方が良いのかな)
そういう視点で見ると、武器を携行していない傭兵は少数派だった。町娘の姿になるという手もあるが、パンツの動きやすさは捨てがたい。武器の携行を真剣に検討する美咲であった。
傭兵らしい人を観察していて気付いた事があった。傭兵と思われる人の大半は首元に直径3センチ程のペンダントを付けていた。色が何色かあるのは、もしかしたら階級を示しているのかもしれない。
傭兵の次に気になったのは、ごくまれに通る全身灰色や黒のローブを来た性別不詳の人。美咲の数少ないファンタジー知識では、ローブを着て杖を持っているのは魔法使いだ。だが、町中で魔法を使うような人はいなかったので確認は出来ていない。
広場には多くの屋台が出店していた。主に食料品で、早い時間帯は生鮮食品。昼頃には生鮮食品は店をたたみ、雑貨類に場所を譲った。串焼き肉を売るような店は朝からずっと店を広げている。
周囲の人を観察して同じように串焼き肉を買ってみる。1本15ラタグ。美咲の感覚だと150円位と言った所か。
恐る恐る齧ると、串焼き肉としか表現できない味わいだった。僅かな塩味はあるものの、後は素材の味を活かした、というか素材の持ち味だけの代物だった。食肉としての処理はきちんとされているようで、臭みはぎりぎり癖と言えるレベルに収まっている。
(現地の食材だけでももう少し何とかなりそうなものだけど…香草を挟むとか)
肉の素材の味だけで勝負するよりも美味しいのではないかと思う。少なくとも青海亭の食事はもっと美味しかった。
また、ホットドッグのような物も売っていた。腸詰をパンに挟んだだけでケチャップやマスタードの類はなし。しかし加工肉とパンを使うだけあり、串焼き肉よりも若干高価だった。
フードを被った魔法使いっぽい人が露店を開いていたので眺めてみたら、魔道具を並べていた。何となく魔道具は高級品だと思っていたので、露天販売されているという事に美咲は驚いた。売られていたのは、灯りの魔道具と、水やお湯を生み出す魔道具だった。前者は照明に、後者は炊事に利用するのだろう。
魔道具は魔素を補充すればリサイクルできるらしい。自分で魔素の補充が出来ない人は、使い終わった魔道具を持ってきて差額を支払い新しい魔道具を貰って帰るという仕組みだった。
そんなやり取りを眺めていたら、魔道具屋さんの視線が美咲の方に向いた。
そして二度見された。
更に、魔道具を放って美咲の方に歩いてきた。
「ちょっとそこのあなた!」
目と鼻の先である。魔道具屋の目当ては美咲で間違いないだろう。
「はい?」
「あなた、傭兵みたいな恰好しているけど魔法使いよね。お金は払うからちょっと手伝ってくれない!」
美咲にとって、自身の魔法は『呼び出し』だけである。
それは美咲の生命線であると同時に、トップシークレットであった。
「あの、魔法は使えませんけど?」
「そうなの?」
「田舎者なので」
「……そっかぁ……それだけの魔素を使えるのに勿体ないわね……あ、ごめんなさいね。私はフェル。魔素を感じる事が出来る家系なの。結構レアな技術なのよ。それであなたの周りの濃密な魔素に驚いて、出来たら魔素を分けてほしいと思ったのだけど」
「あ、私は美咲。魔素って分けたらどうなるの?」
「人によるけど、お腹空いたり、疲れたり、かなぁ……一晩寝たら回復するけど」
どうやら『呼び出し』と同じらしい。
「分けるのはどうやれば?」
「分けてくれるの?」
「害がなくてお金になるなら」
それほどお金には困っていないけれど、これを生業に出来るなら、それはそれでありかもしれない。
「一晩寝れば治る程度の疲労で、そうね。今の分量だと330ラタグかな」
「やります。やり方を教えて」
「現金ね。好きよ、そういうの」
フェルは灰色のローブのフードを降ろした。
露になる緑の瞳、金の髪。そして長い耳。
「バルカン……じゃない、えーと、エルフ?」
「見るのは初めて? それじゃ、こっち来て」
魔素を分けるのは簡単だった。
使い終わって魔素が抜けた魔道具のそばで。
(魔素よ、均等にあれ)
と、霧が魔道具に吸い込まれるイメージをしながら念じるだけで、一定範囲内の魔素は均等に存在するようになった。
その範囲内の魔道具にも均等に魔素は入り込み固定される。
疲れは僅かだった。
「助かったよ。ここ何日か、お客さんが多くて、補充しといた分が足りなくなりそうだったんだ」
「こんなので良ければまたお手伝いさせてほしいくらいです」
青海亭一泊分以上の稼ぎである。これが毎日出来るのであれば、貯金だって出来るかもしれない。
「んー、流石に毎日はないけど、時々様子を見に来てくれたら嬉しいかな」
「うん、よろしくね」
「それじゃ今日はありがとうね」
フェルと握手をして美咲は広場で人間観察に戻った。
ご指摘いただいた誤記を修正しました。