41.臨床試験
閉じ込められた納屋からリバーシ屋敷まで、気にしながら歩いてみると、咳をしている人の姿をちらほら見掛けた。
「結構いるんですねー、風邪ひきさん。美咲先輩の風邪薬が効くと良いんですけど」
流行しているのがただの風邪であれば美咲の手持ちの薬が効果を発揮するかもしれないが、インフルエンザや、風邪に似て非なる病気であった場合は高い効果は期待できない。
「風邪薬が効果ない場合は、痛み止めと熱冷ましとかで対症療法になるかな」
「私が風邪ひいたら、よろしくです」
「魔法とかがあるトンデモ世界だから、論理的な推論にどこまで意味があるかは分からないけど、多分私達は大丈夫だと思うよ」
美咲達転移者は、致命的な病を恐れる心配は少ないのではないかと美咲は考えていた。
偶発的な転移ならともかく、女神による意図的な転移であれば、地球人類が耐性を持たない風土病で転移者が死滅するような愚は犯さないだろう。
「そうなんですか?」
「女神様が効率を重視しているならね。でもまあ、風邪をひいたら看病してあげるよ」
◇◆◇◆◇
その日の夜。
恒例の大量呼び出しを行おうとする美咲に、広瀬が声を掛けてきた。
「美咲、申し訳ないけど、ビールを出来るだけ沢山頼みたい」
「構いませんけど、どうしたんですか?」
「実は、ビールの存在を隊の連中に話しちまって、話の流れで今度飲ませてやるって言っちまったんだ」
隊で、どの酒が一番旨いかという話をしている内に、ビールについて話してしまったとの事で、そんなに旨いと言うなら飲ませてみろと言う流れになってしまったとの事だった。
「構いませんけど、空き缶は回収してくださいよ。アルミなんて、この世界にはまだない筈なんですから」
「ああ、分かった」
こうして美咲は、内服薬少々の他は、大量のビールを呼び出して広瀬に渡す事となったのであった。
◇◆◇◆◇
翌日は雨天のため、美咲達は王都観光はせずにリバーシ屋敷のリビングで大人しく読書をしていた。
読書と言っても、本は美咲が過去に購入した物を呼びだしているため、美咲に取っては過去に読んだ事のある本であり、茜にとっては趣味に合わない本となっていた。
ただし、この世界に来てから、活字や漫画に触れていなかった茜にとっては、趣味との差は些細な問題だったようだ。
「この本良かったですよー。ピート可愛いなー」
ソファーに寝転がりながら美咲お薦めの初心者向けSFを読んでいた茜がポツリと漏らした。
「護民官ペトロニウスね。うちの兄は主人公の事をロリコンだって酷評してるんだけど、面白いよね」
「いーじゃないですか、リッキィだって初恋が実った訳ですし」
「だよねぇ」
「そーです美咲先輩、帰ったら猫飼いましょ、猫。ふわふわでやわやわで可愛いですよー」
茜は起き上がり、美咲を説得しようと小さなこぶしを握りしめて力説した。
「無理だよ、うちは食堂だから」
「駄目かー」
と、リビングのドアがノックされた。
「どーぞー。セバス、どしたの?」
「茜様にお届け物です」
セバスが差し出した掌には、小さなガラスの薬瓶が乗っていた。
「あー、昨日のだ。何か言ってた?」
「治ったので、残りとガラス瓶は返す。と」
「そっか、治ったんだ。残りを持って来るなんて律儀だねー」
「1日で治るなんて、思ったほど悪くなかったのかもしれないね」
◇◆◇◆◇
同じ頃。
魔法協会では、小川が持ち込んだ薬の臨床試験が行われていた。
薬師に掛かっても症状が改善しない患者を選び、薬を投与して経過を見るという物だが、異常な結果に小川を含めた関係者全員が首を傾げていた。
「この結果は異常過ぎる。オガワ君、この薬はどう言う素性の物なんだ?」
「詳細は言えませんが、信頼できる筋の物である事は保証します」
「この結果を見れば、誰だって信頼せざるを得ないが、異常だろ、幾ら何でも」
薬を飲んだ者は、1人残らず、極めて短時間で症状が改善されたのだ。
その結果を見る限り、信頼するに値すると判断せざるを得ない。しかし、高熱を発していた重篤な患者までもが、僅か1時間程で回復したのだ。幾ら何でも効果が出るのが早過ぎる。
「まだ患者は残っていますよね。確認したい事があります」
「一体何を確認すると?」
