05.商業組合
この町、ミストは、元々が『白の樹海』開拓のために作られた町で、樹海開拓が不可能と判断されて以降は、成長することもなく、このままの大きさで存在している。
当初計画には拡張計画も存在したが、初期の植民ラッシュ以来、人口は減少傾向にあり、拡張計画は見送りとなっている。
樹海から魔物が溢れた時に真っ先に襲われるような町に住みたがるような物好きは少ないのだ。
結果、町としては微妙なサイズのまま、ミストの町は存続している。
◇◆◇◆◇
「あ……読める……」
ちなみに看板の文字はなぜか理解できた。
試しにと、地面に指で書いたら書けた。
言葉と文字はなぜか使える。脳内に翻訳用のチップでもインプラントされているのだろうか。考えても理解出来ないが、そういう世界と納得するしかない。
さて、平行世界の探索の始まりである。
ガラス窓はあまり一般的ではないようで、店舗の商品は店先に並べられているので、その表現が妥当かはさておき、まずはウィンドウショッピングだ。
文字が理解できる場合、これはバカにならない情報源だ。
店舗を構えた店、屋台、露店と多彩だが、食品の多くは屋台や露店だ。
生鮮食品の屋台を幾つか覗いてみると、概ね日本と類似の食品構成である事が見て取れた。
肉、川魚、貝、野菜、果物らしきものもあった。
肉と同じ所にある大きな虫については、取り敢えず目を背けて通過する。
串焼き肉のような加工食品もある。
店舗の店先では塩や胡椒が売られていた。他の食品と比較すると結構な値がついている。塩も高いという事は、ここは内陸なのだろう。
服はオーダーメイドが基本のようで、数点サンプルがある程度。
古着屋もあったが、品揃えは微妙だった。人口の少ない町では供給が少ないのだろう。
端切れ専門店などもあった、手芸用品店なのだろうか。そう言えば機織りが機械式になる以前は、布は高価だったと聞いた事がある。だから端切れレベルでも売り買いされる程度には貴重なのかもしれない。
鍛冶屋もあった。武器防具の作成の他、鍋の修理なども行っているらしい。どちらがメインなのだろう。
食堂もあった。あったが休み時間だった。時間営業のようだ。
宿屋はなぜかこの規模の町なのに3つもあった。それだけ需要があるという事は、人や物の動きはそれなりに活発だと思われる。
建造物は大半が木造だが、一部石造りの建物も存在する。看板を見たら傭兵組合と商業組合だった。傭兵が組合を作るほどに存在しているという事実に身の危険を覚える。
商業エリアを何回か往復したが完全に理解不可能な物はほぼなかった。
肉や野菜の種類は一部理解できない物があった。文字は読めても地球になかったものは翻訳が出来ないのかもしれない。だがそれが肉であり、野菜であることは理解できた。
今はそのレベルで十分だ。
砦で食糧を売った際に50ラタグが定食一食分と聞いていたが、実際には40ラタグ程度が相場のようだ。もしかしたら夕食は相場が変化するのかもしれないが。
宿屋の相場はコース次第。
雑魚寝の素泊まり50ラタグから、特別室の500ラタグまで色々あるようだ。
(正直、ここまで価格差が大きすぎるとあまり参考にはならないけど。出来ればお風呂付の部屋に泊まれるようになりたいなぁ。というか雑魚寝は避けたい)
手持ちの現地通貨を考えると、あまり余裕はない。
当座の活動資金を得るために何かを売るしかないだろう。
(売れる物かぁ……この町で滞在するとなると、目立つ物は売れないよね)
おにぎりやチョコは、砦での反応を見る限り珍しい食品に分類されてしまうだろう。
特におにぎりは材料の説明が出来ない。海苔も米も、この町では見かけなかった。
チョコもかなり高級品と受け止められていた。これも目立ちそうだ。アーモンドも説明出来る自信がない。
この世界に普通にある食材で美味しい物を作って目立つのであれば常識の範囲だが、それとは訳が違う。これは駄目だ。
アタックザックはその素材が異質すぎる。
革靴は革と言いながら中には透湿性の素材が使われているし、サイズが一つしかない。
ヘッドランプに至っては電気製品。どれもこの世界ではオーパーツだ。
(呼べる物の中で、売っても極端に異質とならないものとなると、金剛杖……焼き印さえ消せばただの杖だけど需要がなさそう。包丁とナイフ……ステンレスなんてまだないよね、きっと……食品は品種とか説明できないから避けるとして……あとはタオル……布類が貴重なら売れるかも)
今日の宿も決まっていないのだ。早めに行動する必要があった。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
端切れを売っている店で店員と思しきおばさんに声を掛ける。