「同じように薬を与えるだけですが、前後の患者の魔素の状態を確認したいんです」
「ほう、という事は、この薬は、魔素に作用する物なのか」
「ご想像にお任せします」
美咲が呼び出した物は魔素を含まず、時間経過で周囲の魔素を吸収する性質がある。
風邪薬が薬としての効果を発揮したとは思えないため、小川は魔素の吸収が高い治療効果を齎したのではないかと推測していた。
そして、実際に小川が患者の魔素の状態を確認した所、患者の体の一部に魔素が淀んだように溜まっている事が判明した。
その患者に薬を飲ませると体内の魔素の不均衡が正され、症状が改善した。
(なるほど。薬としての効果ではないという事だね、これは)
小川は、美咲から貰ってアイテムボックスにしまっていた酒を取り出し、数滴を水に混ぜた物を用意した。
そしてそれを別の患者に飲ませると、やはり体内の魔素の不均衡がなくなり、症状も改善されたのだ。
「まず、前提が違っていたみたいですね。これは風邪じゃなく体内魔素の不均衡による魔素酔いが、風邪の様な症状を示していたと考えるべきでしょう」
「待て待て待て! 風邪なら分かるが体内魔素の不均衡? 魔素の不均衡なんて、魔法使いなら誰だって当たり前になるだろ?」
「しかし不均衡はすぐに改善されます。それに対し、この症状は患部に魔素溜まりが出来てしまい、不均衡が継続していたんですよ」
「……結果、風邪の様な症状が出ていたと?」
「治療効果が出た理由としては、その線が濃厚ですね。ですが」
小川は腕を組み、考え込んだ。
体内に魔素溜まりが出来ていた。
そのまま魔素溜まりが解消されずにいたらどうなるのか。
仮に魔素溜まりが濃縮され、魔石化するまで患者が生きていられたら、それを何と言うか。
「……魔物」
「魔物がどうかしたのか?」
「いえ、幾ら何でも飛躍しすぎました。そもそも魔素の不均衡がなぜ発生したのかだって分かっていない、いや……淀み……だから循環が必要なのか?」
「オガワ君、君が何を言っているのか分からんよ。だが、風邪が治らなかった理由と対処方法は分かったわけだ。これで問題は解決だろ?」
「いえ、一番大事な部分が分かっていません。治療に取り掛かるのは急ぐべきですが、それが分からないと再発します」
なぜ、魔素溜まりが体内に出来たのか。
そして、伝染しない筈の魔素溜まりが、なぜ伝染病の様に流行していたのか。
◇◆◇◆◇
その後の魔法協会の動きは迅速だった。
王都全域に対して、次の布告を行った。
・流行中の風邪は、風邪に似た別の病気であり、速やかに治療薬を飲まねば死に至る危険性がある。
・治療薬は水薬であり、魔法協会で無料で配布される。
・魔法協会まで来られない程悪化している場合は、代理の者が取りに来れば錠剤タイプの薬を支給する。
薬は3日程度で効果を失うため、速やかに患者に飲ませる事。
患者に飲ませるのは風邪薬である必要はない。
美咲が呼び出した直後の状態の物であれば、水でも酒でも食べ物でも構わない。
小川のアイテムボックス内にしまわれた酒は、時間経過がないため、美咲が呼び出した直後の状態を保っており、分量も申し分ない。
小川は、これを水で薄めて患者に飲ませるという選択をした。
小川のアイテムボックスから取り出した直後から、酒は魔素を吸収し始め、3日程度で飽和状態となる。
飽和状態が近づいた酒は収納魔法で格納し、新しい酒をアイテムボックスから出すという作業が必要となるが、魔法協会の試算では、5日程度で王都内の全ての患者に薬が行き渡るため、小川の負担も然程大きい物ではない。
小川は空いた時間で、事件の根本原因について考えていた。
「……なぜ体内に魔素溜まりが出来るのか……魔素は誰でも持ってるし、淀むような性質の物じゃない筈なんだけどねぇ……疑問点が多過ぎるよね」
小川は疑問点を美咲から貰ったノートに書き出した。
なぜ体内に魔素溜まりが出来るのか。
なぜ患者が多数発生したのか。
なぜ風邪に似た症状だけだったのか。
なぜ急に発症したのか。
患者は老若男女の別なく、発症している。
傾向があるとすれば、今の所、流行は王都のみ。
(王都か。そう言えば、どうして僕達3人は王都近郊に転移したんだろう?)
いつも読んで頂き、ありがとうございます。