「どうしたね? お嬢ちゃん」
「ええと、これ、売れるかな?」
そう言いながら背負い紐にぶら下げていた、濃紺のタオルを差し出す。
「……んー、悪いけど、うちでは取り扱えないね。これだと商業組合に持って行った方が良いよ」
「そうですか、すみません、ありがとうございました」
「何、また何かあったらいつでもおいで」
(基準は満たせなかったみたいだけど、商業組合なら買ってくれるのかな)
◇◆◇◆◇
「失礼しまーす」
商業組合のドアを開く。
正面には受付があり、受付嬢が座っている。
その後ろには沢山の机が並び、10人程の人が書類を処理していた。
受付の手前には待合のためだろう、長椅子が置いてあったが座っている人はいない。
「ようこそ、商業組合へ。どういった御用でしょうか?」
「ええと、これを買い取ってもらえないかと思いまして」
タオルを差し出す。
受付嬢はタオルを手に取り、感触を確かめる。
「少々お待ちください。係の者を呼んで参ります」
「はい」
(第一関門突破……どのくらいで売れるんだろう、何本か呼び出して置いた方が良いよね)
空間魔法はあるらしいが、目立つのは出来るだけ避けたいのでアタックザックを降ろしてその中で呼び出しを行う。
同じタオルを呼び出したので、寸分違わぬタオルが5本増えた。
受付嬢が戻ってきた。
誰も連れて来てはいない。
「お待たせしました。会長がお待ちですので、こちらへどうぞ」
(会長? 偉い人なんじゃ?)
良く分からないままに美咲は奥の会議室に連れていかれた。
人の良さそうなおじさんがそこにいた。
タオルを片手にニコニコしている。
そばの机の上には青い水晶玉だけが置いてある。
(あれ? 砦で見たのと同じ水晶?)
美咲の思考はおじさんの言葉で途切れた。おじさん……おそらくは商業会長である。
「……君がこれを持ってきたのかね?」
優しげな表情だが、目が笑っていない。生活指導の先生に似た雰囲気を感じた美咲は。
(……出来るだけ嘘は吐かないようにしよう)
と思った。
「はい。美咲と言います。よろしくお願いします」
「それで、これを売りたいと?」
「そうですね。ちょっとその……田舎の方から来たんですけど生活費が必要で」
樹海の方は極めつけの田舎であろう。田舎の方からであれば嘘ではない。
生活費が必要。も極め付きの真実だ。
「ふむ……迷宮産かね?」
迷宮って神話に出てくるあれだろうか。という疑問を顔に出さず。
「いいえ、私の故郷の物です」
と返す。
「……ふむ。故郷の場所は聞いても?」
「……日本と言いますが、正直、迷子なんで分かりません。遠い事だけは分かりますが」
何しろ、美咲の読みでは世界線が離れた平行世界である。飛行機どころかロケットでも届かない。
次元レベルの迷子である。
「そうですか。それは残念です……すべて事実のようですね」
ちらりと青い水晶玉に目を向ける。どうやら嘘発見機のような物らしい。恐らくは魔道具の一種なのだろう。
「……ニホンの位置が分からないのは本当に残念です……これだけの産物、是非輸入したかったのですが」
地球におけるタオルの前身は歴史のある伝統工芸品である。
機械生産で安価になりタオルという製品となったものの、美咲の感覚でそこそこ高価なタオルは、この世界においては単なる布という評価ではなく、美しい工芸品という評価を受けた。
だから当然端切れを扱う店では取り扱えない。
それを扱えるような商人に預けなければならない。
商業組合に行け。とおばさんが言ったのはそういう意味だった。
「……それにしても困りましたね」
「ええと、買取に問題でも?」
「正直、値付けが難しいのです。これだけの工芸品で、しかも一点物ですので……もう少し数があれば簡単なのですが」
「あと5本ありますけど?」
アタックザックから準備していたタオルを取り出して机の上に並べた。
商業会長の表情が固まった。
「……お嬢さん、申し遅れましたが私は商業組合理事会会長のビリーです。失礼ながらもう一度お嬢さんのお名前をお伺いしても?」
「美咲です。あの、それでどうでしょう? 幾ら位になりますか?」
「……値はお任せいただけると?」
「ええ。私は素人ですから」
青い水晶玉には欠片も反応がない。
「なるほど。それではその信頼にはお応えしないといけませんね……そう……単価は25000ラタグ。6本で15万ラタグ……でしょうか」
美咲の手持ちは950ラタグである。美咲の感覚ではこれは約1万円に相当する。
1ラタグ=10円の換算である。
つまり。15万ラタグとは美咲にとって150万円程度という事になる。
(しまった。やらかした!)
ご指摘いただいた誤記を修正しました。